2014年03月25日
435. 高畑淳子・裕太 りんご・水・感謝の手紙 「はなまるマーケット」
「お母様に裕太さんのお話は何回もお聞きしてるんですよ」と薬丸さん。
「この人、大変だったから」と高畑さん。
高畑裕太さんは、1993年9月13日生まれ。20歳。桐朋学園芸術短期大学・芸術家演劇専攻。
2012年、NHK「あっこと僕らが生きた夏」でドラマデビュー。
「りんご&水」
淳子さんのリクエストだそうです。毎朝欠かさず朝食に食べているりんごとお水。
「なんかもう…はなまるラストに近いのにすいません…こんなもの。でもね、朝1杯のお水とりんごというのはとってもいいんだって…。酵素もいいんですよ、酵素ドリンクでもいいんですけど」
高畑家では、1番に水とりんごだそうです。
「齋藤晴彦さんが『りんごは朝一番に食べないとダメなんだぞ』とおっしゃったの。それを信じて…」
お母さんが説明する横で「使っていいですか?」とおしぼりを手にする裕太さん。
「申し訳ない」と高畑さん。
「もうちょっと大きい声で…」と裕太さんに指示する薬丸さん。(笑)
裕太さんが小学校のころからずっと、りんごとお水を欠かさないそうです。
「これを食べて病気が減りました」と裕太さん。
「この人は小っちゃいとき、お薬で育ったくらい弱かったんです」と高畑さん。「どうやったら健康になるか?朝1杯の水とりんご…」
母の愛情でいろいろ試行錯誤の果てに、「りんごと水」に行きついたのでしょうね…。
初主演
裕太さんは大学の卒業公演で主演を務めたそうです。
「争奪戦があったわけ?主演の?」と高畑さん。「お饅頭を贈ったわけ?先生に」
「そんなのないよ」と裕太さん。(笑)
高畑さんも桐朋学園の出身だとか。
裕太さんの舞台を見ると、演劇の先輩としてあれこれアドバイスしてしまう高畑さん。困るのは舞台の衣装として、高畑さんのタンスから無断で衣服やウィッグなどをしてしまうことだそうです。
進路に迷って…
高校の時、進路に迷った裕太さん、あることを思いつきました。
「不純な動機なんですけど、お母さん、こういう仕事だから、乗っかったらイケるんじゃないかと…。高校のときに、『絶望という名の電車』を見て、初めて真剣に見てみようと…」
「舞台のお母さんを見て、役者になろうと?」
「彼は初日を見にきて…。1幕目と2幕目の間に『母さん、すっげえ面白い!』ってメールくれたんですよ」と高畑さん。
「それまで全然興味なくて…。初めて見たらすげえ面白かったんですよ」と裕太さん。
「キムラ緑子なんて、さんざんケナして帰ったんですけどね…」と高畑さん。
「演技ってこんなに面白いものだと思って…、(桐朋に)入学しようと思って…」
「子どものころから人前に出るのが好きだったようで…」と高畑さん。
親としては複雑だそうです。
「成功率は低いですから。でもやりたいものは止められない」「私がそうでしたから…」
感謝の手紙
裕太さんからお母さんへの感謝の手紙が披露されました。
後半のお母さんへの感謝の言葉を抜粋しますと…。
お母さんの演劇の話を聞くのが(桐朋時代の)ぼくの唯一の幸せと感じる時間でした。ありがとう。
そしていよいよ不安、絶望、恐怖、様々な思いを抱えて社会人として独立していきます。
ぼくは母さんに育てられてきたこの20年間、日々欠けることのない母の深い愛を受け取って育ってきました。
それは他のどの人も手に入らない、ぼくだけのものです。その愛が今、ぼくが持っている一番の誇りです。
高い学費をありがとう、ボリューミーなお弁当をありがとう、演劇の存在を教えてくれてありがとう。そして電動自転車はぼくの命の次に大切な必需品です。ありがとう。いつまでもお元気で。
母さんの笑った顔が一番好きです。ほんとだよ。親愛なる母へ。
読み始めるとすぐに目を真っ赤にし始めた高畑さん。電動自転車のくだりでは、「アホか!」とツッコミを入れながら、泣き笑いで聞いていました。幸せそうで…。
裕太さんですが、「はなまるカフェ」登場のときは、なんとなく頼りない(高畑さんの隣りにいるからよけいそう見えるのかもしれませんが)印象でしたが、独特のユーモラスな感じと大陸的な茫洋とした雰囲気と育ちの良さなどがミックスされ、好もしい印象を受けました。
何よりもお母さんゆずりの「華」があります。ご活躍くださいますように。
本日のまとめ
高畑淳子さん宅のこだわり 朝食に「りんごと水」
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