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2015年10月03日

想い歌・2(半分の月がのぼる空二次創作)




 はい、こんばんは。
 「半分の月がのぼる空」二次創作、「想い歌」二夜目です。
 先に申しました通り、今作は先に書いた「恋文」のリメイクになります。
 あまり修正箇所のない前半はサクサク進みますが、後半につれてペースが落ちると思われw
 ご了承くださいな。
 ではでは。


想い歌.jpg


                    ―5―


 罪とは何だろう?
 社会の秩序に反する事?
 人の道義から外れる事?
 確かに、それは罪なのだろう。
 だからこそ、それを成せば裁かれ、罰せられるのだから。
 だけど、罪とはそれだけなのだろうか?
 万人が見とめ、万人が認めるものだけが罪なのだろうか?
 否。
 例え、万人が罪と認めなくとも。
 例え、万人がそれを否定しても。
 存在する罪はある。
 例えそれが、皆が賛美する美談であったとしても。
 そこには必ず、罪があるのだ。
 日の光の下に、ひっそりと、だけど必ず影が出来る様に。
 皆が見つめる光の裏に、必ずそれはあるのだ。
 そして、例え当人達がそれを知らないとしても。
 例え当人達がそれを承知で受け入れているとしても。
 ―罪は、罪―
 ならば、裁かれねばならない。
 なぜならそれは、罪なのだから。
 まごうことなき、罪なのだから。

 ―罪は、罰せられなければならないのだから―


 ピピピッピピピッピピピッ
 薄暗い部屋の中に、無機質な電子音が響く。
 それはその音と同様に、酷く味気ないデザインの目覚まし時計が喚く音。
 けれど、それに起こされるべき者はもういない。
 この部屋の主は、もうとうに起きていた。
 否、ひょっとしたら、寝てすらいなかったのかもしれない。
 腰掛けたベッドの上。時計に向けた目には、眠気の欠片も見て取れない。
 ス、と伸びる手。目覚まし時計の頭にかかる。
 カチリ
 首り殺す様にスイッチを押され、目覚まし時計はその声を止めた。
 ギシリ
 ベッドのバネが軋る音。
 立ちこめる薄闇の中、“彼女”は踊る様に身を揺らして立ち上がる。
 タン
 タン
 タン
 リズムを刻む足取り。
 歩み寄る先は、部屋の隅にある勉強机。
 ♪♪♪〜♪♪♪♪〜♪♪♪〜♪♪♪♪♪〜
 その口から静かに漏れるのは、鈴音の様に澄んだ声。
 確かな音程を持って流れるそれが、歌である事を察するのに時間はかからない。
 口ずさみながら、覗き込む
 机の上には、数枚の写真。
 どれもこれも、写っているのは一人の少年。
 撮られているのに気付いていないのか、その視線はどれもあさっての方向を向いている。
 クラスの写真部の連中に、いくらか渡して撮らせたもの。
 細い指が、その内の一枚を拾い上げる。
 ―罪がある。
 例えそれが、皆が賛美する美談でも。
 日の光の下に、ひっそりと、だけど必ず影が出来る様に。
 必ずそれはある。
 例え、当人達がそれを知らないとしても。
 例え、当人達がそれを承知で受け入れているとしても。
 ―罪は、罪―
 罪は、罰せられなければならない。
 けど。
 それならば。
 止めてあげればいい。
 罪が、罪となる前に。
 彼らが最後の一歩を踏み出してしまう前に。
 止めてあげればいいのだ。
 そう。
 まだ間に合う。
 まだ、大丈夫。
 準備は万端。
 宣戦布告もすませた。
 後は、繰り糸を上手く紡ぐだけ。
 「♪・・・君を守る その為ならば・・・♪」
 たおやかに歌いながら、彼女は微笑む。
 「♪・・・僕は 悪にだってなってやる・・・♪」
 そう紡いで、如月蓮華は写真の少年、戎崎裕一にそっとキスをした。


 「何なんだよ!!一体!!」
 その日、僕は学校に着くなりそう叫ばざるをえなかった。
 そもそも、登校中からして何かおかしな感じだった。
 いつも通り、里香と登校していた僕は、周りから妙に痛い視線がチクチクと刺さってくる事に気がついた。
 見回して見れば、あっちこっちで学校の連中が僕らを見ている。
 こちらを見ながらヒソヒソと陰口をたたいてるっぽい女生徒がいるかと思えば、今にも殴りかかってきそうな形相で睨んでいる男子生徒もいる。
 「・・・何だか、様子がおかしいね。」
 里香も気付いたらしく、そんな事を言ってくる。
 「・・・だよな。何か、あったのか?」
 そんな事を言ってみても、答えが出るわけでもない。
 妙な居心地の悪さを感じながら、僕達は学校に着いた。
 着いたはいいが、そこでまた仰天した。
 僕の靴箱に、ベタベタと沢山の紙が貼り付けられていたのだ。
 その紙にはみんな、
 『不誠実者!!』
 『色ボケ!!』
 『色魔!!』
 『色事師!!』
 『二股野郎!!』
 などといった罵詈雑言が書き連ねられていた。
 僕が呆然としていると、その向こうでは里香が数人の女生徒に囲まれていた。
 耳を澄ましてみると、
 「先輩、二股かけられてたって本当ですか!?」
 「酷いですよね!?そんな男(ひと)こっちから捨ててやりましょう!!」
 「先輩、どこまで許しちゃったんですか!?キスまで!?まさか、一番大事なものまで・・・」
 などと、これまたとんでもない事を口々に言っている。
 さすがの里香も困惑した様子で、一々対応に苦慮している様だった。
 本当に、何なんだ!?


 事態は教室に行っても同じだった。
 クラス全員の視線が痛い。
 針の筵とは、まさにこの事だ。
 一時間目の休み時間。それまでの精神的重圧に耐えかねて机に突っ伏していたら、一人の男子生徒がズンズンと近づいてきた。
 その顔には覚えがあった。
 以前、僕が里香と付き合ってるのか聞いてきたヤツだ。確か、伊沢・・・とか言ったっけ。
 そいつは僕の前まで来ると、突然バンッと机を叩いた。
 「な、何だよ!?」
 驚いてそう言うと、伊沢は僕をギッと睨みつけて喚き出した。
 「何で浮気なんかしたんですか!?」
 「はぁ?」
 「何が『はぁ』ですか!!知ってるんですよ!!戎崎さんが、一年の如月と付き合ってるって!!」
 「お、おいおい!!」
 「酷いじゃないですか!!先輩が・・・秋庭さんという女(ひと)がいながら!!先輩が秋庭さんと結婚してるっていうから、僕は・・・僕は・・・!!」
 そう言って、机の上に泣き崩れてしまう。
 それに同意するかの様に、周囲から降ってくる視線。女子からは軽蔑。男子からは敵意。
 オイオイと泣く伊沢を前に、僕はただ途方にくれるだけだった。


 「お、来やがったな!!不貞のやか・・・グベェ!?」
 二時間目の休み時間。顔を合わせるなりくだらない事を言おうとしてきた山西を、それまでの鬱憤を込めた空手チョップで沈めると、僕は大きな溜息をついた。
 「何か、大変な事になっちゃってるね。」
 床に伸びる山西を無視して、みゆきがそんな事を言ってくる。
 「下(うち)のクラスでも凄い噂だよ。戎崎が秋庭と如月を二股かけてたって。」
 司もそう言って、困った様な顔をする。
 「・・・そんな訳ねぇだろ・・・。」
 「一体、何があったのよ?」
 疲れた様に壁に背もたれる僕に、みゆきが訊いてくる。
 「実は・・・」
 僕は、昨日の放課後にあった事を話した。
 それを聞いたみゆきは、両腕を組んで「う〜ん」と唸った後、こう言った。
 「ひょっとして、ハメられたんじゃない?」
 「・・・え?」
 訳が分からないと言った顔の僕に向かって、みゆきは続ける。
 「その娘が裕ちゃん達に絡んで来た時、周りにはどれだけ人がいた?」
 「どれだけって・・・」
 何と言ったって、放課後の自転車置場である。それなりに、人はいた。
 「里香ってさ、人目を引くじゃない。多分、その場でも周りにいた皆は多少なりとも、気にしてたと思う。」
 うんうん、と頷く僕達。
 「そこに、別の女の子が割って入ってきて、何やら言い合った挙句、裕ちゃんにキスして走ってっちゃった。周りからしたら、どう見える?」 
 「どうって・・・」
 「そりゃ・・・」
 黙りこくる僕達。
 確かに、答えは明白かもしれない。
 しかし―
 「だ、だけどさ、そんなもん、それまでの話聞いてりゃ分かるじゃねぇか!?オレ達がどんな関係かって・・・」
 「周りに人が多けりゃ、それなりにザワザワするし。そんな中でいくら目端で気にしてたって、本人達の会話にまで聞き耳立てたりすると思う?」
 「う・・・」
 答えに詰まる僕に向かって、みゆきは溜息をつく。
 「後は簡単。それを見てた連中がメールや電話で友達に話して、後はその繰り返し。その内に、伝言ゲームみたいに話に尾ひれがついて・・・」
 「今みたいになったってか・・・?」
 僕は頭を抱えた。
 なるほど。話の筋は通っている。しかし、そこまで計算して事を進めたというのなら、とんでもない狡猾さだ。
 その歳に似合わない計算高さは、どこか里香に通じるものがあるかもしれない。
 だけど―
 僕を見上げる、如月蓮華の瞳が思い出される。
 里香と似ていて、それでいて全く違う、仄暗い強さ。
 改めて思えば、十六やそこらの小娘が、あんな目を出来るものだろうか。
 今まで僕や里香に関わりあってきた人間の中にも、あんな目をしている人達はいなかった。
 クラスメートはもちろん、父親や母親、夏目や亜希子さんといった大人にも、あんな目を持つ者はいない。
 と、ふと何かが頭の隅に引っかかった。
 いや、知っている。
 僕はあの目を、あの仄暗さを宿した目を知っている。
 誰だ?
 考えても、思い出せない。
 一体誰だったろうか。
 僕がそんな事を考えていると、
 キーンコーンカーンコーン
 休みの終りを告げるチャイムが鳴った。
 「あ、もう教室に戻らないと。」
 司が言った。
 「じゃ、裕ちゃん、あたしの方でも如月蓮華って娘の事、調べて見るから。」
 言いながら、みゆき達は階段を下りていく。
 僕も大きく溜息をつくと、自分の教室へと足を向けた。
 またあの針の筵の中へ戻らなければならないかと思うと、正直気が重かった。
 しかし、だからと言って留年の身でそうそうサボる訳にもいかない。
 トボトボと教室に向かう僕。
 そして後には、床に白目をむいて伸びる山西だけが残された。



                    ―6―


 キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン
 校内に、昼休みを知らせるチャイムが響く。
 僕はやれやれと溜息をつくと、弁当を取り出した。
 午前中にこうむった精神的疲労のおかげで、完全にエネルギー不足だ。
 ここでしっかり補給しておかないと、後が持ちそうにない。
 さて、何処で食べようか。
 正直、教室(ここ)では食べたくない。っていうか、この状況下では何を食っても味がしそうにない。
 司達の所にでも行こうか。それともいっそ、人気のない屋上にでも行って・・・
 思案にふけっていたせいで、気付かなかった。
 教室の連中がざわめく声にも、近づいて来る足音にも。
 シャッ
 突然ヘビの様に伸びてきた手が、僕の手から弁当を奪い取る。
 「!!」
 驚いて見上げた僕の目に飛び込んできたのは、綺麗にサイドで纏められた黒い髪。
 「こんにちは。先輩。」
 妖しい微笑みを浮かべて、如月蓮華がそこに立っていた。


 「な・・・何だよ、お前!?ここは二年の教室だぞ!!何で一年のお前がいるんだよ!?」
 「休憩時間に、下級生が上級生の教室に来ちゃいけないなんて校則、ありましたっけ?」
 ニコニコと微笑みながら、ケロリとしてそんな事を言う。
 そりゃ、そんな校則ないけどさ・・・。
 普通、下級生は上級生のエリアになんか足を踏み入れたがらない。特別な圧迫感というか何と言うか、そういったものがあって二の足を踏むものだ。
 なのに、この如月蓮華にはそういったものをまるで気にする様子がない。
 まるで当然と言うように、上級生の只中に凛と立っている。
 やっぱり、こいつは何かが違う。
 僕がそんな事を考えている内に、教室の中が騒がしくなってきた。まぁ、昼休みの教室というのは概して騒がしいものだけど、そんな有体の騒がしさではない。皆の視線が痛い。ヒソヒソと囁きあう声も耳に障る。
 ・・・まずい。このままではまた余計な噂を立てられる。
 僕は、相変わらずニコニコと笑っている蓮華に向かって怒鳴った。
 「一体何なんだよ!?オレには、お前なんか相手にする気はないって言っただろ!?早く自分の教室に帰れ!!っていうか弁当返せ!!」
 「やですよー♪“これ”はあたしがいただきます。」
 僕の言葉を揶揄する様な口調でそう言うと、蓮華は僕の弁当を持つのとは別の手を出してきた。
 ポトン
 そんな音とともに、僕の目の前に落とされたもの。それは可愛い柄の入ったピンクの布に包まれた弁当箱だった。
 「先輩はこれ食べてください。あたしの手作り。“愛妻”弁当です。」
 “愛妻”の所をこれでもかってくらい、強調して言いやがった。
 「ん”な・・・!?」
 「それでは。」
 言葉を失う僕の前で、蓮華はクルリと踵を返す。
 そのまま踊る様なステップで教室の出口に向かうと、そこでまたクルリとこっちを向いて、大きな声でこう言った。
 「ちゃんと食べてくださいね。でないと、午後の授業に響きますよー。」
 そして唖然としている僕達(ようするにクラスの連中)を尻目に、またあのステップを踏む様な足取りで去って行ってしまった。
 「・・・・・・。」
 そして、絶句する僕に残されたのは、可愛い布に包まれた“自称”愛妻弁当と、さらに圧力を増して周りから降り注ぐ、侮蔑と殺意(もはやそう言ってもいいレベル)の視線だった。
 結局、僕は残り二時間の授業を空腹を抱えたまま過ごすハメになったのだった。
 え?弁当はどうしたのかって?
 喰う訳ないだろ!!そんなもん!!

 
 「ああ、腹減った・・・。」
 その日の放課後、いつも通り昇降口で里香と落ち合った僕は、その足で自転車置場に向かった。
 「大丈夫?裕一。」
 空腹でフラフラしている僕を、里香が心配(?)そうに見ている。
 「大丈夫じゃない。問題だ。」
 そう言う僕を見て、里香は溜息をついて言った。
 「しょうがないなぁ。それじゃあ、帰りに伊勢うどん、奢ってあげるよ。」
 「え?本当か!?」
 「うん。ただし、並盛り一杯だけね。」
 「充分だよ。サンキュ。」
 「どういたしまして。」
 微笑む里香。ああ、それを見るだけで、今日一日の心的疲労が癒される。
 デレ〜としながら微笑み返そうとした時、ふとある事が思い至った。
 今日一日、僕がどんな目にあったかは御存知の通り。
 でも、それなら里香はどうだったのだろう。
 「里香、そう言えばお前の方はどうだったんだ?何か変な目に合わなかったか?」
 僕の問いに、里香は少し考えて「うん。」と頷いた。
 「ええ、どんなだよ!?今朝みたいに、他の連中に纏わりつかれたりしたのか?」
 「それはずっと。休憩に入る度に色々聞かれた。それと・・・」
 「それと?」
 「告白、された。」
 「えぇ!?」
 里香の言葉に、僕は飛び上がらんばかりに驚いた。
 「だ、誰にだよ!?」
 「ええと・・・、二年の青木君に、三年の渡辺君に加々美君。」
 三人もかよ・・・。
 って言うか、三年が二人って何だ!?
 そんな事にうつつぬかしてないで、受験勉強してろ、馬鹿!!
 唖然とする僕の横で、里香はクスリと笑う。
 「面白かったよ。三人とも、判で押したみたいに同じ事言うんだもん。」
 「同じ事?」
 「うん。『戎崎の様に二股をかける様な男は君にふさわしくない。僕だったら君だけを大切にしてみせる』って。」
 ただでさえ空腹でフラフラする頭が、ますますクラクラしてきた。
 「そ、それで、お前、何て答えたんだ!?」
 「何て答えたと思う?」
 裏返った声で問う僕の様子が面白いのか、里香はクスクス笑いながらそんな事を言った。
 「何て」って、そりゃお前・・・。
 「大丈夫。皆、断ったから。」
 その言葉にホッとしつつも、僕の心中は穏やかではなかった。
 前にも言った様に、里香に惚れてる奴らは多い。
 どうやら、そういった連中が僕の二股疑惑に便乗して動き出したらしい。
 恐らく、今日はほんの小手調べ。
 明日以降は、そうやって里香にアプローチしてくる奴らがさらに増えるに違いない。
 そんな連中、里香が相手にする筈がないと分かっていつつも心中穏やかとは言い難い。
 「大丈夫か?うざったくないか?」
 「うん。」
 「迷惑だったら、言うんだぞ。」
 「うん。」
 そんな会話をしながら僕達が自転車置場にたどり着いた時、
 「そんなにフラフラして。だからちゃんと食べてって言ったのに。」
 不意に飛んできた、聞き覚えのある声。
 僕は頭を抱えたくなった。
 「何なんだよ!!ストーカーか!?お前は!!」
 自転車の前に、立っている如月蓮華に思わず怒鳴る。
 「ストーカーだって。あはは、酷いなぁ。」
 僕の怒声も何処吹く風と言った態で、蓮華は笑う。
 「何だも何も、お弁当箱返そうと思って待ってただけですよ。」
 確かにその手には、昼休みに奪っていった僕の弁当箱を持っている。
 「美味しかったですよ。お義母さん、お料理上手なんですね。」
 そう言いながら、弁当箱を僕の自転車のカゴにポスンと入れる。
 「いつ、オレのお袋がお前のお義母さんになったんだよ!!」
 「いいじゃないですか。いずれ、そうなるんですから。」
 「ならねえよ!!」
 怒鳴りながら、蓮華の弁当を突っ返す。
 「あれあれ?お口に合いませんでしたか。好きだって聞いてたのになぁ。ハンバーグ。」
 しれっと言いながら、弁当を鞄に入れる蓮華。僕の苛立ちはもうマックスだった。
 頭に浮かぶだけの罵詈雑言を吐き出そうとしたその時、
 「いい加減にしたら?少し、しつこいよ。」
 僕よりも先に、里香が口を開いていた。
 「裕一が迷惑してるし、あたしも迷惑してる。」
 ズイッと前に出ると、里香は真っ直ぐに蓮華を見つめ、そう言い放った。
 こんな時の、里香の目は強い。
 その目に見つめられると、大抵の連中は萎縮して何も言えなくなってしまう。
 だけど―
 「あは、初めて口きいた。」
 蓮華はその里香の視線を真正面から受け止めてなお、揺るがなかった。
 「口きけない訳じゃなかったんですねぇ。良かった良かった。」
 ケタケタと笑いながら、半目で里香を見つめる。
 「やっと土俵の上に上がってきてくれましたね。これで、組み合える。」
 その人を食った様な口調もそのまま、蓮華は里香に近づいて来る。
 蓮華の背丈は里香と同じくらいだ。目の前までくれば、自然と視線が合う。
 睨み合う形になる二人。
 ・・・何だろう。周囲の空気が一気に重くなったような、そんな気がする。
 得体のしれない怖気を感じ、思わず後ずさる僕。
 「組み合うとかなんとか、そんなの知らない。迷惑だから。もう、絡んでこないでって言ってる。」
 キッパリと言う里香。
 しかし、当の蓮華には柳に風だ。
 「つれないなぁ。せっかく恋敵なんてレアな関係になれたのに。もう少し、血沸き肉踊るバトルでも楽しみません?」
 「恋敵?誰と誰が?」
 「認めませんか?でも、“周り”はそう見てくれますかねぇ?」
 そう言われても、里香は視線を逸らさない。
 代わりに、僕の方がキョロキョロしてしまう。
 周りの連中の視線が、こっちに集中していた。
 ドキドキ。
 ハラハラ。
 ワクワク。
 その表現は多々なれど、皆がこの事態の次の展開を固唾を呑んで待っている事がよく分かった。
 ちくしょう。他人事だと思いやがって。
 蓮華がフフンと鼻で笑う。
 「望むと望まざるとに関わらず、もう先輩は土俵の上です。」
 そう言って、蓮華はズイッと顔を里香に寄せる。
 「・・・逃げられませんよ。もっとも、逃がしませんけど。」
 その瞳の奥で、仄暗い炎がユラリと揺れる。
 「・・・!!」
 それに何かただならないものを感じて、僕が二人の間に割って入ろうとしたその時、
 「キャアッ!!」
 突然、里香が悲鳴を上げた。
 里香が悲鳴を上げるなんて、滅多にある事じゃない。
 何だ!?こいつ、何をしやがった!?
 などと思いながら二人を見た僕は、その場で硬直した。
 蓮華の右手が、里香の左胸を鷲掴みにしていた。
 「ん〜、なるほど。小さい。こりゃ、学校一ってのはホントかも。」
 その手をムニムニと動かしながら、蓮華は値踏みするかの様にそんな事を言う。
 里香、呆然。
 僕、唖然。
 固まる、皆。
 そして―
 「〜〜〜っ☆ЖКП〇д▼ёПйл※!!」
 我に返った里香が、訳の分からない声で喚きながら腕を振り回した。
 「おっとっとっ、危ない危ない♪」
 振り回される里香の腕を掻い潜りながら、蓮華が僕の方へ逃げてくる。
 何だ何だと思っていると、蓮華は僕に抱きつく様に肉薄してきた。
 その瞬間、薄い唇が僕の耳元で囁く。
 「あたしの方が“あります”よ。せ・ん・ぱ・い♪」
 途端、フワリと香る甘い香り。
 不覚にも、頭がクラクラした。
 蓮華はそのまま、僕の横を通り過ぎる。
 長いサイドポニーとともに、甘い香りが流れていく。遠ざかっていく、ケラケラという笑い声。
 後に残されたのは、両腕で胸を押さえてヘタリ込む里香と、ただ立ち尽くすだけの僕。
 呆然とする僕達の耳には、遠ざかるケラケラ笑いがいつまでも残っていた。


 
                   ―7―


 如月蓮華は一人、薄闇の中を歩いていた。
 時間は午後の六時。日は、もう暮れかけている。
 周囲に人影は少なく、薄明るい外灯の光だけがボンヤリと周囲を照らし出していた。
 そんな黄昏の下校道を、如月蓮華は一人で歩いていた。
 他の女生徒の様に、友人とつるむでもなく。
 街へ繰り出して、放課後の時間を楽しむでもなく。
 如月蓮華は一人で歩いていた。
 と、その足が外灯の中で止まる。
 「・・・・・・。」
 薄明かりの中で見るのは、自分の右手。
 その手は、先程とある女生徒の胸を揉みしだくという、普通の観点で言えば破廉恥極まりない行為を行った手である。
 手には、その感触がまだはっきりと残っている。
 如月蓮華は、その手をジッと見つめる。
 その表情には、先程まで見せていた軽い、アクティブな小娘の様相はない。
 しばしの間―
 そして、
 ギュッ
 開いていた右手が、握り締められる。
 まるで、手に残る“それ”を握り潰す様に。
 ギリギリ・・・
 鈍い音を立てて握り締められる右手。
 暗い焔が揺れる瞳が、それを見つめる。
 いつまでも。
 いつまでも。
 逸らす事なく。
 見つめていた。


 「ええ!?そんな事があったの!?」
 驚きの声を上げる司に、僕はゲンナリしながら頷いた。
 「あの里香をそこまで手玉に取るなんて、如月蓮華、聞きしに勝る娘みたいね・・・。」
 みゆきが腕を組み、そんな事を言いながら頷いた。
 ここは司の家の司の部屋。
 今日、僕は学校から帰るなり、家を飛び出して司の家に押し込んでいた。
 とにかく、どこかで鬱憤を吐き出さない事には自分を保つ自信がなかったのだ。
 そんな僕に白羽の矢を立てられた司も、気の毒と言えば気の毒だけど、来てみたら司の家族は留守で、どういう訳かみゆきがいた。
 何やってんだと訊いたら、今日は司の家族が用事で留守なので、じゃあせっかくだから一緒に受験勉強しようという事になったという答え。
 ・・・“じゃあ”って何だ。“じゃあ”って。そんな言い訳が、世の中通ると思ってんのかお前らは。
 まあ、それでもいつもの僕なら、アラお邪魔でしたかすいませんと素直にその場から退散する所だが、生憎今の僕はいつもの僕ではない。
 正直、“そういう仲”でいる連中を前にして、素直に空気を読もうなんて殊勝な気持ちの在り所ではないのだ。・・・と言うか、はっきり言って邪魔したい。
 司には重ね重ね申し訳ないが、丁度良い。僕の鬱憤晴らしに協力してもらおう。
 何?そんな事してると馬に蹴られて死ぬだって?
 うん。いっそ殺してくれ。


 「それで、結局その後、どうしたの?」
 「どうもこうもねえよ・・・。」
 茶菓子として出されたクッキーを口に押し込みながら、僕は今日何度目かも知れない溜息をついた。どうでもいいけど、これ司の手作りだろうか。美味いな。相変わらず。
 とにかく、先だっての事件。事後処理の方も大変だった。
 好き放題やった蓮華が去った後、周囲の好奇の視線に晒されながら地べたに座り込んでいる里香を立たそうとしたのだが、なかなか立たない。
 何やらブツブツ言っているので耳を寄せてみると、
 「小さくないもん小さくないもん小さくないもん小さくないもん小さくないもん・・・」
と呪詛の様に繰り返していた。
 どうやら、何かトラウマに触れたらしい。
 そんな里香を何とか立たせて自転車の荷台に乗っけると、僕はそのまま里香の家まで直行した。当然ながら、帰りの伊勢うどんの話はお流れである。空きっ腹を抱えての自転車操業は、かなり過酷だった。ちなみに里香は道中ずっと、僕の耳元で例の言葉をブツブツと唱え続けていた。正直ちょっと・・・いや、かなり怖かった。
 「・・・っとに最悪だよ。」
 クッキーをあらかた平らげてようやく人心地のついた僕は、どっと襲ってきた疲労感に、ぐったりと畳の上に伸びながらそう毒づいた。
 「それにしても、その蓮華っていう娘、何でそんなに裕一に入れ込んでるのかな?裕一、前にその娘と何かあった?」
 「ねえよ!!ある訳ないだろ!!大体、一年に転校生があったって事事態、知らなかったんだぞ!?」
 司の質問を、僕は真っ向から否定した。
 っていうか、むしろその理由を知りたいのは僕の方だ。
 「・・・みゆきはなんか分かったか?蓮華(あいつ)の事?」
 陸揚げされた烏賊の様にグダグダと畳の上でのたうつ僕に、「だらしない」とか言いながら、みゆきは少し考える素振りをして話し始めた。
 「如月蓮華、16歳。身長157cm、体重は禁則事項。スリーサイズは上から80、62、84。好きな食べ物はフルーツ全般。嫌いなのは魚。趣味は音楽関連。最近はボカロにはまってる。でも、部活には入っていない。家族は母親との二人暮らし。転校してきたのは先月の9日。元の住居は東京。・・・と、こんな所かな?」
 ・・・まさか、スリーサイズまで出てくるとは思わなかった。呆れる僕を見て、みゆきがさもありなんという顔をした。
 「転校生ってやっぱり珍しいし、それに、あの顔でしょ。転校してきた時からチェックいれてる子、多かったみたい。大体、本人も、聞かれりゃ別に隠しもしないって話で。」
 にしたって、スリーサイズまで教えるか普通。訊くほうも訊くほうだが、教えるほうも教えるほうだ。やっぱり、あいつは普通じゃない。
 「ただね。」
 「うん?」
 みゆきが困った様に腕を組む。
 「そういう、表面的なデータはすぐに集まったんだけど、逆に内面的なデータは全然なの。」
 「内面的なデータ?」
 僕の言葉に、みゆきはそう、と答える。
 「性格とか、何を考えてるのかとか・・・そういうのがまるで分からない。ほら、女子ってすぐグループ作ったり、つるむ相手作ったりするものなんだけど、あの娘はそういう事が全然ないんだって。何か、“一線”があるみたいでさ、誘われれば答えるけど、そこから先は触れさせないっていうか・・・。まるで、他の皆から一歩引いて事を見てるって感じで、そういう所が、少し気味悪いっていう声もあったな・・・。」
 「へえ・・・。あのラブレターの内容とか、裕一に聞いた話からすると、もうちょっとキャイキャイした娘だと思ってたけど・・・。」
 司が、以外だという風に言った。
 だけど・・・。
 「裕一、どうしたの?」
 「あ、いや、何でもねえよ。」
 尋ねてくる司をそう言って適当にはぐらかすと、僕は続けろとみゆきを促した。
 「そんなだからね、今は里香とはまた別のベクトルでクラスで浮いてるみたい。俗に言う、「一匹狼」ってやつかな?」
 「一匹狼」。
 なるほど、言いえて妙かもしれない。
 周りの反応など露ほども気にかけず、唯我独尊に振舞うあいつにはピッタリな表現に思えた。
 でも、今の僕にとって重要なのは、とりあえずそこじゃない。
 「―それで、あの娘が裕ちゃんに入れ込んでる理由だけど・・・」
 「お、おぅ!!それだ、それ!!」
 みゆきのその言葉に、寝そべっていた僕は思わず起き上がった。
 司も、興味深げに身を乗り出す。
 「その理由は・・・」
 僕も司も、息を呑んで次の言葉を待つ。
 「分からなかった。」
 ガックン
 二人して、ずっこける。
 「お、おいおい。そこまで言っといて、分からないかよ。肝心なのはそこだろ!?」
 僕が抗議すると、みゆきは両手をあげて“お手上げ”のポーズをとる。
 「駄目駄目。言ったじゃない。あの娘、一線から先は全然見せないのよ。裕ちゃんの事は、その一線の向こうの事みたい。こんなに大騒ぎになってるし、興味もって訊いた子は何人かいたけど、可愛いからとかタイプだからとかであしらわれて、まともな答えは返ってこなかったってさ。」
 そ、そりゃないぞ。
 そこが分かんなきゃ、今後の対策の立て様がないじゃないか。
 脱力して再び畳にへたり込む僕を嫌そうに見ながら、みゆきは溜息をつく。
 「全く、そんなに知りたいんだったら自分で訊けば?裕ちゃんにだったら、本当の所言うかもよ?あの娘。」
 それが出来りゃ世話はない。
 とにかく、僕は如月蓮華とは係わり合いを持ちたくなかった。
 大体、二人で話なんかしてたら、今度はどんな噂をたてられるかわかったものじゃない。
 「しかしねえ、里香といいあの娘といい、こんなのの何処が良いんだか。」
 みゆきが唐突にそんな事を言い出す。
 「ホントだよね。」
 司も、それに相槌を打つ。
 「馬鹿なのに。」
 「うん。馬鹿」
 「へたれなのに。」
 「うん。へたれ。」 
 ツーカーの息で頷き合う二人。
 ちくしょう。好き勝手言いやがって。
 二人っきりの時間邪魔した報復か?
 陸揚げされた蛸の様に伸びながら、僕は泣きたい気持ちでいっぱいだった。


 「司ー、もういいかー?」
 「うん。いいよ。」
 そう言って、家に鍵をかけた司がかけよってくる。
 もう、夜の七時近く。僕達の会合はさしたる成果もなく、解散の運びとなっていた。
 僕は家に帰るし、司はみゆきを家まで送って行くらしい。
 「じゃー、ごっそさん。」
 「うん。また明日。」
 「気をつけてね。」
 そして、司の家の前で僕達は別れた。


 夜七時の空は、よく晴れていていっぱいの星と細い三日月が浮かんでいる。
 その明るい夜空の下を一人歩きながら、僕はさっきのみゆきの言葉を思い出していた。
 (まるで、他の皆から一歩引いて事を見てるって感じで、そういう所が、少し気味悪いっていう声もあったな・・・。)
 意外だと、司は言った。
 だけど僕は、妙に合点がいっていた。
 確かに僕らが見た如月蓮華は、軽い。
 けれどその軽さが、僕には不自然だった。
 それは他でもない。あの娘の目を見たからだ。
 暗く沈んで、それでいてめらめらと燃え立つ様な瞳。
 里香と真正面から向き合って、怖気ず怯まず、逆に飲み込もうとする様な目。
 そんな目、普通の小娘には到底出来っこない。
 それは僕でなくとも、少し感の鋭い連中なら容易に気付くだろう。だからこそ、気味悪いなんて言葉が上がってくる。
 そう。あれは“異質”なのだ。
 人は異質に引かれ、そして恐れる。
 例えば、里香だってそうだ。
 常に死と隣り合わせの生活の中で研磨され、澄み透り、強くなったその瞳。
 その強さに、異質さに、皆は時に魅了され、また時には威圧される。
 蓮華が持つのは、そんな里香とはまた別の強さ。
 凛と研ぎ澄まされた里香のそれに対極する様に、どこまでも暗く、落ち沈んでいく。
 里香は、あの生と死の狭間の経験で、その強さを手に入れた。
 なら、如月蓮華は?
 一体、どんな経験をしたら人間はあんな瞳を持つ様になるのだろう。
 初めてあの目を見たとき、思った事。
 ―前にも、見たことがある―
 それがいったい、誰のものだったのか、僕はいまだに思い出せないでいた。
 「誰だったっけな・・・?」
 ポソリと呟いてみる。
 だけど、答えは浮かんでこない。
 それが分かれば、今のこの状態を打破するきっかけが掴めそうな気がするのだけれど。
 そんな事を考えているうちに、直接本人に聞いてみようか、なんて考えが浮かんできた。
 何言ってんだ!!
 僕は一人で頭を振る。
 それはさっき、自分で冗談じゃないと否定した手段ではないか。
 「ああ、もう!!」
 一人でワシャワシャと頭をかきむしる。
 (何か、“一線”があるみたいでさ、誘われれば答えるけど、そこから先は触れさせないっていうか・・・。)
 みゆきの言葉が、頭の中でリフレインする。
 一線か。
 それを超える事が出来れば、あいつの事が少しは理解できるのだろうか?
 グルグルと回る思考。
 でも、答えには行き着かない。
 と、その回転に引っかかってくる様に、もう一つ、みゆきの言葉が頭に浮かんできた。
 (裕ちゃんの事は、その一線の向こうの事みたい)
 ・・・僕の事は一線の向こう?
 どういう事だろう。
 僕はもう一度、如月蓮華の目を思い出す。
 仄暗く揺らめく、黒い瞳。
 あの目で、彼女は僕の何を見ているのだろう?
 彼女にとって、僕は一体どんな存在なのだろう?
 また、思考が回り出す。
 グルグル グルグル
 一度勢いのついた思考(それ)は止まらない。
 グルグル グルグル
 エンドレスに頭の中を回り続ける。
 (初めまして。戎崎先輩。)
 (如月蓮華ですよ。先輩。)
 (ウソウソ。そんなに驚いた顔しないでください。可愛いなあ、もう。)
 (人を好きになるのに、理屈をこねるなんて不粋ですよねぇ。)
 (先輩は、あたしがもらいますから。)
 (休憩時間に、下級生が上級生の教室に来ちゃいけないなんて校則、ありましたっけ?)
 (ちゃんと食べてくださいね。でないと、午後の授業に響きますよー。)
 頭の中に浮かんでは消える、蓮華の言葉と声。
 ・・・結局、その日眠りにつくまで、僕の思考は彼女の事から離れる事は出来なかった。



                    ―8―


 その日、吉崎多香子は己の人生において、もっともらしくない行動を、もっともらしくない動機によって行っていた。
 その行動とはズバリ、“尾行”である。
 もっとも、そうはいってもさして広くもない学校内での話ではあるのだが。


 話は、その日の昼休みにまでさかのぼる。
 吉崎多香子がいつも通り自分の席で弁当を開いていると、誰かがポスンと彼女の前の席に座った。
 また、綾子あたりが一緒に食べようとか言って来たのだろうか。いささかうざったく思いながら、顔を上げる。そして驚いた。
 彼女の前に座っていたのは誰あろう、かの秋庭里香だったのだ。
 「吉崎さん、ここ、いい?」
 「え?あ、は、はい。」
 慌てて机の上に、秋庭里香が弁当を置くスペースを空ける。
 「ありがとう。」
 秋庭里香はそう言うと、そのスペースに自分の弁当を広げて食べ始めた。
 吉崎多香子も、戸惑いながら自分の弁当を食べ始める。
 確かに、今までも綾子が間に入って(半ば強引に)昼食を一緒にする事はあったが、秋庭里香の方から持ちかけてきたのは初めてである。
 一体どうしたことだろう。
 当の秋庭里香は何も言わず、もくもくと弁当を食べている。
 仕方なく、吉崎多香子ももくもくと食べる。
 もくもく。
 もくもく。
 やがて、お互いの弁当箱が空になった頃―
 「ねえ、吉崎さん・・・」
 初めて秋庭里香が口を開いた。
 「はい?」
 パックの烏龍茶を啜りながら、吉崎多香子は返事を返す。
 しかし、続きの言葉はなかなか出てこない。どうやら、何か躊躇しているらしい。
 これは、秋庭里香としては非常に珍しい事である。
 しばしの間。
 吉崎多香子が烏龍茶を啜る音だけが、昼休みの教室の喧騒の中に消えていく。
 このままでは、らちがあかない。
 こっちから発言を促してやろうかと吉崎多香子が思い始めた時、秋庭里香は意を決したかの様に息を大きく吸い、そして言い放った。
 「男の子って、やっぱり胸が大きい方がいいのかな?」
 ブフッ
 思わず、口に含んでいた烏龍茶を噴出しそうになった。
 辛うじてそれは耐えるものの、逆流したお茶が気管に入り、酷くむせ込んでしまう。
 「ゴホッゴホゴホッ!!」
 「大丈夫?」
 そう言って背中をさすってくる秋庭里香に向かって、咳き込みながら手で大丈夫の合図をおくる。
 それにしても、藪から棒に何を訊いてくるのだ。この女は。
 こんなラブコメで定番の台詞を、実際に耳にする日が来ようとは思ってもみなかった。
 「何なんですか?急に。」
 目尻に浮いた涙を拭きながら、改めて訊き直す。
 「実はね・・・。」
 頬を薄く染めながら、秋庭里香は昨日の事の顛末を話した。
 「・・・それで、ね。ちょっと、気になっちゃって・・・。」
 そう言って、恥ずかし気にうつむく。
 対して、吉崎多香子は絶句していた。
 秋庭里香の問いに対してではない。事の張本人、如月蓮華に対してである。
 件の女と戎崎裕一の噂については、勿論彼女も耳にしていた。
 何せここ数日、学校はそれに関する噂で持ちきりだったのだから。
 それは、噂の一角である秋庭里香のいるこのクラスも例外ではない。
 いや。むしろ当事者がいる分、それはよりヒートアップしていた。
 根も葉もない暴論推論が飛び交い、休み時間の度に秋庭里香は質問詰問の嵐に晒されていた。
 その中で、吉崎多香子はその噂に関しては冷静に・・・というか、まるで本気にしていなかった。
 バースデイ・プレゼントの件以来、秋庭里香と戎崎裕一の絆の深さはよく知っている。
 そこに第三者が入ろうとしたところで、その絆の固さに跳ね返されるのがオチだ。
 人の噂も七十五日。
 この騒ぎも、後数日で日常の喧騒の中に埋もれていくだろう。
 そう思っていた。
 しかし、当事者本人からから聞いてみると、なかなかどうして。如月蓮華という女、一筋縄ではいかないらしい。
 大体にして、この秋庭里香という女と真正面から向き合って事を構えられるという事事態、吉崎多香子には驚きである。
 秋庭里香は強い。そして、恐ろしい。
 確かに、肉体的にはその内に抱える病の事もあって、他者よりはるかに脆弱である。
 しかし、その脆さを補って余りあるほどに、精神が、心が強かった。
 その事を、吉崎多香子は身をもって知っている。
 このクラスが始まったばかりの頃、彼女は自分の立ち位置を確立するための術として、愚かにも秋庭里香を敵にするという手段を選んでしまった。
 その結果は周知の通り。
 立ち位置の確立どころか、一時クラスでの居場所さえなくしてしまう結果となった。
 あの出来事は、なんやかんやあって和解した今でも、ちょっとしたトラウマである。
 そんな吉崎多香子にとって、如月蓮華という女の所業は実に驚愕の一言だった。
 かつての自分ですらしなかった、秋庭里香に対しての明白な宣戦布告。
 二人の関係を知った上で行われる、戎崎裕一へのあからさまなアプローチ。
 そして、昨日の放課後の出来事。
 皆は、それらを如月蓮華の軽い性格故の所業と思っている。
 しかし、現実は違う。
 もしそれらの事を、何の考えもなしに行っていたのなら、如月蓮華は当の昔に強烈なしっぺ返しを食らっていた筈だ。
 秋庭里香は抜け目なく、かつ狡猾である。
 敵対する相手に隙があれば、それを見逃しはしない。
 しかるに、かの如月蓮華はいまだその隙すら見せず、なおも攻勢を強めている。
 それはすなわち、彼女が秋庭里香に対抗出来る程の精神力と狡猾さを持ち合わせているという事に他ならない。
 全くもって、驚きである。
 「ねえ、あたし、胸、小さいかなぁ・・・?」
 しかし、それはそれとして、今回の秋庭里香のめげっぷりは以外である。
 どうやら、よっぽど痛い所をつかれたらしい。
 ああ、この人も女なのだな・・・等と思ったりする。
 「・・・まぁ、その・・・そりゃ、大きいとは言い難いですけど・・・良いんじゃないんですか?別に。形はいいみたいですし・・・」
 適当にそんな事を言ったら、ずずいっと身を乗り出してきた。
 顔が近い。
 目が怖い。
 「本当!?」
 「え・・・あ、は、はい。形(なり)ばかり大きくてもってのもありますし・・・。大体、戎崎先輩は言ってくれたんでしょう?小さい方が好きだって・・・」
 「そうだよね!!そうだよね!!」
 肩を掴まれて、ガクガク揺すられる。
 ああ、あたしは何でこんな会話してるんだ・・・。
 涙目で「そうだよね!!」を繰り返す秋庭里香に揺すられながら、吉崎多香子は途方にくれてそう思うのだった。


 そんな事があった日の放課後。
 さて帰ろうと思って廊下に出た吉崎多香子は、同じ廊下の向こうにユラユラと揺れるサイドポニーを見とめた。
 それが如月蓮華の後姿だと察するのに、時間はかからなかった。
 途端、妙な心境が頭をもたげて来る。
 別に、秋庭里香を友人として認識している訳ではない・・・つもりではある。
 しかし・・・。
 頭に浮かぶのは、一緒に戎崎裕一のバースデイ・プレゼントを選びに行った時に見た、一生懸命な顔。
 この世で一番大切な人との時を、万感の想いを込めて語る顔。
 プレゼントに込めた想いが届いた時の、嬉しそうな顔。
 それに、さっきの柄でもないしょぼくれた顔が重なる。
 「・・・ああ、もう!!」
 何をしようとしてかは、自分でも分からない。
 それでもいつしか、吉崎多香子の足は如月蓮華の後を追っていた。

 スタスタスタ・・・
 スタスタスタ・・・
 数メートル先を歩く蓮華の後を、吉崎多香子はついて行く。
 別に足音を忍ばせているつもりはないのだが、後ろの多香子の存在に気付く様子もなく如月蓮華は真っ直ぐに歩いていく。
 何処に行くつもりなのだろう。
 また、自転車置場で秋庭里香と戎崎裕一を待ち伏せるつもりなのだろうか。
 このまま行けば、その場に居合わせる事になる。
 その時、さて自分はどうするつもりなのだろう?
 秋庭里香の側に立って、如月蓮華を糾弾するのか。
 秋庭里香に、相手にするなと諭すのか。
 どちらにしろ、面倒な事になるに違いない。
 出来るなら、面倒事は遠慮したい。
 やっぱり、ここで戻ろうか。
 しかし、そんな考えとは裏腹に吉崎多香子の足は止まらない。
 そんな吉崎多香子の葛藤をよそに、如月蓮華は四階の階段にさしかかる。
 と、その時―
 横から出てきた数人の女生徒が、如月蓮華を取り囲んだ。
 「――!!」
 吉崎多香子は、反射的に手近な教室に隠れる。
 聞こえてくる、何やら争う声。
 隠れた教室から覗いてみると、如月蓮華を取り囲んだ女生徒達は、そのまま屋上へ向かう階段を上っていく。
 人目につき難い、屋上の踊り場に連れて行くつもりらしい。
 何人かの生徒が通りかかるが、面倒事を恐れてか見て見ぬふりをして通り過ぎていく。
 吉崎多香子は教室を出ると、如月蓮華が連れて行かれた階段の上り口に身を潜めた。


 ドンッ
 突き飛ばされた身体が、壁にぶつかる音が聞こえた。
 見上げてみると、その周りを6人の女生徒に取り囲まれた如月蓮華の姿が見える。
 如月蓮華を取り囲んでいる連中に、見覚えがあった。
 一年ニ組の瀬良姫子と、その取り巻きだ。
 一年生にいくつかあるグループの中で、特に柄が悪い事で定評がある。
 吉崎多香子自身、入学してしばらくは取り巻きを引き連れてグループを作り、不良気取りをしていた。それでも、件の瀬良姫子と張り合う事は避けていた。
 それは、彼女が自分達とは違い、もう一線を踏み越えた場所にいると感じていたからである。
 簡単に言ってしまえば、自分達が“不良気取り”だったのなら、瀬良姫子は本当の“不良”だったのだ。
 それも、派手な格好で派手な真似をして粋がるタイプの不良ではなく、もっと狡猾に、そして陰湿に立ち回るタイプの不良だった。
 先生や上級生の同類には目を付けられる事なく、それでいて影では反モラルな事を平然と、そして好き放題に行う。
 実際、噂はよく聞いていた。酒や煙草はもちろん、常習的に万引きやカツアゲを行い、中には援交さえも行っているという話もあった。
 けれど、そのどれに関しても彼女達は尻尾だけは出さなかった。その所業はみな噂の域を出ず、生活指導の先生達も手を出しあぐねていた。
 普通の格好をしているのに、すれ違うと微かに煙草の残り香を漂わせる。
 瀬良姫子とその一派とは、そんな連中だった。
 そんな連中が今、明らかに如月蓮華を攻撃していた。
 確かに、その容貌のみならず、現在学校中を騒がしている噂の張本人である如月蓮華なら、瀬良姫子の癇に障ってもおかしくない。
 それともう一つ、吉崎多香子には心当たりがあった。
 それは、当時の吉崎多香子と瀬良姫子における決定的な違い。
 秋庭里香である。
 吉崎多香子が秋庭里香を敵視したのに対して、瀬良姫子は“神聖視”していた。
 それが、自分の持たないものを持つ者に対しての羨望なのか、それとも単に、美しいものに対する憧れなのか。それは分からない。
 とにかく、瀬良姫子は秋庭里香を神聖視していた。
 その入れ込み様はとかく異常で、写真部員を脅して撮らせた写真を常に持ち歩き、廊下ですれ違う時などは、気付かれない様にいつまでもその姿を目で追っていた。
 一部では、恋愛感情でも持っているのではないかという話まで流れていた。
 その恋人である戎崎裕一が、攻撃対象にならないのは一重に彼が男子であり、上級生であるからに他ならない。
 もし彼が二年生ではなく一年生だったら?もし彼が男でなく女だったら?
 その答えが今、吉崎多香子の目の前にあった。



                    ―9―


 「あんた、ちょっと調子に乗りすぎじゃないの?」
 瀬良姫子は、目の前の少女に向かって声を張り上げた。
 「少しくらい顔が良いからってさぁ、気取ってんじゃないわよ!!」
 お定まりの様な台詞とともに、目の前の少女―如月蓮華の身体を突き飛ばす。
 しかし、如月蓮華の表情は揺るがない。
 ただ真っ直ぐな瞳で、姫子一同を見つめ返す。仄暗く、冷めていて、それでいて心の底まで突き通す様な鋭い眼差し。
 その瞳が、姫子一同を困惑させる。
 今までも、気に入らない生徒をこうやっていたぶった事は何度もある。
 ターゲットにされた生徒は戸惑い、戦慄き、怯えた目で視線を逸らしたものだ。
 なのに、今目の前にいる少女はその目に怯えの片鱗さえ見せない。
 こんな事は始めてだった。
 そんな一同の困惑を知ってか知らずか、如月蓮華は言う。
 「あのさ、どいてくれないかなぁ?あたし、用があるんだよね。早くしないと、戎崎先輩と秋庭さん、帰っちゃう。」
 この状況など、全く意に介していない。そう言わんばかりの口調。
 それが、瀬良姫子の苛立ちに油を注いだ。
 「“秋庭さん”なんて、馴れ馴れしく呼んでんじゃねーよ!!」
 ピシィッ
 踊り場に響く、鋭い音。
 瀬良姫子が、如月蓮華の頬を打ったのだ。
 しかし、如月蓮華はそれでも揺るがなかった。
 打たれた頬を気にする事もなく、相変わらずの鋭い視線で瀬良姫子を見返す。
 その事に、姫子一同はますます困惑の度を深める。
 「あんたさ・・・」
 その戸惑いを見透かすかの様に、如月蓮華が口を開いた。
 「秋葉さんの事、好きって本当?」
 「んな・・・!!」
 あからさまにうろたえる瀬良姫子。
 そのうろたえを、如月蓮華は嘲笑う。
 「ふふ、本当なんだ。」
 言いながらつつ、と瀬良姫子に近づく。
 「そんならさぁ、邪魔しないでくんない?あたしが戎崎先輩盗っちゃえば、秋庭先輩はフリーだよ。あんたにも、チャンス巡ってくるかもよ?」
 もっとも、秋庭先輩にそんな趣味があればの話だけど、と付け加え、如月蓮華はケラケラと笑った。
 「―――っ!!」
 それに激昂した瀬良姫子が、再び右手を振り上げた。
 そのまま、如月蓮華の頬へと振り下ろし―
 パシッ
 しかし、今度はその手首を如月蓮華の手が受け止める。
 「・・・く・・・っ!!」
 狼狽する瀬良姫子を前にほくそ笑むと、その手を掴んだまま、如月蓮華はその目を細めてこんな事を言った。
 「ねえ。こんな事しててもらちがあかないでしょ?だからさ、いいよ?あんた達がしろって言った事、何でも一つ、してあげる。」
 「なっ・・・!?」
 突然の提案に、驚く姫子一同。
 「何言ってんのよ!?あんた!!」
 一同の一人、佐藤広美が言った。
 「言ったまんま。あんた達がしろって言った事、何でもしてあげる。そしたら、あたしの事解放してちょうだい。」
 ニコニコと微笑みながら、如月蓮華は瀬良姫子に迫る。
 その手はまだ、瀬良姫子の手首を掴んだままだ。
 「さて、どうする?裸で校内一周しようか?それとも、放送室占拠して校内中に歌でも流そうか?」
 「うっせぇ!!放せよ!!」
 瀬良姫子が叫んで、如月蓮華の手を振りほどいた。
 よほどの力だったのか、その手首は赤く染まっていた。
 「上等だよ・・・!!」
 そう言うと、瀬良姫子は視線を壁に走らせる。
 そこには、いつ刺されたものかも分からない、赤錆びた画鋲が数本。瀬良姫子の手が、それを抜き取る。
 ジャラリ
 そんな音とともに、それを如月蓮華の前に差し出す。
 「・・・呑めよ!!」
 瀬良姫子は如月蓮華に向かって、そう言った。
 「コイツを呑んだら、あんたの事、許してやるよ!!」
 ここに至って、ようやく姫子一同は余裕を取り戻しかけていた。
 錆びた画鋲を呑む?
 そんな事、出来る訳がない。
 この娘も、そんな事出来ないと言うに決まっている。
 そうすれば、それが決壊線。そこから、この娘を突き崩せる。後は、こっちのもの。思う存分、今までの鬱憤を晴らす事が出来る。
 姫子一同はそう確信していた。
 しかし―
 「ふぅん。そんな事でいい訳ね。」
 「え?」
 ポカンとする瀬良姫子の手から、如月蓮華が画鋲を奪い取る。
 そして―
 ジャラリ
 口に入れた。
 驚く間も、制止する間もなかった。
 唖然とする皆の前で、如月蓮華の喉が、ゴクリと動く。
 「これでいい?」
 そう言って、舌を出してみせる。暗い口の中に、画鋲は見えない。
 姫子一同に、今度こそ決定的な動揺が走る。
 「な・・・何なんだよ!!コイツ、おかしいよ!!」
 取り巻きの一人、阿部京子が悲鳴の様な声を上げた。
 「あ、あたし関係ない!!知らないからね!!」
 そう言って、佐藤広美が逃げ出した。
 他の取り巻き達も、一様に同じ様な声を上げつつ、逃げ出していく。
 最後に残ったのは、瀬良姫子ただ一人。
 青ざめた顔で戦慄きながら、それでも最後の意地なのか、如月蓮華の前から立ち去ろうとしない。
 そんな瀬良姫子の前で、如月蓮華は薄ら笑いを浮かべた。
 ゾッとする様な笑みだった。
 綺麗だけど、人形の様に酷く無機質な、そんな笑み。
 そして、薄く上がった口角から朱いものが滲み出す。
 それが細い顎をツウと下り、ポツリと床に朱い点を描いた。
 ・・・それが、限界だった。
 「―――――っ!!」
 声にならない悲鳴を上げ、瀬良姫子は後ろを振り向く事無く、階段を駆け下りていった。


 吉崎多香子は、一部始終を見ていた。
 そして、目の前を瀬良姫子達が自分に気付く余裕もなく走り去っていった後も、唖然と立ち尽くしていた。
 ―と、
 「何、突っ立ってんの?」
 そんな声が、上から降ってきた。
 如月蓮華が降りてきたのだ。
 反射的に、逃げ出しそうになる。けれど、その衝動を必死に押さえると、吉崎多香子はその場に留まった。
 「あんたも酷いねぇ。人が苛められてんのに、ずっと見物してるんだから。」
 どうやら、見られている事に気がついていたらしい。
 「あ、あんた、あの・・・今の・・・」
 「ん?ああ、“これ”?」
 そう言うと、如月蓮華はペッと口の中のものを吐き捨てた。
 カランッ
 廊下に、血と唾液に濡れた画鋲が転がる。
 「“ふり”しただけよ。」
 そして、口元についた血をグイッと拭う。
 「笑っちゃうと思わない?ちょっとそれっぽく見せただけで、ビビッて逃げやがんの。」
 そう言って、ケラケラと笑う。
 その様を、吉崎多香子は絶句しながら見つめる。
 この娘は一体、何なのだろう。
 あの多対一の状況下において、この娘は相手の心理を完全に手玉に取っていた。
 最初のやり取り。瀬良姫子はあの軽い、だけど身体を狙った攻撃で相手を萎縮させようと企んでいた筈である。
 事実、あそこで如月蓮華が少しでも弱みを見せれば、そのままずるずると姫子一同のペースに引き込まれていた筈だ。
 しかし、如月蓮華は決して隙を見せなかった。それどころか、逆に姫子一同を威圧した。こういう時の、如月蓮華の様な種類の人間の目の怖さは吉崎多香子自身がよく知っている。
 “あの時”の、秋庭里香の目がそうだった様に。
 案の定、姫子一同はこれで出鼻を挫かれてしまった。次にどうすればいいのか分からず、うろたえてしまった。そして、その隙をつかれた。
 (いいよ?あんた達がしろって言った事、何でも一つ、してあげる。)
 如月蓮華が言った言葉。
 この言葉に、姫子一同は飛びついてしまった。この機会を逆手にとれば、主導権を取り返す事が出来ると思ってしまった。自分達が、すでに如月蓮華の手の内で転がされているとも知らずに。
 そして次に、如月蓮華はこう言った。
 (裸で校内一周しようか?それとも、放送室占拠して校内中に歌でも流そうか?)
 冗談ではない。そんな事をすれば教師達の目に止まらない訳がない。
 事が表沙汰になる事を恐れる瀬良姫子達が、そんな事をさせられる訳がない。
 それを承知の上で、あえて如月蓮華はそう言った。
 自分が、“それ”をやる覚悟があるのだと、錯覚させるために。
 この時点で、姫子達は一連のカードを使えなくなった事になる。
 それでもまだ、姫子一同には勝機はあった。土下座をさせる等々、簡単で精神的ダメージを与えられる手はいくらでもあった筈である。
 しかし、瀬良姫子はそういった手には目を向ける事が出来なかった。散々にコケにされたという思いから、そんな、容易な手で済ませる訳にはいかないと思ってしまった。
 これで、瀬良姫子は残りのカードも自ら放棄する事になる。
 残ったのは、極々限られた数枚のカード。
 そこで、如月蓮華は本当の覚悟を見せた。
 躊躇する事なく、示されたカードー画鋲を口に放り込んだ。
 口からこぼれた血の量を見ると、飲み込んだ様に見せるために、含んだ画鋲を頬の裏にでも刺し込んで隠していたのかもしれない。
 普通に考えたら、常軌を逸した行動である。
 異質である。
 人は、異質を恐れる。
 そして事実、散々弄ばれた姫子一同の心はそれに耐え切れなかった。
 振り向きもせずに逃げていった、瀬良姫子の顔を思い出す。
 彼女達にはきっと、如月蓮華が得体の知れない化け物の様に見えていた事だろう。
 生半可な狡猾さではない。そして、それにともなう覚悟も。
 「あ〜あ、口の中ザクザク。後で口内炎になりそう。」
 ブツブツ言いながら口元の血を拭うその様子は、自分のした事に対する後悔など微塵も感じさせない。
 これがもし、髪を切れという注文だったら、彼女は何の躊躇もなく切り落としただろうし、靴底に画鋲をばら撒いてそれを履けと言われれば、躊躇いもなく履いたことだろう。
 もちろん、その顔には無機質な薄笑みを浮かべたまま。
 ああ、この娘はいったい何なのだろう。
 また、吉崎多香子は思う。
 話で聞いた限りでは、如月蓮華と言う少女は秋庭里香の同類なのだと思っていた。
 しかし、違う。
 今、秋庭里香との関わりを少なからず持つ吉崎多香子にはよく分かる。
 秋庭里香は強い。この娘も、強い。
 しかしそれは似ている様で、まるで違う強さ。
 秋庭里香の強さは、常に光の中にある。
 それは命の瀬戸際で磨かれた強さであり、限りある時間を精一杯に輝こうとする。そんな強さだ。
 己の命を守り、己に寄り添う者を守り、自分達の歩く場所を守るための力。
 だからこそ、秋庭里香の周りは明るい。
 時に、それがどんなに狡猾でも。
 時に、それがどんなに容赦なくても。
 秋庭里香の周りは、光に満たされている。
 それに対して、如月蓮華の強さは暗かった。
 そう。それこそまるで、秋庭里香のそれに相反するかの様に。
 そこに、守るべきものは何もない。
 他者も、自分さえも、目的のためなら平気で傷付ける。
 それで人に忌まわれようが、それで自分が孤独になろうが、一向に構わない。
 自分と、自分に関わる者全てを暗闇に引き込む。如月蓮華の強さは、そんな強さだった。
 何が彼女をそうせしめたのかは分からない。
 しかし、吉崎多香子は直感していた。
 これ以上、如月蓮華を秋庭里香と戎崎裕一に関わらせるべきではない。
 いや、関わらせてはいけない。
 「ちょっと・・・」
 吉崎多香子が話しかけようとしたその時、如月蓮華の首がグルンと吉崎多香子の方を向いた。
 暗い瞳が、吉崎多香子の姿を映す。
 瞬間、足が竦む。出かかった言葉が、喉に詰まった。
 「あんた、吉崎さんだよねぇ。秋庭さんと同じクラスの。」
 そう言いながら、近づいて来る。
 「今日は余計な邪魔が入ったから、自転車置場行きそこねちゃった。もう先輩達、帰っちゃってると思う。」
 暗い瞳が近づいて来る。乾いた喉が、ごくりと大きな音を立てるのが分かった。
 「だからさ、秋庭さんに伝えといてよ。」
 如月蓮華の手が、ポンと吉崎多香子の方に置かれる。
 耳に寄せられる口。微かに、鉄錆の匂いが香った。
 「『戎崎先輩、あたしのお弁当、美味しいって言ってくれましたよ』・・・って。」
 その言葉を聞いた途端、軽い目眩が吉崎多香子を襲った。
 「じゃあね。頼んだからね。」
 一方的にそう言うと、如月蓮華は身を翻し、ケラケラと笑いながら階段を下りて行く。
 その後姿を、ただ呆然と見送る吉崎多香子。
 と、
 ♪♪♪〜♪♪♪♪〜♪♪♪♪♪♪♪♪〜
 不意に階下から流れて来る歌声。
 鈴音の様に澄んだそれが、かの少女のものだと気づくのに、時間はかからなかった。
 ハミングしているのだろう。
 メロディーだけで、歌詞は分からない。
 けどー
 (ー君を守るその為ならば 僕は悪にだってなってやるー)
 一瞬、そんなフレーズが頭を過ぎる。
 この曲は・・・。
 一瞬の戸惑い。
 吉崎多香子が我にかえった時、もう、歌声は聞こえなかった。



                              続く
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郭公(半分の月がのぼる空・完結)(3)
ハッピー・バースディ(半分の月がのぼる空・完結)(3)
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子守唄(半分の月がのぼる空・完結)(4)
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