2018年04月21日
【エッセイ】二年比
文章…特に雑文を書くとき、私は無意識に近い中で動くことができて、苦になりません。
推敲をしだしたり、シナリオ、台詞などになると話は違いますけれどね。
そんな風情なので、今回はエッセイめいた書き方で、すらすらと書きます。
土曜日の朝5:00に目が覚めて、PCを起動。
懇意にさせて頂いている、とある方の作品を進めている。
驚きと発見とどこか懐かしい文体。
硬派で筋の通ったその人らしさをテキストに感じながら、いいなと言葉は自然と零れた。
この人の言葉選び、比喩の題材、そして音の嗜好性。
こういう部分に重なりが多いと波長があう、なんて言うのだろう。
しばらくした後、不意に一息入れたくなり、散歩兼ねて外へ出ることを決めた。
ついでにゴミ出しをしようとおもったら、ゴミが……ない。
機転の利くハウスキーピングさんに心当たりはない。
状況を整理するうちに、ゴミ出しの日を間違えて出してしまった以外に答えは見つからず「やらかした」と数秒反省。
(自治体の皆さま、申し訳ございません)
反省終了。
今週もバタバタだった。
怒涛の打ち合わせラッシュをこなしたり、地図アプリを見ながら真逆の方に歩いてしまい30分の余裕が帳消しになったり、勇気を出して海外の人に話かけ笑顔を頂いたり、早く家に帰って作業したいと小走りしたり、そんな各サムネイルが走馬灯のように浮かんでは消える。
ここまで書いて「走馬灯」ってどんなビジュアル?と気になりすぐさまGoogle。
https://goo.gl/iDWtFk
なるほど、これが噂の走馬灯さんですか。はじめまして。
馬が走る意匠は後付けなのか、先なのかはわからないけれど、人が振り返りたいときに浮かべる理由は分かる気がする。
リサーチ終了。
散歩する6時付近の世界は音も少なく空気が澄んでいて、好きだ。
そのときは肌寒く、三月に着るようなフリースをアウターに選ぶことで丁度いい感じに落ち着いた。
最近、頻度高めに思い出すのは二年前のこと。
思い出すというより比べている。
二年前もこんな風に早起きして、制作していて、息抜きにコンビニに向かったことを思い出していた。
コンビニでは摂取カロリーが丁度よかったというドライな理由でカレーパンと珈琲を味わっていたから、なんとなく状況を揃えたくてカレーパンを買いたくなった。
結論から言うと状況は揃わなかった。
手に取った2018年現在のカレーパンはカロリーが100kcalほど上がっていて、商品名も「まるごと入った〜」的に変わっていた。
昨今の事情にあわせたりしているのだろう。
珈琲の気分ではなかったから飲料は見送り。
最近のマイブームは紅茶なのだ。
こうして、やや不本意なカレーパンを購入し、来た道を帰る。
ちょっと物足りない気がしたのは気のせいだろう。
再び思考は比較&回想モードに戻る。
例えば今目の前に、二年前と近い状況と選択肢があったとして。
二年前も今も、きっと自分は最善とか最良の文字が透けて見える方を選ぶのだろう。
けれどそこで選択するものは違うのだ。
昨年から励んでいるシナリオ制作の分野におきかえるならば、成長前と成長後の選択の対比といったところか。
今が成長後だなんて自惚れる余裕はないし、たまには不正解を選んでいないか不安になる。
面によっては鉄あるいはミスリル、オリハルコンな強固さを誇るくせに、ある面では紙装甲になる自分のそれは呆れるような欠点なのだと思う。本当に。
ただ後悔はしない、というのは心がけている。
後悔は自分が選んだ選択肢と選べなかった選択肢に対して失礼な態度だ、みたいな考えが自分の中にはあるからだ。
それでも稀に不運や不調が重なるとこんなことを考えることもある。
・もしも自分がこんな話をしなければ。
・あんなことを言わなければ。
・はじめから接点がなければ。
この手の思考は現在進行形の足枷でしかない。
要らないという答えはわかっているのだ。
思考がクリアになると、自分はこう修正する。
・もしも自分がこんな話をしなければ(今の状況は違ったかもしれない)
→なら、今できる自分の最善は何か、考えよ。行動せよ。
・あんなことを言わなければ(けれど口にしてしまった)
→これから同じ状況が揃っても同じことを避けるために、何が必要か考えよ。そして繰り返すな。
・接点がなければ(こんなことを考えずにすんだ)
→最悪。そのおかげで得たものを思い出せば、感謝以外の言葉は出てこないはずだろ。
このオリハルコン面を常態にできればいいのだけれどな。
あいにくそこまで強くも、恰好よくも、すばらしくもないのだ。
でも大丈夫、三年目はもっと好きな自分になれるはず。
そこに向かって時間も足も手も動いている。
と、ここで思考の大半が自分の内面を向いていることに気付いた。
これは思い悩みがちな人の傾向なのだろうか。
それとも自分の、世界で認知されていない自分の病名なのだろうか。
思い悩み症候群とか。
……センスはカレーパンでは摂取できないことが証明された。
時計を見る。
思った通り、無意識の時間をすごしていたことに気付き、僅かに焦燥感が芽生える。
そして再開のエンジンをかけはじめる。
今の仕掛かりを終えたら、そこからは心置きなく自分の作品の時間だ。
「そして魔女に会う」で刹那的に浮かんで描いた葛藤を、もう一度意識して出力したい。
「日向と香水」とは違う形の、控えめで心に沿うような感情を描きたい。
「地図の時間」で止まった針を動かしたい。
そして「バンドワゴン」の駅を繋げたい。
二年前と変わらない味のカレーパンを食べながら、二年前と同じ短針の時にキータイプしながら、二年前と違う方向に向かう自分、そして思考。
そのことを嬉しく思いながら、苦笑にも似た笑み交じりの土曜日が始まる。
おわり
自分が書きたい自分の思考を、自分のペースで書く。
これって物書き属性の方にとって大事なメンテナンスだと思うのです。
インプット、アウトプット、学び、気付き、そういう後押しの理由は一旦のけておいて、自分のための自分の言葉を書くことは大切。
過ぎるとポエムになるため、容量と用法は守る必要がありますけれどね。
言葉を置換すれば他のことにも言えるのではないでしょうか。
こんな雑文が、心を弛緩するひとときになれば幸いです。
肩の凝らない、良き週末を。
推敲をしだしたり、シナリオ、台詞などになると話は違いますけれどね。
そんな風情なので、今回はエッセイめいた書き方で、すらすらと書きます。
土曜日の朝5:00に目が覚めて、PCを起動。
懇意にさせて頂いている、とある方の作品を進めている。
驚きと発見とどこか懐かしい文体。
硬派で筋の通ったその人らしさをテキストに感じながら、いいなと言葉は自然と零れた。
この人の言葉選び、比喩の題材、そして音の嗜好性。
こういう部分に重なりが多いと波長があう、なんて言うのだろう。
しばらくした後、不意に一息入れたくなり、散歩兼ねて外へ出ることを決めた。
ついでにゴミ出しをしようとおもったら、ゴミが……ない。
機転の利くハウスキーピングさんに心当たりはない。
状況を整理するうちに、ゴミ出しの日を間違えて出してしまった以外に答えは見つからず「やらかした」と数秒反省。
(自治体の皆さま、申し訳ございません)
反省終了。
今週もバタバタだった。
怒涛の打ち合わせラッシュをこなしたり、地図アプリを見ながら真逆の方に歩いてしまい30分の余裕が帳消しになったり、勇気を出して海外の人に話かけ笑顔を頂いたり、早く家に帰って作業したいと小走りしたり、そんな各サムネイルが走馬灯のように浮かんでは消える。
ここまで書いて「走馬灯」ってどんなビジュアル?と気になりすぐさまGoogle。
https://goo.gl/iDWtFk
なるほど、これが噂の走馬灯さんですか。はじめまして。
馬が走る意匠は後付けなのか、先なのかはわからないけれど、人が振り返りたいときに浮かべる理由は分かる気がする。
リサーチ終了。
散歩する6時付近の世界は音も少なく空気が澄んでいて、好きだ。
そのときは肌寒く、三月に着るようなフリースをアウターに選ぶことで丁度いい感じに落ち着いた。
最近、頻度高めに思い出すのは二年前のこと。
思い出すというより比べている。
二年前もこんな風に早起きして、制作していて、息抜きにコンビニに向かったことを思い出していた。
コンビニでは摂取カロリーが丁度よかったというドライな理由でカレーパンと珈琲を味わっていたから、なんとなく状況を揃えたくてカレーパンを買いたくなった。
結論から言うと状況は揃わなかった。
手に取った2018年現在のカレーパンはカロリーが100kcalほど上がっていて、商品名も「まるごと入った〜」的に変わっていた。
昨今の事情にあわせたりしているのだろう。
珈琲の気分ではなかったから飲料は見送り。
最近のマイブームは紅茶なのだ。
こうして、やや不本意なカレーパンを購入し、来た道を帰る。
ちょっと物足りない気がしたのは気のせいだろう。
再び思考は比較&回想モードに戻る。
例えば今目の前に、二年前と近い状況と選択肢があったとして。
二年前も今も、きっと自分は最善とか最良の文字が透けて見える方を選ぶのだろう。
けれどそこで選択するものは違うのだ。
昨年から励んでいるシナリオ制作の分野におきかえるならば、成長前と成長後の選択の対比といったところか。
今が成長後だなんて自惚れる余裕はないし、たまには不正解を選んでいないか不安になる。
面によっては鉄あるいはミスリル、オリハルコンな強固さを誇るくせに、ある面では紙装甲になる自分のそれは呆れるような欠点なのだと思う。本当に。
ただ後悔はしない、というのは心がけている。
後悔は自分が選んだ選択肢と選べなかった選択肢に対して失礼な態度だ、みたいな考えが自分の中にはあるからだ。
それでも稀に不運や不調が重なるとこんなことを考えることもある。
・もしも自分がこんな話をしなければ。
・あんなことを言わなければ。
・はじめから接点がなければ。
この手の思考は現在進行形の足枷でしかない。
要らないという答えはわかっているのだ。
思考がクリアになると、自分はこう修正する。
・もしも自分がこんな話をしなければ(今の状況は違ったかもしれない)
→なら、今できる自分の最善は何か、考えよ。行動せよ。
・あんなことを言わなければ(けれど口にしてしまった)
→これから同じ状況が揃っても同じことを避けるために、何が必要か考えよ。そして繰り返すな。
・接点がなければ(こんなことを考えずにすんだ)
→最悪。そのおかげで得たものを思い出せば、感謝以外の言葉は出てこないはずだろ。
このオリハルコン面を常態にできればいいのだけれどな。
あいにくそこまで強くも、恰好よくも、すばらしくもないのだ。
でも大丈夫、三年目はもっと好きな自分になれるはず。
そこに向かって時間も足も手も動いている。
と、ここで思考の大半が自分の内面を向いていることに気付いた。
これは思い悩みがちな人の傾向なのだろうか。
それとも自分の、世界で認知されていない自分の病名なのだろうか。
思い悩み症候群とか。
……センスはカレーパンでは摂取できないことが証明された。
時計を見る。
思った通り、無意識の時間をすごしていたことに気付き、僅かに焦燥感が芽生える。
そして再開のエンジンをかけはじめる。
今の仕掛かりを終えたら、そこからは心置きなく自分の作品の時間だ。
「そして魔女に会う」で刹那的に浮かんで描いた葛藤を、もう一度意識して出力したい。
「日向と香水」とは違う形の、控えめで心に沿うような感情を描きたい。
「地図の時間」で止まった針を動かしたい。
そして「バンドワゴン」の駅を繋げたい。
二年前と変わらない味のカレーパンを食べながら、二年前と同じ短針の時にキータイプしながら、二年前と違う方向に向かう自分、そして思考。
そのことを嬉しく思いながら、苦笑にも似た笑み交じりの土曜日が始まる。
おわり
自分が書きたい自分の思考を、自分のペースで書く。
これって物書き属性の方にとって大事なメンテナンスだと思うのです。
インプット、アウトプット、学び、気付き、そういう後押しの理由は一旦のけておいて、自分のための自分の言葉を書くことは大切。
過ぎるとポエムになるため、容量と用法は守る必要がありますけれどね。
言葉を置換すれば他のことにも言えるのではないでしょうか。
こんな雑文が、心を弛緩するひとときになれば幸いです。
肩の凝らない、良き週末を。
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