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2020年12月20日

三貴神分治の説 その2

月の神と素戔鳴尊との混同
日本紀には此の神保食神(うけもちのかみ)の許に使して、其の無體を怒り、之を斬り給へるの傳説あり。
此の事は古事記に、素戔鳴尊が大氣都比賣(おほげつひめ)の許に使して、之を斬り給へると同一の説話なりとす。
以て兩神の混同せらるるものあるを見るべし。
海原
海原(うなばら)は滄海の事にして、漁撈航海を業とする民の以て生活する所。
我が海國にありては、もと海の幸(さち)によりて生活するもの頗る多く、海は陸と共に人生上必要なる場所たりしを知るべし。
而も一方には韓ク(からくに)を海表の國と云ひ、神武天皇の皇兄稻飯尊、妣(はは)の國として海原(うなばら)に入り給ひしことを傳へ、而も後に新羅の國主となり給ひ、後裔新良貴(しらぎ)氏となれりといふを思ふに、素戔鳴尊が朝鮮と深き關係を有し給ふことと、海原を領し給ふといふことと、互に相關係する所あるが如し。
須戔鳴尊が一旦天が下の君たるべく定められ給ひきといふことは、其の御子大國主神が其の御名の如く大國の主となり給ひ、後に其の國を天孫に譲り奉りて、大地主神として大倭神社(おほやまとじんじゃ)に祭られ給ふといふと同じ筋の説話にして、此の系統の神はもと我が國を領し給ふべき尊き神にてましまししが、故ありてそれを去り給ひきとのことを語れるものと解すべし。
斯(か)く高天原を治らし給へる日ノ神も、之に次ぎて日ノ神に配し給へる月ノの神も、又一旦天が下を領すべく定められ、其の御子に大國主神を有し給へる須戔鳴尊も、共に我が日向の橘の小戸の檍原にて、出現し給へる神として語り傳へらるるなり。
posted by うさぎ at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 三貴神

2020年12月19日

三貴神分治の説 その1

第二章 檍原(あはきはら)の禊祓(みそぎはらひ)
  第一節 伊弉諾尊の禊祓と三貴神の出現
   私按五、三貴神分治の説
天照大神以下三貴神の出現に就いて種々の異傳あるが如く、其の治(し)らし給ふ所に就いても亦種々の異説あり。
三神分治の異説
天照大神が日の神たる最貴の神として、高天原に君とます御事には論なきも、月讀尊は或は高天原にありて日の神に配し給うと云ひ、或は夜食國(よるのおすくに)を治らし給ふとも云ふ。
又素戔鳴尊は海原(うなばら)を治らすべしとし、或はもと天が下を治らすべく定められ給ひしも、粗暴の行為おはししにより、妣(はは)の國として伊弉冉尊のます根ノ國へ遣はされ給ひきとも傳へらるるなり。
月讀尊が夜の食國を治らし給ふと云ひ、日の神に配し給ふといふは、日月共に天空に懸れるに擬したる説なるべきも、其の海原を治らし給ふとは、蓋し素戔鳴尊と混同したる結果なるが如し。
タグ:月讀尊
posted by うさぎ at 12:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 三貴神

2020年12月15日

伊弉諾尊の禊祓と三貴神の出現 その2

天照大~以下の諸~日向に生れ給ふ
此の時八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おおまがつひのかみ)、神直毘神(かみなほびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)、伊豆能賣神(いづのめのかみ)、底津少童神(そこつわだつみのかみ)、中津少(なかづわだ)童神(つみのかみ)、表津少童神(うはつわだつみのかみ)、底筒男神(そこづつをのかみ)、中筒男神(なかつつをのかみ)、表筒男神(うわづつをのかみ)の諸神、御身を濯ぎ給ふ事によりて生じ、最後に左の眼を洗ひ給ふ事によりて天照(あまてらす)大神(おほみかみ)生じ、右の眼を洗ひ給ふ事によりて月讀尊生じ、鼻を洗ひ給ふ事によりて素戔鳴尊生じ給ひきと言ふ。
此の中、底筒男、中筒男、表筒男の三神は、即ち住吉大神(すみのえのおほかみ)にして、底津少童、中津少童、表津少童の三神は、是れ阿曇連等(あづみのむらじ)が齋(いつ)き祭れる筑紫斯我神(つくしのしがのかみ)なりとあり。
或は云、衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)、道之長乳歯神(ながちはのかみ)、時置師神(ときおかしのかみ)、和豆良比能宇斯能神(わずらひのうしのかみ)、道(ち)俟神(またのかみ)、飽咋之宇斯能神(あきくひのうしのかみ)、奥疎神(おきさかるのかみ)、奥津那藝佐毘古神(おきつなぎきびこのかみ)、奥津甲斐辨(おきつかひべ)羅神(らのかみ)、邊疎神(へさかるのかみ)、邊津那藝佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、邊津甲斐辨羅神(へつかひべらのかみ)等、また此の時に生ずと。或は又云ふ、磐土命(いはつちのみこと)、底土命(そこつちのみこと)、大綾津日神(おほあやつひのかみ)、赤土命(あかつちのみこと)、及び大地(おほつち)、海原(うなばら)の諸神生ずと。
古書の傳ふる所其の説一ならず。
天照大神等の御出現に就きても異説多し。
年代悠遠、所傳簡古にして、今より其の詳細を知るを得ず。
されど天照大神、月讀尊、素戔鳴尊の三貴神を始めとして、住吉神、綿津見神(海神少童神と云ふに同じ)等の諸神が、日向の地に生れ出て給ふとの古傳説は、此の國が天孫降臨以前、既に我が大日本國發祥の縁由を有せし地なりとして、古人によりて語り傳へられたることを示せるものなりと謂はざるべからず。
天照大神靈徳あり、光華明彩六合の内に照徹し給ふ。
伊弉諾尊乃ち之を天に上(のぼ)して、高天原を治めしめ給ひ、月讀尊光彩之に亞(つ)ぎ給へるを以て、亦天に送りて之に配せしめ給ふ。
かくて素戔鳴尊は天が下を治らすべく定められ給ひしが、此の神勇悍にして粗暴の御行為多くまししかば、伊弉諾尊遂に之を根ノ國に逐(お)ひ給ふ。
或は云ふ、尊高天原にありて、天照大神に對し奉り、粗暴の御行為多かりしかば、諸神相議して科するに千座置戸(ちくらおきど)の祓(はらひ)を以てし、之を根ノ國に逐ひ奉ると。
根ノ國は即ち伊弉冉尊のまします黄泉國なり。
ここに於て大八洲國未だ定まれる君を得ず。
或は云ふ、月讀尊夜食國(よるのおすくに)を治らすと。
又曰く、滄海原(あをうなばら)を治らすと。
三神分治に就きても異説多く、今之を詳にすべからず。
posted by うさぎ at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 三貴神

2020年12月14日

伊弉諾尊の禊祓と三貴神の出現 その1

第二章 檍原(あはきはら)の禊祓(みそぎはらひ)
  第一節 伊弉諾尊の禊祓と三貴神の出現

黄泉國
伊弉諾、伊弉冉の二尊は、大八洲國を始めとして、多くの神々を生み給ひしが、最後に火の神なる火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生み給ふ事によりて、伊弉冉尊火傷して崩じ給ひ、黄泉國(よもつぐに)に入り給ひき。
黄泉國は即ち根國(ねのくに)なり。
伊弉諾尊之を悲しみ給ひ、追ひて其の國に到り給ひしに、伊弉冉尊の御肉體腐爛して、極めてあさましき御態(おんさま)にてましまししかば、見畏(みかしこ)みて逃れ還り給ふ。
乃ち黄泉比良坂(よもつひらさか)に千引の石を引さ塞へ給ひ、是より我が現國(うつしぐに)と、黄泉國との交通は絶へたりといふ。
其の所謂黄泉比良坂は、出雲國の伊賦夜坂(いふやさか)なりと古事記に見ゆ。
今同國八束郡に揖屋村(いやむら)あり、延喜式内に揖夜(いふや)神社あり。
蓋し其の古傳説地の名を傳ふるなり。
伊弉諾尊黄泉國に到り、其の穢れに觸れ給ひしかば御身を清め給はんが為に、粟門(あはと)と速吸名門(はやすひなと)とに到り給ふ。
兩所共に潮流急なり。
乃ち更に轉じて筑紫日向の橘の小戸の檍原(あはきはら)に到り、ここに海水に浴して禊祓(みそぎはらひ)し給へり。
これ禊祓行事の濫觴なり。
posted by うさぎ at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 三貴神
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