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2020年12月18日
檍原出現の諸神に就きて その1
私按四、檍原出現の諸神に就きて
天津神と國津神
我が古傳説に見ゆる諸神は、之を大別して天津神、國津神の二系統となす。
傳ふる所一ならずして、其の區別頗る困難なるも、之を槪説すれば、天津神とは高天原の諸神にして、國津神とは、天孫降臨以前より此の國土にます諸神なり。
卽ち高天原より來れりと傳へらるる民族の祖神として祭る神と、其の以前より此の國土に住する民族の祖神として祭る神との別を云ふなり。
而して其の國津神と呼ばるるもの多き中にも、出雲の大國主神の系統の諸神と、伊弉諾尊の檍原に於ける禊祓の時に出現せる諸神との二大流派あり。
天津神と國津神
我が古傳説に見ゆる諸神は、之を大別して天津神、國津神の二系統となす。
傳ふる所一ならずして、其の區別頗る困難なるも、之を槪説すれば、天津神とは高天原の諸神にして、國津神とは、天孫降臨以前より此の國土にます諸神なり。
卽ち高天原より來れりと傳へらるる民族の祖神として祭る神と、其の以前より此の國土に住する民族の祖神として祭る神との別を云ふなり。
而して其の國津神と呼ばるるもの多き中にも、出雲の大國主神の系統の諸神と、伊弉諾尊の檍原に於ける禊祓の時に出現せる諸神との二大流派あり。
粟門と速吸名門との所在 その2
速吸名門
次に速吸名門は、神武天皇東征の時國ツ神珍彦(うづひこ)を得て海路の嚮導(きょうどう)となし給ひし處にして、古事記には、之を吉備と難波との間に叙す。
卽ち明石海峽なり。
亦潮流急なりと云ふに相當たる。
然るに日本紀には、其の速吸名門を日向と宇佐との間に叙し、之を佐賀ノ關海峽に當つ。
此の地亦潮流急なるのみならず、延喜式に豊後海部郡早吸日女(はやすひひめ)神社の、其の古地名を傳ふるあれば、是を以て之に擬するもの多し。
蓋し速吸名門とは、早吸(はやすひ)の門(と)と卽ち海水を速く吸ひ込むが如き潮流の急なる瀬戸の義にして、もと普通名詞なるべければ、必ずしも一所とのみ限るべきにあらず。
同一の事件を數所の速吸名門に就きて、各自地方的に語り傳へしこともあるべし。
而して伊弉諾尊が、此の粟門と速吸名門とを過ぎて、最後に我が日向の地に到り給へりとせんには、之を鳴戸と解し、由良の門と解し、又明石海峽となし、佐賀ノ關海峽となす。
何れにても通ずべし。
次に速吸名門は、神武天皇東征の時國ツ神珍彦(うづひこ)を得て海路の嚮導(きょうどう)となし給ひし處にして、古事記には、之を吉備と難波との間に叙す。
卽ち明石海峽なり。
亦潮流急なりと云ふに相當たる。
然るに日本紀には、其の速吸名門を日向と宇佐との間に叙し、之を佐賀ノ關海峽に當つ。
此の地亦潮流急なるのみならず、延喜式に豊後海部郡早吸日女(はやすひひめ)神社の、其の古地名を傳ふるあれば、是を以て之に擬するもの多し。
蓋し速吸名門とは、早吸(はやすひ)の門(と)と卽ち海水を速く吸ひ込むが如き潮流の急なる瀬戸の義にして、もと普通名詞なるべければ、必ずしも一所とのみ限るべきにあらず。
同一の事件を數所の速吸名門に就きて、各自地方的に語り傳へしこともあるべし。
而して伊弉諾尊が、此の粟門と速吸名門とを過ぎて、最後に我が日向の地に到り給へりとせんには、之を鳴戸と解し、由良の門と解し、又明石海峽となし、佐賀ノ關海峽となす。
何れにても通ずべし。
タグ:速吸名門
粟門と速吸名門との所在 その1
私按三、粟門と速吸名門との所在
粟門
粟門は従来、學者多く解して阿波の鳴戸となす。
其の潮流の急なりといふに恰當す。
或は云ふ、紀淡海峽なる友が島を古へ淡島(あはしま)と稱し、もと紀伊加太(かだ)なる淡島明神の鎭座せしところにして、其の海峽卽ち所謂由良の門は潮流の頗る急なれば、アハ門或は此の海峽ならんかと。
粟門
粟門は従来、學者多く解して阿波の鳴戸となす。
其の潮流の急なりといふに恰當す。
或は云ふ、紀淡海峽なる友が島を古へ淡島(あはしま)と稱し、もと紀伊加太(かだ)なる淡島明神の鎭座せしところにして、其の海峽卽ち所謂由良の門は潮流の頗る急なれば、アハ門或は此の海峽ならんかと。
タグ:粟門