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2021年04月30日

石器時代概説 その16

縄紋土器と彌生式土器
關東、信越、奥駐凾フ遺蹟より多く發見せらるる土器は、其の形態文様、共に複雑なるもの多く、意匠豊富、變化に富めり。
其の文様には好んで曲線を巧みに應用し、往々縄目を印したるが如きもの多きを以て、普通に之を縄紋土器と稱す。
事實縄紋なきものと雖、縄紋土器と共存して發見せられ、其の性質上縄紋あるものと同一の民族によりて製作使用せられたるものと認めらるる土器は、假りに通じて縄紋式土器と稱するなり。
之に反して彌生式土器は、其の形態甚だ簡單にして、變化少なく、文様を有せざるもの多し。
其の文様を有するものと雖、多くは直線、孤線、或は圓形等を幾何學的に規則正しく配列し、或は其の一部叉は全部に、刷毛目を施せる類にして、縄紋土器の唐草風に曲線を應用し、變化多きものとは甚しく相似ざるなり。

2021年04月29日

石器時代概説 その15

土器研究の必要
石器時代の遺物は言ふまでもなく石器を以て主要なるものとなせども、石器は其の材料の性質上より、形狀用法ほぼ一定して、民族的特色の表はるる所比較的少なし。
之に反して土器は、製作者の意匠によりて、自由自在に其の形狀文様等を表現し得るが故に、民族的特色は爲に十分發揮せらるるものなりとす。
ここに於てか考古學者は、主として遺蹟に保存せられたる土器の調査上より、其の遺蹟の性質を定めんとするなり。


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2021年04月28日

石器時代概説 その14

石器時代の二系統
所謂或る種類の遺蹟とは何ぞ。
考古學者の所謂彌生式土器を伴へる遺蹟是なり。
我が石器時代の遺蹟には、大體に於て二個の系統あるものの如し。
一は關東、信越、奥駐凾フ地方に多く存するものにして、甞て考古學者によりてコロボツクル民族の遺せるものなりと謂はれたる所のものなり。
一は主として近畿以西、四國、中國、九州地方等に多きものにして、所謂彌生式土器を伴へるものなり。
勿論西部地方にも前者の系統に屬するものあり。
東部地方にも、後者の系統に屬するものなきにあらねども、其の大勢に就いて言はば、ほぼ之を東西の兩系統に分つを得べし。

2021年04月27日

石器時代概説 その13

天孫民族と石器時代 その2
ここに於て論者或は更に言はん、隼人族を以て天孫民族と同種族なりとするも、天孫民族は石器時代に於て廣く是等の地方にも住し、數多の遺蹟をここに止めたりしが、後一旦隼人族に其の地を譲りて、古墳築造の風習ありし時代にありては、既に其の地方に跡を絶ちしにはあらざるかと。
然れども、九州南部に於ける或る種の石器時代遺蹟は、他の地方に於ける同種類の遺蹟と同じく、引き續き金屬器時代にまで最も圓滑に連接せるなり、何ぞ其の地を他に譲りて、夙に跡を此の地方にのみ絶ちたりといはんや。
なほ此の事は後(第六章第二節)に詳説すべきも、要するに天孫民族が我が國土に於て、甞て純石器時代の狀態ありきといふことは、學術上未だ證明せられざるものと謂ふべきなり。

2021年04月26日

石器時代概説 その12

天孫民族と石器時代 その1
北海道の事は暫く擱く。
所謂古墳の存在を見ざる九州南端の地方にありては、天孫民族の文化の夙に及べる他の地方に於て、普通に發見せらるるものと全然同一なる、石器時代の各種の遺物、遺蹟甚だ多く存在す。
ここに於て考古學者或は、是等の系統の遺蹟中の或るものを以て、所謂天孫民族と同一の民族の遺せるものなりとす。
こは隼人を以て天孫なりとする我が古傳説の言ふ所に一致するものにして、古典學者の共鳴を得易き説の如くなれども、此の種の説をなす考古學者は、所謂天孫民族も亦、本來石器時代の狀態に於て此の國土に生存し、後漸次進歩して、或る外來文化の輸入によりて、金屬器時代に移れるものなりと解せんとするものなれば、我が古典の云ふ所と到底一致する能はざるなり。
況や所謂隼人族は、後章に云ふ如く、明かに異族として認められたる事實あるをや。
叉若し其の或る種の遺物、遺蹟を以て、直ちに天孫民族の祖先の遺せるものなりと假定し、九州南端地方にありても、亦石器時代當時より既に此の天孫民族の繁延したりし事を承認せんには、何が故に彼等が他の地方に於ける同族文化の進歩に後れて、ひとり此の地方にのみ同種類の墳墓を築造せず、同種類の文化の遺品を留めざりしかの疑問に逢着すべきなり。

2021年04月25日

石器時代概説 その11

古墳墓と天孫民族 その2
我が國に於ては、九州の南端と北海道地方とを除いては、殆ど各地に所謂古墳の存在を見ざるなし。
是れ則ち所謂古墳を築造するの習慣ありし時代に於て、天孫民族の文化の及びし範圍を示すものなり。
否其の地に於ける先住民族も、既に天孫民族に同化融合して、所謂日本民族を構成せし地方なりと見るを得べし、當時九州の南端にはなほ隼人族勢力を有し、北海道の地方には、未だ日本文化の及ぶこと少からざりしものなれば、是等の地方が其の範圍以外に存するは當に然るべきものなりとすべし。
(古墳の事は第二編第七章に於て詳説すべし)

2021年04月24日

石器時代概説 その10

古墳墓と天孫民族 その1
天孫民族の遺蹟として最も顯著なるものは、通例、刀劔、珠玉、鏡鑑等の器物を包藏する、高塚式の古代の墳墓なりとす。
考古學者は普通に之を古墳と稱す。
勿論是等の古墳が、必ずしも悉く所謂天孫民族の遺せるもののみなりとは謂ふべからず。
中には先住民族の有力者にして、夙に天孫民族の俗に化し、之に傚ひてかかる墳墓を築造せしものも亦多かるべし。
されど、少くも其の古墳の存する地方は、我が國に於て斯かる形式の墳墓を築造するの習慣を有せし時代にありて、既に天孫民族の文化の布及せしものなりしことを認め得べし。
否是等の古墳を築造せる民族が、よしや系統上先住民族に屬するものなりとすとも、事實に於てはすでに天孫民族に同化融合して、所謂日本民族をなし、其の間もはや區別するの必要を見ざるの程度のもの少からざりしことを認め得べきなり。

2021年04月23日

石器時代概説 その9

石器使用の民族 その2
然れども我が古傳説は、高天原の諸~が既に刀劔を佩き、珠玉を帯び、鏡鑑を使用し給ひきと傳ふるなり。
勿論こは後の之を傳ふるものの思想より、其の當時の風俗を古へに及ぼして語れるものなりと解し得られざるにあらず。
随って、毫も是等の古傳説を信ぜずと言はんには則ち已まん。
されど三種の~器を始として、饒速日命の十種の~寶、天夷鳥~の出雲の~寶等、高天原より將來せられたりと信ぜられたりし金屬性寶物の傳へも少からねば、暫く此の古傳説のままに、我が天孫民族が當時既に金屬器使用の程度にありしことを承認し、純石器時代の遺蹟より此の天孫民族の遺蹟を除外して、是等の遺蹟を悉く先住民族の遺せるものなりとの假定の下に、暫く彼等の狀態を觀察せんとす。
かく假定するに就きては、其の實單に古傳説に盲從すといふのみにあらず、叉他におのづから其の理由の存するものあるなり。

2021年04月22日

石器時代概説 その8

石器使用の民族 その1
我が國に石器時代の遺蹟を止むる民族が、果して悉く所謂國ツ~の系統に屬する先住民族のみなりしか、我が天孫民族が此の國土の渡來する頃に於て、果して既に悉く金屬器使用の文化の程度に達したるものなりしか。
天孫民族渡來の際に於て、先住民族はなほ悉く金屬の使用を知らざるものなりしか等の問題も、今日の學界進歩の程度に於ては、未だ之を決定するの域に達せず。
されど~武天皇の東征に從ひし久米部の兵士が、頭椎(かぶづつい)の太刀と共に石椎(いしづつい)を使用しきとの古傳説あるを見れば、古への傳ふる所、當時なほ金石併用時代なりしことを認めたりと解せざるべからず。
論者或るいふ、所謂天孫民族も、亦嘗ては此の國土に於て石器時代の狀態にあり、後漸次進歩して、金屬器時代に移れるものならんと。

2021年04月21日

石器時代概説 その7

石器時代と王莽錢 その2
然るにも拘らず、千九百年前に於て鑄造せられたる志那の貨幣が、時に石器と共に發見せらるるものあるを見れば、我が國に於ける石器の使用は、少くも是等の地方にありては、案外に後の時代にまでも繼續せしことを知るべし。
北海道山地の土人は、徳川時代に於てなほ石の小刀を使用し、千島の土人は、彼等が露西亞人と接觸するに至るまで、なほ實に石器時代の狀態にありしなり。
是れ亦以て文化推移の次第を察すべきなり。

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