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2012年08月19日

精進

努力することを別の言葉で精進すると表現することがあります。

精進の意味として、「ひたすら努力すること」(『使い方の分かる類語例解辞典』小学館)と説明されているところからもそれはうかがえます。

精進をするにあたって、ただ単に努力すればよいというわけではないと思います。

努力がピントはずれであったり、方向性が間違っていたり、意味のない価値のない努力をしてしまったりと問題点も多くある様に思われます。

精進、努力をしても、なかなかうまくいかないという場合、根本的な間違いがあるといえるでしょう。

では、精進とは何なのか。智(天台大師)の言葉(「摩訶止観」)から探ってみましょう。

「二辺を雑へざるを精と為し、任運に流入するを進と為す」(『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 149頁)

精進の「精」と「進」との字について、それぞれの意義を明らかにしています。

まず、「精」ですが、あっちこっちとフラフラするのではなく、一点に集中することを「精」としています。

焦点を定めると言い換えてもいいかもしれません。

「進」は、運の流れに入っていくこととしています。

ここでいう運とは当然のことながら福運や運があるというときの運ですね。

努力そのものがすべて意味のある価値のある方向に進むということですね。

まとめると、為すべきことに焦点をしっかりと定めて、エネルギーを集中させながら、努力がそのまま福運のある方向に進み無駄がないというのが本来的な精進の意味といえるでしょう。

進む方向が運のある方向というのがポイントですね。

人生において、努力も重要だが、所詮は運次第という側面がありますが、智の解釈からすれば、努力、精進と運とはつながっていたのですね。

別々のものと捉えることがそもそもの間違いといえるでしょう。

運のある人生を切り開くために努力、精進があるのであり、運のある人生を切り開けない努力、精進とは、偽物の努力、精進にしか過ぎないということですね。

本物の精進をして自身の運のある人生を切り開いてきたいものです。

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posted by lawful at 15:45| 摩訶止観

1万時間

何事においてもトップクラスの実力を付けるには、それなりの時間が必要です。

では、少なくとも何時間が必要なのでしょうか。

「頂点に立つ人物は他の人より少しか、ときどき熱心に取り組んできたのではない。圧倒的にたくさんの努力を重ねている。
複雑な仕事をうまくこなすためには最低限の練習量が必要だという考えは、専門家の調査に繰り返し現れる。それどころか専門家たちは、世界に通用する人間に共通する“魔法の数字”があるという意見で一致している。つまり一万時間である」(マルコム・クラッドウェル『天才!成功する人々の法則』勝間和代訳 講談社 47頁)

「1万時間」という数字が出てきました。

先達てのロンドンオリンピックから考えてみても、オリンピックでメダルを獲得する選手たちの累計練習時間は、当然の如く、1万時間を超えているでしょう。

もっと言えば、オリンピックに出場する選手はすべて1万時間以上の練習をした人々であり、その中でメダルを競っているということでしょうから、オリンピックとはとんでもない世界ですね。

感服します。

いずれにしてもひとかどの人間になるためには「1万時間」が必要ということは、はっきりしました。

あとは行動、実践あるのみですが、これがなかなか難しい。

そもそも「1万時間」は、24時間で割った場合、何日になるのか計算したところ、約417日となります。

大雑把に言えば、1年2ヶ月ですね。

もちろん、実際の練習や研鑽に関しては、1日でできる時間は限られますから、仮に1日3時間の練習や研鑽を毎日続けた場合、「1万時間」に到達するには9年から10年かかります。

実の濃い3時間の練習や研鑽を9年から10年行うことは大変なことですね。

「一万時間とは途方もなく膨大な量の時間だ。一〇代の後半までに、自分だけの力で一万時間をクリアすることは、ほぼ無理である。両親の励ましや支えが必要になる。貧しい家庭では難しい。家計を助けるためにアルバイトをしていれば、練習時間が十分に取れないからだ。事実、たいていの人が一万時間に達するためには、特別なプロジェクトに恵まれた場合(代表チームに選ばれるなど)か、並外れた好機に恵まれた場合に限られる」(同書 49頁)

10代の後半までに1万時間に達するには、上記の指摘のように恵まれた環境が必要です。

オリンピック選手など上記の指摘の通りですね。

普通の人、市井の人であり、とっくの昔に成人している我々としては、オリンピック選手の1万時間を超える練習量、努力に学びながら、自分なりの1万時間の練習なり研鑽を積む必要があるでしょう。

仮に1日3時間と考えた場合、10年単位でのプロジェクトとなります。

幸い、年を取ってからの10年などあっという間です。

ただただ、オリンピック選手の如く、黙々と研鑽することですね。

「1万時間」という数字には、安易な考えを吹き飛ばす力がありますね。

為すべきことを為す、ということが大切ですね。

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posted by lawful at 04:01| 雑感

2012年07月23日

ハマトンの『知的生活』に学ぶ

『知的生活』の著者であるハマトンは、not so much ( ...) as ... という構文を使って文章を紡ぐのが好きなようですね。

(…)ではなくてむしろ… という意味です。

まえがきにある文章を確認してみましょう。

So that, however circumstances may help us or hinder us, the intellectual life is always a contest or discipline, and the art or skill of living intellectually does not so much consist in surrounding ourselves with what is reputed to be advantageous as in compelling every circumstance and condition of our lives to yield us some tribute of intellectual benefit and force.

日本語訳を確認しましょう。
「つまり境遇というものがいかにわれわれの助けとなれ、あるいは妨げになろうとも、知的生活というのは常に一種の戦い、あるいは訓練なのであって、知的に生活する技術というのは身近に有利な環境を整えることと言うよりは、むしろ日々の暮らしにまつわる諸々の事情や制約にすべて打ち克ち、そうすることによって知性を豊かにし、強靱にすることだということです」(『知的生活』渡部昇一・下谷和幸訳 講談社 1979年 8頁)

知的生活というと物静かなイメージがありますが、ハマトンの言う「知的生活」は、動的な、ダイナミックな、躍動した感じを与えます。

書斎があってゆっくりとくつろぐというよりは、どのような困難な境遇であれ、知的に生きていくために労力を惜しまないといった力強さが感じられます。

「戦い」「訓練」「打ち克つ」というどちらかというと荒々しい言葉で「知的生活」を語っています。

その上で、知性を豊かにし、強靱にするということですから、ほとんど、肉体的な事柄を言っているとみてもよいでしょう。

知性は肉体的でなければありえないということと理解してよいと思います。

知性の捉え方が変わる力強い文章ですね。

続いて次の文章もあります。

Intellectual living is not so much an accomplishment as a state or condition of the mind in which it seeks earnestly for the highest and purest truth.

「知的に生きるということは、なにかを成し遂げることであるよりは、むしろ、最も高邁でかつ純粋な真理を熱烈に求めることなのです」(同書 9頁)

知的に生きていく中で、何かを成し遂げ、有名になりたい、偉そうにしたい、尊敬されたい等々、さまざまな感情や虚栄心が出てくると思われますが、ハマトンによりますと、そのようなことは知的に生きることとは全く関係なく、ただただ真理を求めるのが知的な生き方と教えています。

求道心と言い換えてもいいかもしれません。

知的な生活とは、豊潤で強靱な肉体的側面を外しては存在し得ず、また、真理を求める心そのものの中に存在するということですね。

ハマトンから知的な生活を学び、自らの知性を鍛えてきたいと思います。

なお、書籍は手に入れやすい文庫版をご紹介します。以下のとおりです。

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posted by lawful at 20:58| 英語

2012年07月04日

ヨゼフ・ルクル・フロマートカ『神学入門』

「私が聖書を読んで文法的、言語学的に理解しても、文字の裏にある現実はまだ理解していない」(ヨゼフ・ルクル・フロマートカ『神学入門』平野清美訳 新教出版社 177頁)

聖書を読んで、文字の上で理解することは可能であり、それほど難しいことではないといえます。

日本の場合、重要な書籍のほとんどは日本語に翻訳されており、また、翻訳も数種類あるという豊富さです。

聖書の翻訳もたくさんあります。

しかし、宗教書となると、言葉や文法といった次元を超えた何ものかがありますので、何がしらのものを掴もうと思えば、言葉の背後にあるもの、言葉の底にあるものを体感する必要があります。

「あなたは論理的、釈義的、文法的に完璧な形で聖書を知ることはできるが、それでいて、聖霊の内的証言(testimonium Spiritus sancti internum)が加わらない限り、実際の現実は遠のいたままなのである」(同書 178頁)

フロマートカは、「聖霊の内的証言」がなければ何事も把握できないと言っています。

人智を超えたものが必要ということですね。

宗教書だけでなく、宗教以外の分野の書籍にしても、書かれた言葉の背後にあるもの、底にあるものを捉える癖を付けておいたほうがよさそうですね。

何となく分かるという次元を超え、確実に分かるという次元に至ることが重要と思われます。

また、自らの体で実感し、生命全体で対象と一体化するということも肝要でしょう。

人との会話、対話においても、その人の言っている言葉だけに囚われるのではなく、その人の真意を把握する必要があります。

もっと言えばその人が意識的には考えていないけれども、その人の無意識の次元で存在している真意を把握できるほどの鋭さを具えておきたいですね。

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posted by lawful at 21:02| 雑感

2012年07月01日

鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」

法華経の漢訳において、最高の評価を得ているのが鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」です。

鳩摩羅什ひとりで翻訳したのではなく、多くの僧や士大夫の協力の上で成立しているようです。

「音韻の面からも十二分に検討がなされた上で、鳩摩羅什を訳主として、中国の多くの僧・士大夫等がその訳場に参集し、梵語あるいは亀茲語で記されていたという『妙法蓮華経』を、推敲に推敲を重ねて漢語に訳出したであろうことが、想像されるのである」(伊藤丈『仏教漢文入門』大蔵出版 164頁)

読誦することも念頭に置きながら、翻訳されていたようですね。

経典は内容もさることながら、音声においても心地よくなければ人々に親しまれることはないでしょう。

その意味から、「妙法蓮華経」は見事な翻訳といえます。

中国においても天台智は、「妙法蓮華経」を基に「法華文句」「法華玄義」「摩訶止観」を講義し、日本においても、平安時代から「妙法蓮華経」は親しまれていました。

鎌倉時代に至っては、日蓮により「妙法蓮華経」が最高の経典であることが強調され、現在に至るまで法華宗、日蓮宗により、「妙法蓮華経」は大切にされています。

伝統仏教教団だけでなく、新宗教の教団においても、法華系が大きな勢力となっており、「妙法蓮華経」は多くの人々に影響を与え続けています。

日本を再認識する際、「妙法蓮華経」を外すわけにはいかないといえるでしょう。

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posted by lawful at 17:24| 法華経並開結

2012年06月26日

『現代英文法講義』の例文

大部の書籍である『現代英文法講義』を、所々、読んでみたところ、「複数の統合」が補語で生じている場合の例文として

The Mohammedans and all religions were a joke.
(マホメット教徒も、すべての宗教も、ジョークだった)

という例文があげられていました。

なかなか辛辣な言葉であると感じ入っていました。

ジョークと言い切ってしまうところなど新鮮ですらありました。

通常であれば出てこない言葉ですね。

あまりにもおもしろい文章なので、誰の文章なのか気になりました。

『現代英文法講義』では、出典も明らかになっていますので、確認したところ、Hemingway の Green hills of Africa という作品からの引用でした。

ヘミングウェイは文豪として知られているとおり、ただ者ではないですね。

私は、『老人と海』しか読んだことはありませんが、各作品には上記のようなハッとさせるような文章がたくさんあるのでしょうね。

『現代英文法講義』では、同じHemingway の Green hills of Africa という作品からの引用で

They’re a strange animal, aren’t they?
(やつらは不思議な動物だね)

という例文がありました。

これは、普通の文章ですね。

アフリカが舞台ですから動物を扱った文章が出てくるということですね。

出典が明らかな英文法書は興味深いものです。

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posted by lawful at 21:13| 英語

2012年06月21日

英語学習の時間

外国語を学習する際、どの外国語を選択するかは重要な問題です。

外国語学習には多くの時間が必要であり、自分自身にとって無駄になることは避けなければなりません。

ひとにはそれぞれの人生があり、どの外国語がよいかはバラバラでしょう。

ただ、一般的に言って、日本人に馴染みのある外国語といえば、英語となるでしょう。

中学、高校において、「外国語」という科目がありますが、事実上、「英語」という科目となっています。

通知表には「英語」ではなく「外国語」と記載されていたことが不思議に思えたものです。

世界に対する影響力という点からみれば、英語圏の範囲は非常に広いといえます。

イギリス、アメリカをはじめとして、オーストラリアやニュージーランドなどで通じますし、インドでも通じます。

英語を公用語としている国も多く、便利な言葉であることは間違いありません。

英語を公用語としていないヨーロッパ各国でも、主要な都市であれば、英語を使える人がいるでしょう。

また、世界各国のそれなりのインテリ層であれば、英語が多少は使えるものと思われます。

以前、イラクの医者が日本の医療現場に研修に来た際、日本人医師と英語で話していたのをテレビで見たとき、英語は使い勝手の良い言葉なのだと感じたものです。

イラク人も日本人も英語を母国語にしていませんが、英語を使えば意思疎通ができるというのが面白いですね。

この点からすれば、中国人、韓国人等々のアジア各国の人と意思疎通を図る際、日本人が中国語や韓国語をマスターするのは大変であり、また、中国人や韓国人が日本語をマスターするのも大変です。

互いに英語をマスターしておけば、どの国の人とも意思疎通を図ることができます。

英語を学ぶことは、全世界の人々との意思疎通を図ることができることともいえるでしょう。

さて、英語学習に関し、どれぐらいの時間が必要なのでしょうか。

「外国語学習に必要な最低限の時間は、週平均10〜12時間なのです」(ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』米原万里訳 ちくま学芸文庫 68頁)ということですから、大雑把に言って、1日に2時間は必要といえるでしょう。

この数値も最低限の数値ですから、1日2時間が捻出できない場合、英語をマスターするのは困難と考えておいた方がよさそうです。

いずれにしても、英語を身に付けて無駄になると思われることはありませんので、少しずつでも学んでいきたいものですね。

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posted by lawful at 20:40| 英語学習

2012年06月05日

くよくよしないこと

今までの人生の中で素晴らしい人々との出会いがあり、良き思い出が多々あります。

しかし、友達であろうと思っていた人間が、今から思えば、自分自身にとっては害悪をまき散らすだけのどうでもいい人間であったことに気付くことがあります。

付き合いがなくなってから徐々に気付きはじめました。

このような相手は、一見するところ、友達を装いますが、よくよく観察してみると単なる敵という存在であるものです。

人の幸せは自分の不幸と考え、人の不幸は自分の幸せと考える特徴があります。

若いころは、「友達だから」という浮ついた気持ちですから、相手におかしな言動があっても甘く見てしまい、相手の邪悪さに気が付かないのですね。

また、気が付いても、無理矢理、気が付かないようにしていたのかもしれません。

人間にも本物と偽物があります。

邪悪な人間は偽物の人間です。くれぐれも偽物の人間には気を付けなればなりませんね。

では、偽物の人間に対しては、どのように対処していけばよいのでしょうか。

偽物の人間ですから、わざわざ相手にする必要もなく、相手にしなくてもよい、と考えておくべきでしょう。

また、偽物の人間には独特の毒素があり害悪が及んできますから、危険物と同様、相手にしてはいけない、と考えるべきでしょう。

もっと言えば、そもそも、偽物の人間を相手にしたいと思っているのか、それとも、相手にしたくないと思っているのかという観点から考えれば、当然のことならが、相手にしたくない、というのが本音として浮かび上がってきます。

この本音は、ある意味、直観というべきものであり、大切にしなければなりません。

まとめますと、偽物の人間に対しては、以下の順序で対処し、考えていくことがよいでしょう。

1 相手にしなくてもよい。

2 相手にしてはいけない。

3 そもそも、相手にする気がない。

偽物の人間のために大切な時間、エネルギーを奪い取られたと深く反省するところです。

失敗といえば、まさしく、失敗ですね。

菜根譚には、「過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい」(『菜根譚』守屋洋訳 PHP研究所 97頁)との言葉があります。

今までの失敗は、失敗として深く反省し、その反省から教訓や対処法を編み出し、将来の失敗への備えとするべきでしょう。

このように過去の失敗を消化していけば、くよくよしない生き方ができるものと思われます。

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posted by lawful at 21:31| 生き方

2012年05月24日

悪口を言わないために

英文法の参考書(『Forest』5th edition)に以下の例文がありました。

The first thing to remember is not to criticize anyone.

(忘れてはいけない第一のことは、だれの悪口も言わないことだ。)

英語の例文には、ハッとさせられる例文が多くあります。

英語の勉強をしているのか、倫理の勉強をしているのか、分からなくなる時がありますね。

つい、人の悪口を言ってしまいますが、悪口を言わないようにするためには、何が必要か考えてみましょう。

悪口を言いたくなる人の存在をどうにかしなければなりませんが、以下のようにすればよいのではないでしょうか。

1 相手にしない。

2 話題にしない。

3 気にしない。

相手にしてしまうから、悪口が出てしまいます。

また、話題にするがために悪口に繋がります。

どうしても相手にしなければならなかったり、話題にしなければならなかったりする場合、最終的には、気にしないという手しかありません。

難しいですね。

目先のことを考えれば、悪口を言うことによって少しはストレス解消となるでしょうが、長い目で見れば、人の悪口を言うことは、自らに災いをもたらすことになりますので、特に気を付けなければなりません。

先の英語の例文でも強調しているように、人の悪口を言わないということが忘れてはいけない第一のことですから、まずは、悪口を言わないことを第一に考えておきたいですね。

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posted by lawful at 22:44| 生き方

2012年05月16日

一念三千(すべての人に仏を観るということ)

法華経や涅槃経を中心とした仏教の観点からすれば、すべての人間には「仏性」が存在し、すべての人間は尊い存在であるとされています。

しかし、すべての人間といっても、「仏性」や尊いものがあるとは思えないような人間にも出会います。

嫌いな人、嫌な人、苦手な人、好きになれない人、この野郎と思う人等々に対しては、「仏性」などないはずだと思いたくなる場合もあります。

どこが尊いのだと異論を差し挟みたくなる時もあります。

このような感情は、よくある感情ではありますが、好ましい感情ではありません。

また、仏教の観点からすると、単なる間違いといえましょう。

注意しなければなりません。

自分がどのように思おうとも、感じようとも、すべての人間には「仏性」があり、すべての人間は尊い存在であるというのが、「理」の側面からではありますが、仏教上の真理であり、根本です。

この点、自分自身の感情は、さほど重要ではありません。

というよりも、全く重要ではありません。

天台の「摩訶止観」第五には、「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す、百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。此三千は一念の心に在り、若し心無くんば而已なん、介爾も心有らば即ち三千を具す」(『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 178頁)とあります。

心、一念があるならば、十法界、十如是、三世間の三千があるということですが、この言葉の言わんとしていることは、どのような状態であれ、すべての存在は「仏界」に繋がっているということです。

すべての存在は、「仏」であるということです。

「理」の側面ではあっても、この「理」の側面を外して「事」の側面を論じたり、実践したりしてはいけません。

とすれば、当然のことながら、すべての人間は、本来的に「仏」という尊い存在であるということになります。

自分自身の単なる好き嫌いなどの感情は、仏教の教理からすれば、どうでもいいことです。

しかし、この感情というのが厄介ですね。仏教の教理でいえば、地獄界、餓鬼界、畜生界といった貪・瞋・癡に囚われている状態といえますね。

仏教ですから、仏界でなければなりません。

先に引いた天台の言葉をその通りだと実感し、その通りであると実践できる状態が仏界に相当する境涯といえるでしょう。

これは相当難しい実践ですね。

しかし、困難な実践ができないようでは、仏界の境涯には至らないでしょう。

物事が簡単に成就すると考えてはいけません。

どのような人にも「仏性」「仏界」「仏」があるという根本義をゆるがせにせず、「敬意」や「敬う」という態度を自分自身の根本としながら生きていくべきでしょう。

短期間では、これといった変化も何もないでしょうが、長い期間で考えれば、相当な変化となっていることと思われます。

何気ない日常、何気ない日々の積み重ねがその人の人生を形作ります。

目先のことではなく、長い目で物事を捉えていきたいですね。

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