2021年03月24日
土蜘蛛 その10
土蜘蛛と海人
其のひとしく土蜘蛛と稱せられたるものの中には、明かに隼人の系統に屬すと認めらるるものあり。
肥前風土記値嘉島(ちかのしま)(今の五島をいふ)の條に、景行天皇西征の時、此の島の土蜘蛛が死を免されたるが爲めに、御贄(みにへ)として代々水産物を奉る事を記し、「此の島の白水郎(あま)の容貌は隼人に似て、常に騎射を好み、其の言語俗人に異なり」とあり。
値嘉島の海人(あま)の容貌が隼人に似て、言語も亦俗人に異なりきとは、風土記編纂時の實際なり。
而して彼等は、實に土蜘蛛の後裔として認められたりしものなりき。
當時隼人は現に薩隅地方に住して、一種の異族として認められたりしものなり。
而して値嘉島の海人は、容貌此の隼人に類似し、言語亦普通人に異なりきと言はる。
蓋し彼等もと所謂隼人と同一系統に屬するもにして、ただ遠隔の地方に殘存したりしが爲に名稱を異にし、土蜘蛛なる俗傳的先住民の後裔として傳稱せられしものなるべし。
同風土記には亦、大家島の白水郎(あま)が同じく土蜘蛛の子孫なることを記す。
隼人はもと海幸彦(うみさちひこ)の後なりと言はれ、主として漁撈を業とする民族なりきと察せらる。
其の族類の海人(あま)として、斯る僻陬の地に殘存するもの、洵に其の故なきにあらざるなり。
其のひとしく土蜘蛛と稱せられたるものの中には、明かに隼人の系統に屬すと認めらるるものあり。
肥前風土記値嘉島(ちかのしま)(今の五島をいふ)の條に、景行天皇西征の時、此の島の土蜘蛛が死を免されたるが爲めに、御贄(みにへ)として代々水産物を奉る事を記し、「此の島の白水郎(あま)の容貌は隼人に似て、常に騎射を好み、其の言語俗人に異なり」とあり。
値嘉島の海人(あま)の容貌が隼人に似て、言語も亦俗人に異なりきとは、風土記編纂時の實際なり。
而して彼等は、實に土蜘蛛の後裔として認められたりしものなりき。
當時隼人は現に薩隅地方に住して、一種の異族として認められたりしものなり。
而して値嘉島の海人は、容貌此の隼人に類似し、言語亦普通人に異なりきと言はる。
蓋し彼等もと所謂隼人と同一系統に屬するもにして、ただ遠隔の地方に殘存したりしが爲に名稱を異にし、土蜘蛛なる俗傳的先住民の後裔として傳稱せられしものなるべし。
同風土記には亦、大家島の白水郎(あま)が同じく土蜘蛛の子孫なることを記す。
隼人はもと海幸彦(うみさちひこ)の後なりと言はれ、主として漁撈を業とする民族なりきと察せらる。
其の族類の海人(あま)として、斯る僻陬の地に殘存するもの、洵に其の故なきにあらざるなり。
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