2021年02月02日
真・地名推理ファイル 絹の道をゆく-12 高丸コレクション
■横浜編 Vol.7
呪われた…絹の道
「八王子を起点とするシルクロードはこの八王子鼻をもって終点としていたに違いない。これは密貿易の舞台にふさわしい背景であった」
映画『男たちの大和』の原作者として知られる辺見じゅん氏の著書「呪われたシルクロード」の第三章「欲望の道」の項に、こう書かれている。
ノンフィクション作家の辺見じゅん氏(本名、眞弓)は、角川書店の創業者・角川源義氏の娘で、角川春樹氏の実姉にあたる。「呪われた―」は、昭和五十年に、当時三十六歳だった彼女が著した処女作だ。
東京八王子市南部の鑓水(やりみず)という地で実際に起きた殺人事件を糸口に、幕末から明治に活躍した生糸商人たちの栄枯盛衰や、八王子周辺の養蚕・製糸・機織(はたおり)などに携わる人々の生活や人間模様が細かく描き出されている。
当時三十六歳の女性が書いたとは思えない綿密で徹底した取材と調査。「呪われた…」というタイトルが示すとおり、随所に漂う禍々しさに、なんともいえない遣る瀬なさを感じたが…、上質なドキュメンタリー映画を観ているような錯覚に陥りながら面白く読んだ。
冒頭の文章の後、「三渓園は、鑓水商人大塚五郎吉と手を結び絹長者になった原善三郎の女婿によるもので、思い出深き地に贅をつくした庭園を造ったのも、絹長者生涯の記念碑と見ればうなずける」と続く。
アメリカが横浜開港を迫ったのは、オランダと日本の絹商人の密貿易のルート【絹の道】が、多摩を通って横浜に達していることを知っていたからだとも書かれている。
丹念な取材と調査の結果なのだろうが、幕末の歴史が根底からくつがえる内容だ。
私に「三渓園の裏で、密貿易が行われていた」と示唆した郷土史の男性も、八聖殿で「八王子鼻は、八王子と横浜を結ぶシルクロードと、関係があるに違いない」と、頑なに自己主張していたという御仁も、たぶん、この本を読んでいたに違いない。
「おはちおうじさま」と地元の人々に親しまれた八王子権現の碑の前に立ち、先ほど見た埋め立て前の本牧の航空写真を思い出しながら、遠い江戸時代の地形を想像してみる。
社が再建されたのは文久二年。その背景に密貿易が関係していた…というのだろうか?
「いや、まさか」わざわざ密貿易の証拠を残すわけがない。たぶん、偶然だろう。だとすると、八王子から絹の道を使って生糸を運んできた商人は、その偶然と因縁を、商売の成功に結び付けて大いに喜んだに違いない。
八人の王子
八王子、八王子といっているが、果たして八王子の意味を知っている人がどれほどいるだろう?
読んで字の如く「八人の王子様」のことだということくらいは分かる。
インド仏教では祇園精舎の守護神。日本人にとっては疫病や災厄を追い払う心強いが恐ろしい神さま、その名も牛頭天王。
牛頭天王は、地名推理ファイルには何度も登場したお馴染みの神様だ。
八王子は、その牛頭天王が雨乞いの神・沙伽羅(しゃがら)竜王の娘との間にもうけた八人の子どもたちのことだという。彼らは、牛頭天王の眷属(けんぞく=主神に従属する神々)として、すべての人間の吉凶の方角を司り、病気や災厄を祓うと信じられた。
江戸時代、「てんのう」は天皇陛下のことではなく、牛頭天王のことであった。
全国各地に牛頭天王を祀る天王社が建てられ、人々は「天王さま」と呼んで親しんでいた。医療技術の乏しい時代、疫病を打ち払ってくれる牛頭天王は、人々の心の拠り所であったのである。
この事が権威確立を急ぐ維新政府の…というより、復古主義を唱える国学者たちの癇に障った。
彼らは、神仏判然令(神仏分離令)を策定し、天王社の祭神をスサノオノミコトに変えさせると、神社の名前も、八坂神社、八雲神社、素盞嗚神社などに変えさせたのである。
全国に勧請されていた八王子社も、当然同じ運命をたどる。本牧の八王子権現はどうか?と思い、合祀された本牧神社に行ってみたら、案の定、八王子大明神という名前に変わっていた。
牛頭天王=スサノオだけではない。仏教がらみの祭神がアマテラスなど、記紀神話の神に置き換えられた例は枚挙に暇がない。
そういえば今夜(この文章を書いている日)は七夕であった。
七夕と記紀神話で思い出したが、古事記の中に、天の安川(天の川)に対峙したアマテラスとスサノオが、誓約(うけひ)を交わして、それぞれが子を産んで、勝ち負けを競う話が出てくる。
結果、アマテラスの珠から五柱の男神が、スサノオの剣から三柱の女神が生まれた。(この八柱の神々を八王子として祀っている神社もある)
七夕と機織り
「邪心がないからこそ、女の子が産まれたのだ〜」と、勝ちを宣言したスサノオは、喜びのあまり田畑を壊したり、台所に大便をまき散らしたりと大暴れ。あげくの果てに、生きたまま剥いだ馬の皮をアマテラスが仕事をさせていた機織り小屋に放り込んで、機織り女を殺してしまう。
これに怒り悲しんだアマテラスが岩屋に隠れてしまうのが、有名な「天の岩戸」の話だ。
スサノオはその後も、食べ物の神(オオゲツ姫)を殺すのだが、その神さまの頭から生まれたのが蚕である。機織りや養蚕の歴史というのは、それほど古い。
因みに七夕は、桃の節句や端午の節句と同様、中国から伝わった暦のうえの行事である。この行事が日本の「棚機都女(たなばたつめ)」の伝説(水辺に小屋を建てて、祖先に布を織って捧げる行事)と結びついた。
七夕と書いて「たなばた」と読むのは、そのせいだ。
絹の道をゆく-12 へ続く
この記事は、青葉区都筑区で約7万部発行されていた地域情報誌に2009年8月より10年間連載されていた「歴史探偵・高丸の地名推理ファイル 絹の道編」を加筆編集した上で再アップしたものです。
地名推理ファイル 絹の道編 目次
呪われた…絹の道
「八王子を起点とするシルクロードはこの八王子鼻をもって終点としていたに違いない。これは密貿易の舞台にふさわしい背景であった」
映画『男たちの大和』の原作者として知られる辺見じゅん氏の著書「呪われたシルクロード」の第三章「欲望の道」の項に、こう書かれている。
ノンフィクション作家の辺見じゅん氏(本名、眞弓)は、角川書店の創業者・角川源義氏の娘で、角川春樹氏の実姉にあたる。「呪われた―」は、昭和五十年に、当時三十六歳だった彼女が著した処女作だ。
東京八王子市南部の鑓水(やりみず)という地で実際に起きた殺人事件を糸口に、幕末から明治に活躍した生糸商人たちの栄枯盛衰や、八王子周辺の養蚕・製糸・機織(はたおり)などに携わる人々の生活や人間模様が細かく描き出されている。
当時三十六歳の女性が書いたとは思えない綿密で徹底した取材と調査。「呪われた…」というタイトルが示すとおり、随所に漂う禍々しさに、なんともいえない遣る瀬なさを感じたが…、上質なドキュメンタリー映画を観ているような錯覚に陥りながら面白く読んだ。
冒頭の文章の後、「三渓園は、鑓水商人大塚五郎吉と手を結び絹長者になった原善三郎の女婿によるもので、思い出深き地に贅をつくした庭園を造ったのも、絹長者生涯の記念碑と見ればうなずける」と続く。
アメリカが横浜開港を迫ったのは、オランダと日本の絹商人の密貿易のルート【絹の道】が、多摩を通って横浜に達していることを知っていたからだとも書かれている。
丹念な取材と調査の結果なのだろうが、幕末の歴史が根底からくつがえる内容だ。
私に「三渓園の裏で、密貿易が行われていた」と示唆した郷土史の男性も、八聖殿で「八王子鼻は、八王子と横浜を結ぶシルクロードと、関係があるに違いない」と、頑なに自己主張していたという御仁も、たぶん、この本を読んでいたに違いない。
「おはちおうじさま」と地元の人々に親しまれた八王子権現の碑の前に立ち、先ほど見た埋め立て前の本牧の航空写真を思い出しながら、遠い江戸時代の地形を想像してみる。
社が再建されたのは文久二年。その背景に密貿易が関係していた…というのだろうか?
「いや、まさか」わざわざ密貿易の証拠を残すわけがない。たぶん、偶然だろう。だとすると、八王子から絹の道を使って生糸を運んできた商人は、その偶然と因縁を、商売の成功に結び付けて大いに喜んだに違いない。
八人の王子
八王子、八王子といっているが、果たして八王子の意味を知っている人がどれほどいるだろう?
読んで字の如く「八人の王子様」のことだということくらいは分かる。
インド仏教では祇園精舎の守護神。日本人にとっては疫病や災厄を追い払う心強いが恐ろしい神さま、その名も牛頭天王。
牛頭天王は、地名推理ファイルには何度も登場したお馴染みの神様だ。
八王子は、その牛頭天王が雨乞いの神・沙伽羅(しゃがら)竜王の娘との間にもうけた八人の子どもたちのことだという。彼らは、牛頭天王の眷属(けんぞく=主神に従属する神々)として、すべての人間の吉凶の方角を司り、病気や災厄を祓うと信じられた。
江戸時代、「てんのう」は天皇陛下のことではなく、牛頭天王のことであった。
全国各地に牛頭天王を祀る天王社が建てられ、人々は「天王さま」と呼んで親しんでいた。医療技術の乏しい時代、疫病を打ち払ってくれる牛頭天王は、人々の心の拠り所であったのである。
この事が権威確立を急ぐ維新政府の…というより、復古主義を唱える国学者たちの癇に障った。
彼らは、神仏判然令(神仏分離令)を策定し、天王社の祭神をスサノオノミコトに変えさせると、神社の名前も、八坂神社、八雲神社、素盞嗚神社などに変えさせたのである。
全国に勧請されていた八王子社も、当然同じ運命をたどる。本牧の八王子権現はどうか?と思い、合祀された本牧神社に行ってみたら、案の定、八王子大明神という名前に変わっていた。
牛頭天王=スサノオだけではない。仏教がらみの祭神がアマテラスなど、記紀神話の神に置き換えられた例は枚挙に暇がない。
そういえば今夜(この文章を書いている日)は七夕であった。
七夕と記紀神話で思い出したが、古事記の中に、天の安川(天の川)に対峙したアマテラスとスサノオが、誓約(うけひ)を交わして、それぞれが子を産んで、勝ち負けを競う話が出てくる。
結果、アマテラスの珠から五柱の男神が、スサノオの剣から三柱の女神が生まれた。(この八柱の神々を八王子として祀っている神社もある)
七夕と機織り
「邪心がないからこそ、女の子が産まれたのだ〜」と、勝ちを宣言したスサノオは、喜びのあまり田畑を壊したり、台所に大便をまき散らしたりと大暴れ。あげくの果てに、生きたまま剥いだ馬の皮をアマテラスが仕事をさせていた機織り小屋に放り込んで、機織り女を殺してしまう。
これに怒り悲しんだアマテラスが岩屋に隠れてしまうのが、有名な「天の岩戸」の話だ。
スサノオはその後も、食べ物の神(オオゲツ姫)を殺すのだが、その神さまの頭から生まれたのが蚕である。機織りや養蚕の歴史というのは、それほど古い。
因みに七夕は、桃の節句や端午の節句と同様、中国から伝わった暦のうえの行事である。この行事が日本の「棚機都女(たなばたつめ)」の伝説(水辺に小屋を建てて、祖先に布を織って捧げる行事)と結びついた。
七夕と書いて「たなばた」と読むのは、そのせいだ。
絹の道をゆく-12 へ続く
この記事は、青葉区都筑区で約7万部発行されていた地域情報誌に2009年8月より10年間連載されていた「歴史探偵・高丸の地名推理ファイル 絹の道編」を加筆編集した上で再アップしたものです。
地名推理ファイル 絹の道編 目次
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