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2017年04月07日
仏像の歴史変遷とは‐文学部史学科日本美術史リポート
仏像の歴史変遷とは‐文学部史学科日本美術史リポート
日本は外国の文化の接取のために仏教を取り入れる。
その流れで、仏像も日本に入ってくる。
仏像に人は何を求めるのだろうか。
おそらく、安らぎや清らかさ、神秘性、ご利益感など、さまざまな概念を仏像に求めると思われる。
仏教という宗教はインドで始まりいろんな国に伝わっていく。
国や地域性、捉え方の違いによって仏教は違った形で信仰されることになる。
それは、仏像も同じ事で、伝わった国や地域によって、仏像に求める姿や形が違ってくるのである。
日本でも、仏教伝来当初の仏像は、大陸的な様式の仏像だが、しかし、時代を重ねていく間に、徐々に日本的な独自の仏像が作られるようになる。
飛鳥時代の代表的な仏像として奈良法隆寺の釈迦三尊像がある。
この仏像は、現存する最古の仏像と言われており、きわめてアジア的な日本の仏像とは様式の異なった仏像である。
釈迦三尊像の源流は従来北魏の仏像様式が百済から日本に伝わったと考えられてきたが、しかし、近年は中国南朝から百済、そして、日本へと仏像様式が伝わったとも考えられている。
細かい部分はまだ解明されていないが、大陸の仏像様式が百済経由で日本に伝えられたと考える事ができる。
釈迦三尊像の特徴は、木製の台座の上に座禅を組んで座っている。
そして、両脇にはそれぞれ脇侍菩薩が配置されている。
台座の下側を底辺とし、舟形光背の頂点を結ぶと二等辺三角形の形になり、その中に三体の像が入る形となる。
見る人にとって安定感のある作りと言える。
仏像は全体的に痩せた細身感がある。
これは、日本の仏像の特徴である、ふくよかな肉体感のある仏像とは対照的な仏像と言える。
顔は、面長の印象を与える。
大きな鼻も印象的と言える。
目は杏仁形と言われる深く細長い目をしている。
口は大きな鼻のためか大きく感じる。
唇は仰月形と呼ばれるものである。
イメージとして聡明で高貴な感じのする顔立ちだと思う。
飛鳥時代の仏像の特徴的な様式は以上げたような様式の仏像が多いと言える。
様式として日本的な特徴のある仏像の様式ではないため珍しいと言える。
しかし、その珍しさは私からみれば、神秘的な仏像というイメージをより与えてくれるものである。
その他、飛鳥時代の代表的な仏像として百済観音像と夢殿観音像がある。
それぞれ、若干違った様式の仏像で、飛鳥様式の仏像でも、流派のようなものがあったと推測される。
百済観音像はクスノキの一木造りである。このクスノキの一本造りの技法は当時のとしては主流の造り方と言える。
百済観音像の私が見たイメージは、不気味な恐さがあったが、しかし、その中にやさしさを感じたイメージであった。
夢殿の観音菩薩像の特徴は厳格な左右対象と鋼のようにはりつめた線で構成された像身にある。
イメージとして、力強さを感じ、飛鳥仏像のイメージと少しかけ離れていた。
後、気になったのが、不思議でなんとも言えない笑みが特徴的だと言える。
白鳳時代に入ると仏像にも変化が出てくる。
白鳳時代の仏像は日本人が知る仏像の姿に近くなり、日本的な仏像の原点を見る事ができるであろう。
歴史的にも仏教が外国のものから日本のものに変わってきた時代とも言える。
仏教も浸透を始め、国家政策とも結びつくようになってきた。
また、日本に仏教を伝え、影響を与え続けてきた百済が滅亡したことも大きな事件である。
このように、日本の内外で仏教を取り巻く環境が大きく変化したことも仏像の様式が変わってきたことと関連していると思える。
全体的なイメージとして、顔は面長からやや丸みやふくらみがでてきた。
胴体に関してもややふくらみと丸みを帯びてきたように思われる。
素材は、木や銅以外に、塑や乾漆の像が作られるようになってくる。
なぜ変化が起きた理由として、北魏の影響から唐の影響への変化が考えられる。
しかし、それ以外に私が思うに、国内の変化で、仏教に救済を求める思想が生まれたのではと考える。
そして、仏像に救済を求めるなら、細身な仏像より、ふくよかな仏像に対して安心感がでるのではと考えた。
白鳳時代の代表的な作品として、法隆寺夢違観音像がある。
この像は悪い夢を良い夢に取り替える像として信仰された。
また、鋳造技術が高く、三面の宝冠と台座は別の鋳で、本体は1つの鋳で造られている。
見た感じのイメージは、しっかりした造りと体のラインがよくでていることである。
そして、率直な第1印象は雰囲気的に、日本の古代以前に出土されている土偶のイメージとだぶって見えた。
それは、神秘的でもあり、宇宙的なイメージでもある。
天平時代は遣唐使などによる大陸文化の接取や律令国家体制の確立、平城京への遷都などに見られるように唐の影響を受けた時代である。
国家のシステムだけでなく仏教もまた唐の影響を受けたと推測される。
そして、国分寺の建設にみられるように、仏教に対しての鎮護国家思想が定着した時代である。
仏像も多数作られ、仏教の文化が花開き、仏教美術も最盛期を迎えたと言えるだろう。
代表的なものとして、東大寺の建設とそれに伴う多数の仏像である。
有名な東大寺の大仏はこの時代に作られた。
東大寺の大仏から分かるように巨大な仏像を作る技術が進展した。
また、興福寺の阿修羅像に見られるような写実的な表情の変化もうまく捉える事ができる技術も進歩したと言えるだろう。
(美術の本9 中国/日本の美術 講談社 参照)(原色日本の美術2 法隆寺 久野健
鈴木嘉吉 小学館 参照)
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日本は外国の文化の接取のために仏教を取り入れる。
その流れで、仏像も日本に入ってくる。
仏像に人は何を求めるのだろうか。
おそらく、安らぎや清らかさ、神秘性、ご利益感など、さまざまな概念を仏像に求めると思われる。
仏教という宗教はインドで始まりいろんな国に伝わっていく。
国や地域性、捉え方の違いによって仏教は違った形で信仰されることになる。
それは、仏像も同じ事で、伝わった国や地域によって、仏像に求める姿や形が違ってくるのである。
日本でも、仏教伝来当初の仏像は、大陸的な様式の仏像だが、しかし、時代を重ねていく間に、徐々に日本的な独自の仏像が作られるようになる。
飛鳥時代の代表的な仏像として奈良法隆寺の釈迦三尊像がある。
この仏像は、現存する最古の仏像と言われており、きわめてアジア的な日本の仏像とは様式の異なった仏像である。
釈迦三尊像の源流は従来北魏の仏像様式が百済から日本に伝わったと考えられてきたが、しかし、近年は中国南朝から百済、そして、日本へと仏像様式が伝わったとも考えられている。
細かい部分はまだ解明されていないが、大陸の仏像様式が百済経由で日本に伝えられたと考える事ができる。
釈迦三尊像の特徴は、木製の台座の上に座禅を組んで座っている。
そして、両脇にはそれぞれ脇侍菩薩が配置されている。
台座の下側を底辺とし、舟形光背の頂点を結ぶと二等辺三角形の形になり、その中に三体の像が入る形となる。
見る人にとって安定感のある作りと言える。
仏像は全体的に痩せた細身感がある。
これは、日本の仏像の特徴である、ふくよかな肉体感のある仏像とは対照的な仏像と言える。
顔は、面長の印象を与える。
大きな鼻も印象的と言える。
目は杏仁形と言われる深く細長い目をしている。
口は大きな鼻のためか大きく感じる。
唇は仰月形と呼ばれるものである。
イメージとして聡明で高貴な感じのする顔立ちだと思う。
飛鳥時代の仏像の特徴的な様式は以上げたような様式の仏像が多いと言える。
様式として日本的な特徴のある仏像の様式ではないため珍しいと言える。
しかし、その珍しさは私からみれば、神秘的な仏像というイメージをより与えてくれるものである。
その他、飛鳥時代の代表的な仏像として百済観音像と夢殿観音像がある。
それぞれ、若干違った様式の仏像で、飛鳥様式の仏像でも、流派のようなものがあったと推測される。
百済観音像はクスノキの一木造りである。このクスノキの一本造りの技法は当時のとしては主流の造り方と言える。
百済観音像の私が見たイメージは、不気味な恐さがあったが、しかし、その中にやさしさを感じたイメージであった。
夢殿の観音菩薩像の特徴は厳格な左右対象と鋼のようにはりつめた線で構成された像身にある。
イメージとして、力強さを感じ、飛鳥仏像のイメージと少しかけ離れていた。
後、気になったのが、不思議でなんとも言えない笑みが特徴的だと言える。
白鳳時代に入ると仏像にも変化が出てくる。
白鳳時代の仏像は日本人が知る仏像の姿に近くなり、日本的な仏像の原点を見る事ができるであろう。
歴史的にも仏教が外国のものから日本のものに変わってきた時代とも言える。
仏教も浸透を始め、国家政策とも結びつくようになってきた。
また、日本に仏教を伝え、影響を与え続けてきた百済が滅亡したことも大きな事件である。
このように、日本の内外で仏教を取り巻く環境が大きく変化したことも仏像の様式が変わってきたことと関連していると思える。
全体的なイメージとして、顔は面長からやや丸みやふくらみがでてきた。
胴体に関してもややふくらみと丸みを帯びてきたように思われる。
素材は、木や銅以外に、塑や乾漆の像が作られるようになってくる。
なぜ変化が起きた理由として、北魏の影響から唐の影響への変化が考えられる。
しかし、それ以外に私が思うに、国内の変化で、仏教に救済を求める思想が生まれたのではと考える。
そして、仏像に救済を求めるなら、細身な仏像より、ふくよかな仏像に対して安心感がでるのではと考えた。
白鳳時代の代表的な作品として、法隆寺夢違観音像がある。
この像は悪い夢を良い夢に取り替える像として信仰された。
また、鋳造技術が高く、三面の宝冠と台座は別の鋳で、本体は1つの鋳で造られている。
見た感じのイメージは、しっかりした造りと体のラインがよくでていることである。
そして、率直な第1印象は雰囲気的に、日本の古代以前に出土されている土偶のイメージとだぶって見えた。
それは、神秘的でもあり、宇宙的なイメージでもある。
天平時代は遣唐使などによる大陸文化の接取や律令国家体制の確立、平城京への遷都などに見られるように唐の影響を受けた時代である。
国家のシステムだけでなく仏教もまた唐の影響を受けたと推測される。
そして、国分寺の建設にみられるように、仏教に対しての鎮護国家思想が定着した時代である。
仏像も多数作られ、仏教の文化が花開き、仏教美術も最盛期を迎えたと言えるだろう。
代表的なものとして、東大寺の建設とそれに伴う多数の仏像である。
有名な東大寺の大仏はこの時代に作られた。
東大寺の大仏から分かるように巨大な仏像を作る技術が進展した。
また、興福寺の阿修羅像に見られるような写実的な表情の変化もうまく捉える事ができる技術も進歩したと言えるだろう。
(美術の本9 中国/日本の美術 講談社 参照)(原色日本の美術2 法隆寺 久野健
鈴木嘉吉 小学館 参照)
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2017年03月24日
緑の革命と食糧問題‐人類に警告その危険性とは?文学部史学科‐地誌学リポート(2005年作成)
緑の革命と食糧問題‐人類に警告その危険性とは?文学部史学科‐地誌学リポート(2005年作成)
食料問題それは、世界における非常に困難な問題である。
それは、現在も昔も変わらず存在している。
現代の食料問題は世界的に見ると、全ての地域で十分な食料が足りているとは言えない。
とくに、第3世界と言われる地域や発展途上地域、熱帯地域などの食料問題は非常に難しいものがある。
原因として考えられるのは、熱帯地域は基本的に土地はやせている。
なぜなら、熱帯の土は変わることなく、長い年月をかけて同じ場所にあるものが多い、そして、長い年月をかけて、高温多雨が原因で、土地はやせている。
この様な土壌では比較的農作物は育ちにくい環境にあり、食料の確保は難しい。
そして、一番の原因と考えられるのは第3世界での人口の爆発的な増加である。
現在ものすごい勢いで人口増加は進み、勢いが止まらない。
近い将来世界人口は80億人を突破するものと考えられ、食料の需要も現在よりも、もっと必要となるであろう。
近い将来今以上の食料不足が考えられる。
この様な、食料問題を解決する一つの方法として、緑の革命が現在社会において注目を浴びている。
緑の革命の歴史は最初、第二次世界大戦末期のアメリカで始まった。
第二次世界大戦は各国とも国をあげた総力戦で、各国とも食料確保に苦労した。
そこで、アメリカは戦争を優位に進めるための戦略の一環で食料に注目した。
そして、効率のよい農法の研究に取りかかった。
その後、品種改良による新しい作物の研究が行われた。
結果、農作物の収穫量は飛躍的に増えることになった。
これが緑の革命である。
最初、緑の革命は小麦からはじまり、メキシコの地で行われた。
メキシコ政府とアメリカのロックフェラー財団が協力して、品種改良の研究を行い、そして、研究に成功した。
また、メキシコでは、とうもろこしの新品種の研究も進められ、研究は成功した。
そして、これらの、新品種は、メキシコ北部の太平洋岸地域の灌漑地方を中心に爆発的に短期間で広まり、以後、メキシコでは、小麦の生産量は今までの約3倍、とうもろこしは約2倍にまで、生産量が飛躍的にアップした。
このため、メキシコでは輸入国から一躍輸出国へと成長を遂げることとなった。
この輝かしい成果は、たちまち、世界中の注目を集め、緑の革命は世界へと広まり、食料不足の地域は特に新品種をとり入れた。
その後、緑の革命は、1962年にフィリピンで国際イネ研究所が建設し、研究された。
この研究所で開発された、新品種は、背丈が今までのイネよりも短い。
今までの品種は背丈が高くすこしでも、肥料をやりすぎると成長して、倒れてしまい、そのため、あまり収穫量はあがらなかった。
だが、新品種は草丈が短いので、肥料を大量に与えても倒れにくく、そのため、大量のイネの実をつけることができた。
また、この新品種は日照時間の変化にあまり反応したいため、いろんな地域で栽培が可能で、さらには、化学肥料の吸収率も在来種にくらべて高いという特徴も持っている。
これらの理由のために米の収穫量は大幅に増大した。
この様に緑の革命は、すごいプラスの性質を持っている。
このイネの品種は(ミラクルライス)とも呼ばれ世界中に広まり、食料問題の救世主となった。
まさに、食料問題の救世主的存在の緑の革命ではあるが、いろいろと問題点を含んでいる。
例えば、新品種は在来品種に比べて害虫に対する免疫が欠けている。
対策として、また、新たな免疫を持った新品種の開発が進められた。
害虫に対する免疫を持った新品種は、害虫に対して効果をあげた。
だが、害虫は短期間で、新しい進化を遂げ、新品種の免疫に勝った。
そうなるとまた、人間は新しい免疫を持った新品種を開発した。
そうすると、また、害虫は進化を遂げる。
この様に、作物と害虫が、まさに、終わることのない進化の競争をしなくてはならないようになった。
これは、同じ品種の作物を作りつづけることができないことを意味し、開発費、手間、新しい害虫が現れたときの収穫量の低下などのマイナスの要因を与えた。
その他、現代の環境問題への関心の高まりによって、緑の革命は環境を破壊する恐れがあることが指摘されるようになった。
これは、新品種が大量の農薬や化学肥料を使い栽培するために、環境への悪影響が心配された。
また、新品種は、大量の農薬や化学肥料を使い、灌漑設備の整った場所で栽培するために、ものすごく資金投資が必要なのである。
そのため、資金力のない人たちは新品種を栽培することができないのである。
結果、資金力がある人たちだけが新品種を栽培できたので、ますます両者の経済格差が広がり、二極分化が進んでいった。
このように、緑の革命はさまざまな問題を含んでいる。
最後に、今地球では手のほどこしようのないほど、地球の環境は破壊されている。
もう、ておくれなのかも知れないが、このまま、緑の革命を使いつづけていいのかと、私は疑問に思った。
急激な品種改良の作物を人間が食べ続けるのは、人体に影響はないのかとも考えた。
そもそも、食料確保の問題から緑の革命が注目されたのだが、他によい方法があると思う。
第3世界ではなぜ、食わすことができないのに、子供を産みつづけ、人口の増加と食料不足問題を招いてしまうのかを考え、人口増加を押さえる方法で、食料不足問題を解決していくほうが、人類のためにはよいことだと感じた。
(緑の革命とその暴力 ヴァンダナ・シヴァ 日本経済評論社参照)
いつもありがとございます。
食料問題それは、世界における非常に困難な問題である。
それは、現在も昔も変わらず存在している。
現代の食料問題は世界的に見ると、全ての地域で十分な食料が足りているとは言えない。
とくに、第3世界と言われる地域や発展途上地域、熱帯地域などの食料問題は非常に難しいものがある。
原因として考えられるのは、熱帯地域は基本的に土地はやせている。
なぜなら、熱帯の土は変わることなく、長い年月をかけて同じ場所にあるものが多い、そして、長い年月をかけて、高温多雨が原因で、土地はやせている。
この様な土壌では比較的農作物は育ちにくい環境にあり、食料の確保は難しい。
そして、一番の原因と考えられるのは第3世界での人口の爆発的な増加である。
現在ものすごい勢いで人口増加は進み、勢いが止まらない。
近い将来世界人口は80億人を突破するものと考えられ、食料の需要も現在よりも、もっと必要となるであろう。
近い将来今以上の食料不足が考えられる。
この様な、食料問題を解決する一つの方法として、緑の革命が現在社会において注目を浴びている。
緑の革命の歴史は最初、第二次世界大戦末期のアメリカで始まった。
第二次世界大戦は各国とも国をあげた総力戦で、各国とも食料確保に苦労した。
そこで、アメリカは戦争を優位に進めるための戦略の一環で食料に注目した。
そして、効率のよい農法の研究に取りかかった。
その後、品種改良による新しい作物の研究が行われた。
結果、農作物の収穫量は飛躍的に増えることになった。
これが緑の革命である。
最初、緑の革命は小麦からはじまり、メキシコの地で行われた。
メキシコ政府とアメリカのロックフェラー財団が協力して、品種改良の研究を行い、そして、研究に成功した。
また、メキシコでは、とうもろこしの新品種の研究も進められ、研究は成功した。
そして、これらの、新品種は、メキシコ北部の太平洋岸地域の灌漑地方を中心に爆発的に短期間で広まり、以後、メキシコでは、小麦の生産量は今までの約3倍、とうもろこしは約2倍にまで、生産量が飛躍的にアップした。
このため、メキシコでは輸入国から一躍輸出国へと成長を遂げることとなった。
この輝かしい成果は、たちまち、世界中の注目を集め、緑の革命は世界へと広まり、食料不足の地域は特に新品種をとり入れた。
その後、緑の革命は、1962年にフィリピンで国際イネ研究所が建設し、研究された。
この研究所で開発された、新品種は、背丈が今までのイネよりも短い。
今までの品種は背丈が高くすこしでも、肥料をやりすぎると成長して、倒れてしまい、そのため、あまり収穫量はあがらなかった。
だが、新品種は草丈が短いので、肥料を大量に与えても倒れにくく、そのため、大量のイネの実をつけることができた。
また、この新品種は日照時間の変化にあまり反応したいため、いろんな地域で栽培が可能で、さらには、化学肥料の吸収率も在来種にくらべて高いという特徴も持っている。
これらの理由のために米の収穫量は大幅に増大した。
この様に緑の革命は、すごいプラスの性質を持っている。
このイネの品種は(ミラクルライス)とも呼ばれ世界中に広まり、食料問題の救世主となった。
まさに、食料問題の救世主的存在の緑の革命ではあるが、いろいろと問題点を含んでいる。
例えば、新品種は在来品種に比べて害虫に対する免疫が欠けている。
対策として、また、新たな免疫を持った新品種の開発が進められた。
害虫に対する免疫を持った新品種は、害虫に対して効果をあげた。
だが、害虫は短期間で、新しい進化を遂げ、新品種の免疫に勝った。
そうなるとまた、人間は新しい免疫を持った新品種を開発した。
そうすると、また、害虫は進化を遂げる。
この様に、作物と害虫が、まさに、終わることのない進化の競争をしなくてはならないようになった。
これは、同じ品種の作物を作りつづけることができないことを意味し、開発費、手間、新しい害虫が現れたときの収穫量の低下などのマイナスの要因を与えた。
その他、現代の環境問題への関心の高まりによって、緑の革命は環境を破壊する恐れがあることが指摘されるようになった。
これは、新品種が大量の農薬や化学肥料を使い栽培するために、環境への悪影響が心配された。
また、新品種は、大量の農薬や化学肥料を使い、灌漑設備の整った場所で栽培するために、ものすごく資金投資が必要なのである。
そのため、資金力のない人たちは新品種を栽培することができないのである。
結果、資金力がある人たちだけが新品種を栽培できたので、ますます両者の経済格差が広がり、二極分化が進んでいった。
このように、緑の革命はさまざまな問題を含んでいる。
最後に、今地球では手のほどこしようのないほど、地球の環境は破壊されている。
もう、ておくれなのかも知れないが、このまま、緑の革命を使いつづけていいのかと、私は疑問に思った。
急激な品種改良の作物を人間が食べ続けるのは、人体に影響はないのかとも考えた。
そもそも、食料確保の問題から緑の革命が注目されたのだが、他によい方法があると思う。
第3世界ではなぜ、食わすことができないのに、子供を産みつづけ、人口の増加と食料不足問題を招いてしまうのかを考え、人口増加を押さえる方法で、食料不足問題を解決していくほうが、人類のためにはよいことだと感じた。
(緑の革命とその暴力 ヴァンダナ・シヴァ 日本経済評論社参照)
いつもありがとございます。
2017年03月11日
教職を続けながら複数免許を取得する方法!通信制大学へ入学しよう
教職を続けながら複数免許を取得する方法!通信制大学へ入学しよう
中学、高校の教師は各教科にわかれて採用がある。
当然と言えば当然だが、中高の教師は自分が取得している教科でないと授業が出来ない。
複数の免許を持っているほど重宝されることは言うまでもない。
●複数免許を取得する方法
→大学に入学して必要単位を習得するしかない。
考られる方法は科目履修生として大学に入学する方法。
当然、教師の仕事をしながら、通学生の大学に通うことは困難を極める。
●働きながら教員免許を取得する方法
→通信制大学に入学する。
これしかないと思います。
私自身も、教員として働きながら、自身のスキルアップの為に通信制大学に再入学して新たな免許を取得しました。
資料の請求はここから出来ます。
中学、高校の教師は各教科にわかれて採用がある。
当然と言えば当然だが、中高の教師は自分が取得している教科でないと授業が出来ない。
複数の免許を持っているほど重宝されることは言うまでもない。
●複数免許を取得する方法
→大学に入学して必要単位を習得するしかない。
考られる方法は科目履修生として大学に入学する方法。
当然、教師の仕事をしながら、通学生の大学に通うことは困難を極める。
●働きながら教員免許を取得する方法
→通信制大学に入学する。
これしかないと思います。
私自身も、教員として働きながら、自身のスキルアップの為に通信制大学に再入学して新たな免許を取得しました。
資料の請求はここから出来ます。
2017年03月03日
ゆめをかなえるのはここから
ゆめをかなえるのはここから
現在私は小さい頃からの夢をかなえて、高校の教師として働いている。
しかし、それまでの道のりは波乱万丈であった。
大学受験の失敗、進路変更、調理師としての社会人生活、厳しい修行、お店の経営、破たん、無一文、闘病生活など。
一時期、私は人生のどん底を味わっていました。
法政大学の通信教育部に入学した事が、夢をかなえるきっかけとなった。
働きながら、大学卒と教員免許を格安で取得する事ができた。
こんな夢のようなシステム、早く知っていれば良かった。
いろんな人に知ってもらいたい。
現在私は高校教師として充実した生活を送っています。
大好きな歴史の授業、金八先生のようなクラス担任としての仕事
全ては通信制大学に入学した事がきっかけです。
夢をかなえるのはここからです。
現在私は小さい頃からの夢をかなえて、高校の教師として働いている。
しかし、それまでの道のりは波乱万丈であった。
大学受験の失敗、進路変更、調理師としての社会人生活、厳しい修行、お店の経営、破たん、無一文、闘病生活など。
一時期、私は人生のどん底を味わっていました。
法政大学の通信教育部に入学した事が、夢をかなえるきっかけとなった。
働きながら、大学卒と教員免許を格安で取得する事ができた。
こんな夢のようなシステム、早く知っていれば良かった。
いろんな人に知ってもらいたい。
現在私は高校教師として充実した生活を送っています。
大好きな歴史の授業、金八先生のようなクラス担任としての仕事
全ては通信制大学に入学した事がきっかけです。
夢をかなえるのはここからです。
2017年02月28日
商品の物々交換から貨幣誕生まで、資本主義経済の不思議を解明‐経済原論リポート
商品の物々交換から貨幣誕生まで、資本主義経済の不思議を解明‐経済原論リポート
現在の社会は外部から商品を手に入れないと生活ができない社会であり、このような社会では資本主義経済が必要である。
資本主義経済でもっとも基本的なことになるのは、一般的な例として、自分自身では生産できないが生活などで必要な物や娯楽的な意味合いで欲しいものを自分自身が手に入れることである。
自分では生産できない必要な物を他者から手に入れるためには、それと同じ価値の物を相手に差し出さなければならない。
もしくは、相手が欲するものを差し出さなければならない。
そして、互いが差し出す商品をお互いが納得すれば、そこには、商品の交換が行われる。
もし、貨幣という概念があるなら、貨幣によって交換される商品の値打ちが表示され、また、貨幣と商品を交換することも可能となる。
このように、資本主義経済の基本は商品と商品の交換関係にあるので、これは、市場経済とも捉えることができるであろう。
現代のような資本主義経済社会では、他者から商品を手に入れないと生活が不可能である。
また、娯楽品なども生活には必要不可欠な存在となっている。
人間が生きていくためにはたくさんの商品が必要であり、また、たくさんの商品を手に入れる事がひつようとなってくる。
現代の社会は、膨大な商品が集まり、そして、商品が交換されている社会とも見る事ができる。
商品を生産するには労働力が必要であり、労働生産物が商品と言う事にもなる。
また、資本主義経済では、労働力自体も商品の一部と見ることもできる。
そして、労働は資本主義経済にとって骨格的な存在でもある。
社会を構成している人間は労働によって生産した物質的な富を消費する事によって生活をしている。
また、資本主義的な生産では資本家が生産手段と労働力を商品として購入して、購入した商品以上の価値を、すなわち、余剰価値を生んで生産を行う。
このようにして、資本主義的な生産過程では、常に資本が増殖している。
そして、資本主義のシステムの骨格的なことを規定しているのが、資本・労賃関係と呼ばれる生産関係である。
労働者は労働力を商品として資本家に売り、そして、労働力を売って得た賃金によって、賃労働者として生活している。
そして、資本家は資本によって、生産手段を買い、また、賃労働者から労働力を購入して生産を行う。
生産過程では、資本家が賃労働者を指揮(支配)して生産を行う。
労働は賃労働の形態をとり、また、生産手段は資本の形態をとっているのが資本主義だと考えられ、そしてこの関係が資本・賃労関係である。
資本主義的生産の骨格となる資本・労賃関係の生産過程は資本家と賃労働者との人と人との関係とも捉える事ができる。
資本・労賃関係で生まれるものは、商品と貨幣である。
資本主義社会では、生産によって生まれた商品を労働者が労働力を商品として売って得た貨幣によって商品交換を行う。
このように資本主義では表向きに現れるものは、商品と貨幣との関係である。
すなわち、人間関係であった、資本・労賃関係が物象化して商品・貨幣として現れているという事が言えるであろう。
すなわち、商品と貨幣の研究をするという事は資本主義経済の骨格となっている資本・賃金関係をも研究すると言う事になるであろう。
資本主義経済は商品交換である。
例えば、毛皮一枚と10gの塩が商品交換されたなら、毛皮一枚の価値は10gの塩と言う事になる。
またその逆も言え、10gの塩の価値は毛皮一枚と言う事になる。これは、自分自身の商品価値は商品の交換相手の商品によって自分の商品の価値が決まる事を意味している。
また、毛皮一枚は10gの塩以外に一丁のナイフと一本の酒とも商品交換が行われていた場合、毛皮一枚から見たこのような状態を全体的な価値形態と言う。
全体的な価値形態の時、10gの塩、一丁のナイフ、一本の酒は毛皮一枚という同じ価値で表す事ができる。
この場合、毛皮一枚を通じて、一丁のナイフと一本の酒は同じ価値と言える。
理論的には、一丁のナイフと一本の酒は同じ価値なので、一丁のナイフと一本の酒は商品交換が可能と言えるだろう。
毛皮一枚によって、10gの塩、一丁のナイフ、一本の酒の価値を数字によって表す事に成功している。
毛皮さえ持っていれば、いずれの商品とも交換が可能と言う事である。
ここから、貨幣の概念が生まれてくる。すなわち、毛皮を使って、あらゆる商品との交換が可能であり、また、交換する毛皮の枚数によってその商品価値が決まってくる。
しかし、資本主義社会では毛皮の変わりに、主に金や銀などが、商品交換に使われ、貨幣としての役割を果すことになる。
金や銀は希少価値もあり、世界的に広く需要が高いと言える。
金や銀自体に商品としての値打ちがあり、その金や銀の量や枚数によって、商品が交換されていくのである。
貨幣の概念が生まれると全ての商品は貨幣によって、商品の価値を表すことができ、また、すべての商品は貨幣と交換が可能となるのである。
ありとあらゆる生産物や労働力などの商品を購入する事ができ、また、自分自身の価値を表す事のできる貨幣の存在は人間に圧倒的な影響を与え、その魅力に取りつかれる。
資本主義経済は貨幣によって支配されている社会とも捉える事ができるであろう。
(経済学入門 南山大学経済学部編著者 NHK出版 参照)
関連サイト記事案内
★お金は使えば使うほど増えていく!資本主義の不思議
★資本主義経済と株価の関係とは?投資をはじめよう!
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2017年02月25日
自然環境が人類に与える影響とは?人文地理学概論リポート
自然環境が人類に与える影響とは?人文地理学概論リポート
地中海式気候地域は、地中海沿岸を中心とする地域が主。
その他、カルフォルニアを中心とした地域、オーストラリア大陸の南部の一部、チリ中部地方などである。
この地域の特徴は、夏の時期に、大変乾燥することにある。
冬はたくさんの雨が降る。
夏期の蒸発量は、降水量よりはるかに多く、夏の乾燥期をどの様に乗り越えるかがこの地域の課題となった。
普通では、夏期の乾燥に人間は耐えられないが、幸いなことに、この地域は山地に隣接している。
山地では夏でも、たくさんの雨が降るために、山地で得られる、水分を利用して、夏の乾燥に耐えた。
地中海気候地域では、冬には、多雨を利用した、小麦などの栽培を行い、夏になると、平地から、山地にうつり住み、山腹に階段耕作を行い、また、羊やヤギといった、家畜の放牧や草を求めての遠距離移動の移牧を行った。
これらのように、いろんな、農業を組み合した。
7世紀にムハンマドはイスラム教を作った。
イスラム帝国の領土拡大とともに、イスラム教は広がっていった。
イスラム教は最初、アラビア半島から、始まり、トルコ、ペルシア、北アフリカなど、広大な領地に信者を増やしていった。
そして、世界の三大宗教の1つになった。
イスラム教が主に分布している地域の北緯30度付近は、空気は乾燥して、降水量がとても少なく、気温は亜熱帯地域なので、高温である。
そのため、この地域は、大部分が砂漠地域である。
アラビア砂漠やサハラ砂漠などである。
世界地図上で考えて、砂漠が集中している、地域にイスラム教が信仰されている事が分かる。
イスラム教の経典コーランは、宗教上の儀礼だけでなく、生活全般をも規定している。
そのため、イスラム教は砂漠の民の法的効果など、その影響は計り知れないものがある。
人文地理学を飛躍的に進歩に導き、新しい学問として、体系的に、 人文地理学を位置付けたのは、ドイツのラッツェルである。
また、ラッツェルによって、人文地理学という名称がつけられた。
人文地理学の、創始者と言っても過言ではないだろう。
そして、ラッツェルは環境決定論を唱える。
ラッツェルは、人類社会や国家が、地理的環境と、どの様に関わっているかを研究した。
ラッツェルの思想は、ダーウインの進化論に近いと言える。
ダーウインの進化論は、生物と環境との間には、完全な調和があり、生物は、環境の影響で、進化すべき姿に変身をとげていく。
ラッツェルの思想は、これに、良く似ていて、人類の生活活動も、動物や植物と同じく、自然環境が影響を与えて、変化していくと考えた。
また、ラッツェルは、自然は、全体的にあまり変動がなく、不変的であると考えた。
これに対して、人間社会はつねに、いろんな変化をするものと考えた。
そして、一定の不変な自然環境は、変動的な人間社会に、同一の影響を与えると考えた。
ラッツェルの人文地理学は、自然環境と人間社会との関係が、一定の法則に基づく、いわば、自然科学的な不変法則によって、自然環境と人間社会の関係を理解しようとした。
ラッツェルは人類の歴史は、一般の動植物の歴史となんら変わらないと考え、自然環境の影響で人類は必然的に変化していったと考えた。
これは、人間社会は自然環境の影響で、レールに敷かれた、決められた道を進んでいる事を意味している。
これが、環境決定論である。
また、環境決定論は経済の面でも、当てはめることができる。
農業の基礎は土地(自然)で、土地によって富を生だす、生産力が決定する。
だから、経済と土地(自然)との間には環境決定論が存在する。
次に、環境可能論を唱えたのがフランスのブラーシュである。
ブラーシュは自然環境と人間社会との関係に注目した。
ここまでは、環境決定論と同じだか、中身の捉え方は少し違う。
ブラーシュは、人文地理学を生物学的な、自然環境と人間社会の関係を基礎にして体系づけたラッツェルの功績を認めながらも、環境決定論が自然環境と人間社会の諸関係をあまりにも、性急に、また、単純に解釈して、一方通行な一般論に陥っていると考えて、間違っているのではないかと指摘した。
ブラーシュの環境可能論は、自然環境は人間の活動を規定するのではなく、単に可能性を与えるにすぎないと考えた。
すなわち、人間社会は自然環境に対して一定ではなく、能動的なものと考えた。
また、自然環境に人間社会は影響されることがあるが、どの様に、人間社会が自然環に影響されるかは、いろんな要素が絡みあって、影響すると考えた。
人文地理学において人間社会の研究をする時は、自然環境だけでなく、さまざまな、角度、物事から考え研究するのが、環境可能論である。
この考えが、環境決定論との大きな違いである。
ブラーシュの功績は、人文地理学において、人類は生物的な存在から、さまざまな可能性を秘めた、決して決められた道を歩んでいるだけの存在ではない、社会的、歴史的な存在として、正しく掌握されたことである。
人文地理学の発展にブラーシュの功績が与えた功績は、はかりしれないだろう。
(参照 人文地理学概論 織田武雄 藤岡謙二 西村膣男 蘭書房)(自然環境と文化 山本正三 内山幸久 犬井正 田林明 菊地俊夫 山本充 大明堂 参照)(世界の気候地図 http://members.jcom.home.ne.jp/0517142701/seiin/map-kiko.html 参照)
いつもクリックありがとうございます。
地中海式気候地域は、地中海沿岸を中心とする地域が主。
その他、カルフォルニアを中心とした地域、オーストラリア大陸の南部の一部、チリ中部地方などである。
この地域の特徴は、夏の時期に、大変乾燥することにある。
冬はたくさんの雨が降る。
夏期の蒸発量は、降水量よりはるかに多く、夏の乾燥期をどの様に乗り越えるかがこの地域の課題となった。
普通では、夏期の乾燥に人間は耐えられないが、幸いなことに、この地域は山地に隣接している。
山地では夏でも、たくさんの雨が降るために、山地で得られる、水分を利用して、夏の乾燥に耐えた。
地中海気候地域では、冬には、多雨を利用した、小麦などの栽培を行い、夏になると、平地から、山地にうつり住み、山腹に階段耕作を行い、また、羊やヤギといった、家畜の放牧や草を求めての遠距離移動の移牧を行った。
これらのように、いろんな、農業を組み合した。
7世紀にムハンマドはイスラム教を作った。
イスラム帝国の領土拡大とともに、イスラム教は広がっていった。
イスラム教は最初、アラビア半島から、始まり、トルコ、ペルシア、北アフリカなど、広大な領地に信者を増やしていった。
そして、世界の三大宗教の1つになった。
イスラム教が主に分布している地域の北緯30度付近は、空気は乾燥して、降水量がとても少なく、気温は亜熱帯地域なので、高温である。
そのため、この地域は、大部分が砂漠地域である。
アラビア砂漠やサハラ砂漠などである。
世界地図上で考えて、砂漠が集中している、地域にイスラム教が信仰されている事が分かる。
イスラム教の経典コーランは、宗教上の儀礼だけでなく、生活全般をも規定している。
そのため、イスラム教は砂漠の民の法的効果など、その影響は計り知れないものがある。
人文地理学を飛躍的に進歩に導き、新しい学問として、体系的に、 人文地理学を位置付けたのは、ドイツのラッツェルである。
また、ラッツェルによって、人文地理学という名称がつけられた。
人文地理学の、創始者と言っても過言ではないだろう。
そして、ラッツェルは環境決定論を唱える。
ラッツェルは、人類社会や国家が、地理的環境と、どの様に関わっているかを研究した。
ラッツェルの思想は、ダーウインの進化論に近いと言える。
ダーウインの進化論は、生物と環境との間には、完全な調和があり、生物は、環境の影響で、進化すべき姿に変身をとげていく。
ラッツェルの思想は、これに、良く似ていて、人類の生活活動も、動物や植物と同じく、自然環境が影響を与えて、変化していくと考えた。
また、ラッツェルは、自然は、全体的にあまり変動がなく、不変的であると考えた。
これに対して、人間社会はつねに、いろんな変化をするものと考えた。
そして、一定の不変な自然環境は、変動的な人間社会に、同一の影響を与えると考えた。
ラッツェルの人文地理学は、自然環境と人間社会との関係が、一定の法則に基づく、いわば、自然科学的な不変法則によって、自然環境と人間社会の関係を理解しようとした。
ラッツェルは人類の歴史は、一般の動植物の歴史となんら変わらないと考え、自然環境の影響で人類は必然的に変化していったと考えた。
これは、人間社会は自然環境の影響で、レールに敷かれた、決められた道を進んでいる事を意味している。
これが、環境決定論である。
また、環境決定論は経済の面でも、当てはめることができる。
農業の基礎は土地(自然)で、土地によって富を生だす、生産力が決定する。
だから、経済と土地(自然)との間には環境決定論が存在する。
次に、環境可能論を唱えたのがフランスのブラーシュである。
ブラーシュは自然環境と人間社会との関係に注目した。
ここまでは、環境決定論と同じだか、中身の捉え方は少し違う。
ブラーシュは、人文地理学を生物学的な、自然環境と人間社会の関係を基礎にして体系づけたラッツェルの功績を認めながらも、環境決定論が自然環境と人間社会の諸関係をあまりにも、性急に、また、単純に解釈して、一方通行な一般論に陥っていると考えて、間違っているのではないかと指摘した。
ブラーシュの環境可能論は、自然環境は人間の活動を規定するのではなく、単に可能性を与えるにすぎないと考えた。
すなわち、人間社会は自然環境に対して一定ではなく、能動的なものと考えた。
また、自然環境に人間社会は影響されることがあるが、どの様に、人間社会が自然環に影響されるかは、いろんな要素が絡みあって、影響すると考えた。
人文地理学において人間社会の研究をする時は、自然環境だけでなく、さまざまな、角度、物事から考え研究するのが、環境可能論である。
この考えが、環境決定論との大きな違いである。
ブラーシュの功績は、人文地理学において、人類は生物的な存在から、さまざまな可能性を秘めた、決して決められた道を歩んでいるだけの存在ではない、社会的、歴史的な存在として、正しく掌握されたことである。
人文地理学の発展にブラーシュの功績が与えた功績は、はかりしれないだろう。
(参照 人文地理学概論 織田武雄 藤岡謙二 西村膣男 蘭書房)(自然環境と文化 山本正三 内山幸久 犬井正 田林明 菊地俊夫 山本充 大明堂 参照)(世界の気候地図 http://members.jcom.home.ne.jp/0517142701/seiin/map-kiko.html 参照)
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2017年02月18日
西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート
西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート
デカルトの哲学史での位置付けは、デカルトが持つ精神、物質二元論や機械論的自然観などの思想が、近世哲学時代から近代哲学・近代科学へと移り変わる時代の根本的な基礎となったことであろう。
近代哲学はデカルトから始まったと言っても過言ではないであろう。
デカルトの二元論は絶対的な存在として神の存在を認め肯定している状態で、実態は精神と物体の2つであると考えた。
例え人間の体であっても、自然の一部であり、物体と捉える機械論的思想も含んでいる。
デカルト哲学は、機械論的世界観や科学研究を取り入れるなどの近代的な思想と非現実な神の存在を肯定する近世、中世的な思想とが混じった哲学と言えるだろう。
すなわち、近世と近代が混合した哲学といえる。
デカルトは哲学のみでなく、あらゆる学問の共通の方法論を説いた。
それは、幾何学的、数学的なものは全ての学問に共通し、また、数学的なものから得られる原理は確実な知識であると考えた。
デカルトの数学的、神秘性を秘めたア・プリオリ的な経験に依存してなくても良い哲学は合理論と呼ばれ、のちの哲学家に影響を与えていく。
また、合理論は経験論と対立する。
合理論と対立している思想の経験論とは、経験に依存することを必要とした考え方の思想である。
経験論は主にイギリスを中心として唱えられた説である。
この経験論を唱え、イギリス経験論の基礎を作り、哲学の世界に新しい流れを作ったと考えられている人物がロックである。
ロックはオックスフォード大学時代に哲学だけでなく、医学や自然科学も学んだと言われている。
また、医学者としての経験もあり、腕の良い臨床医として有名だった。
また、ボイルなどの有名な科学者とも親交があり、ボイルが行った科学実験にも参加し、科学に対しても強い関心があったと思われる。
すなわち、ロックと言う人物は医学と科学の知識を兼ね備えている人物と思われる。
ロック哲学は物事を医学的、科学的に見ることができる、観察と実験を重んじた実証的経験主義の哲学と言えるだろう。
ロックは「人間悟性論」によって、イギリス経験論の基礎を作ったと言われている。
この著者の中では、神の存在を合理論的に認めているのだが、しかし、神から貰った悟性能力は、その後、その人次第で大きく変わっていくと考えた。
すなわち、神から与えられているものを人間が使うか使わないかなどは自由に決定する事ができ、また、どのように使っていくかは、人間が決めることである。
神は最初のきっかけを与えている存在にしか過ぎず、人間の進むべき道はその人の経験に依存していると考えた。
また、「市民政府ニ論」のなかで、述べられている、市民より信託された権力を乱用する統治者に対して市民は抵抗する権利を持つとする考え方は名誉革命に理論的な根拠を与えただけでなく、近代ヨーロッパ市民社会の代表的な思想となる。
ロック哲学を簡単に述べると、人間の自由を解いた哲学と考える事ができる。
自由と言う言葉はさまざまな意味を含んでいるが、人間は決められたレールを歩く存在でないと言うことである。
カントの哲学の世界に与えた影響は、大陸を中心とした合理論とイギリス経験論の2つを統合する形で新たに批判哲学を確立したことである。
カントによれば、これまでの形而上学は宇宙の根本的原理や物事の根源、魂、神の存在など、人間では回答を得る事ができないことを論理的に追求することを考えてきた学問である。
答えがでないことを追求していくのが形而上学であるので、学問として成立する事は難しいとカントは考えた。
カントは従来の形而上学に反対する立場をとりながら、従来の形而上学と、現象の形式を問題とする数学的な形而上学との関係を明らかにすることを考えた。
カントの考え方は、数学的な知識であっても、本来人間に生まれながら備わっている能力に依存している。
すなわち、数学的な判断は経験に依存していない総合的な判断だという考え方をしていた。
そして、この考え方をもとにして、カントが目指した形而上学は経験に依存しなくても総合判断が可能な新しい形而上学である。
カントの形而上学はその後、フィヒテに受け継がれることになり、そして、発展していく。
また、カントの形而上学は現代の形而上学にも大きな影響をあたえていく。
ヘーゲルはカント哲学の流れを受けて、新たにドイツ観念論哲学を大成した人物である。
しかし、ヘーゲルの哲学は同じカントの流れを汲む、フィヒテの超自我哲学やシェリングの同一哲学とは違った独自性のものであった。
ヘーゲルの哲学は、弁証法哲学と言われ、事物を不変と捕らえ、その事物の内なる力によって、事物が動き、更なる発展を遂げながら進んでいくと捉えている。
この発展的運動の論理を説いた弁証法哲学は、まさに、歴史の論理であり、歴史哲学とも繋がっていくのである。
ヘーゲルの歴史哲学は後世に大きな影響を与えていく。
ヘーゲルの哲学の世界での位置付けを考えると、古典的な哲学はヘーゲルによって完成されたと考えることもできる。
それは、ヘーゲルの弁証法哲学が、哲学、自然、歴史、宗教などあらゆる分野の精神活動の論理を説くことができるからである。
本来答えが絶対にでない哲学を完成へと導いたヘーゲル、また、完成されたものを批判することで、新たな哲学がうまれていく。
それが、現代の哲学と言えるだろう。
(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)
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デカルトの哲学史での位置付けは、デカルトが持つ精神、物質二元論や機械論的自然観などの思想が、近世哲学時代から近代哲学・近代科学へと移り変わる時代の根本的な基礎となったことであろう。
近代哲学はデカルトから始まったと言っても過言ではないであろう。
デカルトの二元論は絶対的な存在として神の存在を認め肯定している状態で、実態は精神と物体の2つであると考えた。
例え人間の体であっても、自然の一部であり、物体と捉える機械論的思想も含んでいる。
デカルト哲学は、機械論的世界観や科学研究を取り入れるなどの近代的な思想と非現実な神の存在を肯定する近世、中世的な思想とが混じった哲学と言えるだろう。
すなわち、近世と近代が混合した哲学といえる。
デカルトは哲学のみでなく、あらゆる学問の共通の方法論を説いた。
それは、幾何学的、数学的なものは全ての学問に共通し、また、数学的なものから得られる原理は確実な知識であると考えた。
デカルトの数学的、神秘性を秘めたア・プリオリ的な経験に依存してなくても良い哲学は合理論と呼ばれ、のちの哲学家に影響を与えていく。
また、合理論は経験論と対立する。
合理論と対立している思想の経験論とは、経験に依存することを必要とした考え方の思想である。
経験論は主にイギリスを中心として唱えられた説である。
この経験論を唱え、イギリス経験論の基礎を作り、哲学の世界に新しい流れを作ったと考えられている人物がロックである。
ロックはオックスフォード大学時代に哲学だけでなく、医学や自然科学も学んだと言われている。
また、医学者としての経験もあり、腕の良い臨床医として有名だった。
また、ボイルなどの有名な科学者とも親交があり、ボイルが行った科学実験にも参加し、科学に対しても強い関心があったと思われる。
すなわち、ロックと言う人物は医学と科学の知識を兼ね備えている人物と思われる。
ロック哲学は物事を医学的、科学的に見ることができる、観察と実験を重んじた実証的経験主義の哲学と言えるだろう。
ロックは「人間悟性論」によって、イギリス経験論の基礎を作ったと言われている。
この著者の中では、神の存在を合理論的に認めているのだが、しかし、神から貰った悟性能力は、その後、その人次第で大きく変わっていくと考えた。
すなわち、神から与えられているものを人間が使うか使わないかなどは自由に決定する事ができ、また、どのように使っていくかは、人間が決めることである。
神は最初のきっかけを与えている存在にしか過ぎず、人間の進むべき道はその人の経験に依存していると考えた。
また、「市民政府ニ論」のなかで、述べられている、市民より信託された権力を乱用する統治者に対して市民は抵抗する権利を持つとする考え方は名誉革命に理論的な根拠を与えただけでなく、近代ヨーロッパ市民社会の代表的な思想となる。
ロック哲学を簡単に述べると、人間の自由を解いた哲学と考える事ができる。
自由と言う言葉はさまざまな意味を含んでいるが、人間は決められたレールを歩く存在でないと言うことである。
カントの哲学の世界に与えた影響は、大陸を中心とした合理論とイギリス経験論の2つを統合する形で新たに批判哲学を確立したことである。
カントによれば、これまでの形而上学は宇宙の根本的原理や物事の根源、魂、神の存在など、人間では回答を得る事ができないことを論理的に追求することを考えてきた学問である。
答えがでないことを追求していくのが形而上学であるので、学問として成立する事は難しいとカントは考えた。
カントは従来の形而上学に反対する立場をとりながら、従来の形而上学と、現象の形式を問題とする数学的な形而上学との関係を明らかにすることを考えた。
カントの考え方は、数学的な知識であっても、本来人間に生まれながら備わっている能力に依存している。
すなわち、数学的な判断は経験に依存していない総合的な判断だという考え方をしていた。
そして、この考え方をもとにして、カントが目指した形而上学は経験に依存しなくても総合判断が可能な新しい形而上学である。
カントの形而上学はその後、フィヒテに受け継がれることになり、そして、発展していく。
また、カントの形而上学は現代の形而上学にも大きな影響をあたえていく。
ヘーゲルはカント哲学の流れを受けて、新たにドイツ観念論哲学を大成した人物である。
しかし、ヘーゲルの哲学は同じカントの流れを汲む、フィヒテの超自我哲学やシェリングの同一哲学とは違った独自性のものであった。
ヘーゲルの哲学は、弁証法哲学と言われ、事物を不変と捕らえ、その事物の内なる力によって、事物が動き、更なる発展を遂げながら進んでいくと捉えている。
この発展的運動の論理を説いた弁証法哲学は、まさに、歴史の論理であり、歴史哲学とも繋がっていくのである。
ヘーゲルの歴史哲学は後世に大きな影響を与えていく。
ヘーゲルの哲学の世界での位置付けを考えると、古典的な哲学はヘーゲルによって完成されたと考えることもできる。
それは、ヘーゲルの弁証法哲学が、哲学、自然、歴史、宗教などあらゆる分野の精神活動の論理を説くことができるからである。
本来答えが絶対にでない哲学を完成へと導いたヘーゲル、また、完成されたものを批判することで、新たな哲学がうまれていく。
それが、現代の哲学と言えるだろう。
(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)
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2017年02月10日
生徒にとっての理想の教科書と記憶との関係‐法政大学通信教育部教職課程‐教育心理学リポート
生徒にとっての理想の教科書と記憶との関係‐法政大学通信教育部教職課程‐教育心理学リポート
全ての生徒が自ら学ぶ力をつける理想の教科書を作るためには、生徒自ら教科書を作ってはどうだろうか。
他人が作った教科書では、なんの関連性もなく、ただ意味なく、暗記学習に陥りやすく、自ら学ぶのではなく、テストのためにしかたなく、教科書を暗記するに留まってしまうのではないだろうか。
そして、暗記学習は、記憶研究の知見から考えると、エビングハウスの忘却曲線実験によって証明されるように、意味のない暗記の記憶は短期間で急激に忘れ、その後は緩やかに忘れていくのである。
最終的には大部分の記憶が時間の経過によって、ほとんど忘れ去られるのである。
これは、試験のために、1夜づけで、勉強して知識を詰め込む学習が、その後の人生にあまり意味をなさないことを意味しているのではないだろうか。
ここで、少し記憶のメカニズムについて、説明すると、記憶には感覚貯蔵庫、短期貯蔵庫、長期貯蔵庫の3種類がある。
これらの貯蔵された記憶の事を感覚記憶、短期記憶、長期記憶と言う。
最初人間のすべての感覚からもたらされた情報は無意識的に感覚蔵庫に保存されるが、1秒以内に消えてしまう。
そして、感覚蔵庫に入っている情報の中で、意識している情報だけが、短期貯蔵庫に入る。しかし、短期貯蔵庫の情報はもってせいぜい20秒ぐらいである。
短期貯蔵庫の情報を半永久的に記憶するためには、長期貯蔵庫に入れなければならない。
長期記憶にするためには、短期記憶の段階で何度も繰り返してリハーサル(復唱)を行う必要がある。
勉強に励むときは、この長期保存記憶に情報を保存する必要がある。
何度もこつこつと学習を繰り返せば長期記憶として、自分の身につくことになる。
しかし、先ほどのエビングハウスの実験で分かるように、せっかくリハーサルによって長期記憶に記憶が入っても、そのほとんどが、時間の経過とともに忘れ去られる。
これを防ぐには記憶に意味を付けてやることである。
記憶に意味を付ければ、記憶が短期記憶から長期記憶に移りやすく、また、記憶を忘れにくいのである。
効率のよい記憶術はたくさんある。
そして、この方法の1つが最初に述べた、自分自身の手によって教科書を作るである。
生徒自ら教科書を作ることによって、教科書に意味付けがなされて、長期記憶になりやすく、また、忘れにくくなるのである。
生徒自身の手によって教科書を作るという事は、生徒自らが体験や経験を行って、自分の手で物事を調べるために、きっと、生徒自身が自ら学習をする動機づけにもなるのではないだろうか。
だれにも強制されずに、自発的に学習する事ができれば、自ら学ぶ力をつける理想の教科書であると思う。
実際に、生徒自ら教科書を作るとは、どのようなことか説明すると、生徒が実際に体験したことや調べたことを教科書に書き綴る方法である。
例えば、生物なら、実際に蛙を解剖して、体の構造を見て調べて、自らの教科書に蛙の体の内部の絵を書いたりして、自ら書き綴ってはどうだろうか。
科学の時間なら、生徒自ら科学実験を行ってこの作業手順や実験の経過や結果を教科書に書き綴っていけばいいと思う。
地理の教科書作りなら、実際に生徒自らが学習する現地に足を運んでその土地の風土を堪能して、写真をとり、自らの教科書に貼り付ければ良いと思う。
もし、場所が離れていて足を運べない場合は、図書館や旅行書、インタ―ネットなどあらゆる手段を使って自らの力で調べてみるのもいいのではないであろうか。
歴史なら生徒自身の手で調べて空白の年表を埋めるのもいいかもしれない。
他にも例を上がればたくさんある。
この生徒自ら教科書を作るというアイデアはあらゆる科目に適応されるアイデアではないだろうか。
生徒自らの手によって作られた教科書は、生徒一人一人同じではない。
若干内容が変わってくる、例えば、科学の実験結果は多少違いも出てくるし、同じ蛙でも個体差もある。
また、生徒が写真をとるにしても、写真技術で個人差はでてくるし、スケッチする技能も生徒によって違うし、写真や絵、文字のレイアウトも人によって代わってくる。
物事を調べるにしても、参考にした資料によって、若干の違いはでてくる。
まさに、世界に1つしかない教科書ができる。
生徒自らの手で造られた教科書は、後で読む時も、まるで、日記を読むように、教科書を作ったときの苦労などを思い出しながら楽しく学習できるのではなかろうか。
生徒自らの手で作った教科書なら、試験勉強以外でも読む気持ちにもなれると思う。
しかし、ここで、重要となることは、教科書の内容が生徒によって全く違ってくれば問題があるので、教師がある程度のマニアルを提示する必要がある感じる。
その他、生徒の想像力を働かすのもやる気をもって学習するのに効果的だとおもう。
例えば、数学で、5+3=○、と問い掛け答えの8を求めるよりも、○+○=8、のように、8を求めるために、いろんな組み合わせで○の中に入る数字を考えるほうが面白いのではないかと思う。
答えは1つでない。
まとめると、がちがちの答えが1つしかないような事柄を暗記してしまう教科書ではなく、生徒がつねに考え想像しながら学習できる教科書が理想と言えるだろう。
(教育心理学 徳田克巳 高見令英 2003年 博文社 参照) (教育心理学概説 会田元明 内野康人之 横山朋子 1996年 ミルヴァー書房 参照)
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全ての生徒が自ら学ぶ力をつける理想の教科書を作るためには、生徒自ら教科書を作ってはどうだろうか。
他人が作った教科書では、なんの関連性もなく、ただ意味なく、暗記学習に陥りやすく、自ら学ぶのではなく、テストのためにしかたなく、教科書を暗記するに留まってしまうのではないだろうか。
そして、暗記学習は、記憶研究の知見から考えると、エビングハウスの忘却曲線実験によって証明されるように、意味のない暗記の記憶は短期間で急激に忘れ、その後は緩やかに忘れていくのである。
最終的には大部分の記憶が時間の経過によって、ほとんど忘れ去られるのである。
これは、試験のために、1夜づけで、勉強して知識を詰め込む学習が、その後の人生にあまり意味をなさないことを意味しているのではないだろうか。
ここで、少し記憶のメカニズムについて、説明すると、記憶には感覚貯蔵庫、短期貯蔵庫、長期貯蔵庫の3種類がある。
これらの貯蔵された記憶の事を感覚記憶、短期記憶、長期記憶と言う。
最初人間のすべての感覚からもたらされた情報は無意識的に感覚蔵庫に保存されるが、1秒以内に消えてしまう。
そして、感覚蔵庫に入っている情報の中で、意識している情報だけが、短期貯蔵庫に入る。しかし、短期貯蔵庫の情報はもってせいぜい20秒ぐらいである。
短期貯蔵庫の情報を半永久的に記憶するためには、長期貯蔵庫に入れなければならない。
長期記憶にするためには、短期記憶の段階で何度も繰り返してリハーサル(復唱)を行う必要がある。
勉強に励むときは、この長期保存記憶に情報を保存する必要がある。
何度もこつこつと学習を繰り返せば長期記憶として、自分の身につくことになる。
しかし、先ほどのエビングハウスの実験で分かるように、せっかくリハーサルによって長期記憶に記憶が入っても、そのほとんどが、時間の経過とともに忘れ去られる。
これを防ぐには記憶に意味を付けてやることである。
記憶に意味を付ければ、記憶が短期記憶から長期記憶に移りやすく、また、記憶を忘れにくいのである。
効率のよい記憶術はたくさんある。
そして、この方法の1つが最初に述べた、自分自身の手によって教科書を作るである。
生徒自ら教科書を作ることによって、教科書に意味付けがなされて、長期記憶になりやすく、また、忘れにくくなるのである。
生徒自身の手によって教科書を作るという事は、生徒自らが体験や経験を行って、自分の手で物事を調べるために、きっと、生徒自身が自ら学習をする動機づけにもなるのではないだろうか。
だれにも強制されずに、自発的に学習する事ができれば、自ら学ぶ力をつける理想の教科書であると思う。
実際に、生徒自ら教科書を作るとは、どのようなことか説明すると、生徒が実際に体験したことや調べたことを教科書に書き綴る方法である。
例えば、生物なら、実際に蛙を解剖して、体の構造を見て調べて、自らの教科書に蛙の体の内部の絵を書いたりして、自ら書き綴ってはどうだろうか。
科学の時間なら、生徒自ら科学実験を行ってこの作業手順や実験の経過や結果を教科書に書き綴っていけばいいと思う。
地理の教科書作りなら、実際に生徒自らが学習する現地に足を運んでその土地の風土を堪能して、写真をとり、自らの教科書に貼り付ければ良いと思う。
もし、場所が離れていて足を運べない場合は、図書館や旅行書、インタ―ネットなどあらゆる手段を使って自らの力で調べてみるのもいいのではないであろうか。
歴史なら生徒自身の手で調べて空白の年表を埋めるのもいいかもしれない。
他にも例を上がればたくさんある。
この生徒自ら教科書を作るというアイデアはあらゆる科目に適応されるアイデアではないだろうか。
生徒自らの手によって作られた教科書は、生徒一人一人同じではない。
若干内容が変わってくる、例えば、科学の実験結果は多少違いも出てくるし、同じ蛙でも個体差もある。
また、生徒が写真をとるにしても、写真技術で個人差はでてくるし、スケッチする技能も生徒によって違うし、写真や絵、文字のレイアウトも人によって代わってくる。
物事を調べるにしても、参考にした資料によって、若干の違いはでてくる。
まさに、世界に1つしかない教科書ができる。
生徒自らの手で造られた教科書は、後で読む時も、まるで、日記を読むように、教科書を作ったときの苦労などを思い出しながら楽しく学習できるのではなかろうか。
生徒自らの手で作った教科書なら、試験勉強以外でも読む気持ちにもなれると思う。
しかし、ここで、重要となることは、教科書の内容が生徒によって全く違ってくれば問題があるので、教師がある程度のマニアルを提示する必要がある感じる。
その他、生徒の想像力を働かすのもやる気をもって学習するのに効果的だとおもう。
例えば、数学で、5+3=○、と問い掛け答えの8を求めるよりも、○+○=8、のように、8を求めるために、いろんな組み合わせで○の中に入る数字を考えるほうが面白いのではないかと思う。
答えは1つでない。
まとめると、がちがちの答えが1つしかないような事柄を暗記してしまう教科書ではなく、生徒がつねに考え想像しながら学習できる教科書が理想と言えるだろう。
(教育心理学 徳田克巳 高見令英 2003年 博文社 参照) (教育心理学概説 会田元明 内野康人之 横山朋子 1996年 ミルヴァー書房 参照)
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2017年02月04日
奨学金を有利子で借りる前にこの記事を読んでね!格安で大学進学を考えている人必見
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奨学金制度に苦しむ若者を見て思う事は、大学は借金までしていく所ではない。
大学に借金してまで行く価値など無いと思う。
現実として
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大学卒よりも、手に職を身につけた方がよっぽど職には困りません。
しかし、教師の様に、大学卒でないと付けない職種も存在しています。
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どうしても、大学に入学したい場合は
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これしかないですね。
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私自身もほとんど無一文に近い状態で、通信制大学に入学しました。
お金は無くても働きながら学習する事が出来ました。
奨学金を借りる前に通信制大学を考えて下さい。
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2017年01月28日
人口と食糧問題の関係について‐現代社会の光と影に迫る‐教職課程、地歴科教育法リポート
人口と食糧問題の関係について‐現代社会の光と影に迫る‐教職課程、地歴科教育法リポート
最初に世界の人口や日本の人口が地域によって、どのような変化をしているのか、理解し、人口の移り変わりが、現在から未来にかけて、食料問題にどのような影響を与えるか考える。
そして、食糧問題がどれだけ、危険な立場にあるか、理解してもらい、次の時代を担う子供達に、この問題を考えてもらいたい。
日本を含めて、世界の人口は現在もなお、ふえつづけている。日本では、近年出生率の低下から、人口増加率が低下をたどっている。
近い将来日本の人口は減少に転じる事が予想される。
日本の食糧事情は現在どうなっているのだろうか、コンビニに代表されるように、大量生産そして、賞味期限が過ぎれば、大量廃棄を行う。
このような、大量生産大量廃棄社会によって、日本の経済が成り立っていると思われる。
違う見方をすれば、食糧を含めた物を無駄に使っていることが分かる。
問題点としては、日本の穀物自給率は非常に低く、約26パーセントぐらいである。
日本国内だけでは、日本の人口を養うことは不可能なのである。
それにも、かかわらず、現在でもなお、減反政策が行われているのが、おかしなことではなかろうかと思われる。
食糧の不足分は、大量生産大量廃棄社会から、生み出される経済力で、食糧供給を他の地域からの輸入に頼っているのが現状である。
経済大国である、日本が食糧危機になる可能性はないと思われるが、どうなるかはわからない。
もし、仮に他の地域が輸入をストップした場合である。
原因の可能性としては、食糧輸出国の不作などによる食糧危機、国家間の不仲による、国際的な孤立による、輸出のストップ、戦争などによって、輸出ルートの閉鎖などなど、いろいろ可能性は考えられる。
その他、日本での出生率の低下は、近い将来の高齢化社会の到来を告げる原因となる。
もし、第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの世代が老年期になった時、働ける世代が極端に少ない社会になるだろう。
そうなると、現在の経済力を日本が維持できるのかどうかは、非常に難しくなるのではないかと思われる。
子供達に分かってもらいたい、ポイントは、日本の社会がこれまでのように、裕福で物に溢れた社会で、いられる保証はないこと、また、今までのような、大量生産大量廃棄社会で本当にいいのだろうかなどの問題意識を持ってもらって、これから、どのような日本社会を作っていかなければならないかを、考えてもらいたい。
現在世界の人口は爆発的な増加の現象にある。
しかし、全ての地域で人口増加現象があるのかというと、そうではないのである。
各地域によって、いろんな、人口問題を抱えている。
かつて、世界には人口の密集地域があった。
ヨーロッパやアメリカ、日本を含めた極東などである。
現在でもこれらの地域の人口は多いのだが、人口増加率はかなり少なくなってきて、人口の減少も見られる。
言い替えると先進諸国では、人口増加はあまりみられず、減少傾向にあることである。
そして、爆発的な人口増加が見られる地域は現在、アジア、アフリカなど、第3世界と言われる発展途上地域である。近い将来、人口の密集地域の変化が起こるであろう。
かつて、人口の多さは、その国が、どれだけの国力を保有しているかの、重要なバロメーターとなっていたが、現在は反対に貧困をしめす、バロメーターになっているのではないかと思われる。
それは、国の経済が安定している地域では人口は増えずに、経済が安定してない地域では人口が増えていることである。
なんともおかしな現象である。
現在から未来にかけての、世界の食糧事情はどうなのであろうか?
日本のように、食糧が溢れている地域もあれば、食糧不足で困っている地域もある。
食糧不足地域の例をあげると、現在、いろんな報道手段をつかって、アフリカなどの発展途上国に募金を呼びかけて、食糧を含め、人、物資、資金など、いろんな援助が行われている。
このように、世界では食糧は不足している。
今後、もっと、深刻な食糧不足に陥ることが、予想される。
食糧不足の原因は、人口の増加、農業生産の低下、異常気象などが考えられる。
人口はなぜ、増えるのだろうか?
人間も動物の一種、食物連鎖の食物ピラミッドの頂点に立つわけだが、本来なら、食糧となる、他の動物や魚、植物の数が減少すれば、その割合に応じて、人間の数もうまく調節されるはずである。
過去の歴史を見ても、人口が増加すると、疫病や飢饉の大量発生などの要因により、人口は調節されてきた。しかし、現在は、医療技術の爆発的な進化、人間の高齢化などのために、人口が急激に増加した。
農業生産の低下原因は、砂漠化、井戸を掘ったことによる地下水の減少、ダム建設の弊害、塩害、などである。
農地を増やすために、森林の伐採が行われるが、これまた、いけないのである。
森林の伐採は、地球の温暖化、永久凍土融解、土地が腐る、などの要因となる。
地球の温暖化は異常気象や砂漠化の原因ともなる。
このように、さまざまな要因が絡み合い悪い方向へと、地球は進んでいる。
地球の土地は劣化していき、農業生産はどんどん、下がっていくことが、今後も予想される。
食糧供給の救世主として、品修改良である、緑の革命がある。
食糧問題の救世主的な存在ではあるが、危険性もある。化学肥料を大量に使うために、環境への懸念、品種改良をつづけた、品物を食べつづけることの危険性などである。
子供たちに分かってもらいたいポイントは、日本のように、食糧に満ち溢れている地域もあれば、その裏に、アフリカなんどの、発展途上国の食糧が不足して、たくさんの餓死や貧困があることである。
そして、これらの地域では、養うこともできないのに、人口が増えていることである。
よく報道で発展途上国に対する資金援助の募金やボランティアの募集、などを見かける。
集まった資金で、食糧や病気のワクチンやボランティア活動による、井戸の建設、農地の建設などを行うことに、どのような意味があるかを考えてもらいたい。
子供達それぞれに、さまざまな意見があると思われる。
それぞれに意見をクラス中の人にだしあってもらって、さまざまな意見があることを分かってもらって、今後どのようにしていけばよいのか考えてもらいたい。
今までどうりでいいのか?
もっと、他によい、解決策はあるのか?
どちらにしても、問題意識の1つとして、子供達の心に残してもらいたい。
ここからは、私の個人的な意見ではあるが、人間も含めてだが、生き物の命はもちろん、尊いものである。
しかし、一時的な救済に意味はないと思う。
根本的な解決が必要である。
食糧がないのに、増えつづけている人口増加を抑えることが、最重要課題ではないのかと思う。
それには、教育ってものが必要ではないのかと思われる。
(人文地理学序論 河上税 長島勝雄 大明堂 参照)(総務省統計局 日本国勢図会 世界国勢図会 以上のデータ参照)
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最初に世界の人口や日本の人口が地域によって、どのような変化をしているのか、理解し、人口の移り変わりが、現在から未来にかけて、食料問題にどのような影響を与えるか考える。
そして、食糧問題がどれだけ、危険な立場にあるか、理解してもらい、次の時代を担う子供達に、この問題を考えてもらいたい。
日本を含めて、世界の人口は現在もなお、ふえつづけている。日本では、近年出生率の低下から、人口増加率が低下をたどっている。
近い将来日本の人口は減少に転じる事が予想される。
日本の食糧事情は現在どうなっているのだろうか、コンビニに代表されるように、大量生産そして、賞味期限が過ぎれば、大量廃棄を行う。
このような、大量生産大量廃棄社会によって、日本の経済が成り立っていると思われる。
違う見方をすれば、食糧を含めた物を無駄に使っていることが分かる。
問題点としては、日本の穀物自給率は非常に低く、約26パーセントぐらいである。
日本国内だけでは、日本の人口を養うことは不可能なのである。
それにも、かかわらず、現在でもなお、減反政策が行われているのが、おかしなことではなかろうかと思われる。
食糧の不足分は、大量生産大量廃棄社会から、生み出される経済力で、食糧供給を他の地域からの輸入に頼っているのが現状である。
経済大国である、日本が食糧危機になる可能性はないと思われるが、どうなるかはわからない。
もし、仮に他の地域が輸入をストップした場合である。
原因の可能性としては、食糧輸出国の不作などによる食糧危機、国家間の不仲による、国際的な孤立による、輸出のストップ、戦争などによって、輸出ルートの閉鎖などなど、いろいろ可能性は考えられる。
その他、日本での出生率の低下は、近い将来の高齢化社会の到来を告げる原因となる。
もし、第1次ベビーブームと第2次ベビーブームの世代が老年期になった時、働ける世代が極端に少ない社会になるだろう。
そうなると、現在の経済力を日本が維持できるのかどうかは、非常に難しくなるのではないかと思われる。
子供達に分かってもらいたい、ポイントは、日本の社会がこれまでのように、裕福で物に溢れた社会で、いられる保証はないこと、また、今までのような、大量生産大量廃棄社会で本当にいいのだろうかなどの問題意識を持ってもらって、これから、どのような日本社会を作っていかなければならないかを、考えてもらいたい。
現在世界の人口は爆発的な増加の現象にある。
しかし、全ての地域で人口増加現象があるのかというと、そうではないのである。
各地域によって、いろんな、人口問題を抱えている。
かつて、世界には人口の密集地域があった。
ヨーロッパやアメリカ、日本を含めた極東などである。
現在でもこれらの地域の人口は多いのだが、人口増加率はかなり少なくなってきて、人口の減少も見られる。
言い替えると先進諸国では、人口増加はあまりみられず、減少傾向にあることである。
そして、爆発的な人口増加が見られる地域は現在、アジア、アフリカなど、第3世界と言われる発展途上地域である。近い将来、人口の密集地域の変化が起こるであろう。
かつて、人口の多さは、その国が、どれだけの国力を保有しているかの、重要なバロメーターとなっていたが、現在は反対に貧困をしめす、バロメーターになっているのではないかと思われる。
それは、国の経済が安定している地域では人口は増えずに、経済が安定してない地域では人口が増えていることである。
なんともおかしな現象である。
現在から未来にかけての、世界の食糧事情はどうなのであろうか?
日本のように、食糧が溢れている地域もあれば、食糧不足で困っている地域もある。
食糧不足地域の例をあげると、現在、いろんな報道手段をつかって、アフリカなどの発展途上国に募金を呼びかけて、食糧を含め、人、物資、資金など、いろんな援助が行われている。
このように、世界では食糧は不足している。
今後、もっと、深刻な食糧不足に陥ることが、予想される。
食糧不足の原因は、人口の増加、農業生産の低下、異常気象などが考えられる。
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過去の歴史を見ても、人口が増加すると、疫病や飢饉の大量発生などの要因により、人口は調節されてきた。しかし、現在は、医療技術の爆発的な進化、人間の高齢化などのために、人口が急激に増加した。
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地球の温暖化は異常気象や砂漠化の原因ともなる。
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子供たちに分かってもらいたいポイントは、日本のように、食糧に満ち溢れている地域もあれば、その裏に、アフリカなんどの、発展途上国の食糧が不足して、たくさんの餓死や貧困があることである。
そして、これらの地域では、養うこともできないのに、人口が増えていることである。
よく報道で発展途上国に対する資金援助の募金やボランティアの募集、などを見かける。
集まった資金で、食糧や病気のワクチンやボランティア活動による、井戸の建設、農地の建設などを行うことに、どのような意味があるかを考えてもらいたい。
子供達それぞれに、さまざまな意見があると思われる。
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食糧がないのに、増えつづけている人口増加を抑えることが、最重要課題ではないのかと思う。
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(人文地理学序論 河上税 長島勝雄 大明堂 参照)(総務省統計局 日本国勢図会 世界国勢図会 以上のデータ参照)
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