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2014年03月29日
439. 黒柳徹子A 特技・動物との会話・ゴルバチョフ 「笑っていいとも!」
グレーのドレスに一面花をあしらっていて「すごいですね」とタモリさん。
たくさんの花束の中に、「ミハイル・ゴルバチョフ」という名前が。
「ゴルバチョフさんは、私、お友だち」と黒柳さん。「『徹子の部屋に7回出る』とおっしゃって、今2回おいでになって、あと5回おいでにならないといけないの…」「来てくださるって話です」
ジャニーズのメンバーからはそれぞれグループごとのサイン色紙がボードに貼られています、それぞれの色紙にメンバーの寄せ書き。
ここでハプニング。黒柳さんが咳き込み始めて…。
「花粉症ですか?」とタモリさん。
「花粉症じゃないの…。ここに風が吹く」と頭上を指さして。「ビュービュー吹いてんの」
「おうい、止めろ!」とタモリさん。(笑)
「お願いします」と黒柳さん。
50年やりたい
「でもまあ、毎日おにぎやかね…」と黒柳さん。
「にぎやか!」とタモリさん。
「あなたの人生で最高ににぎやか…」
「にぎやか、本当ににぎやか…」
「ねえ、なるだけ地味に暮らしたいのにね…」と黒柳さん。
「地味に暮らしたいんですけどね…。やることがいっぱいあって大変です」とタモリさん。「『徹子の部屋』は何年ですか?」
「39年です」(ほうっという声)「…あなた32年ということは私が39年ということだから、近いじゃない?途中からズズって速くなったのね?」
「いや、速くない、ごまかしてるわけじゃない」とタモリさん。(笑)
「徹子の部屋」はこの4月より正午からの放送になるそうです。
「あなたがいないからってわけでもないんですけど、局の都合で…」と黒柳さん。「『徹子の部屋は50年はやりたいね』ってみんなで言ってるんです」
「50年行きますか?」
「そうすると私、90になるから本当にやれるか楽しみです」
動物との会話
黒柳さんの、動物と会話できるという特技は有名ですが、様々な動物との交流が語られました。
@タモリさん宅の猫
タモリさんに噛みつくという、誰にもなつかない猫が、黒柳さんが来るときは出迎えて、後をついてくるのだとか。
「『写真を撮るから花のそばに行って』って言うと、ちゃんと花のそばに…」と黒柳さん。
体長を知りたいと「あなたどのくらいになるのかしらね?」と黒柳さんが言うと、壁のところに行って、体を伸ばしたそうです。
「話が全部分かってる」とタモリさん。
A上野動物園の狼
動物の写真を撮る仕事をしていた黒柳さん。前日に中国から来たばかりの狼を撮ろうとしますが、ウロウロしてじっとしていません。
「この人、日本の言葉に慣れてないんじゃないかと思って…」黒柳さんは京劇の真似をしたそうです。
「『クーシェーテールウ?』と言ったのよ」(笑)狼が止まったからさらに中国語で話しかけると、どんどん寄ってきたのだとか。中国語を連発する黒柳さんに爆笑また爆笑。
「檻の前でやってましたから、皆が私のところに…」(笑)
「皆、狼のことすっかり忘れてますよ…」とタモリさん。(笑)
B四川省のパンダ
「野生のパンダ、行き倒れのパンダが来たんですよ」と黒柳さん。食べることが出来なくて、人里で倒れたパンダがいたそうです。前足の片方が無かったとか…。
「かわいそうにねえ…。一人でずっと来たの…。大変でしょう?」と黒柳さんが話しかけて、箸にりんごを刺してやったそうです。そうすると箸ごと取ったのだとか。
「『ダメ!』って言ったの、それは。『ダメ!』って言ったの」と黒柳さん。「『お箸を取っちゃ…。返して』って言ったの。お箸、返してよこしましたよ」
黒柳さんが「あなた、本当にかわいそうね…」と言うと、「そうなんです」という表情を浮かべたそうです。
別れの時間が来て「さよなら」と言うと、涙をいっぱい浮かべたのだとか。
「写真に残ってますよ」と黒柳さん。「野生でも心を尽くせば分かりますよ」
「それは特別な才能ですよ」とタモリさん。
「お宅の猫からすればね…」と黒柳さん。(笑)
この後、「上野動物園のサイ」「上野動物園の友だちのカワウソ」「スタジオに来た牛」「ガンコなシロクマ」と動物との話が続きます。
それにしても80歳になったトットちゃん。旺盛な好奇心と行動力は全く衰えていませんね。「徹子の部屋」の50年は大丈夫だと思います。
黒柳さんは、タモリさんが素人時代に赤塚不二夫さんとテレビに出たときにたまたま見ていて、その面白さを発見した人。その縁でタモリさんは素人時代に「徹子の部屋」に出演。世に知られるきっかけとなりました。
その2人の「笑っていいとも!」での最後のトーク。爆笑の中に、ある種の感慨を覚えた方もいらっしゃったのではないでしょうか…。
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2014年03月28日
438. 小泉今日子 お酒・新宿2丁目・オカマバー 「笑っていいとも!」
48歳ということですが、なんと可愛いらしい…。たくさんの花束。入りきれない花束がロビーにずらっと並んで…。
「最後にもう一度出られるなんて思ってませんでした」と小泉さん。
「長いお付き合いでございまして…」とタモリさん。「あのスター誕生…」
「デビュー前からの…」と小泉さん。
「そうなんですよ…。スター誕生、おれ、1年やったことがあるんですけれども…」
「そのときに出たんです」と小泉さん。「ふふ、そうなんです」
当時小泉さんは14、5歳。翌1982年にデビュー。これは「いいとも」が始まった年。
「ほぼ毎日ここに?」と小泉さん。
「来てます、来てます」とタモリさん。
「そんなこと出来ないと思うんですが…」(笑)「どう考えても…」
「おれも最初は出来ないと思った…。長くやるつもりじゃないから出来たと思う」とタモリさん。
小泉さんの芸能活動の期間と「いいとも」の歴史はともに32年。
「2人で歩んできました…」とタモリさん。(笑)
「歩んできました…」と小泉さん。(笑)
酒が強い
「酒、相変わらず強いの?」とタモリさん。
「飲みますね(と笑う)」
「飲み続けた記録って本当ですか?」
「本当です…。夕方の6時から飲んで、家に帰ったのが次の日の夕方の4時だった…」(えーっ!という声)「22時間…」
「負けた…。おれ、最高で17時間」とタモリさん。
「やった!」と手を振り上げる小泉さん。(笑)「すごい?」
「すごい…。外で飲んでた?」とタモリさん。
「外で…。この辺…。新宿あたり24時間やってるお店あるから」と小泉さん。
「あります、あります」
「最終的にはオカマのママとラッパーと3人で…」
「オカマのママということはその辺じゃない?」とタモリさん。
「その辺で…。帰りのタクシーの中で『もうそろそろ死んだほうがいいかも』ってみんなで…」
オカマバーの楽しさ
新宿二丁目に通い始めて15年くらいになるそうです。
「30くらいからですよ…。ふふ」
「二丁目って知らないと思いますけれども」とタモリさん。「オカマバーがずらーっと並んでる」
「そうです、楽しいですよ」と小泉さん。
「楽しいとこなんです。もちろんオカマじゃない人もいて、ぼくらもよく行ってたんですけどね…。楽しいんです、ショーがあってね」
「会話が楽しいじゃないですか?一人で行ってもわりと安全…」と小泉さん。
「安全ですね…。女子は安全です。女子に興味ないですから」とタモリさん。(笑)「こんな安全なところは無いです」
「『来たわね、ブス!』とか言われる」(笑)
起きたら絶好調
小泉さんは店をはしごするタイプのようです。
「何軒も行きますよ、飽きちゃうので…」と小泉さん。
「二日酔いは無いの?」
「二日酔い…ほとんど無し。タモリさんもでしょ?」と小泉さん。
「おれはね、二日酔いは無いの…。酔っぱらった状態が続いてるだけなの」
「分かる!」と小泉さん。「だから楽しくないですか?次の日の朝の仕事?」
小泉さんはつい最近も、酔いが醒めない状態で撮影したそうです。
「酔っぱらってるシーンで…中井貴一さんと酔っぱらいながらケンカをするのがすごくやりやすくて…」(笑)「『あ!なんか絶好調、今日の私…』みたいな感じがして…」
「ちょうどよかったんだ?」
「ちょうどよかった…。これが深刻なシーンだとちょっと辛いでしょうけど…」
酔い方が同じようです。
「頭が痛かったり、ムカムカしたりしないの…。目が覚めると絶好調なの…」とタモリさん。(へーっという声)
起き抜けの朝食がシメの食事になるそうです。
「それでまた元気になるんですよね」と小泉さん。
「同じタイプですね…」とタモリさん。
「これからも一緒に歩いていきましょうね」と声を揃える2人。(笑)
酒を味わう
今はウィスキーにハマっているという小泉さん。タモリさんもウィスキー好きで有名です。
そして、更に2人の共通点が。それは「飲んでるときはほとんど食べない」。
「食べる人に言わせると、『食べるものも無くて、酒飲めるの?』って言われるんですけれども、飲めますよね?」とタモリさん。
「飲めますねえ」と大きくうなずく小泉さん。
「酒のうまい味を食べ物に邪魔されたくないですよね?」とタモリさん。
「そうですね」
「食べるときは飲まないですね」
「家でご飯を食べて、2、3時間してから『飲みに行こう』と…」と小泉さん。
「同じですね…」
そうか…。
私(よしろう)は飲み過ぎた翌日は地獄を見ることになるのですが、どちらかといえば、飲むにつれ食欲が増すタイプ。2人のように何も食べなければ、気分が悪くならないのでしょうか?
お酒の好きな方にはまことに興味深いトークでした。
2014年03月27日
437. 陣内孝則 「はなまるカフェ」ラスト・堺正章・福岡出身・後輩 「はなまるマーケット」
「『はなまるカフェ』も今日が最後でございます。大トリはこの方に来ていただきました」と薬丸さん。
「おはようございます。新番組もよろしく!」と元気な陣内さん。(笑)
「17年半ですか…。もう万感の思いです」(笑)この人が言うと、何となく笑ってしまいます。
1958年8月12日生まれ。55歳。福岡県出身。
1976年、ロックバンド「ザ・ロッカーズ」のボーカルとしてデビュー。
解散後、役者に転向。ドラマ「愛しあってるかい!」など代表作多数。映画監督としても活躍しています。
「最初に(はなまる)出たころ、食えない俳優だったのに、これに出たおかげで生活も安定できて…」(笑)
「有名でしたよ…。とても有名でした、第1回から…」と岡江さん。丁寧なツッコミ、さすがです。
「今朝のおめざ」は
「さつま焼」(1個140円) 春日庵 (奈良県・奈良市)
竹串に刺して、1つ1つ丹精に日焼けした皮の中に、北海道の小豆を使った自家製のあんが入っています。小豆と皮が溶けあった甘く優しい味の一品。
2時間ドラマで赤井英和さんと共演したときに、問われるままにサツマイモのお菓子が好きだと答えると、そばにいた演歌歌手の黒川英二さんがオフに奈良まで買いに行ってくれたそうです。
「これがおいしいんです…」と言いながら、黒川さんの曲「大阪恋歌」を口ずさむ陣内さん。(笑)義理堅い人ですねえ…。
福岡会
福岡出身の芸能人が多いということは有名ですが、3カ月に一度集まっているそうです。幹事は陣内さん。
先日の集まりにはタモリさんや黒木瞳さんらも参加したのだとか。
「私行きつけの飲み屋で…」と陣内さん。「タモリさんが来た2日後にミックジャガーが来た…。あ、別にどうでもいい情報だった…」(笑)「知る人ぞ知る、めんたいロックのかかる店で…」
1次会は上記の居酒屋、2次会は陣内さんの自宅で行ったそうです。
「1次会の支払いも私、2次会もぼくんち…。非常にフトコロの痛む会なんです…」(笑)
きっかけは、漫才コンビ、パンク・ブーブー黒瀬さんとの会話だったそうです。
「『カンニングの竹山さんや博多華丸さんらがやりたがっている』と…」
ただ陣内さんにとっては大きな負担。
「半年に一回くらいにしないか?」と提案したところ、「なんば言うとですか!」と若い人たちが反対。「毎月でもよかですよ!」
結局3カ月に1回となったそうですが…。
陣内さんにとって気がかりなのは、役者や音楽家メンバーは1次会で帰ってしまい、2次会メンバーはほとんどお笑い関係者なこと。
バイキング・小峠さん、カンニング竹山さん、バッドボーイズの2人、博多華丸さん、原口あきまささん、山本高広さん、吉田羊さん。確かに吉田羊さん以外、お笑いの方ばかりですね。
後輩の裏切り
陣内さんは「はなまるカフェ」出演最多(10回)だそうですが、出るだけでなく見るのも熱心。そして時折後輩の裏切りに傷つくのだとか。
仲のよい俳優の池内博之さんが「はなまるカフェ」に出演したときのこと。
「尊敬する役者さんは?」と聞かれ、「自分の名前が出る!」と緊張した陣内さん。
「役所広司さんです」と池内さんが言ったのを聞いて、逆上したそうです。「よく飲んでたのに…。私の奢りで」(笑)
他にも高校の後輩で、若いころに「陣内さんに憧れて俳優になったんです」と言っていたのが鈴木浩介さん。いざ「はなまるカフェ」に出演すると、「西田敏行さんに憧れて…」(笑)
「ふざけんな!」(笑)実際には多数の方が尊敬する役者として陣内さんの名前を挙げているそうですが…。
「昔、占いの人に言われたんです…。先輩には可愛がられるが、後輩には恵まれない…」(笑)
そしてひとしきり毒舌を吐いたあと、「最後ですからね…、多少毒のあることを言っても…」(笑)
尊敬する人
陣内さん自身が今一番尊敬しているのは堺正章さんだそうです。
「大コメディアンの堺駿二さんの息子さんでもあるし、多趣味だし、お洒落だし、クルマとか…。それで何でもできちゃう人でしょ?生き方がすごいから…」いろいろ相談に乗ってくれることもあるそうです。
「いつもごちそうになっちゃって…。また、おいしいものに連れていってくださるんですよ」「今、堺さんが1です。僕にとって…」「奢ってくれるし…」(笑)
2人の子どもが独立し、「26年も経って(夫婦関係に)すきま風が立つ」のを取り持ってくれるのが愛犬の2代目スパンキー。
「子どもも社会人になって面白くも何ともないですから…」(笑)「やっぱり犬がいいですね…」
時おり吐く毒舌が香辛料のように効いている陣内さんのトーク。実際には、尊敬する先輩や慕ってくれる後輩、家族や愛犬に囲まれて、陣内さんは幸せそのものと映ります…。
明るくて気配りの達人、陣内孝則さんは「はなまるカフェ」のラストに相応しい方でした。
それにしても…。もう「はなまるカフェ」は見られないのですね…。
2014年03月26日
436. 瀬戸内寂聴 日本酒・マカロン・ホームバー・京都・ATSUSHI 「はなまるマーケット」
1922年5月15日生まれ。91歳。徳島県出身。
「夏の終わり」で女流文学賞を受賞。平泉中尊寺で得度し法名「寂聴」に。毎月「法話の会」を開催しながら作家活動もこなします。
「はなまるカフェ」 出演最高齢だそうです。
「もうね、5月に満92」と寂聴さん。
「お肌ツヤツヤ」と岡江さん。
「メイクをいっぱい塗ってくれたから」(笑い)
「私は以前、柴田理恵さんとお邪魔しました」と岡江さん。寂聴さん自宅「寂庵」で開催される「法話」の会に参加したそうです。涙を流しながら寂聴さんの言葉に聞き入る岡江さんの姿が画面に…。
「現在もお酒はよく召し上がるんですか?」と薬丸さん。
「仕事終わったときは必ず。仕事の無いときは毎晩」と寂聴さん。「毎晩ですか。お酒は何がお好きですか?」と薬丸さん。
「なんでも好きですけど…。食事するときは日本酒…。冷酒ね。自分が作ったお酒ね」
酒造メーカーから原液を取り寄せて「これとこれを」とブレンドしてもらうそうです。
「社長がうつむくのね。『一番高い2つをお選びになった』」(笑い)
「今朝のおめざ」は
「マカロン」(1個 263円) ジャン=ポール・エヴァン (東京都・新宿区)
「お洒落なおめざを…」と薬丸さん。
「お酒も甘いものもお好きなんですか?」と岡江さん。
「甘いものは…まあそうね」
「なぜこれをおめざに?」
「かわいいでしょ?形が」「黄色が好きなの…」
「ハチミツ入りの…」と岡江さん。
「おいしい」と皆さん。
「これで日本酒も合いますよね」と岡江さん。
「(うなずいて)冷酒…」と寂聴さん。
ホームバー
自宅の1室をバーに改造したという寂聴さん。その名も「バー・パープル」。
「書庫があったんですよね…。その本を全部整理しましてね。徳島の文学館にみんなあげちゃった…。そこが空いたでしょ?」と寂聴さん。
「どのくらいの広さがあるんですか?」と岡江さん。
「6畳か8畳…」
「お酒、相当お強いですか?」と水曜レギュラーのいとうあさこさん。
「そうですね…。頭を剃る前に、文壇酒豪番付というのがあったんです」
当時の番付では西の大関だったそうです。かなりのものですね。ちなみに東の大関が石原慎太郎さん、西の横綱が井上ひさしさんだったとか…。
京都御苑近くの町屋サロン
寂聴さんは、長年親交のあったチベット文学者の佐藤長さんが亡くなるときに、京都御苑近くの家を贈られたそうです。
「ボロボロの家だから『いらない』って言ったんだけど、『あなたは忙しすぎるから、ここで少し隠れて休みなさい』と言ってきかないんですよ…」
ボロボロだった家を大正風に改装。小物類や照明カバーなど、小道具店で探し、お洒落な町屋サロン「羅紗庵(らさあん)」として甦らせました。
若い友人の作家、平野啓一郎さん夫婦が泊まったこともあるそうです。
堺町通りを抜けて、京都御苑の堺町御門が目の前という、かなりのロケーション。
京都三大祭り「葵祭」のときには堺町御門から出てくる行列を間近で見られるのだとか。葵祭が行われる5月15日は奇しくも寂聴さんの誕生日。町を挙げてお祝いしてくれるような雰囲気に…。
EXILEのコンサートへ行ったときは最初から最後まで立って応援していたというお元気さ。
その後、ATSUSHIさんと対談。
「静かな、とてもいい男なの…」と寂聴さん。「黒メガネをかけているほうがいい…。黒メガネとおでこの辺りがとてもセクシー」(笑)
寂聴さん一人のためにATSUSHIさんは「ふるさと」を歌ってくれたそうです。「優しいんですよね…。人間がとても優しい…」
老いて(失礼)ますます盛んな寂聴さんの行動を支えるのが、若くて面白い美人秘書の「瀬尾まなほ」さん。年の差65歳ですが、一緒にいるととても楽しく、どこへでも出かける最強コンビ。
若い人と話すのが何よりも楽しいという寂聴さん。
「年寄りは私で十分」(笑)「若い人は私の知らないことを教えてくれる」
これからもお元気でご活躍を!
2014年03月25日
435. 高畑淳子・裕太 りんご・水・感謝の手紙 「はなまるマーケット」
「お母様に裕太さんのお話は何回もお聞きしてるんですよ」と薬丸さん。
「この人、大変だったから」と高畑さん。
高畑裕太さんは、1993年9月13日生まれ。20歳。桐朋学園芸術短期大学・芸術家演劇専攻。
2012年、NHK「あっこと僕らが生きた夏」でドラマデビュー。
「りんご&水」
淳子さんのリクエストだそうです。毎朝欠かさず朝食に食べているりんごとお水。
「なんかもう…はなまるラストに近いのにすいません…こんなもの。でもね、朝1杯のお水とりんごというのはとってもいいんだって…。酵素もいいんですよ、酵素ドリンクでもいいんですけど」
高畑家では、1番に水とりんごだそうです。
「齋藤晴彦さんが『りんごは朝一番に食べないとダメなんだぞ』とおっしゃったの。それを信じて…」
お母さんが説明する横で「使っていいですか?」とおしぼりを手にする裕太さん。
「申し訳ない」と高畑さん。
「もうちょっと大きい声で…」と裕太さんに指示する薬丸さん。(笑)
裕太さんが小学校のころからずっと、りんごとお水を欠かさないそうです。
「これを食べて病気が減りました」と裕太さん。
「この人は小っちゃいとき、お薬で育ったくらい弱かったんです」と高畑さん。「どうやったら健康になるか?朝1杯の水とりんご…」
母の愛情でいろいろ試行錯誤の果てに、「りんごと水」に行きついたのでしょうね…。
初主演
裕太さんは大学の卒業公演で主演を務めたそうです。
「争奪戦があったわけ?主演の?」と高畑さん。「お饅頭を贈ったわけ?先生に」
「そんなのないよ」と裕太さん。(笑)
高畑さんも桐朋学園の出身だとか。
裕太さんの舞台を見ると、演劇の先輩としてあれこれアドバイスしてしまう高畑さん。困るのは舞台の衣装として、高畑さんのタンスから無断で衣服やウィッグなどをしてしまうことだそうです。
進路に迷って…
高校の時、進路に迷った裕太さん、あることを思いつきました。
「不純な動機なんですけど、お母さん、こういう仕事だから、乗っかったらイケるんじゃないかと…。高校のときに、『絶望という名の電車』を見て、初めて真剣に見てみようと…」
「舞台のお母さんを見て、役者になろうと?」
「彼は初日を見にきて…。1幕目と2幕目の間に『母さん、すっげえ面白い!』ってメールくれたんですよ」と高畑さん。
「それまで全然興味なくて…。初めて見たらすげえ面白かったんですよ」と裕太さん。
「キムラ緑子なんて、さんざんケナして帰ったんですけどね…」と高畑さん。
「演技ってこんなに面白いものだと思って…、(桐朋に)入学しようと思って…」
「子どものころから人前に出るのが好きだったようで…」と高畑さん。
親としては複雑だそうです。
「成功率は低いですから。でもやりたいものは止められない」「私がそうでしたから…」
感謝の手紙
裕太さんからお母さんへの感謝の手紙が披露されました。
後半のお母さんへの感謝の言葉を抜粋しますと…。
お母さんの演劇の話を聞くのが(桐朋時代の)ぼくの唯一の幸せと感じる時間でした。ありがとう。
そしていよいよ不安、絶望、恐怖、様々な思いを抱えて社会人として独立していきます。
ぼくは母さんに育てられてきたこの20年間、日々欠けることのない母の深い愛を受け取って育ってきました。
それは他のどの人も手に入らない、ぼくだけのものです。その愛が今、ぼくが持っている一番の誇りです。
高い学費をありがとう、ボリューミーなお弁当をありがとう、演劇の存在を教えてくれてありがとう。そして電動自転車はぼくの命の次に大切な必需品です。ありがとう。いつまでもお元気で。
母さんの笑った顔が一番好きです。ほんとだよ。親愛なる母へ。
読み始めるとすぐに目を真っ赤にし始めた高畑さん。電動自転車のくだりでは、「アホか!」とツッコミを入れながら、泣き笑いで聞いていました。幸せそうで…。
裕太さんですが、「はなまるカフェ」登場のときは、なんとなく頼りない(高畑さんの隣りにいるからよけいそう見えるのかもしれませんが)印象でしたが、独特のユーモラスな感じと大陸的な茫洋とした雰囲気と育ちの良さなどがミックスされ、好もしい印象を受けました。
何よりもお母さんゆずりの「華」があります。ご活躍くださいますように。
本日のまとめ
高畑淳子さん宅のこだわり 朝食に「りんごと水」