2021年05月12日
日向に於ける石器時代の遺蹟と其の分布 その3
顯著なる遺蹟に二三
斯く我が日向の石器時代遺物、遺蹟は、調査未だ周ねからずして、其の世に知らるるもの多からざれども、而もなほ其の中には、多量に遺物を包含して、研究上好資料を呈するもの少からず。
中に就いて、舊南諸縣郡大崎村なる砂丘の半腹に露出せるものの如く、明かに其の包含の狀態を見るべきものあれども、多くは開墾其の他の工事によりて、偶然に發掘せられたるものなれば、通例遺物散列地として、其の存在が知らるるの狀態にあり。
東臼杵郡南方村今井野なる縣營苗圃の地の如き、之を開墾するに當りて多量の石器、土器を發掘し、今もなほ其の破片甚だ多く表面に散布せり。
叉西臼杵郡なる三田井地方の如きは、石器殊に豊富にして、石鏃の採集せられたる量實に數升に達せりと稱せられ、兒湯郡上江村の地方叉石斧の多きを以て知られ、東諸縣郡綾村北俣なる尾立山の遺蹟は、石屑及び土器の破片多く、宮崎郡清武村加納には、完全なる土器包含せらるるもの殊に少からざりき。
此の外少許の石器、土器を發掘拾得せる遺蹟は、殆ど隨所に存すといふも不可なき程にて、更に學術的發掘を試みなば研究上得る所頗る多からんも、未だ其の域に達せざるなり。
斯く我が日向の石器時代遺物、遺蹟は、調査未だ周ねからずして、其の世に知らるるもの多からざれども、而もなほ其の中には、多量に遺物を包含して、研究上好資料を呈するもの少からず。
中に就いて、舊南諸縣郡大崎村なる砂丘の半腹に露出せるものの如く、明かに其の包含の狀態を見るべきものあれども、多くは開墾其の他の工事によりて、偶然に發掘せられたるものなれば、通例遺物散列地として、其の存在が知らるるの狀態にあり。
東臼杵郡南方村今井野なる縣營苗圃の地の如き、之を開墾するに當りて多量の石器、土器を發掘し、今もなほ其の破片甚だ多く表面に散布せり。
叉西臼杵郡なる三田井地方の如きは、石器殊に豊富にして、石鏃の採集せられたる量實に數升に達せりと稱せられ、兒湯郡上江村の地方叉石斧の多きを以て知られ、東諸縣郡綾村北俣なる尾立山の遺蹟は、石屑及び土器の破片多く、宮崎郡清武村加納には、完全なる土器包含せらるるもの殊に少からざりき。
此の外少許の石器、土器を發掘拾得せる遺蹟は、殆ど隨所に存すといふも不可なき程にて、更に學術的發掘を試みなば研究上得る所頗る多からんも、未だ其の域に達せざるなり。
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