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真・地名推理ファイル 絹の道をゆく-10 高丸コレクション  [2021/01/29 18:54]
■横浜編 Vol.5 豊臣秀吉が母親の大政所のために建てた『旧天瑞寺寿塔覆堂』。 徳川家康によって京都伏見城内に建てられた『月華殿』。 三代将軍徳川家光が二条城内に建てさせ、後に春日局が賜ったと伝わる『聴秋閣』。 織田信長の実弟で茶人の織田有楽斎の茶室『春草廬』。 八代将軍・徳川吉宗が幼少期に遊んだ紀州徳川家の別荘『巌出御殿(いわでごてん)』と推定される『臨春閣』。 綺羅星の如くならぶ歴史上の有名人。そのゆかりの建造物があるこ..
真・地名推理ファイル 絹の道をゆく-8 高丸コレクション  [2021/01/28 13:23]
■横浜編 Vol.3 生糸が輸出産業の花形だったといっても、すべての生糸商人が大もうけしたわけではない。 生糸の商いというのは投機である。巨万の富を築いた商人が生まれる一方で、その何倍もの商人たちが没落していった。卓越した先見性と行動力、そして運の強いものが相場を制するのは現代も変わらない。もっとも、現代はパソコンの前に座っているだけなので、行動はキーを叩くだけだが…。 仲居屋重兵衛もそうだったが、原善三郎も行動の人だった。 群馬や埼玉の田舎から出てき..
真・地名推理ファイル 絹の道をゆく-7 高丸コレクション  [2021/01/28 00:46]
■横浜編 Vol.2 「松蔭先生はすごい御方じゃ!」と、大河ドラマで桂小五郎が激賞していたが、確かに吉田松陰は凄い人だと思う。 まず、その行動力。自分が吉田松陰に惹かれたのはその尋常じゃない行動力にある。そのエネルギーの源泉はどこにあるのか?それを知りたくて生誕地である山口県萩を訪れたのは1987年(昭和62年)。27歳の時だ。 穏やかな、それは穏やかな城下町。松蔭の…いや、松蔭の弟子である高杉晋作や久坂玄瑞のあの狂おしいほどの激情など微塵も感じられない静か..
真・地名推理ファイル 絹の道をゆく-6 高丸コレクション  [2021/01/25 12:53]
■横浜編 Vol.1 わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に 連りそばだつ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え  されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや むかし思えば とま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ 明治四十二年(1909)に作られた森鴎外作詞の『横浜市歌』である。横浜の小学校に通っていた人なら、誰もが歌える(…はず)。 歌詞の意味は…、(島国である日本は、当然港の数も多い。だから、色んな国の船がやって来る。だけ..

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ある時は地域情報紙の編集長、ある時はフリーライター、またある時は紙芝居のオジサン、しこうしてその実態は・・・穏やかな心を持ちながら激しい憤りによって目覚めた伝説の唄う地域史研究家・・・歴史探偵・高丸だ!
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