2020年12月14日
私按二、日向國と熊襲國 その9
豊久士比泥別の名と日向
更に思ふに「豊久士比泥別(とよくしひねわけ)」の名、既に日向に縁故あるが如し。
「豊」は美稱にして「別」は男子の別稱なれば、暫く其の名より之を除き、其の中間なる「久士比泥」の語に就いて考ふるに、其の音蓋しクシフル、又はクシヒといふに近し。
天孫降臨の地を日向の高千穂の久士布流(くしふる)の嶽といひ、或は槵日(くしひ)の高千穂の峰と云ふ。
國音往々良好と奈良と相轉ず。
日本紀に武夷鳥(たけひなとり)命とある神を、古事記に武比良鳥(たけひらとり)命と云ひ、越前の角賀(つぬが)を後世ツルガ(敦賀)と呼び當國財部(たからべ)を後にタカナベ(高鍋)と稱し、周防の束荷(つかに)をツカリと呼び、信濃の小谷(おだに)をヲダリといひ、近江の男鬼(ををに)をヲヲリと讀み、又「稲荷」と書きてイナリと訓ずるの類皆是なり。クシヒネとクシフルと、其の語源を一にすと解する、其の理由なしと謂ふべからず。
而して其のクシヒと謂ふは、或は其の末音を略したるものにてもあるべきか。
果して然らば、豊久士比泥別の名を以て、肥國の別名なりとせんよりは、之を日向の別名なりとするを當れりとせん。
此の事亦以て、筑紫四国を筑、豊、肥、日の四国となす古傳説の傍證となすべからんか。
而もなほ疑ひなきにあらず。
試みに記して後の考を俟たん。
若し夫れ熊襲の事、並びに其の隼人との關係に就きては、更に第二編第三章景行天皇西征の條以下の諸章に詳説すべし。
更に思ふに「豊久士比泥別(とよくしひねわけ)」の名、既に日向に縁故あるが如し。
「豊」は美稱にして「別」は男子の別稱なれば、暫く其の名より之を除き、其の中間なる「久士比泥」の語に就いて考ふるに、其の音蓋しクシフル、又はクシヒといふに近し。
天孫降臨の地を日向の高千穂の久士布流(くしふる)の嶽といひ、或は槵日(くしひ)の高千穂の峰と云ふ。
國音往々良好と奈良と相轉ず。
日本紀に武夷鳥(たけひなとり)命とある神を、古事記に武比良鳥(たけひらとり)命と云ひ、越前の角賀(つぬが)を後世ツルガ(敦賀)と呼び當國財部(たからべ)を後にタカナベ(高鍋)と稱し、周防の束荷(つかに)をツカリと呼び、信濃の小谷(おだに)をヲダリといひ、近江の男鬼(ををに)をヲヲリと讀み、又「稲荷」と書きてイナリと訓ずるの類皆是なり。クシヒネとクシフルと、其の語源を一にすと解する、其の理由なしと謂ふべからず。
而して其のクシヒと謂ふは、或は其の末音を略したるものにてもあるべきか。
果して然らば、豊久士比泥別の名を以て、肥國の別名なりとせんよりは、之を日向の別名なりとするを當れりとせん。
此の事亦以て、筑紫四国を筑、豊、肥、日の四国となす古傳説の傍證となすべからんか。
而もなほ疑ひなきにあらず。
試みに記して後の考を俟たん。
若し夫れ熊襲の事、並びに其の隼人との關係に就きては、更に第二編第三章景行天皇西征の條以下の諸章に詳説すべし。
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