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2020年12月24日

大國主~の國土奉献 その1

第三章 天孫降臨
 第一節 大國主~の國土奉献
大國主~の國土經營
素戔鳴尊の逐はれて根ノ國に入り給ふや、途出雲を過ぎて簛の川上に八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、奇稻田(くしいなだ)姫を娶りて、大已貴~(おほなむちのかみ)を生み給ふ。
大已貴~一に大國主~、又大物主~と云ふ。
少彦名命と力を戳せ、心を一にして、天下を經營し、廣矛を提げて服(まつろ)はぬ荒振~等(あらぶるかみたち)を從へ、遂に所謂大國の主となり給ふ。
後少彦名命は去りて常世(とこよ)ノ國に行き、大國主、~止まりて出雲にあり。
然れども、もと是れ天~の依(よ)ざし給ふ所にあらず。
以て此の國の主たるべからず。
乃ち天照大~は、御子天忍穂耳尊を下して葦原ノ中ツ國の主となし給はんとす。
然るに其の地には、蛍火光~(ほたるびのかがやくかみ)、蠅聲邪~(さばへなすあしきかみ)多(さは)にありて、草木又皆物言ふの狀態なりき。

閑話休題
タグ:八岐大蛇

檍原の古傳説地 その12

小戸~社
又宮崎市上野町なる小戸~社は、もと大淀河口下別府にありしが、寛文二年九月十九日の地震に海岸陥没し、社地亦其の難に罹りしかば、ここに移轉せるものにて、傳へて伊弉諾尊を祭るといふ。
亦以て小戸の地名の古く存せし一傍證とすべきか。
之を要するに、諾尊禊祓の~蹟と稱する橘の小戸の檍原が、我が日向の域内にありきと信ぜられ、其の地が古く宮崎附近なりきと認められたりしことは疑を容れず。
或は思ふ、此の地大淀川西北より來りて海に朝す、流れ緩やかに、水淀むを以て大淀川の名を得たり。
而して後世其の河口に近く小戸の名あるは、蓋し大淀の轉訛より新に言ひ出だせしものにはあらざるかと。
されば現今傳ふる宮崎附近の遺蹟が、たとひ古書によりて後より設け作られたるものなりとするも、小戸の名の存する卽に戰國時代にありて、勿論近時の附會にあらず。
而して日向一國内他に之を傳ふる有力なる候補地なきに於ては、暫く之を以て諾尊禊祓、三貴~出現の古傳説地と定るを至當とせんか。
外所地震
posted by うさぎ at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原
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