2017年02月10日
生徒にとっての理想の教科書と記憶との関係‐法政大学通信教育部教職課程‐教育心理学リポート
生徒にとっての理想の教科書と記憶との関係‐法政大学通信教育部教職課程‐教育心理学リポート
全ての生徒が自ら学ぶ力をつける理想の教科書を作るためには、生徒自ら教科書を作ってはどうだろうか。
他人が作った教科書では、なんの関連性もなく、ただ意味なく、暗記学習に陥りやすく、自ら学ぶのではなく、テストのためにしかたなく、教科書を暗記するに留まってしまうのではないだろうか。
そして、暗記学習は、記憶研究の知見から考えると、エビングハウスの忘却曲線実験によって証明されるように、意味のない暗記の記憶は短期間で急激に忘れ、その後は緩やかに忘れていくのである。
最終的には大部分の記憶が時間の経過によって、ほとんど忘れ去られるのである。
これは、試験のために、1夜づけで、勉強して知識を詰め込む学習が、その後の人生にあまり意味をなさないことを意味しているのではないだろうか。
ここで、少し記憶のメカニズムについて、説明すると、記憶には感覚貯蔵庫、短期貯蔵庫、長期貯蔵庫の3種類がある。
これらの貯蔵された記憶の事を感覚記憶、短期記憶、長期記憶と言う。
最初人間のすべての感覚からもたらされた情報は無意識的に感覚蔵庫に保存されるが、1秒以内に消えてしまう。
そして、感覚蔵庫に入っている情報の中で、意識している情報だけが、短期貯蔵庫に入る。しかし、短期貯蔵庫の情報はもってせいぜい20秒ぐらいである。
短期貯蔵庫の情報を半永久的に記憶するためには、長期貯蔵庫に入れなければならない。
長期記憶にするためには、短期記憶の段階で何度も繰り返してリハーサル(復唱)を行う必要がある。
勉強に励むときは、この長期保存記憶に情報を保存する必要がある。
何度もこつこつと学習を繰り返せば長期記憶として、自分の身につくことになる。
しかし、先ほどのエビングハウスの実験で分かるように、せっかくリハーサルによって長期記憶に記憶が入っても、そのほとんどが、時間の経過とともに忘れ去られる。
これを防ぐには記憶に意味を付けてやることである。
記憶に意味を付ければ、記憶が短期記憶から長期記憶に移りやすく、また、記憶を忘れにくいのである。
効率のよい記憶術はたくさんある。
そして、この方法の1つが最初に述べた、自分自身の手によって教科書を作るである。
生徒自ら教科書を作ることによって、教科書に意味付けがなされて、長期記憶になりやすく、また、忘れにくくなるのである。
生徒自身の手によって教科書を作るという事は、生徒自らが体験や経験を行って、自分の手で物事を調べるために、きっと、生徒自身が自ら学習をする動機づけにもなるのではないだろうか。
だれにも強制されずに、自発的に学習する事ができれば、自ら学ぶ力をつける理想の教科書であると思う。
実際に、生徒自ら教科書を作るとは、どのようなことか説明すると、生徒が実際に体験したことや調べたことを教科書に書き綴る方法である。
例えば、生物なら、実際に蛙を解剖して、体の構造を見て調べて、自らの教科書に蛙の体の内部の絵を書いたりして、自ら書き綴ってはどうだろうか。
科学の時間なら、生徒自ら科学実験を行ってこの作業手順や実験の経過や結果を教科書に書き綴っていけばいいと思う。
地理の教科書作りなら、実際に生徒自らが学習する現地に足を運んでその土地の風土を堪能して、写真をとり、自らの教科書に貼り付ければ良いと思う。
もし、場所が離れていて足を運べない場合は、図書館や旅行書、インタ―ネットなどあらゆる手段を使って自らの力で調べてみるのもいいのではないであろうか。
歴史なら生徒自身の手で調べて空白の年表を埋めるのもいいかもしれない。
他にも例を上がればたくさんある。
この生徒自ら教科書を作るというアイデアはあらゆる科目に適応されるアイデアではないだろうか。
生徒自らの手によって作られた教科書は、生徒一人一人同じではない。
若干内容が変わってくる、例えば、科学の実験結果は多少違いも出てくるし、同じ蛙でも個体差もある。
また、生徒が写真をとるにしても、写真技術で個人差はでてくるし、スケッチする技能も生徒によって違うし、写真や絵、文字のレイアウトも人によって代わってくる。
物事を調べるにしても、参考にした資料によって、若干の違いはでてくる。
まさに、世界に1つしかない教科書ができる。
生徒自らの手で造られた教科書は、後で読む時も、まるで、日記を読むように、教科書を作ったときの苦労などを思い出しながら楽しく学習できるのではなかろうか。
生徒自らの手で作った教科書なら、試験勉強以外でも読む気持ちにもなれると思う。
しかし、ここで、重要となることは、教科書の内容が生徒によって全く違ってくれば問題があるので、教師がある程度のマニアルを提示する必要がある感じる。
その他、生徒の想像力を働かすのもやる気をもって学習するのに効果的だとおもう。
例えば、数学で、5+3=○、と問い掛け答えの8を求めるよりも、○+○=8、のように、8を求めるために、いろんな組み合わせで○の中に入る数字を考えるほうが面白いのではないかと思う。
答えは1つでない。
まとめると、がちがちの答えが1つしかないような事柄を暗記してしまう教科書ではなく、生徒がつねに考え想像しながら学習できる教科書が理想と言えるだろう。
(教育心理学 徳田克巳 高見令英 2003年 博文社 参照) (教育心理学概説 会田元明 内野康人之 横山朋子 1996年 ミルヴァー書房 参照)
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全ての生徒が自ら学ぶ力をつける理想の教科書を作るためには、生徒自ら教科書を作ってはどうだろうか。
他人が作った教科書では、なんの関連性もなく、ただ意味なく、暗記学習に陥りやすく、自ら学ぶのではなく、テストのためにしかたなく、教科書を暗記するに留まってしまうのではないだろうか。
そして、暗記学習は、記憶研究の知見から考えると、エビングハウスの忘却曲線実験によって証明されるように、意味のない暗記の記憶は短期間で急激に忘れ、その後は緩やかに忘れていくのである。
最終的には大部分の記憶が時間の経過によって、ほとんど忘れ去られるのである。
これは、試験のために、1夜づけで、勉強して知識を詰め込む学習が、その後の人生にあまり意味をなさないことを意味しているのではないだろうか。
ここで、少し記憶のメカニズムについて、説明すると、記憶には感覚貯蔵庫、短期貯蔵庫、長期貯蔵庫の3種類がある。
これらの貯蔵された記憶の事を感覚記憶、短期記憶、長期記憶と言う。
最初人間のすべての感覚からもたらされた情報は無意識的に感覚蔵庫に保存されるが、1秒以内に消えてしまう。
そして、感覚蔵庫に入っている情報の中で、意識している情報だけが、短期貯蔵庫に入る。しかし、短期貯蔵庫の情報はもってせいぜい20秒ぐらいである。
短期貯蔵庫の情報を半永久的に記憶するためには、長期貯蔵庫に入れなければならない。
長期記憶にするためには、短期記憶の段階で何度も繰り返してリハーサル(復唱)を行う必要がある。
勉強に励むときは、この長期保存記憶に情報を保存する必要がある。
何度もこつこつと学習を繰り返せば長期記憶として、自分の身につくことになる。
しかし、先ほどのエビングハウスの実験で分かるように、せっかくリハーサルによって長期記憶に記憶が入っても、そのほとんどが、時間の経過とともに忘れ去られる。
これを防ぐには記憶に意味を付けてやることである。
記憶に意味を付ければ、記憶が短期記憶から長期記憶に移りやすく、また、記憶を忘れにくいのである。
効率のよい記憶術はたくさんある。
そして、この方法の1つが最初に述べた、自分自身の手によって教科書を作るである。
生徒自ら教科書を作ることによって、教科書に意味付けがなされて、長期記憶になりやすく、また、忘れにくくなるのである。
生徒自身の手によって教科書を作るという事は、生徒自らが体験や経験を行って、自分の手で物事を調べるために、きっと、生徒自身が自ら学習をする動機づけにもなるのではないだろうか。
だれにも強制されずに、自発的に学習する事ができれば、自ら学ぶ力をつける理想の教科書であると思う。
実際に、生徒自ら教科書を作るとは、どのようなことか説明すると、生徒が実際に体験したことや調べたことを教科書に書き綴る方法である。
例えば、生物なら、実際に蛙を解剖して、体の構造を見て調べて、自らの教科書に蛙の体の内部の絵を書いたりして、自ら書き綴ってはどうだろうか。
科学の時間なら、生徒自ら科学実験を行ってこの作業手順や実験の経過や結果を教科書に書き綴っていけばいいと思う。
地理の教科書作りなら、実際に生徒自らが学習する現地に足を運んでその土地の風土を堪能して、写真をとり、自らの教科書に貼り付ければ良いと思う。
もし、場所が離れていて足を運べない場合は、図書館や旅行書、インタ―ネットなどあらゆる手段を使って自らの力で調べてみるのもいいのではないであろうか。
歴史なら生徒自身の手で調べて空白の年表を埋めるのもいいかもしれない。
他にも例を上がればたくさんある。
この生徒自ら教科書を作るというアイデアはあらゆる科目に適応されるアイデアではないだろうか。
生徒自らの手によって作られた教科書は、生徒一人一人同じではない。
若干内容が変わってくる、例えば、科学の実験結果は多少違いも出てくるし、同じ蛙でも個体差もある。
また、生徒が写真をとるにしても、写真技術で個人差はでてくるし、スケッチする技能も生徒によって違うし、写真や絵、文字のレイアウトも人によって代わってくる。
物事を調べるにしても、参考にした資料によって、若干の違いはでてくる。
まさに、世界に1つしかない教科書ができる。
生徒自らの手で造られた教科書は、後で読む時も、まるで、日記を読むように、教科書を作ったときの苦労などを思い出しながら楽しく学習できるのではなかろうか。
生徒自らの手で作った教科書なら、試験勉強以外でも読む気持ちにもなれると思う。
しかし、ここで、重要となることは、教科書の内容が生徒によって全く違ってくれば問題があるので、教師がある程度のマニアルを提示する必要がある感じる。
その他、生徒の想像力を働かすのもやる気をもって学習するのに効果的だとおもう。
例えば、数学で、5+3=○、と問い掛け答えの8を求めるよりも、○+○=8、のように、8を求めるために、いろんな組み合わせで○の中に入る数字を考えるほうが面白いのではないかと思う。
答えは1つでない。
まとめると、がちがちの答えが1つしかないような事柄を暗記してしまう教科書ではなく、生徒がつねに考え想像しながら学習できる教科書が理想と言えるだろう。
(教育心理学 徳田克巳 高見令英 2003年 博文社 参照) (教育心理学概説 会田元明 内野康人之 横山朋子 1996年 ミルヴァー書房 参照)
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