こんばんは。土斑猫です。
今回から、久々に「半分の月がのぼる空」の二次創作を始めます。
と言っても、以前書いた「恋文」の改訂版になります。
当作品は個人的に不満が多い出来だったと言う事もあり、いつかリメイクをと考えていました。
個人の勝手ではありますが、よろしければしばしお付き合い下さいませ。
―想い歌―
―1―
それは、ある朝突然に始まった。
ポトン
僕が靴箱の蓋を開けると、そんな音を立てて“それ”は床に落ちた。
「?」
拾い上げてみると、それは一通の手紙だった。
桜色の便箋。裏を返して見ると、お定まりの様にハートマークのシールで封がしてある。
便箋の端っこには、丸っこい可愛い字で「戎崎先輩へ」と書いてあった。
それを見た僕は、呆然としながら呟いた。
「これって・・・」
「ラブレターじゃねぇか!?」
昼休みの廊下に響いたその声に、周囲の視線がいっせいに僕達に集まる。
「声がでけぇ!!」
「ガフゥ!?」
大声で喚いた山西を逆水平チョップで沈めると、僕は周りに向かって「何でもない」のジェスチャーをおくる。
皆の視線が外れると、僕は改めて溜息をついた。
「『初めまして。急にこんな手紙を出してごめんなさい。でも、どうしても自分の気持ちを抑えることが出来ませんでした。わたしはつい先日、この学校に転校してきました。そして、休み時間にクラスの人に校内を案内してもらっている時、偶然先輩を目にしました。その時の衝撃を、どの様に表現すればいいのかわたしには分かりません。以来、先輩の顔が、笑顔が目の前から離れてくれません。切ないです。苦しいです。人を想う事が、こんなにも辛いものである事をわたしは生まれて初めて知りました。この苦しみからわたしを救ってくれるのは、先輩だけだと確信しています。今日の放課後、校舎裏のプラタナスの下で待っています。来てください。信じています。』1年B組、名前は・・・如月蓮華(きさらぎれんか)って読むのかな?まぁとにかく、まごうことなき恋文だね。裕ちゃん。」
みゆきがそう言って、件の手紙をピラピラと振る。
「声に出して読むなよ。恥ずかしい。」
みゆきの手から手紙を奪い取ると、僕はそれをズボンのポケットに突っ込んだ。
「里香には言ったの?この事。」
「言うわけないだろ。」
「でもさ、どうするの?」
みゆきの問いに不機嫌気に答える僕に、今度は司が訊いてきた。
「どうするって、何をだよ。」
「今日の放課後。」
「行くわけないだろ。」
「でもこの娘、待ってるって・・・」
その性根の優しさからか、司は困った様な顔をしている。
少なくとも、お前が困る事じゃないだろ。
「そんなのにホイホイ行ったら、かえって余計な気を持たせるだろ。ほっとくのが一番なんだよ。」
「そうなの?」
「そうなんだよ。それに・・・」
「それに?」
「イタズラだったりしたら、相手の思う壷だろ?」
「ああ、それはあるかも。」
みゆきがなるほど、という風に相槌を打つ。
「裕ちゃん、里香とつきあってるからって、一部の連中からけっこう妬まれてるもんね。こういうイタズラ、仕掛けてくるのもいるかも。」
「だろ?だからほっとくのが一番なんだよ。」
そう言って、僕は「里香ちゃんという者がありながら、他の娘までかどわかすか・・・この不誠実者が〜」などと言いながら、ゾンビの様に復活してきた山西にシャイニング・ウィザードを食らわせた。
―2―
キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン
校内に、今日の授業の終了をつげるチャイムが鳴り響く。
僕が昇降口に行くと、そこにはもう里香が待っていた。
「待ってたのか?」
僕が訊くと、里香は「うん」と言って頷いた。
「待ったか?」
「ううん。あたしも、今来たとこ。」
「そうか。」
「うん。」
いつものやり取り。
そして、僕達は揃って歩き出す。
「今日もうち、寄るだろ?」
「うん。」
「途中でまた、ぱんじゅうでも買ってくか?」
「あ、いいね。」
いつもと変わらない放課後。
いつもと変わらない幸福。
それに浸りながら、僕達はいっしょに自転車置き場に向かって歩く。
と、その途中で校舎の端が目に止まった。
その奥はこの時間、校舎の影でうっすらとした闇に包まれていた。
ふと、あの手紙の事が頭に浮かぶ。
―如月蓮華―
正直、気にならないと言えば嘘だった。
何せ、知らない相手からこんな想いを寄せられたのは初めてだ。
もちろん、先だってみゆき達に言った様にイタズラの可能性は多々あるわけだけど、その逆の可能性だって十分あるわけで・・・。
もしそうだとしたら、その娘は今、あの薄闇の中で僕の事を待っているのだろうか。来るはずのない僕を、たった一人でいつまでも―
ちょっとした罪悪感が、心を突つく。
その痛みが、足の歩みを少し鈍らせた。
だけど―
「どうしたの?裕一。」
その声が、僕を我にかえさせる。
見れば里香が、怪訝そうに僕の顔を覗き込んでいた。
「さっきから、何か上の空だし。何かあった?」
黒く澄んだ目が、僕の目を見つめる。
そこに心配の色を見てとった僕は、慌てて頭を振る。
「い、いや何でもないぞ!!何でもない!!」
「・・・ 何か、あからさまに怪しいよ?」
里香が探る様に、顔を突きつけて来る。
距離が近い。
耐えきれずに、僕は視線をあさっての方向に泳がせた。
「いや、ほら、あれだ。今晩のおかずはなにかなーとか考えてたんだよ。」
「・・・本当に?」
「本当、本当。」
「ふーん、なら、いいけど。」
そう言って、里香は僕から目を離す。
今一つ、釈然としてはいないようだけど、とりあえず追求は諦めた様だ。
ほっと息をつく僕。
と、同時にむらむらと腹が立ってきた。
大体、何で僕がこんな気を使わなきゃならないのだ。
僕は何もやましい事はしていない。なのに、何でこんなにビクビクオドオドしなきゃならないのだ。
そう。元はと言えば、みんなあの手紙のせいだ。
湧いてきた怒りが全部、あの手紙の差出人に向かう。
どの道、誘いに応じる気がない事には変わりがない。校舎裏だか、何だか知らないが、いつまでも一人で待っていればいい。
本物だろうが、イタズラだろうが、知った事か。
「ちょっと、裕一、どうしたの?」
急に足取りが荒々しくなった僕に、里香が訊いてくるが、僕は「何でもねぇよ。」とだけ返しておいた。
里香も「変なの。」とだけ言って、後は黙ってついてきた。
やがて自転車置き場に着くと、僕は置いてある自転車の列から自分のを探して引っ張り出した。
里香はその横で、僕の準備が整うのを待っている。
「じゃ、行くか?」
準備が出来た僕がそう言うと、里香は「うん。」と頷いた。
僕と里香が並んで歩きだそうとしたその時―
「せ・ん・ぱ・い。」
後ろから声がかけられた。
聞き覚えのない、女の子の声だ。
僕や里香を「先輩」と呼ぶ連中はたくさんいる。
僕らはそろって振り返った。
振り返ったその視線の先には、見た事のない女の子が一人立っていた。
「やっぱり、こっちにいましたね。先輩。」
女の子はそう言いながら、僕に向かって近づいてきた。
どうやら、「先輩」という呼び声は僕にかけられたものの様だ。
近づいてくる女の子は、当然というか、うちの学校の制服を着ている。
その顔つきはとても整っていて、大人の持つ美しさと、子供の持つ可愛らしさが抜群のバランスで組み込まれている。
サイドで纏められた黒髪は艶やかで、里香ほどではないにしろ、かなり長い。
均整のとれた身体つきをしていて、その顔や髪とあいまって、ひどく魅力的な外見をしていた。
つまり十人に訊けば、十人が美人と答える。そんな風貌の女の子だった。
そんな女の子が、しゃなりしゃなりと僕に近づいてくる。
僕の隣には、里香がいる。
そして当然、僕らの周りにはたくさんの他の生徒達がいる。
だけど、そんなものは目に入らないとでもいう様に、その娘の目は真っ直ぐに僕だけを見つめていた。
ついに立ちつくす僕の目の前に立つと、彼女は制服のスカートの両端を摘まんで優雅にお辞儀をした。
「初めまして。戎崎先輩。」
そう言って、僕の顔を見上げてくる。
酷く、印象に残る瞳だった。
里香と同じ様に、芯の強さを感じさせる瞳。
だけど、その強さの質が違う。
それは、里香の様に凛と澄み通った強さではなく、何処か底の見えない、仄暗さを感じさせる強さ。
その瞳でニコリと微笑むと、その娘は僕に向かって言った。
「酷いですね。『信じてます。』って書いたのに。」
「・・・誰だよ?お前・・・。」
そう聞く僕に、女の子はクスクスと笑う。
「いやあだ。分かってるくせに。」
笑いながら、僕のポケットを指差す。
「それに、ちゃんと書いてましたよね?」
何処で見ていたのか、その指先は間違いなくポケットの中の手紙を指していた。
「如月蓮華ですよ。先輩。」
そう言って、如月蓮華は綺麗に、酷く綺麗に微笑んだ。
―3―
「・・・何で、自転車置き場(こっち)に来てんだよ?お前、校舎裏にって・・・」
「女の感です。」
僕の問いに真顔でそう答えた蓮華は、だけどすぐに相好を崩してケタケタと笑う。
「ウソウソ。そんなに驚いた顔しないでください。可愛いなあ、もう。」
そう言って、蓮華は僕との距離をまた一歩詰める。
「分かってましたよ。あたしの方には来てくれないって。」
ニコニコと微笑みながら、何でもないかの様にそんな事を言う。
「先輩にもうお相手がいる事は知ってましたし。むしろ来られたら、そっちの方が幻滅ものだったかも。」
笑いながら、蓮華は右手の人差し指を、教鞭でも振るかの様に宙でクルクル回す。
「こっちに来ないなら、いつも通りの帰宅コースを辿ると考えるのは、易い事だと思いませんか?先輩。」
そしてまた、ケタケタと笑う。
その人を食った様な態度に、僕はだんだん苛ついてきた。
「そこまで分かってんなら、何でちょっかい出してくるんだよ!?オレには里香がいるんだ。お前の誘いになんか、乗らねえぞ!!」
少し語気を荒めた僕の言葉を、だけど蓮華は余裕で受け流す。
「大変でしたよぉ。クラスの皆が皆、先輩には秋庭先輩がいるから駄目だって言うんですから。でも・・・」
そこで、蓮華は初めて僕から視線を外した。
向けた視線の先には、僕の隣に立つ里香がいる。
「そんなの、関係ないですし。」
語調が変わった。
それまでキャラキャラと軽かった言葉に、剣呑とした響きがこもる。
「人を好きになるのに、理屈をこねるなんて不粋ですよねぇ。そう思いませんか?秋庭先輩?」
人の神経を逆撫でする様な、悪意のこもった口調。
明らかな挑発であるそれに、だけど里香は答えない。ただ黙って、自分に向けられている視線を真正面から受け止める。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
しばしの間。張り詰めた空気に、こっちの息が詰まりそうになる。
「・・・乗ってきませんね。本妻の余裕ってやつですか?」
そう言って、先に目をそらしたのは蓮華の方だった。
「まあいいです。今日の所はこれで終わりにします。でも・・・」
瞬間、蓮華の右手が素早く動いて僕の襟を掴んだ。
抵抗する間もなく、頭が強く引かれる。
一瞬の後、頬に触れる柔らかい感触。
「!!」
それがなんなのかを理解する前に、蓮華は踊る様なステップで僕から離れていた。
「先輩、あたしの方はこういう事ですから。それと・・・」
鋭い眼差しが、再び里香に向けられる。
「先輩は、あたしがもらいますから。」
その言葉に、明らかな敵意をこめてそう言うと、蓮華は踵を返して走っていってしまった。
「・・・何なんだよ・・・一体・・・?」
頬に残る感触に呆然としながら、走り去る後姿を見送るだけの僕。
と、唐突に背中に走る悪寒。
凄まじい殺気にゴクリと唾を呑み込んで振り返ると、里香が底冷えのするような眼差しで僕を睨んでいた。
「裕一、今の、何・・・!?」
「い、いや、今のは、その・・・!!」
冬の吹雪の様に冷たい視線に射抜かれて、僕はただただ竦み上がるばかりだった。
―4―
それからしばし後。
場所は、自分の家の座敷。
二つの視線に晒されながら、僕は叱られる子供の様に小さくなっていた。
差し向かいで座った僕と里香の間には、この災いの根源たる例の手紙が置いてある。
「・・・という訳なんだよ・・・。」
「・・・どうして黙ってたの?」
僕の説明に、里香はまだ許さないとばかりに問い詰めてくる。
「いやだってさ、こんなの、オレは最初っから受ける気なかったし、お前に教える事もないかなって・・・。」
「説明になってないんだけど・・・?」
静かな、だけど底冷えのする様な声。ちょっと・・・いや、かなり怖い。
「え・・・だって、それは、その・・・」
しどろもどろになる僕を、里香は容赦なく睨みつけてくる。
と、
「裕一。」
卓袱台で、お茶を飲みながら事態を見ていた母親が口を挟んできた。
おお、さすが親。助け舟を出してくれるかと思いきや・・・
「二股かけるなんて、十年早いわよ。身の程を知りなさい。」
なんて言ってきやがった。
「裕一・・・。」
「全く、血は争えないのかしらねぇ・・・?」
射殺す様な勢いで見つめてくる里香と、好き勝手を言う母親。
ああ、何でこんな事になってんだよ。
僕が一体、何したってんだ。
二人の冷たい視線に晒されながら、僕は泣きたい気持ちでいっぱいだった。
それから数刻後。
やっと解放された僕は、勢田川沿いの道を里香を送って歩いていた。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
いつもなら何やかやと会話をしながら歩くこの道も、今は気まずい沈黙につつまれている。
何も言わない里香。
何も言えない僕。
夕暮れを過ぎ、薄闇の落ちた道に僕達の足音だけが響く。
いつまでも、いつまで経っても続く沈黙。
「あの・・・」
それに耐えかねた僕が、何か言おうと口を開きかけたその時、
ギュッ
ブラブラさせてた左手が、不意に温かい感触に包まれた。
そこまで出かけていた言葉を、僕は息といっしょに呑み込む。
里香の右手が、僕の左手を握り締めていた。
細い指が、ギュッと力を込めてくる。
まるで、この手は絶対に離さないとでも言う様に。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
僕達の間に、また沈黙が戻る。
だけど、今度の沈黙はさっきまでのそれとは違う。
少し気恥ずかしくて、温かい沈黙。
川沿いの道。僕達は黙って歩き続ける。
・・・いつしか僕らは、お互いの指を絡めあっていた。
僕の左手は、里香の右手を。
里香の右手は、僕の左手を。
ギュウッと握る指から、里香の気持ちが伝わってくる。
僕も、僕の気持ちが伝わる様にギュウッと握り返す。
ギュウ
ギュウ
お互いにお互いを握り締めながら、僕らは歩いた。
やがて、僕達は里香の家の前についた。
だけど、手はまだ離れない。
お互いに、離さない。
しばらくの間、僕らはそうやって佇んでいた。
玄関から洩れる光の中、二人の影が長く伸びる。
伸びた影も、繋がっていた。
「・・・裕一。」
里香が言った。
「・・・おう。」
続く様に、僕も応える。
二人の手が離れた。
名残りを惜しむ様に、ゆっくりと。
僕から離れた里香が、玄関に向かって歩いていく。
その手が玄関にかかろうとしたその時、
「裕一!!」
里香が僕を呼んだ。
「ん、何だ?」
僕が近づいたその瞬間、
グイッ
突然身体が引かれる。
瞬間、左頬に優しく当たる、柔らかく温かい感触。
左頬。それは昼間、如月連華が唇を押し当てた場所。
そこから唇を離した里香は、唖然とする僕を見上げるとペロリと舌を出してこう言った。
「上書き!!」
そして僕が何かを言う前に、踵を返すと玄関を開けて家に入ってしまった。
主の照れを隠す様にピシャンと閉まった戸の前で、僕は左頬を押さえたまま、ただ立ち尽くした。
やがて―
「―クックククックックックッ・・・」
腹の底から笑いがこみ上げて来た。
そう。一体何を取り乱していたのだろう。
僕らはこんなにも繋がっている。あんな小娘の割り込む隙間なんて、ありはしないのに。
帰り道の間、僕はずっとヘラヘラ笑っていた。
他人が見たらさぞ気味悪く思った事だろうが、知った事か。
左手と頬に残る幸せの温もりに浸りながら、僕は一人、笑い続ける。
すっかり日の落ちた勢田川に、僕の笑い声が響いては消えていった。
・・・そうこの時、僕らはまだ知らなかったのだ。
あの如月蓮華の瞳に宿っていた、仄暗い強さの本当の意味を―
続く
タグ:半分の月がのぼる空
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