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2019年02月12日

英語の教員免許取得ための初めての単位修得試験/日本大学通信教育部




英語の教員免許取得ための初めての単位修得試験/日本大学通信教育部

2018年12月に初めての単位修得試験を受けた。日本大学通信教育部の単位修得試験はかなり特別だ。まず年に4回のみ(少な〜!)。また、年度を継続しない場合は年3回しか受けることが出来ない。そして、単位修得試験の時間割が発表されて、全4時間で、各時間によって、受験できる試験科目が決められている。試験の時間割を見て、計画的に受験していかないといけない。

過去問題を中心に単位修得試験をしました。

日本大学通信教育の場合、単位修得試験が、学習の大きな壁になると感じている。

日本大学通信教育部の初めての試験に向けて、4時間全ての時間で受験することを目標にリポート提出を行いました。何とか4科目受験することが出来ました。

4科目受験し、どの科目も時間いっぱいに使って、埋められる所は全て埋めました。手ごたえとしては、一科目は合格する自信があり、一科目は合格する自信が無い、残りの二科目は合格か不合格か微妙な感じです。

2019年1月、ついに結果が発表されました。緊張の中、結果を見ると、2科目合格、2科目不合格でした。こんなものかと思いました。合格する自信があった科目と、合格する自信がなかった科目が合格し、合格か不合格か微妙な科目が不合格でした。

2勝2敗、まずますの結果だと思います。もし、全て落ちていれば、おそらく諦めていたかもしれない。

次は全勝をめざして頑張ろうと思いました。

別ブログにて連載しています。詳しくはこちらをクリックお願いします。
世界が僕を待っている日本大学通信教育部英文学科に入学編!The world is waiting for me

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2019年01月14日

制度の大きな変更と2年目の通信制大学

法政大学通信教育部の資料はここから請求できる



制度の大きな変更と2年目の通信制大学

2年目に入り、定期的なペースでリポートの提出をすることが出来ました。また、単位修得試験もほぼ毎月受験をしました。

2年目以降スムーズにリポート作成ができた理由は、作成に慣れたこともありますが、制度の変更が大きかったです。

リポート提出に関して、2年目以降に大幅な制度変更があり、それまで、1単位1リポートの提出が、なんと、2単位で1リポートの提出に変更されました。これは大きいこと、ラッキーです。実に半分の労力で、リポートの提出が出来るようになりました。

半月に1回のペースでリポートを提出、1か月で1科目は提出できる計算です。

再提出を気にせずに、とりあえず書いて出すことを繰り返しました。1年目はほとんど再提出でしたが、2年目以降から徐々に再提出になる割合が減りました。再提出になっても、ほとんどの科目は、2回目で合格できました。

単位修得試験に関しては、テスト前の一週間で、リポートの課題を中心に復習をしていました。最初のころの合格率は50%ぐらいでした。試験を受ける度に、試験問題を持ち帰れるので、ある程度試験問題がたまってくると、試験問題を予想できるようになりました。そうなると、試験の合格率も徐々に高くなってきました。

試験問題を100%当てた時のそうかいかんは今でも忘れられません。

最終的に、大学卒業の単位数と教職単位を4年間で159単位取得しました。
けっきょく、2年目以降、年間平均50単位以上は取り続けた計算になります。

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タグ:1月

2019年01月13日

サルトルについて‐倫理文学部史学科リポート



サルトルについて‐倫理文学部史学科リポート

 サルトルの倫理観は人間の存在を無であると考え、人間は自由でなにものに束縛されないものであるとした。
これは、例え神であっても人間は束縛される存在ではない。

人間は過去や現在の自分自身から常に脱出し、未来に向かっての新しい自分を自由に作っていく存在であると考えた。

つまり、人は自分自身が何者であるかを自分自身で決める事ができる存在である。
この事は、人間は自分自身が世界との関り方の中で自分自身の事を選択し、その中から自分自身を決定して、自分自身を常に作っていく。この事がサルトルによって自由と言うことである。


 サルトルの自由に対する考え方は、人間は自由な存在として、自由でなければならない存在であり、また、自由でない人間などありえないとも考えた。
つまり、人間の存在の中で、自由がなくなってしまう、自由はありえないのである。人間と自由は常に共存して、人間は自由から逃げる事はできない。いわば、人間は自由とういう刑を受けた存在であると考えた。

人間という存在は自由を求める存在ではなく、不変的に人間と共に共存する自由という罰から逃れようと考える存在であるとも考えられた。
人間にとって自由という罰は人間でいる限りけっして、逃れる事のできない刑であるので、人間は常に悩み、苦しみ、不安を感じ、常に考える存在であると考えた。

 人間の自由と不安の関係は、例えば、危険な崖を歩く時、人間は常に崖から落ちてしまう可能性に不安や恐怖を感じる。

しかし、自分自身の行動方法によっては、崖から落ちることはありえない可能性も存在しているのである。
また、ある一定の条件さえそろえば、人間が崖から落ちるという事は、物理的な自然現象の外の要因と捉える事ができる。

そして、崖から落ちないと言う事は、自分自身の行動によって決まる事なので、自分自身の中に要因があると考えることができる。

しかし、自分自身の要因で崖から落ちないように企てても、自由に自分自身自ら崖から身を投げることも可能である。
人間は自分自身によって崖から身を投げる可能性に不安を感じるのである。
けっきょく、人間と言う存在は、自由であるがために不安から逃れる事ができない存在と見る事ができる。

不安は人間が自由である事を証明するものと考えることもできる。

 第2次世界大戦によるドイツによるパリ支配によって、言論の自由や行動の自由がパリでは失われた。
サルトル自身もドイツ軍に捕虜として収容所に送られる。

ドイツ支配による自由がまったく失われた世界だが、逆にサルトルはドイツによって占領されていた時ほど自由な世界はなかったと考えた。


 サルトルの思想は、人間の本質は自由を求める存在と考えられ、しかし、それは、何でもやれる自由ではなく、世界との関りを自由に決定する自由だと考えられた。

そして、平凡な生活の中では、人間は何でもやれる事があたりまえのなるので、逆に、自由を見失い能動的な生活になりがちになると考えられた。
例えば、戦争時などのように、戦争によって自由が奪われている状態になると、人間は逆に、本質的に持つ自由に対する意識が明らかになり、世界と関る自由を強く感じると考えられた。


 サルトルの実存主義に大きな影響を与えたのがハイデガーの存在論である。
ハイデガーはまず、人間が存在すると言う事はどのような事であるか考えた。
人間がどのような存在であるか考える行為、それ事体が人間にしかできない行為であると考えられ、自分自身の存在そのものを問題と問い掛けるのが人間であるとも考えた。


 ハイデガーは人間が存在すると言う事は世界と関わっていると言う事だと考えた。
人間が世界の中にあり、人間は自ら世界へと関わりつつ存在している、ということであると考えられた。


 実存とは実際にここに現実に存在しているということである。
実存主義は19世紀末から20世紀初頭にかけて注目を集めた思想である。

ヨーロパでは資本主義も進み機械化が主となってくる。この時代、人間の大衆化が進み個人としての人間の存在が失われてくる。
例えば、工場での単純作業など、同じ繰り返しの作業を大勢の人達が同じように繰り返し行うなどである。大衆化する社会では個人の個性としての尊厳も失う危険性もある。

このような時代だからこそ、個人の存在に注目し、具体的な個人としての人間のあり方や世界との係わり合い方など人間としての問題を考える存在論が脚光を浴びる。
サルトルの実存主義も存在としての哲学であり、無神論的実存主義とも考えられた。

また、サルトルの思想はヒューマニズム批判とも見る事ができるが、しかし、サルトルの思想は神が支配する伝統的なヒューマニズムと違った新たな真のヒューマニズムだとも考えることができる。
これは、伝統的な人間観から新しい人間観を作り出すための実存主義とも見る事ができる。


 サルトルの実存主義の中では、人間の自由な行動を縛るような道徳は存在しない。
自分で行動を選択すること事体が道徳であると考えた。

人間がこうあるべきである、と言うような道徳観は最初からなく、それは自分自身で作るものであり、道徳は作るものであるとサルトルは考えた。

(サルトル 永野潤 ナツメ社 2003 参照)










タグ:リポート

2018年12月16日

はじめてのスクーリング体験!卒業までの道のりの第一歩

はじめてのスクーリング体験!卒業までの道のりの第一歩

通信制大学に入学して、1年目の冬、1単位も取れないのは問題なので、一週間だけ、スクーリングに参加しました。

このスクーリングへの参加が、今後の通信制大学の生活に大きな影響を与えました。

全国から集まる、通信制の学生との交流で、様々な情報を手に入れ、また、勉学への刺激にもなりました。

このスクーリングでの一週間が無かったら、卒業への道は大きく後退していたかもしれません。

宿舎は、大学側が紹介していたルーテル市谷センターにしました。この選択が後になって考えると正解でした。ルーテル市谷センターは、3名の共同部屋になります。3名とも法政大学の通信学生なので、交流をすることができました。

勉強のやり方、単位修得試験の出題予想、取りやすい単位、取りにくい単位など、卒業に向けての具体的な情報を手に入れました。

また、大学生としての学生気分を味わい、仲間たちと語り合った日々がとても有意義でした。スクーリングでの日々が今思えば、一番楽しい記憶になっています。

1年目のこの冬スクーリングで、英語1単位、心理学2単位の授業を取りました。

スクーリング終了後、約一月後に結果が家に郵送されました。

ドキドキの一瞬です。仕事を一週間以上も休んで、挑戦したスクーリング。落とすわけにはいきません。

結果

英語、心理学ともに合格

これで3単位をゲットしました。

通信制大学1年目の挑戦は、結果

「3単位」

これが、私の1年目の成績です。

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法政大学通信教育部の資料はここから


タグ:12月

2018年11月18日

惨敗通信制大学の一年目!リポートでは単位取れず





惨敗通信制大学の一年目!リポートでは単位取れず

 法政大学通信教育部に入学して、1年目の学習成果は無残なものでした。今思えば、勉強のやり方をまったく分かっていなかったです。

 まず、リポートが書けない。書くのに時間がかかる。リポートが完成しても、何かかが違っていました。

そもそも、文章を書く経験がほとんどなかった、自分にとって、リポートを書く作業がとてつもなく難しかった記憶があります。

1年目は基本的に1単位1つの課題が出され(翌年から、2単位で1課題に変更)ました。

1年間で、日本史概説の4単位分のリポートと自然科学史の4単位分のリポートを提出しただけに留まりました。計8個のリポートを書き上げたことになります。

再提出になり、単位修得は翌年に持ち越されました。

一年目の結果は、通信教育の勉強では1単位も取ることが出来ませんでした。

う〜ん、世の中厳しいと感じた瞬間です。

さすがに、1単位も取れないのは問題なので、冬のスクーリングにとりあえず一週間だけ参加してみました。

このスクーリングの体験が今後の通信制大学の勉強に大きな影響を与えました。

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タグ:11月

2018年10月20日

英文学科と史学科学部は違えで同じ勉強!2度目の通信制大学の利点

英文学科と史学科学部は違えで同じ勉強!2度目の通信制大学の利点

法政大学通信教育部文学部史学科を卒業して、13年目また、通信制大学に入学しました。今回は日本大学通信教育部文理学部英文学科に正課生の教職生で入学しました。
学部は全然違いますが、大学での勉強は基本的に同じです。2度目の大学入学とあって、今回はすべてが順調に進んでいます。

〇2度目の通信大学の利点
・リポートがスムーズに書ける。
通信制大学ではリポートを書くのが基本的な勉強になり、文章を書くことに慣れていない人にはハードルが高いです。まったく違う科目であっても、文章を書く作業は同じです。
究極なところ、史学科であっても、英文科であっても、リポートの課題が少し違うだけで、後は同じ勉強方法です。

・先の展望が見えやすくなる。
全てを1人でおこなう、通信教育の勉強、う〜ん、大変です。でも、1度経験しているので、次に何をするのかが、なんとなく分かってきます。

・心に余裕ができる。
人間は1度経験したとことには、余裕をもって望めるものです。


通信制大学を1度卒業した人が、もう1度入学したと言う話をよく聞きます。

「一生勉強一青春」

私の好きな言葉です。この精神で2度目の大学生活を楽しんで過ごしています。

2度目の大学生活については詳しくは(世界は僕のためにある)で記事を書いています。

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タグ:10月

2018年09月23日

英語の教員免許が取得できる通信制大学!

英語の教員免許が取得できる通信制大学!

英語の教員免許取得を目指して、大学の選定を始めました。

本当なら慣れている法政大学が良かったのですが、残念ながら、法政大学の通信教育部では英語の教員免許が取得出来ません。

そこで、英語の教員免許が習得できる大学を探しました。


〇英語の免許が取得できる大学
・東京福祉大学
・明星大学
・聖徳大学
・佛教大学
・日本大学
など

どの大学にするかは、その人の置かれた状況によってそれぞれだと思います。

私自身の置かれた状況で検討した結果

「日本大学」

に教職生として入学することにしました。

日本大学を選んだポインは、通信、メディア授業、スクーリングなど様々な方法で単位を修得する事ができ、組み合わせによってはスクーリング無しでも、英語の免許取得に必要な単位を全て取ることが出来ます。

2度目の大学生活を楽しもうと思います。

詳しくは
現役高校教師と43歳の英文学科大学生
にて配信しています。

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2018年08月26日

通信制大学を卒業して13年目!43歳の決断るその理由とは?2018年

夢はここから




通信制大学を卒業して13年目!43歳の決断るその理由とは?2018年

通信制大学を卒業し13年目の今年

「また通信制大学に入学することを決めました。」

月日が経過するのは早いもので、法政大学通信教育部を卒業し、地歴公民の高校教師になって13年目が過ぎようとしています。13年も教師を続けられているのは、法政大学の通信制で学んだおかげです。


〇通信制大学に再度入学しようと思った理由

・法制大学での卒業論文のテーマは高松空襲でした。研究をしていくうえで、敵国アメリカの資料も読まなければいけません。英語がもっと出来れば研究がスムーズに進むと感じていました。

しかし、当時の私は、4年で卒業し、教員免許も取得する事が最大の目的だったので、英語の勉強に時間を割くことが出来ませんでした。いつの日か、英語を習得して英語の資料を読み解くことが私の夢になりました。

・現在私は、教材研究のために、年に一度は海外に行くようにしています。旅先でもっと英語が出来れば、旅が楽しくなると毎回感じています。


英語の習得が現在の私の夢です。

教員生活も13年を超え、仕事に余裕も生まれ、そろそろ違うことにもチャレンジしようと思いました。自分自身を高めたい、その思いは継続して40代を超えても心に持ち続けています。

英語を本格的に勉強するなら、中途半端では嫌なので、とことんまで勉強をする。それなら、英語の教員免許を取っちゃえと言うことで、通信制大学へ教職生として入学しようと考えました。

幸い、私は通信教育で大卒と社会の教員免許を取っているため、通信の学習の仕方や余分な教職単位を取らなくて良いので、何とかなりそうだと思います。

詳しい近況は別ブログにて配信していきます。

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2018年07月28日

学校教育における生徒指導の意味とは!生活指導リポート通信制大学



学校教育における生徒指導の意味とは!生活指導リポート通信制大学

 生活指導という言葉のイメージからは、あまり良いイメージは湧かない。例えば、学校や先生が生徒を服装や持ち物、生活態度などで制限を加えて校則で縛り、教師が生徒を一方的に叱るというイメージである。


 しかし、生徒指導という意味は、さまざまな事を含んだ意味として捉える事ができる。それは、生徒を叱って制限を与えることも含めるが、大きな意味としては生徒の相談役や進路の指導などである。学校の存在は生徒たちが社会に出る前の準備段階の訓練場所とも捉えることができるので、その中で教師の役割は人生の先輩として生徒を導く存在と言える。


 学校という存在理由は生徒が将来社会に出た時に必要となる知識や技能を身に付けさせることが目的である。学校で行う教科の指導だけで、生徒が将来必要となる技能や知識を補うことはできない。教科の指導は学校が目的とすることのほんの一部でしか過ぎない。学校は教科の勉強をするためだけにあるのではなく、その他にも、学校で生徒たちは将来必要となる知識や技能を学ぶのである。


 例えば、部活動を通じて、先輩と後輩の関係を学び、勝つ喜びや負ける悔しさ、勝つ為の努力を学ぶ。中には部活動がそのまま将来の職業と関連する人もいるだろう。部活動は将来会社に入社した時、上司と部下の上下の関係や同僚などの横の関係に役に立つ技能ともなる。その他、ホームルームなどを通じて行われる学級活動では、学級の問題を生徒と教師が1つになって考え、班をつくり、リーダーを決め、各個人のそれぞれの役割分担などを決め、また、学級対抗で運動会なども行う。学級は1つの国とも捉えることができる。」

学級活動を通じて将来、主権が国民である民主国家日本で暮らすための必要な知識を少しは得ることができるであろう。また、学校の校則を守ることは将来社会に出た時に法治国家日本で暮らすための訓練ともなるであろう。そして、学校生活ではクラスメートや同級生、下級生、上級生、先生などさまざまな人と出会う場所でもある。その中で、友達を作り、友人となり、好きな人見つけて恋人となることもあるかもしれない。これらの人との付き合いは、将来の人間関係をつくる上で役に立つし、また、友達やクラスメート、恋人などとの付き合いから、楽しさや悲しさなどを知り、人生勉強となるであろう。学校生活は人生のあらゆる要素が詰まっている空間と言える事ができる。


 従来日本の社会の価値観は学習指導重視の偏差値教育であった。教科の勉強も受験を対象とした教育法が取られていたと思われる。これがよい事なのか悪い事なのか私は分からないが、しかし、学校で良い偏差値を取って、良い大学に入学する事だけで、生徒を評価するのはいけないことだと思う。近年になって、従来の学習指導中心の教育法から特別活動中心の教育法へと切り替わる流れも出てきている。総合学習の時間の設置など、教科の勉強以外の時間を増やして、各学校独自の教育システムや地域に密着した教育なども検討されている。


 戦後からの日本社会のシステムの変化にともなって、学校の重要性がますます高くなってきた。日本は戦後の復興をとげ、高度経済成長期に突入する。そうなると、日本社会は大きく変わる。家庭では父親は仕事が忙しく、子育てにもなかなか参化できない。また、母親もパートなどに出かけて、いわゆる、鍵っ子が増えてくるのである。子育ての中心となるべき親が十分な時間を子供に割いてやる時間ができないので十分な子育てができないのである。そして、家族構成もおじいちゃんやおばあちゃんがいない、いわゆる核家族化があたりまえとなった。家庭での子育てが難しい状態となったのである。また、転勤族の増加やアパート暮らしや核家族化の現象によって、地域社会からの繋がりも弱くなったのである。そうなると、地域社会が子供を育てるシステムがなくなり、隣近所の子供であっても、よその子だから叱ることができなくなったのである。

この社会システムの変化によって、子育や子供の教育の中心が家族や地域社会から学校へと移るきっかけとなっている。子育てに対する期待を学校が担うことになるのである。学校の果たす役割や責任の範囲が広くなったのである。


 学校の果たす役割や責任の範囲が広くなることは、教師の負担も増える事を意味している。学校は勉強だけを教えていたのではダメとなり、子供のしつけに対する期待も含まれるようになるのである。


 教師の仕事は教育をつかさどることである。教育には教科と生活指導の意味を含んでいる。子供が大人との接点が少なくなった社会では、子供の生活や道徳に対する知識や技能を養う事が難しい。今後もますます、教師の特別活動(生活指導)に対する重要性は高くなるであろう。

(学校って何だろう 苅谷剛彦 講談社 参照)


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タグ:リポート

2018年06月29日

道徳と学校教育の関連性とは‐通信教育課程(道徳リポート)

道徳と学校教育の関連性とは‐通信教育課程(道徳リポート)


 中学校や小学校での道徳教育の位置付けを考えると、各教科、特別活動、総合学習、道徳の四つは学校教育の教育過程を編成するものである。


 また、小学校や中学校の学習指導要領では道徳教育は、「学校における道徳教育は、学校の教育活動全体を通じて行うものであり、道徳の時間をはじめとして各教科、特別活動及び総合的な学習の時間のそれぞれの特質に応じて適切な指導を行わなければならない。」と記載している。


 道徳教育の目的は、人としての生き方を教育する所にある。

例えば、人として、他者を思いやる心や自分自身の自立心などを育て、また、集団生活で必要な技能、モラルを身に付け、良い事と悪い事の分別を付ける能力を養い、そして、人間としての愛情などを育てる所にある。

また、教師という存在は、未熟な生徒達に対して、良い大人として生きる上での手本となり、また、人生の道しるべ的な存在として、生徒を将来良い方向に導く存在と言えるだろう。

教師の仕事は教科を教えるだけでなく、道徳的なことも重要な仕事の1つと考える事ができる。

つまり、学校という空間は道徳教育に満ちた空間とも捉えることができる。 


 学習指導要領に記載されている通り、道徳教育は学校の教育活動の全ての事に関連する大事な要素である。

道徳は学校のあらゆる所に関連している。

例えば、学校の校則などを守る事は、法治国家とも言える日本で生きていく上で重要な事になる。

つまり、学校の校則を守る事は、国の法律を守る事にも繋がり、また、集団生活や地域社会、会社、仕事場でのきまりを守る事にも繋がっている。

人間として生きていく上で集団でのきまりごとを守るのは基本的な事だといえるだろう。

また、部活動やクラブ活動、学級、学年などを通じて、人間として、人との関わり方を学んでいく。

例えば、年齢での上下関係や同級生との縦の同僚関係、また、これらの関係の中から、先輩や後輩、友人、恋人、友達、知り合いなどを作り個人的に、また、集団を通じてコミュニケーションを取っていくのである。

コミュニケーションから人との付き合い方や、また、人間としての人との付き合い方を学んでいく。

学校という場所は、教科の勉強をする所だと受けとめられがちな部分があるが、教科の勉強は学校教育では、ほんの一部でしかなく、生徒が学校で獲得する技能は教科の勉強だけではないと言えるだろう。


 次ぎに、学習指導要領にある、各教科、特別活動及び総合的な学習の時間のそれぞれの特質に応じて適切な指導とあるように、これらは道徳的な内容を加えていかなければならない。

教科の内容に関しても道徳との関連がある。

例えば、社会科などは直接道徳との関連性も考えられる。

現代社会や倫理などは人間としてのあり方や生き方が教科学習の目標でもある。

また、歴史などでも過去の歴史から日本人としての自覚などを学ぶ事もでき、また、世界の歴史を知ることによって、国際社会に生きる日本人としての生き方も学ぶ事ができるであろう。

そして、戦争などの歴史を知ることによって、そこから、平和教育を行うこともできる。


 特別活動は直接的に道徳教育とも考えられる。

学級を通じて生徒が話し合う行為や児童会などでは、生徒の代表が話し合いながら、より良い学校を作るために学校運営に関わりをもってくる。

学校行事やクラブでは集団生活の技能など直接道徳教育と関係している。


 総合学習では、地域と関わりをもって活動を行い、自らが問題を見つけて活動をしていくものである。

総合学習の時間は学校以外の社会と関わりあいながら、現実的に必要な技能を身につける事ができるであろう。

総合の時間は直接的に道徳と関連をもっているといえるだろう。

近年の教育改革で総合学習ができたので、学校ではよりいっそうの実践的道徳教育が可能となったと思われる。

しかし、近年とくに、子供をターゲットとした犯罪なども増えているので、どこまで、子供を地域に解放するのかが難しい問題となってくるであろう。


 人の生き方に関わってくる道徳教育では教師はどこまで生徒に踏みこんでいくのか難しい問題がある。

必ず、これ以上踏みこんではいけないというラインがあると思う。

そのライン以上の道徳教育は、親の仕事である。本来であるなら、子供の躾に関わる部分は家がその中心となるべきである。親の姿が、子供が将来良い大人になるための手本となるべき姿である。

しかし、現代の社会は核家族が増え、両親は共働きがあたりまえとなる世の中である。

道徳的な子供の教育は家庭だけでは難しい世の中である。

家庭だけでなく、地域社会で子供を育てる風習もなくなりつつある。

そのため、学校での道徳教育の重要性が増しているのである。子供の教育は学校と家庭、地域が連携をとって行うのが良いと思われる。

近年の学校週5日制、総合教育はますます、家と学校、地域との連帯が重要となってくるものである。

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タグ:リポート
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