こんばんは。今日も今日とて、半月二次創作を更新です。
単純に、リメイクなので忙しい中でも更新しやすいというのが理由でもあるのですが・・・。
いい機会なので、本家の方をちまちま見返したりしています。
結論。
やっぱ神作だわ。これ。
―10―
その日、僕は大変な失敗を犯してしまった。
今思い返して見ても、何であんな事をしてしまったのか。自分でもよく分からない。
昨夜考えていた事が、尾を引いてしまったんだろうか。
ひょっとしたら、そこを見抜かれてつけこまれたのかもしれない。
とにかく、普通に考えたら絶対にしてはいけない事を、僕はしてしまったのだ。
事は、今日の昼休みに起こった。
キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン
耳に響くチャイムの音を聞きながら、僕はまた頭を抱えていた。
僕の目の前には、椅子に座ってニコニコと僕を見つめる悪魔、もとい如月蓮華がいた。
左手で僕の机に頬杖をつき、右手には例の自称愛妻弁当をプラプラさせている。
どういう訳か知らないが、今日は授業終了のチャイムが鳴り終わらないうちに教室に入って来やがった。
お陰で逃げ出す暇がなかった。というかちゃんと授業受けてるのかコイツは。
「せーんーぱーいー♡」
ニコニコと笑いながら、蓮華は僕にすり寄ってくる。
おいコラ、これは僕の机だぞ。勝手にひじをつくな。
横を見れば、蓮華が座っている椅子の本来の持ち主が困った顔で所在無さげにモジモジとしている。
おいお前、一応上級生でおまけに男だろ!?
「そこは俺の席だどきやがれ」くらい、ガツンと言ってやる気概ってものはないのか!?気概ってものは!?
お前がそんなだから、コイツがこんな所でのさばっているんだぞ!!
無駄な事とは知りつつ、心中で見当違いな恨み言など述べてみる。
そんな僕の苦悶を知ってか知らずか、蓮華は目の前で“自称”愛妻弁当をプラプラさせる。
「今日こそ食べてもらいますよ。あたしの愛妻弁当。」
「食わないっつてんだろ!!そんなもん!!」
「そんなもんだって。酷いなぁ。これでも心を込めて作ってるんですよ?毎朝5時に起きて。」
心が込もっていようがいまいが、朝の5時起きだろうが3時起きだろうが知った事か。
「食わないっつうの!!」
「食べてもらいます!!」
「食わない!!」
「食べて!!」
十巡ぐらいそんなやり取りをした後、蓮華はポスンと弁当を机の上に落とした。
細い両手が上がり、顔へと向かう。
ひょっとして、泣くつもりか。女の最後にして最大のカードをここで切るつもりか。
上等だ。受けて立とうじゃないか。
確かにこんな所で泣かれたら、僕の男としての評判はガタ落ちだろうけど、それがどうした。そんなモン、この数日でとっくに地の底まで堕ちている。
泣くなら、泣け!!
僕は大きく息を吸って、肝を据えた。
しかし―
蓮華は泣かなかった。
上げた両手を机の上で組むと、その上に顎を乗せた。
そして目を細め、ニンマリと笑って見せた。
「な、何だよ!?」
その笑いに不穏なものを感じながら僕が問うと、蓮華はこう言った。
「先輩は知りたくありませんか?」
「だから、何をだよ!?」
「あたしにとって、先輩が何なのか。」
「―――!?」
思わず息を飲む僕の反応を、思ったとおりとでも言う様にその笑みを深めると、蓮華はツツッと“自称”愛妻弁当を僕の方に押してよこした。
「取引しましょう。」
囁く様な声で、蓮華は言う。
「お弁当、食べてください。そうしたら、教えてあげますよ。先輩が、あたしにとって何なのか。あたしが先輩に、何を求めているのか。」
誘う様な笑み。
(あの娘、一線から先は全然見せないのよ。)
昨夜のみゆきの言葉が、頭の中でリフレインする。
(裕ちゃんの事は、その一線の向こうの事みたい。)
如月蓮華が持つという、先を見せないその一線。
その一線が今、僕の目の前にある。
たった一つの、弁当箱という形をとって。
ゴクリ
自分の生唾を飲み込む音が、やけに大きく頭の中に響いた。
「どうします?先輩。」
蓮華が囁く。
酷く、蠱惑的に、微笑みながら。
・・・頭の中では分かっていたんだ。
これは、罠だと。
僕の堤防に、穴を開けるための一手だと。
だけど。
だけど。
弁当の向こうで、黒い瞳が面白そうに僕を見つめている。
薄く微笑んだその向こうは、僕には見えない。
黒い、黒い、闇色の瞳。
その奥に在るものを、僕は知りたかった。
何で僕に、これほどまで執着するのか。
何で里香に、あれほどまで敵意を向けるのか。
それを知りたかった。
そして、その答えが、この弁当の向こう側。あの瞳の奥にある。
知りたい。
知りたい。
やがてその欲求は、手が付けられないほど僕の内で膨らんでいた。そして―
・・・気がつけば、僕は弁当箱を掴んで席を立っていた。
「どこ行くんです?」
「教室(こんな所)で食えるかよ!!屋上に行く!!」
その言葉に蓮華はほくそ笑むと、僕の鞄に手を伸ばした。
「じゃ、あたしはまたこっちを。」
そう言って、蓮華は鞄から僕の弁当を引っ張り出した。
「ああ、美味しかった。ご馳走様。」
そう言って、蓮華は空になった弁当箱を置いた。
「本当に、お料理上手ですね。お義母さん。」
「お義母さんじゃねえよ・・・!!」
同じように空になった弁当箱を前に、僕は呟く様にぼやいた。
「まぁ、良いじゃないですか。前にも言ったけど、いずれそうなるんですから。」
役目を終えた弁当箱をきれいに包み直しながら、いけしゃあしゃあとそんな事を言う。
「前にも言ったけどな、そうならねえよ!!」
そう言いながら、僕は乱雑に包んだ弁当箱を突っ返した。
「さあ、食ったぞ!!今度はお前の番だ!!」
と、凄味を効かせて言ったら、
「美味しかったですか?」
などと返してきた。
「はぁ!?」
「聞こえませんでしたか?美味しかったですかって訊いてるんです。」
「そんなの関係ねえだろ!!さっさと・・・」
「答えてくれなきゃ、言いません。」
・・・こ・の・女・は・・・!!
ここまで一人の女に翻弄されるのは、僕の人生において里香以来二人目だ。
もっとも、その方向性は全く違うけど。
「さぁ、答えてください。でなきゃ、取引は反故ですよー。」
お前にどんな権限があって、んな事決めてんだ!!
喉まで出かかる言葉を、必死に飲み込む。
伊達に里香で経験を詰んだ訳じゃない。
この手の女は、迂闊に逆らうと全て裏目に出る。
じゃあ、どうするか。
答えは一つである。
「・・・美味かったよ・・・」
僕はボソリと答えた。
「はいー?何ですかー?」
蓮華は聞こえないという風に、耳に手を当てる。
「美味かったよ・・・」
「はーい?聞こえませーん。」
ニタニタと笑いながら、そんな事を言う。
完全に楽しんでやがんな。コイツ。
「ほらほら、もう一度。大きな声で。」
ああ、くそ!!もう自棄だ!!
「美味かったよ!!」
僕は半ば悲鳴の様な声で、そう言った。
それを聞いた蓮華が、一気に破顔する。
「あは、あははは、言った言った!!言ってくれた!!」
そう言って、ケタケタと笑う。
その様は、嬉しいのか、可笑しいのか、それすらもはっきりしない。
何から何まで、コイツの事は分からない事だらけだ。
「・・・満足かよ!?」
腹の中で煮えくり返る憤りを無理やり飲み込むと、僕は低い声でそう言った。
「はい。満足です。」
満面に笑みを浮かべながら、そう言って頷く蓮華。
なら、今度はこっちの番だ。
「じゃあ、教えろよ!!お前は何だ!?何だって、オレ達にちょっかい出して来るんだ!?」
「・・・いいでしょう。約束ですし、お教えします。」
それまでの笑みを引っ込めると、蓮華は真顔に戻ってそう言った。
その顔の真剣さに、逆に僕の方が怯んでしまう。
そんな僕に、蓮華はズイッと顔を寄せてきた。
「―!?」
距離が近い。
お互いの顔に、お互いの吐息が届く。
シャンプーだろうか。微かに甘い香りがする。
・・・不覚にも、心臓がバクバクした。
「あたしは・・・」
間近で僕の瞳を見つめながら、蓮華は言う。
「あたしは・・・」
深い深い、漆黒の瞳。
ともすれば、それに吸い込まれそうになる意識を、僕は必死で立て直した。
と、突然真顔だった蓮華の相好が崩れた。
180度、クルリと反転するその表情。
「へ・・・?」
思わず唖然とする僕に向かって、黄色い声でこう言った。
「戎崎先輩に恋する、一人の乙女でーす!!」
・・・は?
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
お互いが、その格好のまま、しばし固まる。
そして―
「・・・っざけんなー!!」
キレた。
そりゃもう、盛大にキレた。
「てめぇ、人が大人しくしてりゃいい気になって!!何が「恋する、一人の乙女でーす!!」だ!!」
僕は、これでもかと言うくらいの大声で怒鳴った。
実際、ここまで頭に血が上った事は近年、覚えがない。
だけど、僕の剣幕にも蓮華はまるで動じない。
「やだー、先輩、ホンキで怒ってるー。」
などと言いながら、軽くステップを踏むようにして僕から離れる。
「おいコラ、待て、ちゃんと約束守れよ!!」
「守ってますよー。ほら、如月蓮華は戎崎裕一に恋してまーす。戎崎裕一は如月蓮華にとって一生の伴侶になる人でーす。」
そんな事を大声で喚きながら、蓮華は逃げ回る。
だんだん、別な意味で顔に血が上ってきた。
「如月蓮華の心は戎崎裕一のものでーす!!如月蓮華は戎崎裕一の全てを求めてまーす!!」
おいコラやめろ!!そんな事大声で喚くなって!!
僕は別な意味でむきになって蓮華を追い回すが、その動きは速い。
さっぱり捕まらない。
そうやって散々僕を引っ掻き回すと、蓮華は空の弁当箱を手に取りって屋上の出口へと向かった。
「お・・・おい・・・!!」
そして、開け放たれたドアの前でクルリとターンすると、息も絶え絶えになった僕に向かってこう言った。
「怒った顔もチャーミングですよ。せ・ん・ぱ・い・♡」
絶句する僕の前で、ケタケタという笑い声と軽い足音が遠ざかっていく。
「―――っ!!」
僕はその場に座り込むと、汗だくの顔で空を仰いだ。
仰いだ視線の先で、僕を嘲笑うかの様に烏が鳴いた。
・・・これが、今日僕が犯した失敗の一部始終だ。
散々手の上で踊らされた挙句、残ったのは蓮華の弁当を食ってしまった(美味かったと言う感想付き)という“既成事実”だけ。
馬鹿である。
愚かである。
浅慮と言われても、阿呆と言われても、反論のしようがない。
僕は、何処かで如月蓮華という女を甘く見ていたのだろう。
所詮、自分より歳の浅い小娘と甘く見ていたのだ。
相手は、あの里香と向こうを張って譲らなかった相手だと言うのに。
・・・などと、今更後悔しても仕方ない。
その後の、午後の授業の記憶が僕にはない。
周りの視線がより痛いものになっていた様な気もするが、それも問題にはならなかった。
何故か。
怖かったのだ。恐ろしかったのだ。
自分が犯した愚行の結果が。
事実が。
里香に知れてしまう事が。
正直、放課後など来なければ良いと思った。
放課後が来れば、里香はいつも通り僕を待っているだろう。
里香と会えば、やっぱりいつも通り一緒に自転車置場に向かう事になる。
そして、そこには間違いなく、“アイツ”がいる筈で―
ああ、もういっそ全てを放り出して、逃げてしまおうか。
―出来る筈もない。
里香が待っている。
僕の事を微塵も疑わず、里香は待っているのだ。
せめて僕は、残りの時間がゆっくりと流れる事を祈った。
だけど、時間という人事不介入の代物が、一高校生の小僧相手に都合を変えてくれる筈もない。
結局、終業の時間はいつもどうりに来てしまったのだった。
―11―
カツ カツ カツ
廊下に響く、僕の足音。
ドクン ドクン ドクン
それに同期する様に響く、僕の鼓動。
今は放課後で、周りには沢山の生徒達がいて、それなりに騒々しい筈。
なのに、その喧騒が全然耳に入ってこない。
頭の中に響くのは、僕自身の足音と鼓動だけ。
いつもと同じ廊下の筈なのに、酷く長く感じる。
どうせなら、いっそこのまま永遠に続けば良いのにとか思ってしまう。
だけど、現実は非情だ。
やっぱり廊下には終わりがあり、その続きの階段にも終わりがある。
階段を降りる時など、この階段が奈落の底まで続いていればとか思えたものだけど、結局何という事もなく下についてしまった。
後はもう、昇降口に向かうしか道はない。
僕は一人溜息をつくと、残り僅かな道程を歩き始めた。
昇降口に着くと、そこではもう里香が待っていた。
乾いた喉が、ゴクリと鳴る。
「お、おう、待ったか?」
務めて平静を装いながらそう言うと、
「うん。待った。」
などと返された。
相変わらず、遠慮がない。
「遅かったね。どうしたの?」
「い、いや、今日は日直でさ、帰り際に先生に用事頼まれちゃってよ。まいったよ、ホント。」
事前に用意していた言い訳を口にする。
自然に自然にと思っていたが、かえってそれがいけなかったらしい。空気が喉で絡まって、裏声みたいな変な声が出てしまった。
マズイ。不審に思われたか!?と全身冷や汗もので里香の反応を待ったが、里香は「ふーん。」と気のない返事を返してくるだけだった。
どうやら、感づかれなかったらしい。
内心で胸を撫で下ろす。
その後も当たり障りのない話題で場を持たせるが、里香は「ふーん。」とか「そう。」などと言った話題の中身に相応しい気の抜けた返事を繰り返した。
この様子から察するに、昨日の出来事がまだ尾を引きずっている様だと僕は考えた。これなら、今日の昼の事は里香の耳には入っていないと考えて差し支えないだろう。
とりあえず、僕はホッとする。
しかし、こんな事で間を稼げるのもあとほんの少しの間だろう。
もう少しで自転車置場に着く。着けば、ほぼ確実に蓮華(あいつ)が待っている。そして蓮華(あいつ)の事だ。昼の出来事を洗い浚いぶちまけてくるに違いない。それも、得意気に。
その時に見せられるであろう、蓮華の勝ち誇った悪魔の様な笑顔がリアルに浮かんできて、頭がクラクラした。
もしそうなったら、里香はどんな反応を示すのだろう。
怒るだろうか。
それとも、呆れるだろうか。
まさか、泣きはしないだろう。
とにかく、僕にとって決して愉快な事にならないのは確定事項だ。
もういっそ、自転車置場に行く事を止めてしまおうか。
そうすれば、(多分)蓮華(あいつ)には会わずに済むだろう。
そうだ!!そうしよう!!里香には健康の為だからたまには歩いて帰ろうとか言って・・・。
いいや、駄目だ。唐突にそんな事を言い出せば、里香が不審に思うに決まっている。
自分で藪を突いて蛇を出してたら世話もない。
しかし、このまま行ったら行ったで、待っているのは悪魔(蓮華)の待つ本当の修羅場。
行くも地獄引くも地獄。
八方塞とはこの事だ。
元はと言えば自分で撒いた種とは言え、一体何の因果でこんなに寿命を削る様な思いをしなければならないのか。
もし運命の神様なんてものがいるのなら、その胸倉を掴んで10回ぐらいぶん殴ってやりたい気分だ。
そんな事をとりとめなく考えている内に、とうとう自転車置場に着いてしまった。
もうどうしようもない。
僕は覚悟を決めた。
―だけど、奇跡は起きた。
理由は分からない。
ひょっとしたら、さっき10回ぶん殴ると脅しをかけた運命の神様が、そりゃ敵わんと気を利かせたのかもしれない。
とにかく、奇跡は起きたのだ。
そう。その日、如月蓮華は自転車置場に現れなかった。
僕は浮かれていた。
有頂天になっていたと言ってもいい。
とにかく、目の前まで迫っていた地獄。それが、向こうから避けてくれたという事が嬉しくて仕方がなかった。
落ち着いて考えれば、事が先延ばしになっただけ。事態そのものは全く解決していない。けれど、今の僕には当座の問題がなくなっただけで御の字だったのだ。
「いやぁ、変な奴も出なかったし、今日は良い日だったなぁ。」
自転車置場から校門への道程をカラカラと自転車を押しながら、僕は傍らを歩いている里香に言った。
「・・・うん・・・。」
「全く、いい加減蓮華(あいつ)にはウンザリだったもんな。」
「・・・うん・・・。」
「だけど、本当どうしたんだろうな。今日に限って。」
「・・・・・・。」
「ひょっとしたら、あんまりはしゃぎ過ぎて鬼大仏に目でもつけられたんじゃねえか?今頃、生徒指導室で絞られてたりして。」
狭い個室の中、鬼大仏と差し向かいで座らせられている蓮華の姿が頭に浮かんだ。
何をしでかしたは知らないが、とにかく鬼大仏の逆鱗に触れた蓮華は椅子の上に小さくなって座っている。
いつもの小生意気な雰囲気はスッカリ影を潜めて、目印のサイドポニーも見る影もなくしょぼくれている。
鬼大仏がドンと机を叩き、バッカモーンと怒鳴る。その剣幕に蓮華はすくみあがり、すいませんすいませんと頭を下げまくるのだ。
いいぞ!!鬼大仏!!いや、ここは敬意を込めて近松覚正と呼ばせてもらおう。もっとやれ!!その悪魔をもっと凹ませてやれ!!
その様子を想像して、僕はウハハと笑った。
・・・全く、僕は浮かれまくっていた。
浮かれて浮かれて、周りが目に入っていなかった。
だから、気付かなかった。
傍らを歩く里香の様子が、いつもとは違う事に。
校門についた僕は自転車にまたがると、里香に荷台に乗る様に促した。
「ほら、乗れよ。」
でも、里香は動かない。
「どうした?乗れってば。」
だけど、やっぱり里香は動かなかった。
さすがに不審に思った僕が、もう一度言おうとしたその時、
「・・・裕一、言わないんだね・・・。」
里香が唐突に口を開いた。
「え、な、何をだよ?」
戸惑う僕を悲しげに見つめると、里香ははっきりと次の言葉を口にした。
「―今日のお昼、あの娘と何してたの?」
それを聞いた途端、僕の浮ついていた気持ちは、真っ逆さまに地へと落ちていった。
ガシャンッ
うろたえた僕の手から離れた自転車が、派手な音とともに地に倒れた。
「ど、どうしてお前・・・」
「今日のお昼、あの娘と一緒に行ってたよね?屋上。」
「ま、まさか・・・」
嫌な予感が、僕の胸を過ぎる。
「うん。見てた。」
「―――っ!!」
確かに、里香達一年生の教室は僕達二年生の上の階にある。屋上に行くにはどうしても通らなきゃならない。
という事は、当然一年連中にはその姿を見られる可能性がある訳で―
―迂闊だったとしか言い様がない。蓮華の事ばかりに気を取られて、周囲の事にまで気が回らなかった。
「あ、あれは、その・・・」
まともに答える事も出来ず、しどろもどろになる僕に向かって里香はさらに言い募る。
「食べたんだね。あの娘のお弁当。」
僕は、全身の血が下がるのを感じた。
「い、いや、あれは蓮華(あいつ)に迫られて無理やり・・・」
「でも、“美味しかった”んでしょう?」
「んな・・・!?」
息を呑む僕。
里香は表情を変えず、淡々と語る。
『聞こえたもん。『美味かった!!』って。」
「き・・・聞いてたのか・・・!?」
そこで初めて、里香は僕から目を逸らす様に顔を伏せた。
「・・・あたし、いたもの。屋上の、ドアの裏に・・・」
冗談でも比喩でもなく、本気で目眩がした。
・・・当然と言えば当然かもしれない。里香だって、一人の女の子なのだ。
いくら、他の女子より知恵が回るとしても。
いくら、他の女子より精神が成熟してるとしても。
その本質は、一人の少女に過ぎないのだ。
つきあってる男が、他の女と、それもその男に好意があると公言している女と一緒にいるのを見て、気にするなと言う方が無理というものだ。
「聞いちゃった。全部。あの娘が言ってた事も。」
「・・・・・・!!」
里香の言葉に、僕は愕然とする。
「あの娘、大好きなんだね。裕一の事。」
「そ・・・それは・・・」
最悪の事実だった。
これならむしろ、自転車置場で蓮華に遭遇した方がまだましだったかもしれない。
それなら、いくら蓮華(あいつ)が騒ごうが所詮口だけの話。
幾らでも誤魔化しようがあっただろうに。
「嬉しかった?あの娘に“恋してる”って言われて・・・。」
「ち、違うぞ!!あれは蓮華(あいつ)が勝手に・・・!!」
言いながら、僕はこれでもかと言うくらい混乱していた。
どういう事だ!?
これでは、まるで蓮華が里香がそこにいるのを知りながら、あんな言動をとっていた様ではないか。
そこまで考えて、僕は心底ゾッとした。
そう。“知っていた”のだ。
蓮華は、あの場に里香がいる事を知っていた。
だからこそ、あんなに執拗に僕に「美味かった」と言う様に仕向けた。
だからこそ、あんなに派手に自分が僕を好きだという事を喚き散らした。
自分が聞きたいからではない。そして、僕に聞かせる為でもない。
全ては、“里香に聞かせる”為。
最初から計画していた事とは思えない。
多分、僕と一緒に屋上に行く途中で、里香が見ている事に気がついたのだろう。
それだけでその後の里香の行動を読み、即興でこんな計略を練り上げたのだ。
・・・狡猾なんて生易しいもんじゃない。それこそ、本当に悪魔の如き奸智だ。
「勝手にしては、随分嬉しそうだったよ?あの娘・・・。」
「違う!!違うって!!ほ、ほら、そこまで聞いてたんなら、あれも聞いてただろ?オレがキレてあいつに怒鳴ったの・・・」
溺れる中で藁を掴む様に、僕はその事実にすがった。だけど―
「じゃあ、何で話してくれなかったの?」
「―――!!」
里香の言葉に、僕は言うべき事を失った。
「話してくれれば、それで良かったのに。裕一、そうしなかった。隠そうとしたよね?触れないようにしたよね?どうして?」
怒鳴るでもなく、泣きじゃくるでもなく、ただ淡々と語る里香。
返す言葉が、僕にはない。
「・・・やましかったんだよね?後ろめたかったんだよね?だから、隠そうとしたんだよね?」
・・・そう。僕はやましかったのだ。後ろめたかったのだ。
くだらない好奇心に負けて、見え見えの罠にはまってしまった自分が。
どんな形であれ、里香を裏切ってしまった自分が。
賢しい里香の目には、さぞ滑稽に、そして情けなく映っていた事だろう。
ただ自身の保身の為だけに、事実を隠そうと必死で言葉を言い繕う僕の姿は。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
里香はもう、何も言わなかった。
僕はもう、何も言えなかった。
カツン
何処か重い足音を響かせて、里香が歩き出す。
「お、おい・・・!!」
「着いて、来ないで。」
慌てて追いすがろうとした僕を、里香の声が遮る。
「一人で、帰るから・・・。」
能面の様に表情のない顔でそう言うと、里香は振り返りもせずにツカツカと歩き出す。
どんどん遠ざかるその後姿を、僕はただ見送る事しか出来なかった。
周りで事の成り行きを見守っていた生徒達が、ザワザワとざわめき出す。
そのざわめきの中で、僕はボンヤリと考えていた。
あの時、蓮華が屋上から校舎の中に戻った時。
開け放たれたドアの裏に、里香はまだいたのだろうか。
もしそうだとしたら、蓮華はそこにどんな表情を向けていったのだろう。
優越?
嘲り?
それとも悪意?
僕の内に浮かぶどの顔も、怖気を振るう様な表情をしている。
あの綺麗な顔を歪に歪めて、ケタケタケタと笑うのだ。
その笑い声に、周りの連中のざわめきが重なる。
ああ、うるせえ。
うるせえよ。
耳を塞いでも、喧騒に混じる笑い声は消えはしない。
いつまでも止まないざわめきの中、僕はただただ、立ち尽くすだけだった。
続く
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