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2020年12月14日

伊弉諾尊の禊祓と三貴神の出現 その1

第二章 檍原(あはきはら)の禊祓(みそぎはらひ)
  第一節 伊弉諾尊の禊祓と三貴神の出現

黄泉國
伊弉諾、伊弉冉の二尊は、大八洲國を始めとして、多くの神々を生み給ひしが、最後に火の神なる火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生み給ふ事によりて、伊弉冉尊火傷して崩じ給ひ、黄泉國(よもつぐに)に入り給ひき。
黄泉國は即ち根國(ねのくに)なり。
伊弉諾尊之を悲しみ給ひ、追ひて其の國に到り給ひしに、伊弉冉尊の御肉體腐爛して、極めてあさましき御態(おんさま)にてましまししかば、見畏(みかしこ)みて逃れ還り給ふ。
乃ち黄泉比良坂(よもつひらさか)に千引の石を引さ塞へ給ひ、是より我が現國(うつしぐに)と、黄泉國との交通は絶へたりといふ。
其の所謂黄泉比良坂は、出雲國の伊賦夜坂(いふやさか)なりと古事記に見ゆ。
今同國八束郡に揖屋村(いやむら)あり、延喜式内に揖夜(いふや)神社あり。
蓋し其の古傳説地の名を傳ふるなり。
伊弉諾尊黄泉國に到り、其の穢れに觸れ給ひしかば御身を清め給はんが為に、粟門(あはと)と速吸名門(はやすひなと)とに到り給ふ。
兩所共に潮流急なり。
乃ち更に轉じて筑紫日向の橘の小戸の檍原(あはきはら)に到り、ここに海水に浴して禊祓(みそぎはらひ)し給へり。
これ禊祓行事の濫觴なり。
posted by うさぎ at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 三貴神

私按二、日向國と熊襲國 その9

豊久士比泥別の名と日向
更に思ふに「豊久士比泥別(とよくしひねわけ)」の名、既に日向に縁故あるが如し。
「豊」は美稱にして「別」は男子の別稱なれば、暫く其の名より之を除き、其の中間なる「久士比泥」の語に就いて考ふるに、其の音蓋しクシフル、又はクシヒといふに近し。
天孫降臨の地を日向の高千穂の久士布流(くしふる)の嶽といひ、或は槵日(くしひ)の高千穂の峰と云ふ。
國音往々良好と奈良と相轉ず。
日本紀に武夷鳥(たけひなとり)命とある神を、古事記に武比良鳥(たけひらとり)命と云ひ、越前の角賀(つぬが)を後世ツルガ(敦賀)と呼び當國財部(たからべ)を後にタカナベ(高鍋)と稱し、周防の束荷(つかに)をツカリと呼び、信濃の小谷(おだに)をヲダリといひ、近江の男鬼(ををに)をヲヲリと讀み、又「稲荷」と書きてイナリと訓ずるの類皆是なり。クシヒネとクシフルと、其の語源を一にすと解する、其の理由なしと謂ふべからず。
而して其のクシヒと謂ふは、或は其の末音を略したるものにてもあるべきか。
果して然らば、豊久士比泥別の名を以て、肥國の別名なりとせんよりは、之を日向の別名なりとするを當れりとせん。
此の事亦以て、筑紫四国を筑、豊、肥、日の四国となす古傳説の傍證となすべからんか。
而もなほ疑ひなきにあらず。
試みに記して後の考を俟たん。
若し夫れ熊襲の事、並びに其の隼人との關係に就きては、更に第二編第三章景行天皇西征の條以下の諸章に詳説すべし。
posted by うさぎ at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊襲国

私按二、日向國と熊襲國 その8


熊襲國の位置に關する思想
熊襲のことは後に詳説すべきも、もと是れ或る民族の名稱にして、定まりたる一國の名にあらず。
又日本紀の傳ふる所によるも、其の域必ずしも日向、大隅、薩摩の地方と一致すべきにあらざるなり。
仲哀天皇朝の熊襲征討が、筑前香椎宮を根據として行はれ、其の陣中賊矢に當り給へりと言はるる同天皇が、痛身(いたづき)の翌日香椎宮にて崩じ給ひきと傳へらるるが如き、又其の後神功皇后神教のままに、吉備臣の祖鴨別を遣して討たしめ給ひし熊襲國が、浹辰(しばらく)を経ずして自ら服せりと稱せらるるが如き、又皇后自ら兵を用ひ給ひし範圍が、筑前、筑後の外に出でたりとは見えざるが如き、偶々(たまたま)以て古への熊襲の國が、筑前香椎を距る甚だしく遠からざりし地方にも存したりと信ぜられたりし證とすべし。
されば日隅薩地方と熊襲とを一國とし、之を以て筑紫四面の一とせんは、之を孰れの方面より論ずるも到底容るべきにあらざるなり。
古事記に所謂熊襲國は、實は古傳説に存する異族熊襲占據の國を、漠然と然か呼稱せるものにして、天孫降臨三代神都の地と信ぜられたる日向國と同視すべきにあらざるなり。
後に隼人の國として認められたる薩、隅二國が、行政上漠然日向の域内に編入せられたりしは當時の地方に於ける異民族が多く夙に邦人に同化し、是と融合して其の蹟を邦人中に没せし後の事にして、なほ平安朝に於て本州北端の蝦夷の國が、漠然陸奥、出羽の中なりと認められたりしと同一の現象なりとすべし。
されば此の形勢を以て、必ずしも太古の傳説を律すべきにあらず。
奥羽の南部も嘗ては蝦夷の國たり。更に遡りては關東地方も、又其の西の地方も、同じく蝦夷の國たりし時代のありしことを考へ合すべきなり。
posted by うさぎ at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊襲国
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