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2018年06月01日

生徒指導と道徳教育が果たす学校での役割について‐教職課程‐生活指導論1リポート(2005年制作)



生徒指導と道徳教育が果たす学校での役割について‐教職課程‐生活指導論1リポート(2005年制作)

  文部省(1981年)の生徒指導の手引きによれば、生徒指導が重要な理由として、学校や社会生活における人間関係の改善と望ましい人間関係の促進の必要、子供の学校生活への適応や自己実現を助成する必要、望ましい社会的態度や行動様式の形成の緊要性、道徳教育を培うこと、青少年の健全な育成の緊要性などのためである。

すなわち、生徒指導の目的は生徒一人ひとりの個性を伸ばし、社会的なスキルを身につけるための手伝いや非行に対する指導などを行い生徒がよりよい成長を行うために必要なものであると考える事ができる。

生徒指導の目的はそのまま学校教育の目的とほぼ同じだと言えるだろう。

すなわち、生徒指導は学校教育では必要不可欠であり、また、学校教育のさまざまな所で、生徒指導が必要となってくる。

生徒指導は人間を育てるものと考えることができる。


 そして、社会の変化によって、学校で子供のしつけや道徳的な価値観を教えなければならい情況はますます増している。

特に戦後復興を果し、高度経済成長期に入ると、家庭では、父親は仕事にあけくれ、母親もパートなどにでかけるようになり、いわゆる鍵っ子が増えた時代でもある。

また、核家族化の増加によって、家族の構成単位にも変化が出て、おじいちゃんやおばあちゃんがいない家庭が増えた。

そうなると、本来道徳的な価値観を教えるべき中心となる家庭での教育、しつけが子供に行き届かなくなる。

また、高度経済成長期に入ると、いわゆる転勤族の増加現象やアパート暮らしの増加により、1つの地域に定住しない家族が増えてくるのである。

この現象は、核家族化とも重なり、地域社会との関係を弱いものとしていき、地域社会の子供の教育を担うシステムが崩壊することになる。

例えば隣近所の子供であってもよその子だから叱れない社会ができてしまったのである。

また、日本という国は、表面的に宗教の影響力が低い国である。

一部の外国の国なら、子供の道徳的な価値観を教えるのは宗教の役目だが、しかし、日本では表向き宗教が子供に道徳的な価値観を教えることは非常に少ない。

まとめると、日本では子供に道徳的な価値観やしつけ的な事を教える場所が非常に少ないのである。


 生徒指導の手引きにも書かれている道徳の関連を考えていくと、道徳教育の目的は学習指導要領によれば、(学校の教育全体を通じて行うものであり、・・・。)と記載されている。

また、道徳教育の目標として考えられるのが、生徒の人格の形成、人間としての生き方などを育成する目標がある。

道徳も生活指導と同じように学校教育全体に関わりあうものだと言う事が言え、また、道徳教育も人間の育成がその大きな目標であり、生活指導と密接に関連している教育目標だと言う事がいえるだろう。


 特に特設道徳が存在していなかった、試案学習指導要領時代の道徳教育の目的は新たな道徳教育に関する科目を設置することなく道徳教育を学校全体に浸透させることにある。

また、戦争と結びついた修身、戦争と結びつく道徳教育の排除である。

つまり、学校教育全般の機能を使って、学校や教師それぞれが、地域性や生徒の個性を考えながら臨機応変に道徳教育を行ったと思われる。

国から統制されていない、一方的な主観のない自由な教育だと言えるだろう。


 しかし、1958年学習指導要領から試案が排除され、告示に変わった事は、教育が国家から法的に統制される事を意味している。

また、この年、特設道徳が新たに設置された。

問題点として、戦後の教育が戦前の国家統制の教育の反省からきている事である。

すなわち、日本は、国家に統制された教育を行った事によって、戦争を擁護し、そして、結果、たくさんの尊い命がなくなり、悲劇とともに終戦を迎えた。

戦前行われていた教育の反省、すなわち、国家に統制されない自由な人間的、人権的な教育を行うことが教育の基本的な精神と言えるだろう。

特設道徳の設置や学習指導要領の試案から告示は教育の逆コースの危険を含んでいる。

この事は、国家の理想とする人間像を押し付ける事になりかねないという問題点をも含んでいる。


 学校教育で生活指導にしても道徳教育にしても問題となるのは、なにが悪い事でなにか良い事なのかがはっきりと言えない事である。

また、良い事と悪い事の概念がはっきりしないからと言って、一方的に国が考える良いとされる概念を押しつけてしまえば、戦前のような悲劇がまた繰り返される危険性もある。

人間は育ってきた環境や様々な要因によって様々な価値観や個性を持ってくる。

そのため、教師は、生徒一人一人の個性や様々な要因を考察しながら、教育を行うというのが理想であると私は考えます。


 また、 教科指導と生活指導は密接に関連している。

授業を円滑に行い、そして、生徒に理解してもらう努力をする必要がある。

授業の円滑化と生徒理解の中に生活指導の要素が含まれている。

例えば、授業の開始の合図であるチャイムを守る。

大抵の生徒はチャイムがなると教室に入って自分の席に着く。

チャイムがなり、授業が始まれば、まず、規律、礼、着席の号令とあいさつを行う。

あいさつが終わり、授業が始まると先生の話を静かに聞く、クラスメートの発言も静かに聞くなどのルールを守ると言う事である。


(教育学への道 岩本敏郎 文化書房博文社 参照 ) (学校って何だろう 苅谷剛彦 講談社 参照) (未来をひらく道徳教育の研究 中野重人 押谷由夫 教育情報 出版 参照)

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2018年05月02日

自然界と生態系について(通信教育部一般教養生物リポート)




自然界と生態系について(通信教育部一般教養リポート)

生態系とは生物が生きている、海洋、湖、森、山、草原、などの区分一つのまとまりの世界いう。

 生物は自然界の生態系の中において、お互いにうまく影響し、自然とバランスを保ち一つの生態系を作る。例えば生産者(緑色植物)は二酸化炭素や光から光合成を行い酸素を作る。その酸素を消費者(動物)や分解者(微生物)が使い生命活動を維持する。そして、動物と微生物が酸素を消費する際、二酸化炭素が精製される。また、生態系は食べる、食べられる関係の食物連鎖によって保たれている。例えば、草を昆虫や草食動物が食べ、昆虫を小鳥が食べ、草食動物を肉食動物が食べ、これらを含めて人間などの動物が食べる。そして、生物は死ぬと微生物に分解されて木や草の養分となる。これはどの生態系でも同じで海なら、海草やプランクトンを食べる小魚、小魚を食べる大きな魚、大きな魚を食べるシャチ、そして、死んだ生物はプランクトンの餌となる。これらのように生態系では、物質同士がうまく循環して成り立っている。

食物連鎖の頂点に立つ人間が数多く住む現代の都市もこの一つの生態系と考えられる。しかし、都市においては他の生態系とは少し違うことがある。少し違うと言うか、正確にいえば都市の生態系は完全に破壊されている。他の生態系からの協力なしには存在が不可能である。そして、他の生態系にはそのつけが回り悪い影響を与えている。詳しく説明すると、もし、都市の生態系を他の生態系と遮断すると、たちまち都市では人間が生きるのは不可能である。なぜなら、都市の生態系では極端に緑色植物からなる生産者が少ない。これは住宅、アスファルトの道路、工場、建物などの建設で森林や草の伐採や土の現象のためである。生産者の減少の影響で、昆虫などの虫、それを餌とした鳥、小動物、物資を分解する養微生物の減少を引き起こした。そして、都市生態系では、人間という食物連鎖の上にいる動物がたくさんいるために食料の不足から生物がいきる条件ではない。また、都市生態系では、人間が多数いるために呼吸による二酸化炭素の大量排出、人間の産業活動により二酸化炭素や生物が生きていくためには有害な物質の排出が起きる。しかし、それを浄化する微生物や二酸化炭素を酸素に変える緑色植物の不足で人間が住める環境の空気ではなくなってしまう。これらの理由で都市生態系だけでは生活が不可能である。
 
都市生態系を存続するために必要となる人間の食料は農耕地や海洋生態系などが補っている。日本で考えれば都市の食料を補うため、田舎の農耕地から食料の供給を行うのだがそれだけでは全然足りない。その為、外国からの輸入に頼っているのが現状である。日本を一つの生態系に考えるなら人間の生活は難しいと言えるだろう。その他海洋生態系からの食料の供給があるが、大量の乱獲は海洋生態系の破壊につながるであろう。

 都市生態系を維持するために他の生態系の協力を必要とするのは分かったが、しかし、その為に歪が生じている。例えば食料を他の生態系から分けてもらうのだが、実際に世界を一つの生態系と見るなら全ての地域で食料が足りているとは言えない。食料不足で困っている生態系も数多く存在する。食料確保のため農地を広げるのに大量の森林の伐採が行われる。この為、地球生態系全体に悪い影響を与える。酸素不足で空気が悪くなるだけでなく、地球規模での異常気象、温暖化、砂漠化などたくさんの悪い影響が森林の伐採によって考えられる。

 都市生態系の行う産業活動や人間の生活により、地球全体の生態系の影響を考える。排水や産業廃棄物の為に、川や海が汚染される。数が多いために自然の分解能力ではとても浄化は不可能で水質が悪化する。赤潮のようなプランクトンの大量発生が発生することもあり、更なる水質の悪化、他の生物の死、海洋生態系の破壊に繋がる。また、有害物質が川、海洋生物の体内に蓄積され、それを食べる人間やシャチの体内にはこの有害物質が溜まっていくことになる。影響は水俣病などがあげられるが、しかし、これから先の時代には更なる悲劇が待ち受けていることは確実である。
   
 また、現在の人間が生活していくのに必要な化学物質によって大気汚染や、オゾン層を破壊している。結果として生物全体に悪い影響を与えている。これから先も大気はもっと、汚染され、オゾン層はもっと穴があくであろう。そうなると地球上の全生命にどのような影響があるのかは分からない。ただ、一つ言えることはすごく悪い影響を与える事だけは言え、全生物の死滅も考えられる。

 いままで述べたように、人間が都市生態系を維持するだけで地球全体に悪い影響を与える。人間の為に早いペースで絶滅の危機に瀕している生物種がたくさんいる。近い将来必ず地球は生物が住めない惑星になるだろう。解決方法は人間が原始的な生活に戻るか、地球を捨て別のスペースコロニーなどを作るしかない。しかし、現時点でこの2つの解決策は難しい。だからこそ、今世界中の国が協力して、環境問題、人間の人口問題を考え、地球にやさしい人間の生活を考える時にある。

(生態系 瀬戸昌之 有斐閣ブックス 参照)

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2018年04月03日

細菌やウイルスについて!通信教育部一般教養生物リポート

細菌やウイルスについて!法政大学通信教育部一般教養生物リポート

 現在、地球上において、温暖化、異常気象、大気や海洋の汚染、種の絶滅、オゾン層の破壊、などの環境破壊が進み、地球の生態系に悪影響を与えている。近い将来必ずや地球は生物が住めなくなると思われる。地球の誕生からの歴史で考えるとものすごいスピードで環境破壊が行われている。原因は何かというと、人間という種の現代における生命活動が原因である。人間は地球上において食物連鎖の頂点に立つ。地球上では人間に勝てる生命はいない。だが、食物連鎖の頂点に立つ人間でも勝てない生物がいる。それは、ウイルスや細菌などの病原性微生物である。人間の天敵となる微生物の存在はなぜだろう。病原性微生物の存在意義を考えると、増えすぎる人間の数の抑制、自然を破壊する人間に対する戒め、ウイルス進化論などの更なる生物の進化の為、今の人間の価値観や科学では分からない別の存在意義、など、いろいろと考えられる。このような現代考えられる地球浄化の唯一の存在、病原性微生物問題を考えることに、生物学を学ぶ意義があるのではないだろうか。

 人間と病原性微生物の戦いは、人間が抗生物質で病原性微生物を淘汰していった。病原性微生物が原因で死ぬ人間の数は、急激に減った。しかし、抗生物質には大きな落とし穴がある。それは副作用である。人間の体内には、無数の細菌が住んでいる。彼らは人間と協調して共に進化したもの達で、人間の消化機能と免疫力の重要な部分となっている。人間にとっては味方の細菌で彼らによって人間は健康を保ち、人間を支え、微生物による病気の侵入から人間を保護してくれる、いわば、重要な臓器の一部となっている。抗生物質は、これら人間にとって味方の細菌にも悪い影響を与える。このため、元々人間に備わっている消化能力や免疫力が低下し、人間がさらに病気になりやすい環境を作ることがある。いわば諸刃の剣である。また、人間と病原性微生物の戦いは更なる問題を引き起こした。地球上の生物は定説では、環境に対応するために進化を繰り返す。進化により今まで住めなかった環境でも住めるようになり、適応できない生物は淘汰され、環境に適応するために進化した生物は生き残る。これは細菌の世界でも同じで、抗生物質によって淘汰されたかに見えた病原性の細菌は、抗生物質が効かない抗体を持った生物に進化を遂げる。微生物の世界ではこの進化のスピードはとても速い。抗生物質がある環境に病原性微生物は適応していく。そして、人間はまた新しい抗生物質を開発するのだが、しかし、細菌は、また、新しい抗体を持った生物に進化し環境に適応する。このように、人間と病原性微生物の戦いは果てしなく続くのである。

 人間の自然を破壊する開発、それはいまだに未知の眠っていた病原性の微生物を目覚めさせることになった。これからも確実にふえるであろう。自然破壊が新たな問題を引き起こす。現代では、エボラやエイズウイルスなどが人類の脅威となっている。近い将来これらのウイルス以上の殺人ウイルスが人間に感染するかもしれない。

 エイズウイルスは今もっとも人間にとって天敵となるウイルスである。最初サルから人間に感染したとされるが詳しいことは不明である。1981年に初めてこの病気に犯された患者の記載があったが、それから、わずかの間、現代にいたるまでに世界中にエイズウイルスはひろまった。エイズは感染から発病の期間がとても長く、検査をしないと感染したことに気づかない。そのため、エイズに感染したことを知らずに性交渉を行い爆発的に広がっていく。感染率は非常に低いが人類が繁栄のためには必要な性交渉を媒体として感染するため人間の存亡の危機に近い将来なるかもしれない。これはけっして大げさなことではない。実際にエイズ検査を全ての人間がしているわけではないので、今現在人間の人口の何人がエイズに感染しているかは不明で、実際は世界中で数字には見えないが、かなりの数の感染者がいると思われる。このウイルスの特徴は免疫を攻撃するところにある。他の病原性ウイルスが自然に時間がたてば完治するのに対して。発病すればかならず死が訪れる所にその怖さがある。

 最後に、ウイルスとはなんであろうか。ウイルス進化論のように他に目的をもっているのだろうか。そして、彼らは一人では生きられない。何かに寄生して初めてその生命活動を維持することができる。その為、生物であるか無生物であるか難しい存在である。そして、寄生した生物内でウイルスは増え続けると、病気を引き起おこす。そして、最後にはウイルスに寄生された生物は死を迎え、もちろん一人では生きられないウイルスも死んでしまう。ウイルスは自分自身が最後には死んでしまうのになぜ増えつづけるのだろうか。地球を一つの生命と考えると、人間が地球にとっての病原性ウイルスになると考えられる。人間もウイルスもなんで宿主を破壊して増えつづけるのであろうか。しかし、きっと、この先、地球も人間もウイルスも共存の方法があると思われる。これからの時代考えていかなければならない生物学のテーマなのではないかと思われる。

    (超細菌の報復 ジェフリー・キャノン 三田出版会 参照)
  (ウイルスの脅威 マイケル・B・A・オールドストーン 岩波書店 参照)

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2018年03月05日

学校教育における生徒指導の意義について‐通信教育部(生活指導論Tリポート)




学校教育における生徒指導の意義について‐法政大学通信教育部(生活指導論Tリポート)

 生徒指導は学校という空間にいてあらゆる場所や場面において必要となることである。生徒指導は生徒を指導して良い方向に導くことであり、また、学校の存在理由で、教育をつかさどる教師の仕事の全てをさしていえるとも思える。教科指導にしても目的は生徒を良い方向に導く事にある。

 本来なら学校は勉強だけを教えても良いのだか、しかし、社会の変化によって、学校で子供のしつけや道徳的な価値観を教えなければならない状況になっている。特に戦後復興を果し、高度経済成長期に入ると、家庭では、父親は仕事にあけくれ、母親もパートなどにでかけるようになり、いわゆる鍵っ子が増えた時代でもある。また、核家族化の増加によって、家族の構成単位にも変化が出て、おじいちゃんやおばあちゃんがいない家庭が増えた。そうなると、本来道徳的な価値観を教えるべき中心となる家庭での教育、しつけが子供に行き届かなくなる。また、高度経済成長期に入ると、いわゆる転勤族の増加やアパート暮らしの増加により、1つの地域に定住しない家族が増えてきた。この現象は、核家族化とも重なり、地域社会との関係が弱くなるきっかけになった。そして、地域社会が子供の教育を担うシステムが崩壊することになる。例えば隣近所の子供であってもよその子だから叱れない社会ができてしまったのである。また、日本という国は、宗教の影響力も低い国である。一部の外国の国なら、子供の道徳的な価値観を教えるのは宗教の役目だが、しかし、日本では宗教が子供に道徳的な価値観を教えることは非常に少ない。まとめると、日本では子供に道徳的な価値観を教える場所が非常に少ないのである。

 子供の道徳的な価値観を教える場所は、学校が中心とならなければいけない時代になったと言えるだろう。必然的に子供のしつけは学校が担うことになる。また、学校でしつけや道徳的な価値観を教えていかないと、教科を教える時に授業すら成り立たたなくなってしまう。そして、日本国民も学校は勉強だけを教えるのではなく、子供のしつけも教える場所だと認識し、学校に期待を寄せるのである。

 道徳は非常に大事なものだと思う。人間も所詮は動物である。もし道徳的な価値観がなく本能のままに生きていたら、現代の社会は成り立たないであろう。道徳によって人間を縛る事、これが本当の意味で良い事なのか悪いことなのか私には分からないが、しかし、道徳教育が子供に必要だと信じてやるしかないと思う。

 道徳教育は道徳の時間だけでなく、学校のあらゆる場所や場面に隠れたカリキュラムとして存在している。例えば、学校では上級生と下級生の区別がある。本来なら学力別に年など関係なく授業を行えば良いと思うが、しかし、年上の者を敬うなどの概念を教えるには現在の学年の区別は良いと思われる。

 その他、女性と男性の区別も学校では行われる。トイレの違い、体育授業の違いやそれに伴う更衣室の違いなどである。これは、女性も男性もお互いの性別の個性を尊厳し合い気持ちを養う事にあるのではと思います。

教科指導と生活指導は密接に関連している。先生は生徒に教科を一方的に教えるだけでは駄目である。授業を円滑に行い、そして、生徒に理解してもらう努力をする必要がある。授業の円滑化と生徒理解の中に生活指導の要素が含まれている。例えば、授業の開始の合図であるチャイムを守る。もし、チャイムを守らなければ先生に叱られることになる。大抵の生徒はチャイムがなると教室に入って自分の席に着くのである。チャイムがなり、授業が始まれば、まず、規律、礼、着席の号令とあいさつを行う。あいさつが終わり授業が始まると先生の話を静かに聞く、クラスメートの発言も静かに聞く、授業中は緊急時以外


 席を立たない。私語はしないなどである。また、忘れ物をしないことも大事な事である。私などは小学生の時忘れ物をしてよく先生に叱られたものである。

 以上上げた事柄は、全て、授業を円滑にすすめるために先生が生徒に指導していく事柄である。授業を円滑に進めるために生徒を指導していくことは集団生活のルールを守る事にも繋がり生徒指導と密接な関係にあると言えるだろう。ほとんどの人間は1人で生きているわけではない。人間は集団生活の中で生きている。集団で生きるためには、その集団の中で、ルールが必要になってくる。生徒が将来社会に出た時、集団生活でのルールを守れる人間を育てるために生徒指導が必要となってくるのである。

 私が担当することになる社会科の教科指導はその内容から生徒指導に繋がるものである。社会科の目的として大事な事は、本来民主主義を教えることにある。学校という空間は暴力が支配しやすい環境にある。子供の世界ではけんかが強い事がその人を引きつける要素となる。社会科がもつ民主主義教育は、暴力でなく、話し合いで物事を解決する力をやしなうことに役に立つ。民主主義の力は、民主国家である日本で生きていくために大変重要な技能とも言える。

 生徒指導は学校教育の中であらゆるところに潜んでいる。それは、学校教育の心の目的が平和な気持ちを持った個性豊かな良い人間を育てることにあるからである。

(学校って何だろう 苅谷剛彦 講談社 参照)









2018年02月06日

世界で一番強い国とは!第一次世界大戦が与えた影響について(経済史リポート)






世界で一番強い国とは!第一次世界大戦が与えた影響について(経済史リポート)

 第1次世界大戦は国際社会の勢力図を変えた。

大戦以前の世界はイギリスを中心とする、ヨーロッパ列強が中心となる世界である。経済的にはたくさんの植民地を獲得して、原材料を植民地から獲得して商品化して売る。貿易の利益が列強各国に集中するシステムを作り上げていた。

第1次世界大戦はヨーロッパを主戦場にした国家総動員で戦った総力戦である。
主戦場となったヨーロッパでは、たくさんの人が戦死し、国土は破壊され荒れ果てて、国民は疲弊し、国力は衰え、国家の復興は容易ではなかった。

 第1次世界大戦後の世界経済は大きく変化した。要因として、戦後たくさんの独立国家の誕生が上げられる。

新しい国が増えるということは同時に関税がかかり、商品の自由な流れがなくなることを意味している。また、鉄道の分断や新国家による新しい産業を興そうという動きがある。

人口的にはヨーロッパ列強国は大戦のためにたくさんの人命を失い人口が減少した。一方で、南ヨーロッパや東ヨーロッパでは人口が増える傾向であった。

人口は国力を示すパロメーターなので、人口動態からも列強国の国力が低下したのが分かる。しかし、現在、人口増加は貧困を示すパロメーターに変わっているのだか。

また、戦時中に武器などを調達するために、軍需生産が活発になった。だが、戦争が終われば必要がなくなり、工場設備の過剰現象が発生した。

また、戦後の世界経済は、戦前の世界経済の体制が悪い方向に作用して悪循環を引き起こしている。

一次産業の貿易条件悪化、新独立国やアメリカの工業化、世界市場の競争激化、ヨーロッパ工業国の製品に対する需要の変化、ヨーロッパ経済の停滞である。

簡単に説明すると、これまでの、イギリスを中心としたヨーロッパ列強単一の世界経済構造が壊れ、違う地域の産業の発達で、経済のバランスが崩れた。また、戦時中に金本位制を辞めた結果、紙幣の価値が不安定となって、インフレを引き起こした。


 戦後の経済を立て直すためにイギリスは資本輸出を行った。

しかし、イギリスの資本輸出は後退した。その原因はポンドの国際的な地位の低下にある。先ほど述べた通り、戦前世界でもっとも力をもった中心国のイギリスだが、戦後イギリスの国際地位は低下した。

もう一度戦前の国際地位復活を夢みて、イギリスは戦前のポンド体制の復活を目的として旧平価での金本位制の復活に踏み切った。結果はもちろん、時代の流れには勝てずに失敗に終わった。

この旧平価での金本位制の失敗によりポンドの国際地位はますます、下がりポンドの信頼制はすっかりなくなって、イギリスの資本輸出はますます後退した。


 対象的に国際的地位を高めたのがアメリカである。大戦中アメリカは交戦国への輸出量が大幅に増えた。交戦国は戦費調達のためにアメリカから資本を貸与し、それでも足りずに、戦前アメリカに投資した資産を回収して戦費として補った。

交戦国は借りた資金や回収した資産でアメリカから物資を購入した。そして、アメリカはいっきに債務国から債権国へと昇格した。

戦後は戦争によって荒れ果てた経済を各国はアメリカから資本を借りて、経済を立て直していった。


 1929年に世界恐慌が始まる。

アメリカの資本によって、世界経済がなりたっていたが、アメリカ国内の投資が増えて、国内に資本が集まった。アメリカの資本を頼りに成り立っていた世界経済は大きく混乱して世界恐慌が始まる。

1930年代のイギリスでは、世界恐慌の対策として対外投資を控えて資本の輸出規制を行って資本の流出を抑えた。

国内や自国が支配する植民地をメインとした経済圏を築きポンドで貿易を行う地域を創出した。いわゆるスターリングブロックである。経済をブロック化することによって国内産業の活発化を促し、世界恐慌を乗り切ろうとする経済政策である。


 1930年代の世界恐慌の時アメリカ合衆国でも対外投資額は減った。

特に証券投資額が大幅に減り、直接投資額は若干減った。

しかし、直接投資の中身を見ると、製造業、石油産業などの新興産業において、1930年代の前半の一時的な現象はあるものの後は、増大傾向にあるという特徴がある。

これは、不況で安定性に欠ける証券投資からこれからの時代を担う新興産業への投資変換を意味している。

そして、対外的にイギリス中心とした列強諸国が経済をブロック化していく中、世界経済市場からの締め出しに危機感を感じた。

アメリカ合衆国は自由貿易主義の転換をはかり、南北アメリカ諸国との経済協定を結んで、貿易を行った。


 19世紀の世界経済は自由主義貿易が基本で、資本の輸出は自由に行われていた。

しかし、20世紀になると第1次世界大戦や世界恐慌を経て、経済を管理して資本の輸出に規制を行い経済統制を行った。それは、スターリングブロックやアメリカ合衆国の南北アメリカ諸国との貿易協定などである。

これは、現代でも続いていることで、例えば、ヨーロッパ経済共同体など、世界にはさまざまな、経済協定が存在する。


 最後に世界1位国の地位は時代とともに変わっていく、それは、歴史が証明している。

世界1位の地位が変わる時には必ずきっかけとなる事件が発生する。それが、今回は第一次世界大戦であり、また、経済システムの変化など世界に新しい秩序が生まれるきっかけでもあった。

(アメリカの経済 春田素夫 鈴木直次 1998 岩波書店 参照)

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2018年01月07日

アメリカが戦争を続ける原因がやっと分かった!文学部史学科(経済史リポート)





アメリカが戦争を続ける原因がやっと分かった!文学部史学科(経済史リポート)

テレビや新聞、雑誌を見ていると、いろんな世界情勢のニュースが入ってくる。

その中で、アメリカの戦争の話題がたくさん入ってきて思うことは、ほんとに戦争好きってことである。大戦後では、朝鮮戦争やベトナム戦争、現代では、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、ごく最近ではイラク戦争などである。

アフガニスタンの時はテロを受けたのでしかたがないと思ったけど、今回のイラク戦争は理由もあまり明確ではなく、理由をこじつけて戦争を行ったように思える。

この戦争好きのアメリカはどこからきたのか少し興味をもってしまった。


 第2次大戦後、世界には大きく分けて2つの思想があった。

それは、社会主義と資本主義である。

戦後の世界は旧ソ連を中心とする社会主義とアメリカを中心とする資本主義の対決構造が出来上がった。アメリカの大戦後の対外政策は対ソ連を想定して対抗することを中心の政策とした。大戦後、ヨーロッパの国力は疲弊していた。アメリカはソ連に対抗するために、ヨーロッパ陣営を自国の勢力に引き込み対ソ連に対抗しようとした。ヨーロッパ諸国の軍備増強には経済力の回復が不可欠と考えたアメリカは、ヨーロッパ諸国に対する援助制政策でヨーロッパ経済を復興へと導いた。

そして、ヨーロッパでは1949年に北大西洋条約、通称NATOが発足された。この条約の大きな意味は集団自衛である。国際社会はすでに一国だけで動かされるのもでない時代となっていた。アメリカはNATOに軍事援助を行い自国の軍事技術の指揮下に置くことで対旧ソ連に対抗した。

 また、東アジアでも戦後、旧ソ連に対抗すべく、大規模な援助政策が行われた。そして、中国の社会主義化や朝鮮戦争など、社会主義に対する危機感は高まっていった。そして、日本の再軍備などの政策で東アジアでも対旧ソ連社会主義に対する国際体制を作り上げた。
       
 アメリカの戦後の軍事戦略は旧ソ連に対抗するために、自国だけでなく、他の資本主義国をも巻きこんでの対社会主義の体制を作り上げ、資本主義国同士の関係を強化し、体系化した。そして、自国だけでなく、他の資本主義国も含めて軍備を増強して冷戦を旧ソ連陣営と行った。

これは、アメリカが資本主義世界の防衛という名のもとに、他国に軍事物資を輸出する事を意味している。アメリカは旧ソ連陣営と冷戦を行うにために、たくさんの軍事物資が必要となるため、国家財政で多額の軍事物資を生産した。

そのために、アメリカでは軍事産業が盛んになったのである。


アメリカの対社会主義の軍事戦略として、核兵器を中心とする、高性能ミサイル、航空機、最新鋭の通信機械などのハイテク兵器の充実化を図った。アメリカはこれらのハイテク兵器の開発や生産を民間の企業に依存したのである。

アメリカ政策は軍需関連企業の育成と強化が最重要視され、アメリカ政府は軍需関連企業に資金援助などの優遇政策を押し進めることになる。

もちろん、完成されたハイテク兵器はアメリカ政府に買いとられるわけで、このハイテク産業は企業にとって高収入を手に入れるビッグビジネスとなった。このアメリカ政府と軍需関連企業の関係のシステムは、両者の癒着関係を深めていくものである。

例えば、政府高官に裏金を渡して、援助金をたくさんもらう。武器生産や開発の契約を自企業が獲得するために政府高官に裏金などを渡すといった、政府役人と企業の癒着が深まっていった。


 1956年のラドフォード構想にで、軍事費が削減されたことが、経済の恐慌原因の1つの要因となった。

1958年に軍事費は恐慌対策のため上昇し、また、この時代はソ連の大陸間ミサイルや人工衛星の打ち上げの成功など対ソ連の脅威が増した時代でもあった。

そして、ケネディー大統領時代は、核に依存する戦略から、あらゆる戦争に対応する戦いに向けた軍需化を推し進めていった。

アメリカにとって、軍需産業は国をささえる重要な産業となった。


 現代冷戦が終わってもアメリカ主導の国際情勢は変わっていない。アメリカは現代では世界の警察的国として軍事大国である。

例えば、湾岸戦争の時は、不当にクエートを占領したイラクに対してたくさんの国の中心的な国となってイラク軍と戦い、今回のイラク戦争でも中心国となり、日本などの国をも巻き込んでいる。

敵国が旧ソ連からイラクに変わっただけで、戦後と現在の基本とするところに変わりはないと思う。例え、敵国がいなくなっても、新たな敵国が現れるのかもしれないので、アメリカは軍備の増強をおこたりはしないだろう。軍事産業の発展こそ、アメリカの繁栄と繋がっているのではないだろうか。

最強の軍事力を持つアメリカは世界の国々に軍事的な脅威を与えているは事実で、多大な影響力を持ち、リーダーシップを発揮している。

日本のように決して、アメリカにNOと言えない国すら存在する。


 最初冒頭で、なぜアメリカは戦争が好きなのかの問だが、アメリカにとって戦争は国が儲かるための手段ではないのではないかと思う。事実歴史をさかのぼれば、第1次大戦中の日本や古代ギリシアなど戦争によって強国化した国は数えきれずに存在する。

しかし、自国を戦場にするような長い戦いは国力が疲弊する原因となる。

アメリカは自国とはぜんぜん違う地域で戦争を行う。アメリカが行うような戦争は儲かるから、アメリカはこじ付けを付けてでも戦争をやりつづけているのではないだろうか。

(アメリカの経済 春田素夫 鈴木直次 1998 岩波書店 参照)

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2017年12月10日

20代後半の世間の評価、非正規雇用と正規雇用




・20代後半の世間の評価、非正規雇用と正規雇用

 大学時代私はよく、就職して早く落ち着いたらと、いろんな人から言われていた。大学に通っている事を内緒にしていたので、ほとんどの人からはフリーターだと認識されていた。

大学に通っている事を知られてしまった人からも、教員免許が取れても、教師にはなれないとか、早く現実を見た方が良いと言われた。また、大学に通っている事を理由に、仕事をする事から逃げているだけだと言われたりした事もあった。悔しい思いをしたが、それに対して言い返す事は行わなかった。ぐっと、自分の腹の中に抑えた事を今でも思い出してしまう。言い返すなら教師になって結果を残してからだと思った。この世の中は結果が全てである。

現在でこそ、格差社会の進行で、非正規労働が当たり前になっているが、しかし、当時は二〇代後半で正規雇用でない人に対する世間からの偏見は凄まじいものがあった。

この時思ったことは、夢があり、その目標を達成するために努力している若者に対して、なんて酷い閉鎖的な世間なのだろうと言う事である。私は教師になって若者の再チャレンジを心から応援したいと心に誓った。いやな事が多々あり正直世の中にうんざりしていた。

しかし、いろんな意味で本当に厳しい時代ではあったが、今思うと夢に満ち溢れる、充実した日々でもあった。

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2017年11月12日

高校時代でもっとも大事な教科とは?




・高校時代でもっとも大事な教科とは?

高校時代の事を思い出していた。
「社会科だけできても駄目、漢字が大事だからその勉強をしておかないとこれからの人生で困るよ」
とよく高校時代の担任の先生に言われた。

その頃の私は漢字なんて書けなくても人生には困らない、古典なんて今後の人生で使う事もないと思っていたので、この先生何を分けの分からない事を言っているのかと思っていた。今思えば本当に馬鹿で愚かな世間知らずの高校生だったと思う。

もし、今その頃の自分に会えるなら、おもいっきりひっぱたいていたと思う。もう少し、古典や漢字をしっかりと学習しておけば困ることはなかったと、高校生までの自分に言いたいが、今となっては後の祭りである。

私が歴史に興味を持ったきっかけは、ファミコンソフトの信長の野望をプレイした事である。そこから、日本の戦国時代に大変興味を持ち、続いて、三国志のファミコンソフトをプレイしてからは中国の三国志にも興味を持った。その延長で、歴史が好きになり、現在は歴史を教える高校教師として仕事をしている。

大学に入学した当初は大好きな日本史の戦国時代か中国の三国志の研究をしたいと思っていたが、古文書と漢文の壁に阻まれて、日本の戦国時代と中国の三国志の研究を行うのを断念した。授業の中で古文書の単位と漢文の単位を取るだけで精一杯だった。それ以上の研究は私のこの時の能力では到底無理があった。

自身の現時点の能力で研究できるテーマを探すことが急務となった。

古文書をマスターするという選択肢もあったが、それ以上に、高校教師になることが自分にとっては優先事項であった。

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2017年10月15日

大学生活、高校とは違う勉強とは?





・大学生活、高校とは違う勉強とは?

 大学生活であるが、これほど勉強をした事は、これまでの人生では無いぐらいに勉学に打ち込んだ。大学は文学部の史学科で、歴史の研究者を育てる学部であった。歴史が好きだった私にとって申し分ない進学先だと思っていたが、現実はそれほど甘くなかった。

歴史の研究者を育てる学部なので、第一文献を読めることが絶対的な条件になった。誰かが研究した文献を勉強するのが高校までの内容で、誰も研究していない事を調べるのが文学部史学科の学生である。

すなわち、日本史なら古典が得意でなければ厳しいものがあった。古文書と呼ばれる昔の人が崩して書いたわけの分からない文字を読み説く事ができなければ日本史を研究する事ができない。また、中国史なら中国漢文、西洋史なら英語で原文を読み解く力がなければ、大学を卒業する事はできなかった。

また、一年次からの入学なので、英語や理数系の科目などを履修する必要もあり、大学での勉強は困難を極めた。

高校生の時は英語が苦手であったが、卒業後に英語を独学で勉強していたために、なんとか授業についていく事ができた。また理数系科目に関しては、計算などはあまりできなかったが、それを補うために論述問題に関しては誰にも負けないように勉強をして試験に対応した。
 難しい勉強もあったが、自分が知らない新しいことが知れて、知への探究心が高まり、充実した大学生活を送れたと思う。一つ一つだが、確実に知識を深めていき、苦手な科目の単位も修得していった。

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2017年09月18日

大学時代のアルバイト、うどん屋での日々!通信制大学生の日記




・大学時代のアルバイト、うどん屋での日々

 二六歳の春、かつてからの夢であった大学生としての生活をスタートさせた。
いい歳だったので、サークル活動などの楽しい大学生活とは縁の遠い、地味な大学生活となった。

金銭的な問題で学業とアルバイトの両立が必要であった。夜はうどん屋、深夜に工場で働いた。工場の方は一年ぐらいで辞めて、うどん屋に関しては、けっきょく四年間続けた。

企業化されたうどん店なので、麺は毎日工場から送られ、また、出汁やその他の具材もほとんどが宅配されてくる。私自身、飲食店の経験者なので、それほど業務は難しくなく、あらゆる仕事を簡単にこなす事ができた。

また、学業を優先させてもらい、私のわがままを聞いてくれて、便宜を図ってもらった職場でもあった。そして、うどん屋での日々が二年を過ぎた頃には、アルバイトながら、社会保険の加入を許されて、時間帯の責任者にまでなった。私自身、社会保険に加入するのは初めてで、少しは保障された生活が送れると思った。

 飲食業界では、大企業が経営している大型店では正社員が社会保険に加入できるのは当たり前だが、個人が経営している飲食店で、社会保険に加入できるケースは稀であった。私自身が経営していた飲食店でも、もちろん、社会保険という概念はなかった。そのため、飲食店で正社員で働いた経験は何度かあるが、社会保険には加入したことがない状況になっていた。いかに飲食業会がブラックかと言うことが分かってもらえると思う。

うどん屋での日々はそれなりに、やり甲斐もあり楽しかったが、いい年をして、うどん屋でアルバイトをしている現実がとても恥ずかしいと感じていた。なので、知り合いにはうどん屋でアルバイトを行っている事を黙っていた。
また、現在そのうどん屋は外国にまで出店する大企業にまで成長している事には驚きだ。

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法政大学文学部史学科通信教育部を4年で卒業して、同時に教員免許も取得した。現在は高校教師教師として、働いています。
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