2020年12月18日
粟門と速吸名門との所在 その2
速吸名門
次に速吸名門は、神武天皇東征の時國ツ神珍彦(うづひこ)を得て海路の嚮導(きょうどう)となし給ひし處にして、古事記には、之を吉備と難波との間に叙す。
卽ち明石海峽なり。
亦潮流急なりと云ふに相當たる。
然るに日本紀には、其の速吸名門を日向と宇佐との間に叙し、之を佐賀ノ關海峽に當つ。
此の地亦潮流急なるのみならず、延喜式に豊後海部郡早吸日女(はやすひひめ)神社の、其の古地名を傳ふるあれば、是を以て之に擬するもの多し。
蓋し速吸名門とは、早吸(はやすひ)の門(と)と卽ち海水を速く吸ひ込むが如き潮流の急なる瀬戸の義にして、もと普通名詞なるべければ、必ずしも一所とのみ限るべきにあらず。
同一の事件を數所の速吸名門に就きて、各自地方的に語り傳へしこともあるべし。
而して伊弉諾尊が、此の粟門と速吸名門とを過ぎて、最後に我が日向の地に到り給へりとせんには、之を鳴戸と解し、由良の門と解し、又明石海峽となし、佐賀ノ關海峽となす。
何れにても通ずべし。
次に速吸名門は、神武天皇東征の時國ツ神珍彦(うづひこ)を得て海路の嚮導(きょうどう)となし給ひし處にして、古事記には、之を吉備と難波との間に叙す。
卽ち明石海峽なり。
亦潮流急なりと云ふに相當たる。
然るに日本紀には、其の速吸名門を日向と宇佐との間に叙し、之を佐賀ノ關海峽に當つ。
此の地亦潮流急なるのみならず、延喜式に豊後海部郡早吸日女(はやすひひめ)神社の、其の古地名を傳ふるあれば、是を以て之に擬するもの多し。
蓋し速吸名門とは、早吸(はやすひ)の門(と)と卽ち海水を速く吸ひ込むが如き潮流の急なる瀬戸の義にして、もと普通名詞なるべければ、必ずしも一所とのみ限るべきにあらず。
同一の事件を數所の速吸名門に就きて、各自地方的に語り傳へしこともあるべし。
而して伊弉諾尊が、此の粟門と速吸名門とを過ぎて、最後に我が日向の地に到り給へりとせんには、之を鳴戸と解し、由良の門と解し、又明石海峽となし、佐賀ノ關海峽となす。
何れにても通ずべし。
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