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2020年12月12日

私按二、日向國と熊襲國 その5

熊襲の國
熊襲の國を之に數ふるも亦不可なきなり。
論者或は謂はん、熊襲國は筑紫島以外別に島を成すにあらず、之を一島と數ふべきにあらずと。
復謂はん、熊襲は古事記之を特に國といひ、島とはいはざるを如何にと、然れども古代都人士の僻遠の地理に暗き、必ずしも其の實地を踏査せしにあらねば、深く是が言辭の末に拘泥すべきにあらず。
彼の越洲(こしのしま)の如き、名義は越(こし)人即ちアイヌ族占據の地の謂にして、漠然と今の北陸兩羽地方を指せしものなるべく、固より本州の一部にして、別に一島を成すにあらずと雖、而も其の地がもと越人(こしびと)占據の地方として、自ら別個の國の如く考へられたりしかば、之を特に越ノ洲として、日本紀には大八洲の一にしも數ふるなり。
而して熊襲の場合亦之を以て類推すべからずや。
尚言はば、當時薩南海中にも島嶼の存在することは、之を熟知したるべければ、之を以て熊襲占據の島と想像し、之を別個に數ふること、亦これなしと謂ふべからず。
其の之を國と云ひて島と謂はざるは、上に筑紫四國の名を擧げたるによりて紛れたるものか、或は熊襲征討の古傳説によりて、熊襲國の名人口に膾炙せしより生ぜし誤りならんも知るべからず。
posted by うさぎ at 03:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊襲国

私按二、日向國と熊襲國 その4

大八洲の説
元來大八洲國とは群島國の義にして、必ずしも八個の大島ありとのみ、狭義に解釋すべきにあらず。
「や」は數の多きを謂ふなり。
然るに奈良朝初の人士此の義に暗く、「や」の假字として用ひられたる「八」なる文字の意義に泥みて、強ひて著名なる八島を數へんとせしが為に、遂には日本紀の本文及び其の引用せる多數の一書に見るが如く、種々雜多の異りたる説を生ずるに至りしなり。
古事記には、淡路、四國、隠岐、九州、壹岐,對馬、佐渡及び本州の八大島を、大八洲と數へて、吉備兒島(きびのこじま)、小豆島(あづきのしま)、大島、女島(ひめじま)、知訶島(ちかのしま)、及び兩兒島(ふたごじま)を、其の以外に置き、又日本紀本文には、本州、四國、九州、隠岐、佐渡、越洲(こしのしま)、大洲(おほしま)及び吉備子洲(きびのこじま)を以て大八洲と數へ、淡路を別に置き、其の以外の對馬、壹岐、並びに諸々の小島は、諾冉二尊の生み給へるにはあらずして、潮沫(しほのあわ)の自然に凝りて成れるものなりとなせるが如き、皆此の思想に基づけるなり。
其の他、日本紀引用の多數の一書、又それぞれに大八洲の島々に就きて、異なりたる數へ方を爲せるなり。
斯くの如きは畢竟數多の島嶼の中より、特に八個の大島を擇ばんとせし結果にして、固より是れ古意にあらず。
本來の古傳説には、必ずしも八個の大島とのみは限らず、我が群島悉く大八洲の中なりしものなるべし。
されば蝦夷の國を之に數ふるも可なり。
posted by うさぎ at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 大八洲

私按二、日向國と熊襲國 その3

日向は筑紫の四面の一
而も又一方より之を觀れば、日向は其の域山によりて他の地方と隔離し、殊に古く神祖發祥、天孫降臨の傳説を有する地方なれば、之を以て異族熊襲の國なりと謂はんは、妥當ならざるの感なき能わず。
況や日向國の名は古くより存し、歴史時代に於て現實に隼人族の占據せし薩、隅二國は、却って行政上漠然と其の域内に含まれたりしの事實すらあるをや。
筑紫島内の諸國の一として、日向の名は到底之を逸すべからざるなり。
而も我が古傳説は、明かに我が南陬に於て太古異族占據の國ありし事を傳ふるなり。
ここに於て奈良朝初の人士、所謂大八洲國(おおやしまぐに)の島々を數ふるに當り、九州島に於て熟知の筑紫、豊、肥、日向の四國ありとし、其の四國以外に、別に漠然と古傳説によりて、此の異族の國の存在を認めんは、亦其の理由なきにあらず。
posted by うさぎ at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 筑紫
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