「私が聖書を読んで文法的、言語学的に理解しても、文字の裏にある現実はまだ理解していない」(ヨゼフ・ルクル・フロマートカ『神学入門』平野清美訳 新教出版社 177頁)
聖書を読んで、文字の上で理解することは可能であり、それほど難しいことではないといえます。
日本の場合、重要な書籍のほとんどは日本語に翻訳されており、また、翻訳も数種類あるという豊富さです。
聖書の翻訳もたくさんあります。
しかし、宗教書となると、言葉や文法といった次元を超えた何ものかがありますので、何がしらのものを掴もうと思えば、言葉の背後にあるもの、言葉の底にあるものを体感する必要があります。
「あなたは論理的、釈義的、文法的に完璧な形で聖書を知ることはできるが、それでいて、聖霊の内的証言(testimonium Spiritus sancti internum)が加わらない限り、実際の現実は遠のいたままなのである」(同書 178頁)
フロマートカは、「聖霊の内的証言」がなければ何事も把握できないと言っています。
人智を超えたものが必要ということですね。
宗教書だけでなく、宗教以外の分野の書籍にしても、書かれた言葉の背後にあるもの、底にあるものを捉える癖を付けておいたほうがよさそうですね。
何となく分かるという次元を超え、確実に分かるという次元に至ることが重要と思われます。
また、自らの体で実感し、生命全体で対象と一体化するということも肝要でしょう。
人との会話、対話においても、その人の言っている言葉だけに囚われるのではなく、その人の真意を把握する必要があります。
もっと言えばその人が意識的には考えていないけれども、その人の無意識の次元で存在している真意を把握できるほどの鋭さを具えておきたいですね。