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2020年12月21日

檍原の古傳説地 その5

橘小門は日向の地名
尚更に言はんに、同じ日本紀神代巻の一書に、火折尊(ほをりのみこと)卽ち彦火火出見尊を海神宮に導き奉りし八尋鰐(やひろわに)の事を記して、
海神の乗る所の駿馬は、八尋の鰐なり。
是れ其の鰭(ひれ)背をたてて、橘の小戸にあり。
とあり。
古傳説によるに、彦火火出見尊の御事蹟は、常に我が日向地方に於て演ぜられたるものとして信ぜられたり。
然るに如何ぞ遠く筑前に八尋鰐を尋ねて、是に海神宮の嚮導(きょうどう)を求めたりと語り傳へんや。
古へに所謂橘の小門が、古代人士によりて、我が日向の域なりと信ぜられたりしこと疑あるべからず。

タグ:海神宮
posted by うさぎ at 12:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原

檍原の古傳説地 その4

「日向」は國名
其の國名として用ひられたりしものなることは、古事記傳にもすでに引けるが如く、日本紀神功皇后條に、住吉三神の託宣を記して、
日向國の橘の小戸の水底(みなそこ)に居て、水葉(みなは)も稚(わか)やかに出で居る神、名は表筒男、中筒男、底筒男の~あり。
とあるによりても知るを得べし。
諾尊禊祓の筑紫ノ日向ノ橘ノ小門の地名に見ゆる日向は、是れ直に我が日向の國にして、所謂橘の小門が其の域内の地なりと信ぜられたりしことは、毫末(ごうまつ)の疑を容れざるなり。

閑話休題
タグ:神功皇后
posted by うさぎ at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原

檍原の古傳説地 その3

筑前説の批評
とて、頗る筑前説に傾けり。此の説今なほ有力にして、學者往々之を唱道するものなきにあらず。
如何にも其の地が筑紫の國の中にありて、地名を橘と稱し、附近に青木、又小戸の名もありて、諾尊禊祓の際に出現し給へる、住吉、斯我の二神の鎭座せることなどの事實を綜合すれば、數多の材料殆どここに具備して、古傳説と符節を合すが如き觀あり。
其の説の有力なる故なきにあらず。
然れども、更に飜(ひるがえ)りて考ふるに、筑紫とはただに兩筑地方にのみ限らざるなり。
之を廣く九州全島の意義に用ふる事、四面を合せて筑紫の島と云へる古事記の傳説は更に言はず、後世までもなほ其の例多し。
令集解引古民部省式の如き、明かに西海道諸國を總括して筑紫國となし、又古くは之を管する大宰駐剳(ちゅうさつ)の府を、筑紫ノ大宰府としも言へるなり。
又タチバナの地名の如きも、必ずしも此の筑前の地にのみ限るべからず。
續日本紀寶龜九年條には、肥前國松浦郡橘浦あり、阿波國那賀郡にも亦現に橘浦の名を存し、其の他武藏國に橘樹(たちばな)郡橘樹(たちばな)郷あり、山城、大和、河内、伊勢、遠江、駿河、上總、下總、常陸、美濃、上野、陸中、加賀、越後等の諸國にも、皆それぞれにタチバナの地名を存するなり。
されば其の名義の由來は如何にもあれ、或る共通せる地形に就いて、若しくは何等かの關係に依りて、各地に同一なる此の名は起りたるものなりと見るべく、ひとり筑前にのみ之を求むべしとするを要せざるなり。
又彼の青木、小戸等の名の其の、附近に存するに至りては、所謂「古書によりて設け作られたる舊蹟」としても解し得べきものか。
殊に其の筑前なる住吉大神の鎭座の事の如きに至りては、古事記、日本紀に於て、明かに神功皇后の征韓の際、皇軍を護り給ふべく此の地に顯れ給ひしを記したることによりて解すべく、必ずしも以て此の神發生の地たるの證とはなし難かるべし。
若し夫れ綿津見ノ神なる斯我ノ神の鎭座の事は、此の神を奉祀する阿曇連が、海人(あま)の長として此の地方に勢力を有したりしが爲ならんのみ。
又其の「日向」の二字を以て、國名にあらずして日の向へる地の形容に用ひたりとなすが如きは、是れ古傳の眞意にあらず。
閑話休題
タグ:續日本紀
posted by うさぎ at 07:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原
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