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2020年12月27日

大國主~の國土經營 その4

夷~三郎殿
後世或は此の~を夷(えびす)~(かみ)として崇敬す。
其の社は延喜式内攝津國菟原郡大國主西ノ~社にして、所謂西宮夷是なり。
もと其の攝社に三郎殿ありき。
或は夷三郎殿と稱す。
古事記に大國主~の御子を列記する中の、第三の男子に當れる事代主~を祭れるなり。
一説に三郎殿を蛭子(ひるこ)~なりと稱するも、毫も徴證を得ず。
中世以後此の西ノ宮の分靈所々に祭られて、大國主~は其の字音大黒に通ずるより、つひに印度の~たる大黒天に附會せられ、三郎殿専ら夷~の名を有し、大黒、夷、相並びて~と仰がるることとなれり。
大黒像の袋を負へるは、古事記に、大國主~が負袋者としてとして、庶兄弟なる八十~に從ひ行けりとある傳説に基づけるものにして、其の袋に代ふるに魚を以てしたる夷~像は、是れ即ち古への三郎殿の像なりしなり。
三郎殿の魚を持てるは、同書に、事代主~が出雲三穂が崎にて魚を釣れりとある傳説に基づけるものなり。
かくて其の大黒天と夷~とは、後世には共に破顔微笑の~として祭らるるも、古への夷~と三郎~とは、むしろ勇猛なる武~として信ぜられき。
古書の本地を云ふもの、夷~を毘沙門天となし、三郎殿を不動明王となす。
大黒天の古~像の今に存するもの、往々忿怒の形相を呈する少からず。
而して是れ實に大國主~と、事代主~とが、勇猛なる素戔鳴尊の後に出で、武を以て國土平定し、先住土着の諸民族を服從せしめたりし由来を語れるものなりと謂はざるべからず。
中世武士をエビスといふ。
エビス~蓋し武士~の義か。
此の~もと主として漁業航海を守る~として、海岸住民の尊崇する所なりき。
海邊人亦古くエビスと呼ばれき。
エビス~或は海邊人の~の義か。
後に我が商業が多く航海業者におりて撥達せしより、夷~つひに商家の祭る~となり、財b授け給ふの~となりしものならむ。
閑話休題
タグ:三郎殿
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