アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年12月12日

私按二、日向國と熊襲國 その4

大八洲の説
元來大八洲國とは群島國の義にして、必ずしも八個の大島ありとのみ、狭義に解釋すべきにあらず。
「や」は數の多きを謂ふなり。
然るに奈良朝初の人士此の義に暗く、「や」の假字として用ひられたる「八」なる文字の意義に泥みて、強ひて著名なる八島を數へんとせしが為に、遂には日本紀の本文及び其の引用せる多數の一書に見るが如く、種々雜多の異りたる説を生ずるに至りしなり。
古事記には、淡路、四國、隠岐、九州、壹岐,對馬、佐渡及び本州の八大島を、大八洲と數へて、吉備兒島(きびのこじま)、小豆島(あづきのしま)、大島、女島(ひめじま)、知訶島(ちかのしま)、及び兩兒島(ふたごじま)を、其の以外に置き、又日本紀本文には、本州、四國、九州、隠岐、佐渡、越洲(こしのしま)、大洲(おほしま)及び吉備子洲(きびのこじま)を以て大八洲と數へ、淡路を別に置き、其の以外の對馬、壹岐、並びに諸々の小島は、諾冉二尊の生み給へるにはあらずして、潮沫(しほのあわ)の自然に凝りて成れるものなりとなせるが如き、皆此の思想に基づけるなり。
其の他、日本紀引用の多數の一書、又それぞれに大八洲の島々に就きて、異なりたる數へ方を爲せるなり。
斯くの如きは畢竟數多の島嶼の中より、特に八個の大島を擇ばんとせし結果にして、固より是れ古意にあらず。
本來の古傳説には、必ずしも八個の大島とのみは限らず、我が群島悉く大八洲の中なりしものなるべし。
されば蝦夷の國を之に數ふるも可なり。
posted by うさぎ at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 大八洲

2020年12月09日

國土の發生に關する古傳説


日向國史 上
  第一編 太古史
第一章 國土の發生に關する古傳説
日向の國名
日向は九州島の東南隅にありて、西と北とに山を負ひ、東と南とは海に臨み、直ちに日の出づる方に向ふ。故に日向の名ありと稱せらるる。
筑紫島の産成
傳へ言ふ。太古伊弉諾(いざなぎ)、伊弉冉(いざなみ)の二神、此の漂へる國を修理固(つくりかため)成(な)せとの天神(あまつかみ)の命を奉じて、高天原より降り、我が大八洲(おおやしま)の諸島を生み給ふ。
中に筑紫島(つくしのしま)あり。
筑紫島は即ち九州島なり。
此の島身一つにして面四つあり。
筑紫國を白日別(しらひわけ)と謂ひ、豊國(とよのくに)を豊日別(とよひわけ)と謂ひ、肥國(ひのくに)を速日別(はやひわけ)と謂ひ、日向國を豊久士比泥別(とよくしひねわけ)と謂ひ、熊襲國を建日別(たけひわけ)と謂ふと。
或は言ふ。
筑紫國を白日別と謂ひ、豊國を豊日別と謂ひ、肥國を建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくしひねわけ)と謂ひ、熊曾國を建日別と謂ふと。是れ我が日向の名の古書に見ゆる初なり。
タグ:筑紫国
posted by うさぎ at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 大八洲
ファン
検索
<< 2023年12月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
うさぎさんの画像
うさぎ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。