2017年02月18日
西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート
西洋の哲学者たち‐文学部史学科‐西洋哲学史リポート
デカルトの哲学史での位置付けは、デカルトが持つ精神、物質二元論や機械論的自然観などの思想が、近世哲学時代から近代哲学・近代科学へと移り変わる時代の根本的な基礎となったことであろう。
近代哲学はデカルトから始まったと言っても過言ではないであろう。
デカルトの二元論は絶対的な存在として神の存在を認め肯定している状態で、実態は精神と物体の2つであると考えた。
例え人間の体であっても、自然の一部であり、物体と捉える機械論的思想も含んでいる。
デカルト哲学は、機械論的世界観や科学研究を取り入れるなどの近代的な思想と非現実な神の存在を肯定する近世、中世的な思想とが混じった哲学と言えるだろう。
すなわち、近世と近代が混合した哲学といえる。
デカルトは哲学のみでなく、あらゆる学問の共通の方法論を説いた。
それは、幾何学的、数学的なものは全ての学問に共通し、また、数学的なものから得られる原理は確実な知識であると考えた。
デカルトの数学的、神秘性を秘めたア・プリオリ的な経験に依存してなくても良い哲学は合理論と呼ばれ、のちの哲学家に影響を与えていく。
また、合理論は経験論と対立する。
合理論と対立している思想の経験論とは、経験に依存することを必要とした考え方の思想である。
経験論は主にイギリスを中心として唱えられた説である。
この経験論を唱え、イギリス経験論の基礎を作り、哲学の世界に新しい流れを作ったと考えられている人物がロックである。
ロックはオックスフォード大学時代に哲学だけでなく、医学や自然科学も学んだと言われている。
また、医学者としての経験もあり、腕の良い臨床医として有名だった。
また、ボイルなどの有名な科学者とも親交があり、ボイルが行った科学実験にも参加し、科学に対しても強い関心があったと思われる。
すなわち、ロックと言う人物は医学と科学の知識を兼ね備えている人物と思われる。
ロック哲学は物事を医学的、科学的に見ることができる、観察と実験を重んじた実証的経験主義の哲学と言えるだろう。
ロックは「人間悟性論」によって、イギリス経験論の基礎を作ったと言われている。
この著者の中では、神の存在を合理論的に認めているのだが、しかし、神から貰った悟性能力は、その後、その人次第で大きく変わっていくと考えた。
すなわち、神から与えられているものを人間が使うか使わないかなどは自由に決定する事ができ、また、どのように使っていくかは、人間が決めることである。
神は最初のきっかけを与えている存在にしか過ぎず、人間の進むべき道はその人の経験に依存していると考えた。
また、「市民政府ニ論」のなかで、述べられている、市民より信託された権力を乱用する統治者に対して市民は抵抗する権利を持つとする考え方は名誉革命に理論的な根拠を与えただけでなく、近代ヨーロッパ市民社会の代表的な思想となる。
ロック哲学を簡単に述べると、人間の自由を解いた哲学と考える事ができる。
自由と言う言葉はさまざまな意味を含んでいるが、人間は決められたレールを歩く存在でないと言うことである。
カントの哲学の世界に与えた影響は、大陸を中心とした合理論とイギリス経験論の2つを統合する形で新たに批判哲学を確立したことである。
カントによれば、これまでの形而上学は宇宙の根本的原理や物事の根源、魂、神の存在など、人間では回答を得る事ができないことを論理的に追求することを考えてきた学問である。
答えがでないことを追求していくのが形而上学であるので、学問として成立する事は難しいとカントは考えた。
カントは従来の形而上学に反対する立場をとりながら、従来の形而上学と、現象の形式を問題とする数学的な形而上学との関係を明らかにすることを考えた。
カントの考え方は、数学的な知識であっても、本来人間に生まれながら備わっている能力に依存している。
すなわち、数学的な判断は経験に依存していない総合的な判断だという考え方をしていた。
そして、この考え方をもとにして、カントが目指した形而上学は経験に依存しなくても総合判断が可能な新しい形而上学である。
カントの形而上学はその後、フィヒテに受け継がれることになり、そして、発展していく。
また、カントの形而上学は現代の形而上学にも大きな影響をあたえていく。
ヘーゲルはカント哲学の流れを受けて、新たにドイツ観念論哲学を大成した人物である。
しかし、ヘーゲルの哲学は同じカントの流れを汲む、フィヒテの超自我哲学やシェリングの同一哲学とは違った独自性のものであった。
ヘーゲルの哲学は、弁証法哲学と言われ、事物を不変と捕らえ、その事物の内なる力によって、事物が動き、更なる発展を遂げながら進んでいくと捉えている。
この発展的運動の論理を説いた弁証法哲学は、まさに、歴史の論理であり、歴史哲学とも繋がっていくのである。
ヘーゲルの歴史哲学は後世に大きな影響を与えていく。
ヘーゲルの哲学の世界での位置付けを考えると、古典的な哲学はヘーゲルによって完成されたと考えることもできる。
それは、ヘーゲルの弁証法哲学が、哲学、自然、歴史、宗教などあらゆる分野の精神活動の論理を説くことができるからである。
本来答えが絶対にでない哲学を完成へと導いたヘーゲル、また、完成されたものを批判することで、新たな哲学がうまれていく。
それが、現代の哲学と言えるだろう。
(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)
記事を読まれた方はクリックをお願いします。
デカルトの哲学史での位置付けは、デカルトが持つ精神、物質二元論や機械論的自然観などの思想が、近世哲学時代から近代哲学・近代科学へと移り変わる時代の根本的な基礎となったことであろう。
近代哲学はデカルトから始まったと言っても過言ではないであろう。
デカルトの二元論は絶対的な存在として神の存在を認め肯定している状態で、実態は精神と物体の2つであると考えた。
例え人間の体であっても、自然の一部であり、物体と捉える機械論的思想も含んでいる。
デカルト哲学は、機械論的世界観や科学研究を取り入れるなどの近代的な思想と非現実な神の存在を肯定する近世、中世的な思想とが混じった哲学と言えるだろう。
すなわち、近世と近代が混合した哲学といえる。
デカルトは哲学のみでなく、あらゆる学問の共通の方法論を説いた。
それは、幾何学的、数学的なものは全ての学問に共通し、また、数学的なものから得られる原理は確実な知識であると考えた。
デカルトの数学的、神秘性を秘めたア・プリオリ的な経験に依存してなくても良い哲学は合理論と呼ばれ、のちの哲学家に影響を与えていく。
また、合理論は経験論と対立する。
合理論と対立している思想の経験論とは、経験に依存することを必要とした考え方の思想である。
経験論は主にイギリスを中心として唱えられた説である。
この経験論を唱え、イギリス経験論の基礎を作り、哲学の世界に新しい流れを作ったと考えられている人物がロックである。
ロックはオックスフォード大学時代に哲学だけでなく、医学や自然科学も学んだと言われている。
また、医学者としての経験もあり、腕の良い臨床医として有名だった。
また、ボイルなどの有名な科学者とも親交があり、ボイルが行った科学実験にも参加し、科学に対しても強い関心があったと思われる。
すなわち、ロックと言う人物は医学と科学の知識を兼ね備えている人物と思われる。
ロック哲学は物事を医学的、科学的に見ることができる、観察と実験を重んじた実証的経験主義の哲学と言えるだろう。
ロックは「人間悟性論」によって、イギリス経験論の基礎を作ったと言われている。
この著者の中では、神の存在を合理論的に認めているのだが、しかし、神から貰った悟性能力は、その後、その人次第で大きく変わっていくと考えた。
すなわち、神から与えられているものを人間が使うか使わないかなどは自由に決定する事ができ、また、どのように使っていくかは、人間が決めることである。
神は最初のきっかけを与えている存在にしか過ぎず、人間の進むべき道はその人の経験に依存していると考えた。
また、「市民政府ニ論」のなかで、述べられている、市民より信託された権力を乱用する統治者に対して市民は抵抗する権利を持つとする考え方は名誉革命に理論的な根拠を与えただけでなく、近代ヨーロッパ市民社会の代表的な思想となる。
ロック哲学を簡単に述べると、人間の自由を解いた哲学と考える事ができる。
自由と言う言葉はさまざまな意味を含んでいるが、人間は決められたレールを歩く存在でないと言うことである。
カントの哲学の世界に与えた影響は、大陸を中心とした合理論とイギリス経験論の2つを統合する形で新たに批判哲学を確立したことである。
カントによれば、これまでの形而上学は宇宙の根本的原理や物事の根源、魂、神の存在など、人間では回答を得る事ができないことを論理的に追求することを考えてきた学問である。
答えがでないことを追求していくのが形而上学であるので、学問として成立する事は難しいとカントは考えた。
カントは従来の形而上学に反対する立場をとりながら、従来の形而上学と、現象の形式を問題とする数学的な形而上学との関係を明らかにすることを考えた。
カントの考え方は、数学的な知識であっても、本来人間に生まれながら備わっている能力に依存している。
すなわち、数学的な判断は経験に依存していない総合的な判断だという考え方をしていた。
そして、この考え方をもとにして、カントが目指した形而上学は経験に依存しなくても総合判断が可能な新しい形而上学である。
カントの形而上学はその後、フィヒテに受け継がれることになり、そして、発展していく。
また、カントの形而上学は現代の形而上学にも大きな影響をあたえていく。
ヘーゲルはカント哲学の流れを受けて、新たにドイツ観念論哲学を大成した人物である。
しかし、ヘーゲルの哲学は同じカントの流れを汲む、フィヒテの超自我哲学やシェリングの同一哲学とは違った独自性のものであった。
ヘーゲルの哲学は、弁証法哲学と言われ、事物を不変と捕らえ、その事物の内なる力によって、事物が動き、更なる発展を遂げながら進んでいくと捉えている。
この発展的運動の論理を説いた弁証法哲学は、まさに、歴史の論理であり、歴史哲学とも繋がっていくのである。
ヘーゲルの歴史哲学は後世に大きな影響を与えていく。
ヘーゲルの哲学の世界での位置付けを考えると、古典的な哲学はヘーゲルによって完成されたと考えることもできる。
それは、ヘーゲルの弁証法哲学が、哲学、自然、歴史、宗教などあらゆる分野の精神活動の論理を説くことができるからである。
本来答えが絶対にでない哲学を完成へと導いたヘーゲル、また、完成されたものを批判することで、新たな哲学がうまれていく。
それが、現代の哲学と言えるだろう。
(西洋哲学史 今道友信 講談社 参照)
記事を読まれた方はクリックをお願いします。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5742503
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック