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2016年03月30日

想い歌・10(半分の月がのぼる空・二次創作)




 半分の月がのぼる空二次創作・「想い歌」、久々掲載です。


想い歌.jpg


       ―19―


 ガタンッ
 昏い教室の中に、乾いた音が響き渡る。
 教室の闇と同じ色に沈む瞳の下で、長い黒髪がパァッと床に広がった。
 闇の中、二人の少女が冷たい床の上で折り重なっていた。
 床に仰向けに倒れているのは、艶やかな黒髪を腰下まで伸ばした少女。
 その少女を組み敷き、馬乗りになっているのは、艶やかな黒髪を頭の脇で纏めた少女。
 上になった少女は、白いものを組み敷いた少女に向かって伸ばしていた。
 闇の中で生白く浮かび上がるそれは、彼女の両腕。
 延ばされたその先にあるのは、組み敷かれた少女の、首。
 白い両手から伸びた白い指が、細い首へと絡まりついている。
 その指が獲物を捕えた蛇の様に蠢く度、少女の首がキリリと軋んだ。


 ハア ハア ハア
 僕達は必死で走っていた。
 走りながら、どうしようもなく苛立っていた。
 校舎の三階。その端にある視聴覚教室。
 それが、こんなに遠くに感じられた事はなかった。
 いつまで走っても、たどり着かないのではないか。
 全てが終わってしまうまで、永遠に着く事は出来ないのではないか。
 そんな妄想が、頭をちらつく。
 「ちくしょう・・・あの野郎・・・!!」
 目の前を、蓮華の人を食った様な笑い顔がちらつく。
 それに向かって毒づきつつ、ひたすらに走る。
 「先輩!!ブツブツ言ってる暇があったら、黙って足、動かしてください!!」
 隣を走る吉崎が、荒い息をつきながらそう怒鳴ってくる。
 ああ、うるせえな!!
 言われなくたって分かってるよ!!そんな事!!
 怒鳴り返す暇もあらばこそ、僕は走る足になおいっそう力を込めた。

 
 いつしか日は沈み、視聴覚教室の中は闇に包まれていた。
 その闇の中で、如月蓮華は秋庭里香の首に手をかけていた。
 華奢な身体を組み敷き、その首に指を絡ませ、キリキリと締め上げていた。
 カフッ
 掴む指が軋む度、喘ぐ口から苦しげな呼気が漏れる。
 震える手が、こちらの手首を掴む。
 けれど、それは儚い程に力ない。幾ばくの抵抗にも、なりえはしなかった。
 せめてもの様に食い込む爪に、微かな痛痒を感じながら如月蓮華は思う。
 酷く柔らかで、細い首だった。
 このまま力を込めれば、窒息を待つ事もない。気管を潰し、頚椎までへし折る事が出来るだろう。
 実際、そうすべきなのかもしれない。
 自分は秋庭里香を敵視しているが、憎悪している訳ではない。
 それならば、いたずらに苦しませず一思いに楽にしてあげるべきではないのか。
 その思考に応じるために、絞める腕に力を込めようとする。
 しかし、手に震えが走り思う様に力が入らない。
 何を馬鹿な。
 ここに至って、自分は何を躊躇っているのか。
 決めたのではないのか。
 決意したのではないのか。
 あの人を。
 あの人を守ると。
 “今度こそ”、守って見せると。
 だから。
 だから。
 ”―もう、間違えない―”
 無理に押さえ込む、腕の戦慄き。そしてもう一度、力を込めようとしたその時―
 如月蓮華はそれに気付いた。
 否、それは今までも彼女の目の前にあった筈のものである。
 しかし、自分の気持ちの揺らぎを抑えるのに精一杯で気がつかなかった。
 それを、初めて意識が捉えた。
 ・・・秋庭里香が、彼女を見ていた。
 彼女に組み敷かれながら。
 首を絞められながら。
 命を、握られながら。
 苦しみに、喘ぎ。
 戦慄き。
 それでも。
 それでも。
 真っ直ぐに。
 逸らす事なく。
 彼女を。
 如月蓮華を、見つめていた。
 その瞳は、酷く透明で。
 澄み切って。
 まるで鏡の様に、如月蓮華の顔を映していた。
 そこに映りこんだ自分の顔を、如月蓮華は見る。
 黒く澄んだ鏡に映る、その姿
 左右の反転した、自分の顔。
 自分とは逆の、右の髪を結った顔。
 「――!!」
 如月蓮華の、呼吸が止まる。
 そこに。
 秋庭里香の瞳の中にいたのは。
 ずっと彼女が求めた、姿。
 だけどもう届かない、姿。
 そう。
 そこに、いたのは―


 ハァ ハァ ハァ
 その頃、僕らはようやく視聴覚教室の前へと着いていた。
 夜闇に沈んだ廊下の中で、ボンヤリと浮かび上がる教室の扉。
 中は、しんと静まり返っていて、物音一つ聞こえない。
 その事が、僕の不安を煽る。
 僕は教室の扉に飛びつくと、そのドアノブを力いっぱい捻った。
 だけど―
 ガチャッガチャッ
 ドアノブは鈍い音を立てるだけで、ビクともしなかった。
 「くそ!!鍵がかかってる!!」
 「そんな!?」
 「おい、本当に視聴覚教室(ここ)にいるのかよ!?里香達は!!」
 僕は吉崎に向かって怒鳴る。
 「ちょっと待ってください!!」
 そう言うと、吉崎は携帯を取り出して何やら操作すると、教室の扉に耳を当てた。
 なるほど。防音設備も入り口のドアまではされていない。ここからなら、中の音が幾ばくなりとも聞こえる訳だ。
 しばしの間。そして―
 「!!、少しですけど、着信音が聞こえます。やっぱり、先輩達はこの中にいます!!」
 吉崎が、確信を持った声で言う。
 しかし、そうなると事はやっかいだった。
 視聴覚教室は、使用されていない時には鍵がかけられている。
 里香と蓮華が視聴覚教室(この)中にいるという事は、そのどちらか(多分、蓮華)が職員室から鍵を借りるかくすねるかして戸を開けたという事だ。
 にもかかわらず、今こうして鍵がかかってるという事は、鍵は内側からかけられているという事。
 そして、おそらく肝心の鍵は開けたやつが持ったまま。
 つまりは、鍵はこの閉まった扉の向こうという訳だ。
 「おい、蓮華!!いるんだろ!?扉(ここ)開けろよ!!」
 僕は怒鳴りながら、教室の扉をドンドンと叩いた。
 だけど、当然というべきか返事はない。
 僕が歯噛みしていると、吉崎が「職員室に行って、スペアの鍵を借りてきます!!」と言って走り去っていった。
 ここは三階。職員室は一階。
 その移動の時間が勿体ない。僕は再び、扉を打つ。
 「蓮華!!里香もいるのか!?」
 やっぱり、答えはない。
 それでも僕は扉を叩き続ける。
 「蓮華!!里香に何かしてみろ!! 」
 その言葉が届いているのかいないのか。それすらも分からない。
 「許さねぇぞ!!いいか!!絶対に、許さねぇからな!!」
 僕の叫びは、空しく夜闇に溶ける。
 そして返ってくるのは、ただ沈黙ばかりだった。


 秋庭里香の携帯が鳴っている。
 教室の扉が、ダンダンと叩かれている。
 扉の向こうで、誰かが喚き叫んでいる。
 だけど。
 だけど。
 そのどれもが、今の如月蓮華の耳には入らない。
 彼女は見つめていた。
 自分が組み敷く秋庭里香の瞳を。
 否、その瞳に映るその姿を。
 黒い鏡に映る、その姿を。
 如月蓮華は、ただ見つめる。
 二度と見る事の叶わない、その顔を。
 二度と触れる事の叶わない、その顔を。
 彼女の手はもう、秋庭里香の首にはかかっていない。
 力なく垂らされたその手が、秋庭里香の頬に添えられる。
 まるで、その瞳の中に映る“彼女”に触れようかとするかの様に。
 「・・・何で、泣いてるの・・・?」
 呟く様な声が、その口から漏れる。
 「何で・・・泣いてるのよ・・・!?」
 そう。“彼女”は、泣いていた。
 その漆黒の瞳から雫をこぼして。
 濡れた瞳で、彼女を見つめて。
 「何で・・・?どうして・・・?」
 秋庭里香の顔に、パタパタと水滴が落ちる。
 ・・・如月蓮華が、泣いていた。
 その漆黒の瞳から雫をこぼして。
 濡れた瞳で、“彼女”を見つめて。
 「あたしは・・・あたしは、“あんた”の、ために・・・」
 “彼女”は、答えない。
 ただ。
 ただ、潤む瞳で彼女を見つめるだけ。
 「・・・違うの・・・?」
 如月蓮華の唇が、そう言葉を紡ぐ。
 震えながら。
 消え入りそうな声で
 “彼女”に向かって、呟く。
 「・・・違うの・・・?」
 戦慄く言葉。
 それが、闇に溶けていく。
 「・・・あたしの・・・あたしのしてる事は・・・?」
 如月蓮華の身体から、力が抜ける。
 糸の切れた人形の様に、その身が秋庭里香の上に崩れ落ちた。
 「・・・あたしは・・・あたしは・・・」
 呟く声が、嗚咽に詰まる。
 如月蓮華は、いつしか声を上げて泣いていた。
 秋庭里香の胸に顔を埋め、その身を大きく震わせて。
 全てをさらけ出す様に、泣いていた。


 その時、奇妙な事に秋庭里香は恐怖を感じてはいなかった。
 苦しみはあった。
 痛みもあった。
 けれど。
 暴威によって、組み敷かれていたにも関わらず。
 殺意を持って、首に手をかけられていたにも関わらず。
 確かに、命を握りつぶされようとしていたにも関わらず。
 悲鳴を上げる身体に反し、その心は波をうった様に静かだった。
 如月蓮華の瞳に滾る、暗い焔も。
 そこに宿る確かな狂気も。
 酷く冷静に、受け止める事が出来た。
 だから、見返す事が出来た。
 泣く事も。
 叫ぶ事もなく。
 ただ真っ直ぐに。
 如月蓮華の瞳を、見返す事が出来た。
 霞む視界の先で、見つめたそれは。
 泣いていた。
 秋庭里香の首に指を絡めながら、その目からは涙が溢れ、こぼれていた。
 何を、泣いているのだろう。
 今、自分が望む事に手をかけているのは、彼女だろうに。
 やがて、如月蓮華がぽそりと言った。
 「・・・何で、泣いてるの・・・?」
 何を言っているのだろう。
 泣いているのは、自分ではないか。
 そこで、秋庭里香は気付く。
 彼女の、如月蓮華の瞳が真っ直ぐに自分の瞳を見つめている事に。
 何を、見つめているのだろう。
 自分の瞳の中に、彼女は何を見ているのだろう。
 やがて、首に絡み付いていた圧力がゆっくりと緩んでいく。
 首から外れた手が、彼女の涙で濡れた頬に当てられる。
 頬を撫でさするその手は、優しかった。
 まるで、何か愛しい者に触れるでもするかの様に。
 その間、如月蓮華はずっと何かを口にしていた。
 その言葉の意は、秋庭里香には図りかねた。
 ただ、そこに込められた痛みだけが、頬に触れる手を通して伝わってきた。
 やがて、何かの糸が切れたかの様に、その身体が崩れ落ちてくる。
 ・・・自分の胸に顔を埋めて、嗚咽を漏らし始める如月蓮華。
 そんな彼女の頭に、秋庭里香はそっと手を伸ばす。
 震える髪を撫でると、サラサラとした感触が手を伝わった。
 自分を撫でる秋庭里香にしがみ付き、如月蓮華は子供の様に泣きじゃくる。
 ああ、終わったのだ。
 その事を、秋庭里香はおぼろげに、だけど確かに悟った。


 「この・・・」
 もう、我慢の限界だった。
 スペアキーを取りに行った筈の吉崎は、まだ戻ってこない。
 ひょっとしたら、先生達への説明に手間取っているのかもしれない。
 それを、悠長に待ってなんかいられない。
 今こうしてる間にも、里香がどんな目に合わされているか分かったものではないのだ。
 僕は腹を据えた。
 扉を破ろう。
 そう決意し、相変わらずだんまりを続ける扉から距離をとる。
 果たして、それは僕の力で可能なのかは分からない。
 司や鬼大仏ならともかく、僕ではあえなく跳ね返されるだけかもしれない。
 けど、それがどうしたというのだ。
 一度で敵わないなら、二度三度と繰り返すまでだ。
 肩が壊れても、いや、壊れたって続けてやる。
 僕は息を吸って腹に力を溜めると、扉に向かって突進した。
 「デェエエエエエエエッ!!」
 雄叫びと共に、扉が迫る。
 ―と
 ギィ
 そんな音を立てて扉が開いた。
 「―え?」
 慌てて止まろうとしたが、ついた勢いはそんな簡単には止まってくれない。
 「ウ、ウワァアアアアアアッ!?」
 ドガラガッシャーン
 結局、僕はそのまま室内に突入して、中の机や椅子の群に激突する事と相成った。
 「い・・・痛たたた・・・」
 「何してるの?裕一。」
 「り・・・里香・・・?」
 開いた扉の影で、里香が馬鹿でも見る様な目で机や椅子の山に埋まった僕を見ていた。
 「だ・・・大丈夫か?」
 「何が?」
 「いや、だってお前・・・」
 痛む頭をさすりながら、机と椅子の山から這い出した僕の目に、傍らの暗がりで佇む蓮華の姿が映った。
 「――っ!!てめぇっ!!」
 考えるより先に手が動いた。
 蓮華の胸倉を掴もうと手を伸ばす。
 だけど―
 「駄目!!」
 里香の声に、僕の手が止まる。
 「里香・・・?」
 「もういいよ。裕一。」
 「もういいって・・・?」
 「もう、終わった。」
 何でもない事の様に、里香が言った。
 「終わった・・・?」
 その言葉に、改めて蓮華を見る。
 ・・・その目から、あの沸々と滾る暗い輝きが消えていた。
 光が失せたそれは今、酷く空虚で、まるでがらんどうの様だった。
 昨日とは、まるで別人の様だ。
 「お前、何かしたの・・・?」
 「何もしてない。だけど、終わった。」
 僕の問いに、里香はただ淡々と答える。
 「終わったって・・・」
 納得のいかない僕が、さらに訊こうとした時―
 「あれ・・・?先輩・・・?」
 そんな、どこか間の抜けた声が聞こえてきた。
 それに振り返ると、そこには汗だくで息を切らす吉崎が鬼大仏と一緒に立っていた。
 吉崎、遅ぇよ。
 って言うか、余計なヤツまでつれてくんなよ。
 「お前ら!!何をやっとる!?」
 開口一番、鬼大仏は僕達を怒鳴りつけた。


                                続く
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