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2021年05月21日

日向國石器時代遺物發見地名表 その3

地名        遺物種類           報告者
宮崎郡清武村加納~屋敷 弥生土器、石斧、圓石  坪井正五郎、M田耕作
同  同村岡    石斧             若山甲藏
同  生目村跡江  石器             坪井正五郎
同  同村富吉   石器、磨石斧         坪井正五郎、郡司長次郎
同  同村     磨石斧            高妻時彦
同  檍村山王   打、磨石斧、錘石、弥生土器  三浦敏、若山甲藏
同  同村江田   打、磨石斧          長友菊次郎
同  同村吉村(1) 打石斧            若山甲藏
同  同村吉村(2) 打、磨石斧          同
同  同村中原   打石斧            同
同  同村あんの山付近 弥生土器、竈址      同
同  住吉村人ノ前 弥生土器           同
同  同村島ノ内宮ノ元 弥生土器、凹石      同

タグ:日向国史

2021年05月20日

日向國石器時代遺物發見地名表 その2


地名        遺物種類           報告者
宮崎市江平     打、磨石斧          同
同  宮園町    磨石斧            同
同  縣廰裏通   石斧             三浦敏
同  郵便局脇   弥生土器           若山甲藏
同  中村     磨石斧            岩切亭藏
同  同天~山下  縄文土器           多田 信
同  大宮下北方  石斧、凹石、弥生土器     若林勝邦、梅原末治
同  同同字師範學校内 縄文土器         若林勝邦
同  同村角高屋  石器             三浦敏
同  同村宮崎城頂上 石斧            井上彌一

タグ:日向国史

2021年05月19日

日向國石器時代遺物發見地名表 その1

日向國石器時代遺物發見地名表
此の地名表は東京帝國大學理學部人類学教室編纂の「日本石器時代人民遺物發見地名表、第五版」に基づき、是に漏れたる資料を加へて増補整理せるものなり。
石器は成るべく其の種類を分ち、土器は其の系統の別を明にせむ事をつとめたるも、なほ未だ之を明にするを得ざるもの多く、爲に巳むを得ず單に石器叉は土器として、其の種別を闕けるもの少からず。
地名        遺物種類           報告者
宮崎市上別府    石器、凹石          三浦敏
同  宮田町    打石斧            多賀武治
同  黒迫     凹石、石錘、弥生土器等    若山甲藏
同  廣島     打、磨石斧、石錘       同
同  八幡馬場   磨石斧            同

タグ:日向国史

2021年05月18日

日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その9

彌生式遺蹟に伴へる石器の特徴
彌生式土器と伴出する石器は、其の特徴土器の如く著しからざるも、磨研石鏃、磨製石庖丁、並びに片刄を有する一種の石斧、銅劔型磨製石劔の如き、關東、奥鋳n方の縄紋式遺蹟に其の例を見ざるもの少からず。
殊に石鍬とも云ふべき、一種扁平なる打製石器の、往々にして是等の遺蹟より發見せらるるは、當時の人民が既に農業を解せしものなることを示せるものにして、現に筑後八女郡岩崎村なる彌生式土器庖含地よりは、炭化したる米穀を發見せる實例もあるなり。
石鍬の事は琉球の古代に其の明文あり。
隨書流求傳に、我が推古天皇の頃の其の地の俗を記して、「其の處鐵少く、刄皆薄小、多く骨角を以て之を補助す。
(中略)厥の田良沃、先づ火を以て燒き、水を引きて之に灌ぐ。
(中略)石を以て刄を爲す。
長さ尺餘。
濶さ數寸。
而して之を墾す。
とあるは、所謂金石併用時代の狀態を示せるものにして、其の「石を以て刄を爲し、地を墾す」と云へるは、明かに石鍬を云へるものなるべく、以て我が類似の遺蹟、遺物を説明するに足るべきなり。
左に現時既に知られたる日向の遺蹟、並に遺物を發見したる地名を列記して參照に供す。
勿論その中には金屬器併用時代のものを含めるものと知るべし。
タグ:日向国史

2021年05月17日

日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その8

彌生式土器の特徴
其の胴及肩に附したる文様の如きも、前者が多く口緣と並行するに反して、後者は曲線を自由に應用する等、大體の意匠に於て、前者は均一整齊的に、後者は變化奔放的なり。
殊に彌生式土器には、僅に刷毛目を存し、若しくは文様を有せざるもの多きも、縄紋式土器には無文のもの少きに居る如し。
其の底部は、彌生式土器にありては卵子の一端の如く丸味を呈するもの多く、爲に之を据うべく作られたる置臺あり。
或は直ちに其の置臺を容器の下部に取り付けて、所謂高坏をなせるもの少からず。
殊に其の高坏には、屢々表面を磨研して、朱丹と塗抹したるものあり。
然れども、中には縄紋式、彌生式兩者の特徴の、共に著しく表はるること少く、殆ど其の中間にありと認むべきもの亦これなきにあらず。
こは兩民族の交通接觸より起れる技巧の交換か、或は兩者其の堕落的傾向より、自然に相近きものとなれりと解すべきに似たり。
タグ:日向国史

2021年05月16日

日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その7

九州南部縄紋式土器の特徴 2
蓋し此の種の土器を遺せる九州地方の住民は、比較的早く石器時代の狀態より脱離して、未だ十分其の技巧の進歩發達を見るに至らざりしものなるべし。
されどこれを彌生式土器に比するに、其の意匠根本的に相違を呈し、もと同一系統の民族の手に製作せられたるものにあらざるを明示す。
彌生土器は普通赭色を呈し、稀に茶褐色、灰白色のものあるに反し、縄紋土器は茶褐色のもの多く、稀に赭色のものを混ずるに過ぎず。
其の容器の口緣に於ても、彌生式土器は殆ど全部水平に保たれる圓周を以て限られたるに反して、縄紋式土器は往々高低凸凹を呈し、時に彫刻による装飾を附したるものもあり。

タグ:日向国史

2021年05月15日

日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その6

九州南部縄紋式土器の特徴 1
我が日向及び、是に隣れる肥、薩、隅等九州南部地方に於ける縄紋式土器の特徴は、關東、奥鋳n方に於いて見るが如き、明なる縄紋を有するものは比較的少なく、多くは箆或は指頭を以て抉りたるが如き、陰刻を以てあらはしたる文様を有する點にあり。
種々の不規則なる曲線を唐草風に配合せる意匠は、大體に於て關東、奥鋳n方に見るものに類似すれども、中には頗る原始的にして、雜駁なる線條を無意味に描出せるが如きもの亦少からず。
其の形態に於ても、亦關東、奥鋳n方に於けるが如く變化に富めるもの少なく、把手、注口の如きも未だ發達を見るに至らず、概して精巧の點に於て、關東、奥鋳n方のものに及ばざること頗る遠し。

タグ:日向国史

2021年05月14日

日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その5

遺蹟の種類
是等の石器時代遺蹟の中に就いて、沖田、加納等は、多く彌生式土器を存し、三田井、城ケ峯等よりは、縄紋土器系統の遺物を出し、今井野、尾立山等よりは、兩者を混出するが如き狀態にあり。
其の縄紋式土器の中には、稀に關東、奥鋳n方より發見せらるるものと殆ど區別し難きまでに、形態及び文様の酷似せる破片なきにあらざれども、大體に於ては九州南部地方を通じて、一種の地方的特徴を有し、一見之を識別し得べき程の相違を呈するを常とするなり。
タグ:日向国史

2021年05月13日

日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その4

貝塚の存在
貝塚は太古の漁村に於て多數に存在すべき筈なれども、我が日向に於ては、其の發見せられたるもの未だ多からず。
現に學界に知られたるものは、東臼杵郡南方村大貫及び高野、恒富村沖田、宮崎郡瓜生野村柏田、東諸縣郡高岡町城ケ峯、兒湯郡都於郡村大中、南那珂郡s村本西方等、僅に指を屈するに過ぎざるなり。
斯の如きは啻に日向に於ける現象たるのみならず、九州、中國、四國等、亦多くは同様にして、關東地方の其の數甚だ多きに比すべくもあらず。
蓋し斯くの如きは、調査不十分にして發見されたるもの少しといふのみにはあらずして、是等の地方の太古の住民は、貝類を以て主要食物となせしもの比較的少く、多くは所謂海幸彦叉は山幸彦として、魚類、獸類を捕獲するを主とせしが爲に、貝塚の遺されたる數も比較的多からざるものなるべし。
されば現に海岸地方に存する石器時代の村落址と思はるるものにても、何等介類の堆積の痕跡を見ざるもの少からざるなり。
タグ:日向国史

2021年05月12日

日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その3

顯著なる遺蹟に二三
斯く我が日向の石器時代遺物、遺蹟は、調査未だ周ねからずして、其の世に知らるるもの多からざれども、而もなほ其の中には、多量に遺物を包含して、研究上好資料を呈するもの少からず。
中に就いて、舊南諸縣郡大崎村なる砂丘の半腹に露出せるものの如く、明かに其の包含の狀態を見るべきものあれども、多くは開墾其の他の工事によりて、偶然に發掘せられたるものなれば、通例遺物散列地として、其の存在が知らるるの狀態にあり。
東臼杵郡南方村今井野なる縣營苗圃の地の如き、之を開墾するに當りて多量の石器、土器を發掘し、今もなほ其の破片甚だ多く表面に散布せり。
叉西臼杵郡なる三田井地方の如きは、石器殊に豊富にして、石鏃の採集せられたる量實に數升に達せりと稱せられ、兒湯郡上江村の地方叉石斧の多きを以て知られ、東諸縣郡綾村北俣なる尾立山の遺蹟は、石屑及び土器の破片多く、宮崎郡清武村加納には、完全なる土器包含せらるるもの殊に少からざりき。
此の外少許の石器、土器を發掘拾得せる遺蹟は、殆ど隨所に存すといふも不可なき程にて、更に學術的發掘を試みなば研究上得る所頗る多からんも、未だ其の域に達せざるなり。
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