2018年02月11日
谷の駅と逆光の夕焼け
文章って書かないとさびついてしまいます。
というわけで、自分のメンテナンスを兼ねつつ、何気ない日常光景をエッセイとして書いてみました。
好きな方は読み進め下さい。
二月上旬にもかかわらず、その日は二か月先を引き渡したような陽気だった。
ノルマの何倍も作業をこなしたことに対する満足感の半面、その時間を別の事に充てたかったという愚痴にも似た感情が芽を出し始め、散歩に出ることに決めた。
政令指定都市とは思えない田舎の風景、花の名がつけられた地名、年季はあるけれど手頃な家賃の一軒家、どれもが自分の暮らしに馴染んでいて気に入っている。
近所の公園を周遊する程度のつもりだった歩みは、もやもやとした不満を消化するには足りず、目的を持たずに進み続けた。
途中でクリーニング屋、八百屋の並びにパン屋を見つけた。
仕事でこの土地に越して三年、家から徒歩十分の距離で、いまさらこんな発見に出会えたことが可笑しかった。
世間は狭いと思うけれど、世界は広い。意外と。
パン屋のウィンドウは眺めるに留め、再び歩き出す。
数時間前、読み終えたばかりの村上春樹の感想に咀嚼と落としどころを探していると、駅前に向かう坂にさしかかる。
坂の傾斜は、さりげなく空を視界に入れた。
ありふれた雲と空の色調は、心を適温に向かわせる効果があった。
瞬間、昨年取り組んだ作品「日向と香水」のことを思い出す。
作中では写真をイラスト加工した背景素材を使用しており、幾つかの写真は自分自身で撮影していた。
写真に雑味が混じらないようにと、早朝六時から自転車で撮影に出かけたことや、とある駅前の眺めが心地よかったこと――がスライドのように差し込まれた。
丁度いい、このまま駅前まで行ってみようか。
詰め込んだスケジュールにもそれくらいの遊びは許そう。
そう自分に言い聞かせると、意志をもって駅前に歩みを進めた。
目的地を決めた途端、頬は自然にほころび、景色の見え方は少しだけ変わった。
行き方の分からない紅茶と珈琲が飲める二階のスペースに気付いたり、店員さんが辞めて通わなくなった美容室に視線を向けたり、一定の色彩を崩さないレンタル屋の店構えに興味を探してすぐに失ったり。
横長にスペースのとられた花屋の前には「セール品」とポップがつけられた名も知らない花が並んでいた。
猫を撫でるように腰を屈めてはみたものの、部屋に飾るイメージが作れずに立ち去った。
それでもきっと同じ道を三往復もしていたら買っていたかもしれない。
たまたま今回は気まぐれが傾かなかっただけだ。
その程度には気になる存在というものは、世の中に溢れている。
本屋と雑貨屋はその待ち合わせ場所のようなものだ。
もしも無印良品の価格設定が程よく高くなければ、部屋の中は違っていたかもしれない。
それでも一定のボーダーを割ってきた好きなものは、自分のパーソナリティーになる。
今身に着けているものも含め、自分の型であり、自分そのもの。
そういえば気になっていた北欧の腕時計が欲しいなとか、そんなことを考えているうちに気持ちは楽しくなった。
それから数分も経たず、様変わりした駅前に着いた。
以前同じ場所で違う景色を撮ったのは、半年前の夏のこと。
その時は一部区画を工事していた程度の認識だったが、目の前には数段階を飛ばして完成された立体構造の駅前のショッピングセンターがあった。
建材に使われている木が香るくらいに、まだ完成してから日が浅かった。
意味もなく幾つかのお店に入り、商品に意味あるいは理由を見出して手に取る。
その中のひとつが「チョコとオレンジのパイ」という手のひら半分サイズの洋菓子。
材料の比率がわからないそれに、気持ちは運ばれた。
こういう意味のない選択にあっさりと落ちる自分の柔さは、見る人から見たらきっと欠点なんだろうな、とか思いながら後悔はしていない。
(結論としてはオレンジ7:パイ生地の食感2:色合いとしてのチョコ1の比率だった)
両手に軽いビニール袋を持ちながら、駅前を見下ろせる高台を目指す。
高台からは谷状の駅をまるごと一枚の絵のように見ることができることを知っていた。
景色に期待を膨らませ坂に向かった途端――夕焼けの逆光が雲を透過して言い表せない色合いになり、その日一番の景色になって現れた。
もしも自分が書いた作品のように一眼レフを持っていたのなら、きっと何枚もシャッターを切っていたことだろう。
家に置いてきたスマートフォンを悔やみながら、でも撮影したら減るもんな、と悔しさに蓋をする。
こういう瞬間にどれだけ出会えるか、気付けるか。
それは幸せと呼べるものだったり、あるいはそれを構成する欠片のようなものかもしれない。
「ついでに」とか「もしも」とかそんな言葉を幾重も足して、人と共有できたなら。
この文章で始めて使う「素敵」という言葉に値するものなんじゃないかな、と思う。
そして「思う」は少しずつ外していきたい。
帰り道、そんなことを思う気持ちの中に、家を出たときの悪感情は微塵も残っていない。
おわり
自分にとって文章書くということは息をするようなもので、楽しさのあまり時間を忘れます。
薄暗い気持ちが晴れるまでを描いたものですが、僅かでも感じ取れるものがあったなら、そして良い気分になれたなら幸いです。
本文で登場した「日向と香水」は次のリンクからダウンロード可能です。
パソコンでお楽しみいただけますので、よしなにです。
ラノゲツクールMV-サンプルゲーム-日向と香水
https://tkool.jp/lngmv/sample/index.html
※プレイする場合は「ダウンロードする(Windows用)/(Mac用)をお選びください
というわけで、自分のメンテナンスを兼ねつつ、何気ない日常光景をエッセイとして書いてみました。
好きな方は読み進め下さい。
二月上旬にもかかわらず、その日は二か月先を引き渡したような陽気だった。
ノルマの何倍も作業をこなしたことに対する満足感の半面、その時間を別の事に充てたかったという愚痴にも似た感情が芽を出し始め、散歩に出ることに決めた。
政令指定都市とは思えない田舎の風景、花の名がつけられた地名、年季はあるけれど手頃な家賃の一軒家、どれもが自分の暮らしに馴染んでいて気に入っている。
近所の公園を周遊する程度のつもりだった歩みは、もやもやとした不満を消化するには足りず、目的を持たずに進み続けた。
途中でクリーニング屋、八百屋の並びにパン屋を見つけた。
仕事でこの土地に越して三年、家から徒歩十分の距離で、いまさらこんな発見に出会えたことが可笑しかった。
世間は狭いと思うけれど、世界は広い。意外と。
パン屋のウィンドウは眺めるに留め、再び歩き出す。
数時間前、読み終えたばかりの村上春樹の感想に咀嚼と落としどころを探していると、駅前に向かう坂にさしかかる。
坂の傾斜は、さりげなく空を視界に入れた。
ありふれた雲と空の色調は、心を適温に向かわせる効果があった。
瞬間、昨年取り組んだ作品「日向と香水」のことを思い出す。
作中では写真をイラスト加工した背景素材を使用しており、幾つかの写真は自分自身で撮影していた。
写真に雑味が混じらないようにと、早朝六時から自転車で撮影に出かけたことや、とある駅前の眺めが心地よかったこと――がスライドのように差し込まれた。
丁度いい、このまま駅前まで行ってみようか。
詰め込んだスケジュールにもそれくらいの遊びは許そう。
そう自分に言い聞かせると、意志をもって駅前に歩みを進めた。
目的地を決めた途端、頬は自然にほころび、景色の見え方は少しだけ変わった。
行き方の分からない紅茶と珈琲が飲める二階のスペースに気付いたり、店員さんが辞めて通わなくなった美容室に視線を向けたり、一定の色彩を崩さないレンタル屋の店構えに興味を探してすぐに失ったり。
横長にスペースのとられた花屋の前には「セール品」とポップがつけられた名も知らない花が並んでいた。
猫を撫でるように腰を屈めてはみたものの、部屋に飾るイメージが作れずに立ち去った。
それでもきっと同じ道を三往復もしていたら買っていたかもしれない。
たまたま今回は気まぐれが傾かなかっただけだ。
その程度には気になる存在というものは、世の中に溢れている。
本屋と雑貨屋はその待ち合わせ場所のようなものだ。
もしも無印良品の価格設定が程よく高くなければ、部屋の中は違っていたかもしれない。
それでも一定のボーダーを割ってきた好きなものは、自分のパーソナリティーになる。
今身に着けているものも含め、自分の型であり、自分そのもの。
そういえば気になっていた北欧の腕時計が欲しいなとか、そんなことを考えているうちに気持ちは楽しくなった。
それから数分も経たず、様変わりした駅前に着いた。
以前同じ場所で違う景色を撮ったのは、半年前の夏のこと。
その時は一部区画を工事していた程度の認識だったが、目の前には数段階を飛ばして完成された立体構造の駅前のショッピングセンターがあった。
建材に使われている木が香るくらいに、まだ完成してから日が浅かった。
意味もなく幾つかのお店に入り、商品に意味あるいは理由を見出して手に取る。
その中のひとつが「チョコとオレンジのパイ」という手のひら半分サイズの洋菓子。
材料の比率がわからないそれに、気持ちは運ばれた。
こういう意味のない選択にあっさりと落ちる自分の柔さは、見る人から見たらきっと欠点なんだろうな、とか思いながら後悔はしていない。
(結論としてはオレンジ7:パイ生地の食感2:色合いとしてのチョコ1の比率だった)
両手に軽いビニール袋を持ちながら、駅前を見下ろせる高台を目指す。
高台からは谷状の駅をまるごと一枚の絵のように見ることができることを知っていた。
景色に期待を膨らませ坂に向かった途端――夕焼けの逆光が雲を透過して言い表せない色合いになり、その日一番の景色になって現れた。
もしも自分が書いた作品のように一眼レフを持っていたのなら、きっと何枚もシャッターを切っていたことだろう。
家に置いてきたスマートフォンを悔やみながら、でも撮影したら減るもんな、と悔しさに蓋をする。
こういう瞬間にどれだけ出会えるか、気付けるか。
それは幸せと呼べるものだったり、あるいはそれを構成する欠片のようなものかもしれない。
「ついでに」とか「もしも」とかそんな言葉を幾重も足して、人と共有できたなら。
この文章で始めて使う「素敵」という言葉に値するものなんじゃないかな、と思う。
そして「思う」は少しずつ外していきたい。
帰り道、そんなことを思う気持ちの中に、家を出たときの悪感情は微塵も残っていない。
おわり
自分にとって文章書くということは息をするようなもので、楽しさのあまり時間を忘れます。
薄暗い気持ちが晴れるまでを描いたものですが、僅かでも感じ取れるものがあったなら、そして良い気分になれたなら幸いです。
本文で登場した「日向と香水」は次のリンクからダウンロード可能です。
パソコンでお楽しみいただけますので、よしなにです。
ラノゲツクールMV-サンプルゲーム-日向と香水
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