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2021年03月25日

土蜘蛛 その11

土蜘蛛は先住民族の俗傳的稱呼
九州地方には、此の以外にも土蜘蛛に關する傳説甚多し。
日本紀には景行天皇西征の時、豊後に數多の土蜘蛛ありしことを記す。
又~功皇后征韓前に、筑後の山門縣(やまとのあがた)なる土蜘蛛の女酋田油津媛(たふらつひめ)を誅し給ふの記事もあり。
山門縣は漢史に見ゆる邪馬臺國なるべく、此の國は倭人國の一として、有名なる女王卑彌呼之を統治し、卑彌呼の死後一旦男王を立てしも國人服せず、更に宋女壹與を立てて王となすとあり、之が爲に女王國の名を以て漢人間に知られたりしものなり。
而して所謂土蜘蛛田油津媛なるものは、是が年代を案ずるに、實に其の女王國の王位を繼承せし一女王なりしものなるべし。
彼等は夙に志那と交通して其の文化を享受し、固より穴居の蠻族にあらず。
居るに屋室あり、葬るに土を封じて大塚を作る。
卑彌呼の邸には樓觀あり、城柵嚴に設け、常に人あり兵を持して之を守衛す。
其の死するや墳墓の徑百餘間、葬に殉ふもの奴婢百餘人に及びきといふ。
而も日本紀には、其の卑彌呼の後と認めらるる敗殘の女王を俗傳化して、呼ぶに單に土蜘蛛の稱を以てせるなり。
土蜘蛛の意義以て解すべし。
蓋し九州地方に於ける土蜘蛛傳説は、多くは先住の民族に關するものにして、上は石器時代の未開、半開の民族より、下は志那の文化を移植して、頗る開明の域に進める倭人王までをも包括し、其の皇命を拒みて敗殘者となれるものは、熊襲、隼人等、特別の名を以て呼ばれたるものの外、一般に貶稱して之を土蜘蛛と呼びしものなるべし。
然らば天孫降臨の際に於ける高千穂の土蜘蛛とは、そも如何なるものなりしか。
是は遺物、遺蹟研究の結果に俟ちて後之を推定すべく、更に次章に於て詳説すべし。
posted by うさぎ at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月24日

土蜘蛛 その10

土蜘蛛と海人
其のひとしく土蜘蛛と稱せられたるものの中には、明かに隼人の系統に屬すと認めらるるものあり。
肥前風土記値嘉島(ちかのしま)(今の五島をいふ)の條に、景行天皇西征の時、此の島の土蜘蛛が死を免されたるが爲めに、御贄(みにへ)として代々水産物を奉る事を記し、「此の島の白水郎(あま)の容貌は隼人に似て、常に騎射を好み、其の言語俗人に異なり」とあり。
値嘉島の海人(あま)の容貌が隼人に似て、言語も亦俗人に異なりきとは、風土記編纂時の實際なり。
而して彼等は、實に土蜘蛛の後裔として認められたりしものなりき。
當時隼人は現に薩隅地方に住して、一種の異族として認められたりしものなり。
而して値嘉島の海人は、容貌此の隼人に類似し、言語亦普通人に異なりきと言はる。
蓋し彼等もと所謂隼人と同一系統に屬するもにして、ただ遠隔の地方に殘存したりしが爲に名稱を異にし、土蜘蛛なる俗傳的先住民の後裔として傳稱せられしものなるべし。
同風土記には亦、大家島の白水郎(あま)が同じく土蜘蛛の子孫なることを記す。
隼人はもと海幸彦(うみさちひこ)の後なりと言はれ、主として漁撈を業とする民族なりきと察せらる。
其の族類の海人(あま)として、斯る僻陬の地に殘存するもの、洵に其の故なきにあらざるなり。
posted by うさぎ at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月23日

土蜘蛛 その9

山人
次に詳悉する如く、俗に鬼といひ、或は山男、山姥などと稱せられたる山人は、實に是等の異族に關する事蹟を俗傳化せるものなり。
蓋し先住の民族が、良好なる土地を優勢なる民族に譲り、或は夙に是に同化融合して、蹟を日本民族中に没せし後に於て、なほ山間僻陬の地に餘喘を保ち、所謂浮世の風に觸るること少く、永く武陵桃源裏の原始的生活を繼續せしうちに、いつしか一般社會の進歩に後れて、つひには異類化生のものとして認めらるるに至りしものなるべし。
而して俗傳に所謂土蜘蛛なるものは、亦實に此の種の遺民に關するもの多きに居るを疑はず。
但其の民族的研究に至りては、なほ未だ完からざるものあり。
タグ:山人
posted by うさぎ at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月22日

土蜘蛛 その8

飛驒人
往昔飛驒國に住したりし飛驒人の如きも、亦一種の異族として認められき。
承和元年の太政官符に曰く、「其れ飛驒の民は言語容貌他國人に異なり。
姓名を變ずと雖も理り疑ふべきなし」と。
彼等は山人(やまびと)として木材の扱に慣れ、京畿に番上しては常に工匠の役に服し、爲に飛驒工(ひだのたくみ)と呼ばれき。
此の外山間僻陬の地には、遺族の民の後までも殘存せしもの少からず。
タグ:飛驒人
posted by うさぎ at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月21日

土蜘蛛 その7

國栖人
國巢は大和の吉野山中に住み、久しく異族として知られたりし國栖(くず)人に同じかるべし。
吉野の國栖は一種の異族として後までも朝廷の大儀に參列し、古風の歌舞を奏するの慣例を有しき。
蓋し先住民族が里人の文化に觸るることおそく、比較的後の世までも遺族として取り遺されたりしものなり。
タグ:国巣
posted by うさぎ at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月20日

土蜘蛛 その6

土蜘蛛の民族的研究 その2
勿論俗傳上のことなれば、以て史實の證據となすに薄弱の嫌なきにあらず。
ここに於て更に前引越後風土記の文を見るに、これには明かに「其の屬類多し」とあり。
蓋し此の風土記編纂の時代、恐らくは奈良朝初の頃に於て、現實に越後には、土蜘蛛の後裔なりと稱せられたる八掬脛の屬類の、なほ多く存在せしことを認めたるものなり。
越後はもと蝦夷の國なり。
孝徳天皇大化三年渟足柵(ぬたりのき)を造り、翌年更に磐舟柵(いはふねのき)を治めて蝦夷に備ふ。
渟足は今の沼垂にして、信濃川の河口に當り、磐舟は更に其の東北海岸にあり。
蝦夷が此の頃に於て、なほ越後の中部地方にまで勢力を有し、此の地方移住の農民の爲に、柵を設けて之を保護するの必要ありしことを知るべし。
されば奈良朝初期の越後の住民は、蝦夷に關して知る所必ず多かりしものならんに、而もここに其れ等とは別に、土蜘蛛の屬類の現實に多く存することをいふ。
是れ實に彼等が當時蝦夷族に對して、明かに區別あるものとして認められたりし證とすべし。
常陸風土記には又、土蜘蛛を以て國巢の俗稱なりといふ。
posted by うさぎ at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月19日

土蜘蛛 その5

土蜘蛛の民族的研究 その1
ここに「出雲」とは、疑もなく「土雲」の誤寫にして、土蜘蛛といふに同じかるべし。
土蜘蛛の名義果して右の如しとすれば、齊しく土蜘蛛の名を以て呼ばるるものといへども、其の種族必ずしも常に同一なるべからず。
土蜘蛛の名を有せざるものにても、時に同一系統に屬するもの亦少からざりならん。
歴史時代に於ける奥鋳n方の蝦夷族、及び北海道アイヌ族が、嘗て竪穴住居の俗を有したりけんことは、遺蹟上より之を證明することを得。
されどこはむしろ中ごろ以後の習俗にして、少くも奥鋳n方に於ては、彼等は石器時代に其の俗を有せず。
後に他民族の習俗を移入せしものに似たり。
されば邦人によりて普通に土蜘蛛と呼ばれたる傳説的民族は、通例所謂蝦夷とは區別あるものとして信ぜられたりき。
前引常陸風土記の文に、國巢卽ち土蜘蛛と、山の佐伯、野の佐伯とを區別して記したるが如き是なり。
佐伯とは、古へ邦人が蝦夷を呼びし名稱なり。
其の山の佐伯、野の佐伯とは、後に所謂山夷、田夷の類なるべし。
田夷とは其の實農業を解せる蝦夷の稱なるべけれども、其の以前には彼等亦實に野の佐伯たりしなるべし。
而して常陸風土記には、是等の徒と並べて、別に「國巢」を標出し、注して土蜘蛛又は八掬脛といふとあり。
彼等は同じく土窟に住むと言はれながらも、所謂土蜘蛛と佐伯との間には、其の指す所に或る區別の存することを認めたる書法と解すべきなり。
posted by うさぎ at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月18日

土蜘蛛 その4

穴居の民
トンチカムイ或はトイチセグルとは、土中の~域は土家の人の義にして、所謂コロボツクルなるものなり。
彼等は嘗て土中に竪穴を穿ち、之を被ひて其の中に住しき。
其の穴居の址は、奥秩A北海道等に於て、今もなほ少からず存在し、關東以西、四國、九州地方にも、表面土壌に被はれながら、土工の際などに往々發見せらるることあり。
所謂コロボツクルなるものは、同じくアイヌ卽ち蝦夷の系統に屬するものなるべけれども、彼等が後に其の俗を改め、屋居の生活を爲すに及びて、其の以前に住せし穴居の夷族を區別し、之をトンチカムイ或はトイチセグルなどと呼びしものなるべし。
或はいふ、ツチグモの稱呼は此のトンチカムイの名の轉訛ならんと。
亦一説とすべし。
而も此の穴居の俗は、アイヌ族のみの古き風習にあらずして、却って廣く、國ツ~の名を以て呼ばれたる一般先住民族の間に、行はれたるものなりき。
されば所謂土蜘蛛なる名も、亦實に攝津風土記謂ふが如きものなりしならん。
而も年序を經る久しきに及びて、此の語は俗傳的先住民族の汎稱となり、遂には蟲類の蜘蛛の、脚の長く、體短かきことに連想して、前引常陸風土記に見ゆる如く、土蜘蛛族の一名を八掬脛(やつかはぎ)などと稱し、日本紀には、特に「其の人と爲り身短く、手足長く侏儒と相似たり」などとの説明をさへ下すに至れるなり。
釋日本紀引越後風土記に、
美麻紀天皇(崇~)の御世に、越の國に人あり、八掬脛(やつかはぎ)と名づく。
其の脛の長さ八掬(やつか)あり。
多力にして太だ強し。
是れ出雲の後なり。
其の屬類多し。
とある亦同じ。

タグ:カムイ
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2021年03月17日

土蜘蛛 その3

土蜘蛛の名義
土蜘蛛の名、記、紀、風土記等の古書に多く散見し、其の傳説殆ど日本各地に普及す。
其の名義は、釋日本紀引ける攝津風土記の逸文に、
宇禰備能可志婆良宮(うねびのかしはらのみや)御宇天皇(~武)の世に偽者土蜘蛛あり。
此人恒に穴中に居る。
故に賤號を賜ひて土蜘蛛といふ。
とあるによりて知らる。
蓋し彼等は土穴中に住居するの俗あるにより、土籠りの民として之を賤稱せしものか。
或は之を土中に住む蟲類の土蜘蛛に比して、然か呼びしものなるべく、其の之を偽者といふは、彼等が劣敗者となりしが爲の貶稱にてもあるべし。
其の土穴中に住むとの事は、常陸風土記に、
古老曰く、昔國巣(くす)(俗語に都知久母といふ。又夜都賀波岐といふ。)、山の佐伯(さへき)、野の佐伯あり。
普く土窟置き掘り、常に穴に居る。
とある類にして、今なほ千島アイヌの俗に見るべく、樺太アイヌに於ても、近きころまで此の俗ありき。
北海道本島に住するアイヌ族の俗傳に、トンチカムイ、或はトイチセグルと稱するものの如き、亦實に是に當る。
タグ:アイヌ
posted by うさぎ at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月16日

土蜘蛛 その2

高千穂の地名傳説
是より天開け晴れ、日月照り光けりと傳へらる。
按ずるに、土蜘蛛大鉗、小鉗の事、釋日本紀、並びに、萬葉抄所引日向風土記の逸文に存するのみにして、他に所見なし。
蓋し高千穂の地名を解説せんが爲に起れる、所謂地名傳説にして、史實としては固より信ずるに足らざるべしと雖も、天孫降臨の際既に日向に於て、特に此の高千穂地方に於て、後に土蜘蛛の名を以て呼ばるる先住異民族の、すでに少からず住したりきとの傳説ありしことは是に由りて知るを得べし。

posted by うさぎ at 06:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛
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