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2020年12月15日

禊祓(みそぎはらひ)の意義 その2

海水浴の習慣
禊祓を行ふは、或は之を海に於てし、或は之を川に於てすること、其の地の便に従ふが如きも、本來海水に浴するを以て其の本體とせしよしは、今に至ってなほ盬祓と稱し、食盬を蒔き散らして穢を除くの習慣あるによりても知らるべし。
延喜式祝詞の大祓ノ詞にも、天津罪、國津罪を速川(はやかは)の瀬に坐す瀬織津媛といふ神、大海原(おほうなばら)に持ち出で、荒盬の盬の八百道(やほぢ)の八盬道の、盬の八百會(やをあひ)に坐す速開都媛(はやあきつひめ)といふ神、之をカカと呑み、氣吹戸(いぶきど)にます氣吹戸主(いぶきどぬし)といふ神、之を根ノ國、底ノ國に氣吹(いぶ)き放ち、根ノ國、底ノ國に坐す速佐須良媛(はやさすらひめ)と云ふ神をさすらひ失ひ、かくて罪と云ふ罪はあらじと、祓ひ清むるの行作を述べたるを思ふに、海水は一切の罪悪汚穢を収容して、之を根ノ國の送達するものなりとして信ぜられたりしもの﹅の如し。
而して其の禊祓のことは、既に此の伊弉諾尊が我が日向の檍原に於て行ひ給ひしと傳へらるるなり。
以て我が古俗を見るべし。
尊が御身を穢し給へりとのことは、古事記に、黄泉國に伊弉冉尊を訪(とぶら)ひ給ひし時の狀(かたち)を記して、
posted by うさぎ at 14:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 禊祓

禊祓(みそぎはらひ)の意義 その1

私按一、 禊祓(みそぎはらひ)の意義

清潔を尚ぶの習俗
伊弉諾尊が日向の檍原にて禊祓し給ひしことは、尊が黄泉國に到りて其の穢に觸れ給ひしかば、之を清め給はんとてなり。
禊は身滌(みそそぎ)なり。
祓は拂(はらひ)なり。
水に浴して身を滌ぎ、穢れを拂ふなり。
邦俗清潔を尚(たっと)びて死穢血穢を忌むこと甚だしく、或は海岸河畔等に産小屋、月小屋を設けて、婦人一定の期間ここに移り住み、産穢の期間を経過し、或は終りて、水に浴して身の穢を去りたる後にあらざれば決して自宅に歸らず、神に近づかざるの習慣は、後の世までもなほ處々の海岸部落に遺れり。
維新後教育の普及と共に、古俗舊慣の廢せらるるもの多く、禊祓の遺風の如きも僅に神事にのみ存して、一般には之を見る少なきに至れるも、なほ越前敦賀彎西岸地方の如き、或は特殊の地方には、嚴に其の俗を保存せるあり。
なほ此の事は第八章産屋の條下に詳説すべし。
posted by うさぎ at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原

伊弉諾尊の禊祓と三貴神の出現 その2

天照大~以下の諸~日向に生れ給ふ
此の時八十禍津日神(やそまがつひのかみ)、大禍津日神(おおまがつひのかみ)、神直毘神(かみなほびのかみ)、大直毘神(おおなおびのかみ)、伊豆能賣神(いづのめのかみ)、底津少童神(そこつわだつみのかみ)、中津少(なかづわだ)童神(つみのかみ)、表津少童神(うはつわだつみのかみ)、底筒男神(そこづつをのかみ)、中筒男神(なかつつをのかみ)、表筒男神(うわづつをのかみ)の諸神、御身を濯ぎ給ふ事によりて生じ、最後に左の眼を洗ひ給ふ事によりて天照(あまてらす)大神(おほみかみ)生じ、右の眼を洗ひ給ふ事によりて月讀尊生じ、鼻を洗ひ給ふ事によりて素戔鳴尊生じ給ひきと言ふ。
此の中、底筒男、中筒男、表筒男の三神は、即ち住吉大神(すみのえのおほかみ)にして、底津少童、中津少童、表津少童の三神は、是れ阿曇連等(あづみのむらじ)が齋(いつ)き祭れる筑紫斯我神(つくしのしがのかみ)なりとあり。
或は云、衝立船戸神(つきたてふなどのかみ)、道之長乳歯神(ながちはのかみ)、時置師神(ときおかしのかみ)、和豆良比能宇斯能神(わずらひのうしのかみ)、道(ち)俟神(またのかみ)、飽咋之宇斯能神(あきくひのうしのかみ)、奥疎神(おきさかるのかみ)、奥津那藝佐毘古神(おきつなぎきびこのかみ)、奥津甲斐辨(おきつかひべ)羅神(らのかみ)、邊疎神(へさかるのかみ)、邊津那藝佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)、邊津甲斐辨羅神(へつかひべらのかみ)等、また此の時に生ずと。或は又云ふ、磐土命(いはつちのみこと)、底土命(そこつちのみこと)、大綾津日神(おほあやつひのかみ)、赤土命(あかつちのみこと)、及び大地(おほつち)、海原(うなばら)の諸神生ずと。
古書の傳ふる所其の説一ならず。
天照大神等の御出現に就きても異説多し。
年代悠遠、所傳簡古にして、今より其の詳細を知るを得ず。
されど天照大神、月讀尊、素戔鳴尊の三貴神を始めとして、住吉神、綿津見神(海神少童神と云ふに同じ)等の諸神が、日向の地に生れ出て給ふとの古傳説は、此の國が天孫降臨以前、既に我が大日本國發祥の縁由を有せし地なりとして、古人によりて語り傳へられたることを示せるものなりと謂はざるべからず。
天照大神靈徳あり、光華明彩六合の内に照徹し給ふ。
伊弉諾尊乃ち之を天に上(のぼ)して、高天原を治めしめ給ひ、月讀尊光彩之に亞(つ)ぎ給へるを以て、亦天に送りて之に配せしめ給ふ。
かくて素戔鳴尊は天が下を治らすべく定められ給ひしが、此の神勇悍にして粗暴の御行為多くまししかば、伊弉諾尊遂に之を根ノ國に逐(お)ひ給ふ。
或は云ふ、尊高天原にありて、天照大神に對し奉り、粗暴の御行為多かりしかば、諸神相議して科するに千座置戸(ちくらおきど)の祓(はらひ)を以てし、之を根ノ國に逐ひ奉ると。
根ノ國は即ち伊弉冉尊のまします黄泉國なり。
ここに於て大八洲國未だ定まれる君を得ず。
或は云ふ、月讀尊夜食國(よるのおすくに)を治らすと。
又曰く、滄海原(あをうなばら)を治らすと。
三神分治に就きても異説多く、今之を詳にすべからず。
posted by うさぎ at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 三貴神
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