『知的生活』の著者であるハマトンは、not so much ( ...) as ... という構文を使って文章を紡ぐのが好きなようですね。
(…)ではなくてむしろ… という意味です。
まえがきにある文章を確認してみましょう。
So that, however circumstances may help us or hinder us, the intellectual life is always a contest or discipline, and the art or skill of living intellectually does not so much consist in surrounding ourselves with what is reputed to be advantageous as in compelling every circumstance and condition of our lives to yield us some tribute of intellectual benefit and force.
日本語訳を確認しましょう。
「つまり境遇というものがいかにわれわれの助けとなれ、あるいは妨げになろうとも、知的生活というのは常に一種の戦い、あるいは訓練なのであって、知的に生活する技術というのは身近に有利な環境を整えることと言うよりは、むしろ日々の暮らしにまつわる諸々の事情や制約にすべて打ち克ち、そうすることによって知性を豊かにし、強靱にすることだということです」(『知的生活』渡部昇一・下谷和幸訳 講談社 1979年 8頁)
知的生活というと物静かなイメージがありますが、ハマトンの言う「知的生活」は、動的な、ダイナミックな、躍動した感じを与えます。
書斎があってゆっくりとくつろぐというよりは、どのような困難な境遇であれ、知的に生きていくために労力を惜しまないといった力強さが感じられます。
「戦い」「訓練」「打ち克つ」というどちらかというと荒々しい言葉で「知的生活」を語っています。
その上で、知性を豊かにし、強靱にするということですから、ほとんど、肉体的な事柄を言っているとみてもよいでしょう。
知性は肉体的でなければありえないということと理解してよいと思います。
知性の捉え方が変わる力強い文章ですね。
続いて次の文章もあります。
Intellectual living is not so much an accomplishment as a state or condition of the mind in which it seeks earnestly for the highest and purest truth.
「知的に生きるということは、なにかを成し遂げることであるよりは、むしろ、最も高邁でかつ純粋な真理を熱烈に求めることなのです」(同書 9頁)
知的に生きていく中で、何かを成し遂げ、有名になりたい、偉そうにしたい、尊敬されたい等々、さまざまな感情や虚栄心が出てくると思われますが、ハマトンによりますと、そのようなことは知的に生きることとは全く関係なく、ただただ真理を求めるのが知的な生き方と教えています。
求道心と言い換えてもいいかもしれません。
知的な生活とは、豊潤で強靱な肉体的側面を外しては存在し得ず、また、真理を求める心そのものの中に存在するということですね。
ハマトンから知的な生活を学び、自らの知性を鍛えてきたいと思います。
なお、書籍は手に入れやすい文庫版をご紹介します。以下のとおりです。