2017年08月09日
となりのトトロ
■伝説1、さつきとメイは死んでいた説
都市伝説の中で最も多いのが、この主人公サツキとメイは死んでいるのではないかというもの。
■伝説2、殺人事件がモチーフだった説
また、1963年5月に発生した高校1年生の少女を被害者とする強盗強姦殺人事件「狭山事件」や、あるいはその後に発生した「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」などがモチーフになっているというようなこともいわれている。
■伝説3、トトロは死神だった説
伝説1が本当であるとすれば、トトロは死神、冥界への使者であり、トトロに会った人は死期が近い、あるいは既に死んでいるという説。
「まさか」と思う人も多いかもしれないが、これらは、まったく関係ないとは言い切れない。宮崎駿氏も人間であり、人間である以上、強く印象に残った画像や映像、事件などが、無意識のうちに作画や設定に影響を及ぼしてしまうことはあるのではないだろうか。特に、狭山事件が5月に起きているところで、「サツキ」「メイ」と主人公の名までがつけば、なんとなく関連性を想像してしまうものではないだろうか。
しかし、これらのことに関して制作したジブリは「みなさん、ご心配なく。トトロが死神だとか、メイちゃんは死んでるという事実や設定は、『となりのトトロ』にはまったくありませんよ。最近はやりの都市伝説のひとつです。誰かが、面白がって言い出したことが、あっという間にネットを通じて広がってしまったみたいなんです。『映画の最後の方でサツキとメイに影がない』のは、作画上で不要と判断して略しているだけなんです。みなさん、ウワサを信じないでほしいです。……とこの場を借りて、広報部より正式に申し上げたいと思います」(ジブリ公式サイト「いつものジブリ日誌」より)というように完全否定している。
それでもこれらの都市伝説は一向に消えない。それは一体なぜだろうか?
■『となりのトトロ』に隠された本当のメッセージとは!?
この都市伝説を読み解くには、「映画の設定の問題」と「日本人の習性の問題」の2つを考える必要がある。
■1、サツキたちが引越しした家は、かつて病人が死んだ家だった
まず、どうしても『となりのトトロ』と「死」のイメージが切り離せないということ。これに関して、宮崎駿氏は、サツキたちが引っ越してくる家に関して「あそこは要するに病人が死んでしまった家なんですよ。僕は、基本的にあの家は、病人を療養させるために建てた離れのある別荘だと思ってるんです。つまり、結核患者のために建てた離れなんですね。で、その人が死んでしまったので、そのまま用無しになって空いてたんです。そこへ、サツキとメイが引っ越して来たと。これは裏設定なんで、言う必要がないので誰にも言わなかったけれど、そう考えていた家なんです。妙に日当たりがヨさそうなのもこの設定のためなんですね」(徳間書店・宮崎駿著「出発点1979〜1996」より)と、語っている。
このように考えると、サツキやメイのお母さんの入院している「七国山病院」のモデルが多摩地区の結核療養病院で本当にあった「八国山病院」や「東京白十字病院」であったということもうなづける。
昭和中期の結核は、現在よりも死に近い病気であったため、トトロの登場人物たちが明るくふるまっている中にも、どこか影があるような設定になっていたのだ。
■2、マックロクロスケがいるということは……
また、この家には「すすわたり」といわれる「マックロクロスケ」が住んでいた。これは、今昔物語の「三善清行の宰相、引越しで妖怪に会う」(巻27-31)などで出てくる妖怪と同じで、誰かが家に引っ越してくると、夜中に住人に気付かれないように移動する習性があるようだ。このことからも、若い子どもたちが引っ越してくるまでは、マックロクロスケがいる「死者の家」であり、人が住んでくることによって「生者の家」に代わっていったことがわかる。
しかし、それだけではない。もう1つの観点である「日本人の習性」について考えてみよう。
■トトロは木の神だった!?
日本人は、農耕民族であったために、自然に対する「畏敬の念」がある。そして、八百万の神というように、日本人は森羅万象すべての現象に神々が宿ると思っている。それはある意味において「アニミズム」とも「精霊信仰」ともいわれる。その精霊信仰は、神と人は共存し、その神は人間が困ったときに現れて何らかの施しを行うということである。
特に、それらの神々は「木」に宿ると信じられている。今でも神社の中に「ご神木」といって、大きな木に注連縄が締められていることがあるが、それらの木には“神々が宿る”といわれており、それがアニメで描かれたトトロである。
神々は、粗略に扱えば祟り神になり、奉れば施しを与える内容になる。まさに、祟り神の怨霊であった菅原道真が、奉られて「天神様」になるのと同じ論理だ。
人間は神々に対してその力が祟りにならないようにおそれながら、施しを受けるように敬うのである。
その神々の世界と人間の住む世界の間は、まさに「迷い込んでしまう」くらい普通の世界の中にあるのだ。現代の怪談話の中でも「いつもと同じような道に行って不思議な体験をし、次に行ってみるとそんな場所自体がない」というような話があるが、まさに、トトロの出現方法はそのような怪談話と同じ内容で行われているのだった。これが「トトロ死神説」の出どころであり、製作者側はそのような意識がなくても、普段都市伝説に慣れ親しんでいる視聴者の側には、その意識が出てくるのである。
このような「見る側の感覚」が、まさに、その中にある都市伝説やそのほかの日本人の深層意識が中に入ってくるのだ。その内容は、宮崎駿氏が意識した「死者の家」のイメージから喚起され、そこから連想ゲームのように「死」「オカルト」「神々の世界」といったものが頭の中に次々と想起され、日本人に根付いている深層心理や遺伝子的な感覚から、次々と都市伝説が生まれてくるのである。その都市伝説が生まれてくる内容は、すでに製作者である宮崎駿氏の意図を完全に無視して、視聴者の頭の中で構成され、インターネット上で醸成されるようになるのである。
この意味で、製作者の設定があるというのは作り話かもしれないが、日本人の意識の中に都市伝説は永久に生き続けるのである。
(宇田川敬介)
都市伝説の中で最も多いのが、この主人公サツキとメイは死んでいるのではないかというもの。
■伝説2、殺人事件がモチーフだった説
また、1963年5月に発生した高校1年生の少女を被害者とする強盗強姦殺人事件「狭山事件」や、あるいはその後に発生した「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」などがモチーフになっているというようなこともいわれている。
■伝説3、トトロは死神だった説
伝説1が本当であるとすれば、トトロは死神、冥界への使者であり、トトロに会った人は死期が近い、あるいは既に死んでいるという説。
「まさか」と思う人も多いかもしれないが、これらは、まったく関係ないとは言い切れない。宮崎駿氏も人間であり、人間である以上、強く印象に残った画像や映像、事件などが、無意識のうちに作画や設定に影響を及ぼしてしまうことはあるのではないだろうか。特に、狭山事件が5月に起きているところで、「サツキ」「メイ」と主人公の名までがつけば、なんとなく関連性を想像してしまうものではないだろうか。
しかし、これらのことに関して制作したジブリは「みなさん、ご心配なく。トトロが死神だとか、メイちゃんは死んでるという事実や設定は、『となりのトトロ』にはまったくありませんよ。最近はやりの都市伝説のひとつです。誰かが、面白がって言い出したことが、あっという間にネットを通じて広がってしまったみたいなんです。『映画の最後の方でサツキとメイに影がない』のは、作画上で不要と判断して略しているだけなんです。みなさん、ウワサを信じないでほしいです。……とこの場を借りて、広報部より正式に申し上げたいと思います」(ジブリ公式サイト「いつものジブリ日誌」より)というように完全否定している。
それでもこれらの都市伝説は一向に消えない。それは一体なぜだろうか?
■『となりのトトロ』に隠された本当のメッセージとは!?
この都市伝説を読み解くには、「映画の設定の問題」と「日本人の習性の問題」の2つを考える必要がある。
■1、サツキたちが引越しした家は、かつて病人が死んだ家だった
まず、どうしても『となりのトトロ』と「死」のイメージが切り離せないということ。これに関して、宮崎駿氏は、サツキたちが引っ越してくる家に関して「あそこは要するに病人が死んでしまった家なんですよ。僕は、基本的にあの家は、病人を療養させるために建てた離れのある別荘だと思ってるんです。つまり、結核患者のために建てた離れなんですね。で、その人が死んでしまったので、そのまま用無しになって空いてたんです。そこへ、サツキとメイが引っ越して来たと。これは裏設定なんで、言う必要がないので誰にも言わなかったけれど、そう考えていた家なんです。妙に日当たりがヨさそうなのもこの設定のためなんですね」(徳間書店・宮崎駿著「出発点1979〜1996」より)と、語っている。
このように考えると、サツキやメイのお母さんの入院している「七国山病院」のモデルが多摩地区の結核療養病院で本当にあった「八国山病院」や「東京白十字病院」であったということもうなづける。
昭和中期の結核は、現在よりも死に近い病気であったため、トトロの登場人物たちが明るくふるまっている中にも、どこか影があるような設定になっていたのだ。
■2、マックロクロスケがいるということは……
また、この家には「すすわたり」といわれる「マックロクロスケ」が住んでいた。これは、今昔物語の「三善清行の宰相、引越しで妖怪に会う」(巻27-31)などで出てくる妖怪と同じで、誰かが家に引っ越してくると、夜中に住人に気付かれないように移動する習性があるようだ。このことからも、若い子どもたちが引っ越してくるまでは、マックロクロスケがいる「死者の家」であり、人が住んでくることによって「生者の家」に代わっていったことがわかる。
しかし、それだけではない。もう1つの観点である「日本人の習性」について考えてみよう。
■トトロは木の神だった!?
日本人は、農耕民族であったために、自然に対する「畏敬の念」がある。そして、八百万の神というように、日本人は森羅万象すべての現象に神々が宿ると思っている。それはある意味において「アニミズム」とも「精霊信仰」ともいわれる。その精霊信仰は、神と人は共存し、その神は人間が困ったときに現れて何らかの施しを行うということである。
特に、それらの神々は「木」に宿ると信じられている。今でも神社の中に「ご神木」といって、大きな木に注連縄が締められていることがあるが、それらの木には“神々が宿る”といわれており、それがアニメで描かれたトトロである。
神々は、粗略に扱えば祟り神になり、奉れば施しを与える内容になる。まさに、祟り神の怨霊であった菅原道真が、奉られて「天神様」になるのと同じ論理だ。
人間は神々に対してその力が祟りにならないようにおそれながら、施しを受けるように敬うのである。
その神々の世界と人間の住む世界の間は、まさに「迷い込んでしまう」くらい普通の世界の中にあるのだ。現代の怪談話の中でも「いつもと同じような道に行って不思議な体験をし、次に行ってみるとそんな場所自体がない」というような話があるが、まさに、トトロの出現方法はそのような怪談話と同じ内容で行われているのだった。これが「トトロ死神説」の出どころであり、製作者側はそのような意識がなくても、普段都市伝説に慣れ親しんでいる視聴者の側には、その意識が出てくるのである。
このような「見る側の感覚」が、まさに、その中にある都市伝説やそのほかの日本人の深層意識が中に入ってくるのだ。その内容は、宮崎駿氏が意識した「死者の家」のイメージから喚起され、そこから連想ゲームのように「死」「オカルト」「神々の世界」といったものが頭の中に次々と想起され、日本人に根付いている深層心理や遺伝子的な感覚から、次々と都市伝説が生まれてくるのである。その都市伝説が生まれてくる内容は、すでに製作者である宮崎駿氏の意図を完全に無視して、視聴者の頭の中で構成され、インターネット上で醸成されるようになるのである。
この意味で、製作者の設定があるというのは作り話かもしれないが、日本人の意識の中に都市伝説は永久に生き続けるのである。
(宇田川敬介)
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