2012年06月26日
『現代英文法講義』の例文
大部の書籍である『現代英文法講義』を、所々、読んでみたところ、「複数の統合」が補語で生じている場合の例文として
The Mohammedans and all religions were a joke.
(マホメット教徒も、すべての宗教も、ジョークだった)
という例文があげられていました。
なかなか辛辣な言葉であると感じ入っていました。
ジョークと言い切ってしまうところなど新鮮ですらありました。
通常であれば出てこない言葉ですね。
あまりにもおもしろい文章なので、誰の文章なのか気になりました。
『現代英文法講義』では、出典も明らかになっていますので、確認したところ、Hemingway の Green hills of Africa という作品からの引用でした。
ヘミングウェイは文豪として知られているとおり、ただ者ではないですね。
私は、『老人と海』しか読んだことはありませんが、各作品には上記のようなハッとさせるような文章がたくさんあるのでしょうね。
『現代英文法講義』では、同じHemingway の Green hills of Africa という作品からの引用で
They’re a strange animal, aren’t they?
(やつらは不思議な動物だね)
という例文がありました。
これは、普通の文章ですね。
アフリカが舞台ですから動物を扱った文章が出てくるということですね。
出典が明らかな英文法書は興味深いものです。
The Mohammedans and all religions were a joke.
(マホメット教徒も、すべての宗教も、ジョークだった)
という例文があげられていました。
なかなか辛辣な言葉であると感じ入っていました。
ジョークと言い切ってしまうところなど新鮮ですらありました。
通常であれば出てこない言葉ですね。
あまりにもおもしろい文章なので、誰の文章なのか気になりました。
『現代英文法講義』では、出典も明らかになっていますので、確認したところ、Hemingway の Green hills of Africa という作品からの引用でした。
ヘミングウェイは文豪として知られているとおり、ただ者ではないですね。
私は、『老人と海』しか読んだことはありませんが、各作品には上記のようなハッとさせるような文章がたくさんあるのでしょうね。
『現代英文法講義』では、同じHemingway の Green hills of Africa という作品からの引用で
They’re a strange animal, aren’t they?
(やつらは不思議な動物だね)
という例文がありました。
これは、普通の文章ですね。
アフリカが舞台ですから動物を扱った文章が出てくるということですね。
出典が明らかな英文法書は興味深いものです。
2012年06月21日
英語学習の時間
外国語を学習する際、どの外国語を選択するかは重要な問題です。
外国語学習には多くの時間が必要であり、自分自身にとって無駄になることは避けなければなりません。
ひとにはそれぞれの人生があり、どの外国語がよいかはバラバラでしょう。
ただ、一般的に言って、日本人に馴染みのある外国語といえば、英語となるでしょう。
中学、高校において、「外国語」という科目がありますが、事実上、「英語」という科目となっています。
通知表には「英語」ではなく「外国語」と記載されていたことが不思議に思えたものです。
世界に対する影響力という点からみれば、英語圏の範囲は非常に広いといえます。
イギリス、アメリカをはじめとして、オーストラリアやニュージーランドなどで通じますし、インドでも通じます。
英語を公用語としている国も多く、便利な言葉であることは間違いありません。
英語を公用語としていないヨーロッパ各国でも、主要な都市であれば、英語を使える人がいるでしょう。
また、世界各国のそれなりのインテリ層であれば、英語が多少は使えるものと思われます。
以前、イラクの医者が日本の医療現場に研修に来た際、日本人医師と英語で話していたのをテレビで見たとき、英語は使い勝手の良い言葉なのだと感じたものです。
イラク人も日本人も英語を母国語にしていませんが、英語を使えば意思疎通ができるというのが面白いですね。
この点からすれば、中国人、韓国人等々のアジア各国の人と意思疎通を図る際、日本人が中国語や韓国語をマスターするのは大変であり、また、中国人や韓国人が日本語をマスターするのも大変です。
互いに英語をマスターしておけば、どの国の人とも意思疎通を図ることができます。
英語を学ぶことは、全世界の人々との意思疎通を図ることができることともいえるでしょう。
さて、英語学習に関し、どれぐらいの時間が必要なのでしょうか。
「外国語学習に必要な最低限の時間は、週平均10〜12時間なのです」(ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』米原万里訳 ちくま学芸文庫 68頁)ということですから、大雑把に言って、1日に2時間は必要といえるでしょう。
この数値も最低限の数値ですから、1日2時間が捻出できない場合、英語をマスターするのは困難と考えておいた方がよさそうです。
いずれにしても、英語を身に付けて無駄になると思われることはありませんので、少しずつでも学んでいきたいものですね。
外国語学習には多くの時間が必要であり、自分自身にとって無駄になることは避けなければなりません。
ひとにはそれぞれの人生があり、どの外国語がよいかはバラバラでしょう。
ただ、一般的に言って、日本人に馴染みのある外国語といえば、英語となるでしょう。
中学、高校において、「外国語」という科目がありますが、事実上、「英語」という科目となっています。
通知表には「英語」ではなく「外国語」と記載されていたことが不思議に思えたものです。
世界に対する影響力という点からみれば、英語圏の範囲は非常に広いといえます。
イギリス、アメリカをはじめとして、オーストラリアやニュージーランドなどで通じますし、インドでも通じます。
英語を公用語としている国も多く、便利な言葉であることは間違いありません。
英語を公用語としていないヨーロッパ各国でも、主要な都市であれば、英語を使える人がいるでしょう。
また、世界各国のそれなりのインテリ層であれば、英語が多少は使えるものと思われます。
以前、イラクの医者が日本の医療現場に研修に来た際、日本人医師と英語で話していたのをテレビで見たとき、英語は使い勝手の良い言葉なのだと感じたものです。
イラク人も日本人も英語を母国語にしていませんが、英語を使えば意思疎通ができるというのが面白いですね。
この点からすれば、中国人、韓国人等々のアジア各国の人と意思疎通を図る際、日本人が中国語や韓国語をマスターするのは大変であり、また、中国人や韓国人が日本語をマスターするのも大変です。
互いに英語をマスターしておけば、どの国の人とも意思疎通を図ることができます。
英語を学ぶことは、全世界の人々との意思疎通を図ることができることともいえるでしょう。
さて、英語学習に関し、どれぐらいの時間が必要なのでしょうか。
「外国語学習に必要な最低限の時間は、週平均10〜12時間なのです」(ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』米原万里訳 ちくま学芸文庫 68頁)ということですから、大雑把に言って、1日に2時間は必要といえるでしょう。
この数値も最低限の数値ですから、1日2時間が捻出できない場合、英語をマスターするのは困難と考えておいた方がよさそうです。
いずれにしても、英語を身に付けて無駄になると思われることはありませんので、少しずつでも学んでいきたいものですね。
2012年06月05日
くよくよしないこと
今までの人生の中で素晴らしい人々との出会いがあり、良き思い出が多々あります。
しかし、友達であろうと思っていた人間が、今から思えば、自分自身にとっては害悪をまき散らすだけのどうでもいい人間であったことに気付くことがあります。
付き合いがなくなってから徐々に気付きはじめました。
このような相手は、一見するところ、友達を装いますが、よくよく観察してみると単なる敵という存在であるものです。
人の幸せは自分の不幸と考え、人の不幸は自分の幸せと考える特徴があります。
若いころは、「友達だから」という浮ついた気持ちですから、相手におかしな言動があっても甘く見てしまい、相手の邪悪さに気が付かないのですね。
また、気が付いても、無理矢理、気が付かないようにしていたのかもしれません。
人間にも本物と偽物があります。
邪悪な人間は偽物の人間です。くれぐれも偽物の人間には気を付けなればなりませんね。
では、偽物の人間に対しては、どのように対処していけばよいのでしょうか。
偽物の人間ですから、わざわざ相手にする必要もなく、相手にしなくてもよい、と考えておくべきでしょう。
また、偽物の人間には独特の毒素があり害悪が及んできますから、危険物と同様、相手にしてはいけない、と考えるべきでしょう。
もっと言えば、そもそも、偽物の人間を相手にしたいと思っているのか、それとも、相手にしたくないと思っているのかという観点から考えれば、当然のことならが、相手にしたくない、というのが本音として浮かび上がってきます。
この本音は、ある意味、直観というべきものであり、大切にしなければなりません。
まとめますと、偽物の人間に対しては、以下の順序で対処し、考えていくことがよいでしょう。
1 相手にしなくてもよい。
2 相手にしてはいけない。
3 そもそも、相手にする気がない。
偽物の人間のために大切な時間、エネルギーを奪い取られたと深く反省するところです。
失敗といえば、まさしく、失敗ですね。
菜根譚には、「過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい」(『菜根譚』守屋洋訳 PHP研究所 97頁)との言葉があります。
今までの失敗は、失敗として深く反省し、その反省から教訓や対処法を編み出し、将来の失敗への備えとするべきでしょう。
このように過去の失敗を消化していけば、くよくよしない生き方ができるものと思われます。
しかし、友達であろうと思っていた人間が、今から思えば、自分自身にとっては害悪をまき散らすだけのどうでもいい人間であったことに気付くことがあります。
付き合いがなくなってから徐々に気付きはじめました。
このような相手は、一見するところ、友達を装いますが、よくよく観察してみると単なる敵という存在であるものです。
人の幸せは自分の不幸と考え、人の不幸は自分の幸せと考える特徴があります。
若いころは、「友達だから」という浮ついた気持ちですから、相手におかしな言動があっても甘く見てしまい、相手の邪悪さに気が付かないのですね。
また、気が付いても、無理矢理、気が付かないようにしていたのかもしれません。
人間にも本物と偽物があります。
邪悪な人間は偽物の人間です。くれぐれも偽物の人間には気を付けなればなりませんね。
では、偽物の人間に対しては、どのように対処していけばよいのでしょうか。
偽物の人間ですから、わざわざ相手にする必要もなく、相手にしなくてもよい、と考えておくべきでしょう。
また、偽物の人間には独特の毒素があり害悪が及んできますから、危険物と同様、相手にしてはいけない、と考えるべきでしょう。
もっと言えば、そもそも、偽物の人間を相手にしたいと思っているのか、それとも、相手にしたくないと思っているのかという観点から考えれば、当然のことならが、相手にしたくない、というのが本音として浮かび上がってきます。
この本音は、ある意味、直観というべきものであり、大切にしなければなりません。
まとめますと、偽物の人間に対しては、以下の順序で対処し、考えていくことがよいでしょう。
1 相手にしなくてもよい。
2 相手にしてはいけない。
3 そもそも、相手にする気がない。
偽物の人間のために大切な時間、エネルギーを奪い取られたと深く反省するところです。
失敗といえば、まさしく、失敗ですね。
菜根譚には、「過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい」(『菜根譚』守屋洋訳 PHP研究所 97頁)との言葉があります。
今までの失敗は、失敗として深く反省し、その反省から教訓や対処法を編み出し、将来の失敗への備えとするべきでしょう。
このように過去の失敗を消化していけば、くよくよしない生き方ができるものと思われます。
2012年05月24日
悪口を言わないために
英文法の参考書(『Forest』5th edition)に以下の例文がありました。
The first thing to remember is not to criticize anyone.
(忘れてはいけない第一のことは、だれの悪口も言わないことだ。)
英語の例文には、ハッとさせられる例文が多くあります。
英語の勉強をしているのか、倫理の勉強をしているのか、分からなくなる時がありますね。
つい、人の悪口を言ってしまいますが、悪口を言わないようにするためには、何が必要か考えてみましょう。
悪口を言いたくなる人の存在をどうにかしなければなりませんが、以下のようにすればよいのではないでしょうか。
1 相手にしない。
2 話題にしない。
3 気にしない。
相手にしてしまうから、悪口が出てしまいます。
また、話題にするがために悪口に繋がります。
どうしても相手にしなければならなかったり、話題にしなければならなかったりする場合、最終的には、気にしないという手しかありません。
難しいですね。
目先のことを考えれば、悪口を言うことによって少しはストレス解消となるでしょうが、長い目で見れば、人の悪口を言うことは、自らに災いをもたらすことになりますので、特に気を付けなければなりません。
先の英語の例文でも強調しているように、人の悪口を言わないということが忘れてはいけない第一のことですから、まずは、悪口を言わないことを第一に考えておきたいですね。
The first thing to remember is not to criticize anyone.
(忘れてはいけない第一のことは、だれの悪口も言わないことだ。)
英語の例文には、ハッとさせられる例文が多くあります。
英語の勉強をしているのか、倫理の勉強をしているのか、分からなくなる時がありますね。
つい、人の悪口を言ってしまいますが、悪口を言わないようにするためには、何が必要か考えてみましょう。
悪口を言いたくなる人の存在をどうにかしなければなりませんが、以下のようにすればよいのではないでしょうか。
1 相手にしない。
2 話題にしない。
3 気にしない。
相手にしてしまうから、悪口が出てしまいます。
また、話題にするがために悪口に繋がります。
どうしても相手にしなければならなかったり、話題にしなければならなかったりする場合、最終的には、気にしないという手しかありません。
難しいですね。
目先のことを考えれば、悪口を言うことによって少しはストレス解消となるでしょうが、長い目で見れば、人の悪口を言うことは、自らに災いをもたらすことになりますので、特に気を付けなければなりません。
先の英語の例文でも強調しているように、人の悪口を言わないということが忘れてはいけない第一のことですから、まずは、悪口を言わないことを第一に考えておきたいですね。
2012年05月16日
一念三千(すべての人に仏を観るということ)
法華経や涅槃経を中心とした仏教の観点からすれば、すべての人間には「仏性」が存在し、すべての人間は尊い存在であるとされています。
しかし、すべての人間といっても、「仏性」や尊いものがあるとは思えないような人間にも出会います。
嫌いな人、嫌な人、苦手な人、好きになれない人、この野郎と思う人等々に対しては、「仏性」などないはずだと思いたくなる場合もあります。
どこが尊いのだと異論を差し挟みたくなる時もあります。
このような感情は、よくある感情ではありますが、好ましい感情ではありません。
また、仏教の観点からすると、単なる間違いといえましょう。
注意しなければなりません。
自分がどのように思おうとも、感じようとも、すべての人間には「仏性」があり、すべての人間は尊い存在であるというのが、「理」の側面からではありますが、仏教上の真理であり、根本です。
この点、自分自身の感情は、さほど重要ではありません。
というよりも、全く重要ではありません。
天台の「摩訶止観」第五には、「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す、百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。此三千は一念の心に在り、若し心無くんば而已なん、介爾も心有らば即ち三千を具す」(『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 178頁)とあります。
心、一念があるならば、十法界、十如是、三世間の三千があるということですが、この言葉の言わんとしていることは、どのような状態であれ、すべての存在は「仏界」に繋がっているということです。
すべての存在は、「仏」であるということです。
「理」の側面ではあっても、この「理」の側面を外して「事」の側面を論じたり、実践したりしてはいけません。
とすれば、当然のことながら、すべての人間は、本来的に「仏」という尊い存在であるということになります。
自分自身の単なる好き嫌いなどの感情は、仏教の教理からすれば、どうでもいいことです。
しかし、この感情というのが厄介ですね。仏教の教理でいえば、地獄界、餓鬼界、畜生界といった貪・瞋・癡に囚われている状態といえますね。
仏教ですから、仏界でなければなりません。
先に引いた天台の言葉をその通りだと実感し、その通りであると実践できる状態が仏界に相当する境涯といえるでしょう。
これは相当難しい実践ですね。
しかし、困難な実践ができないようでは、仏界の境涯には至らないでしょう。
物事が簡単に成就すると考えてはいけません。
どのような人にも「仏性」「仏界」「仏」があるという根本義をゆるがせにせず、「敬意」や「敬う」という態度を自分自身の根本としながら生きていくべきでしょう。
短期間では、これといった変化も何もないでしょうが、長い期間で考えれば、相当な変化となっていることと思われます。
何気ない日常、何気ない日々の積み重ねがその人の人生を形作ります。
目先のことではなく、長い目で物事を捉えていきたいですね。
しかし、すべての人間といっても、「仏性」や尊いものがあるとは思えないような人間にも出会います。
嫌いな人、嫌な人、苦手な人、好きになれない人、この野郎と思う人等々に対しては、「仏性」などないはずだと思いたくなる場合もあります。
どこが尊いのだと異論を差し挟みたくなる時もあります。
このような感情は、よくある感情ではありますが、好ましい感情ではありません。
また、仏教の観点からすると、単なる間違いといえましょう。
注意しなければなりません。
自分がどのように思おうとも、感じようとも、すべての人間には「仏性」があり、すべての人間は尊い存在であるというのが、「理」の側面からではありますが、仏教上の真理であり、根本です。
この点、自分自身の感情は、さほど重要ではありません。
というよりも、全く重要ではありません。
天台の「摩訶止観」第五には、「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具す、百法界なり。一界に三十種の世間を具し、百法界に即ち三千種の世間を具す。此三千は一念の心に在り、若し心無くんば而已なん、介爾も心有らば即ち三千を具す」(『国訳一切経 (和漢撰述部 諸宗部 3)』大東出版社 178頁)とあります。
心、一念があるならば、十法界、十如是、三世間の三千があるということですが、この言葉の言わんとしていることは、どのような状態であれ、すべての存在は「仏界」に繋がっているということです。
すべての存在は、「仏」であるということです。
「理」の側面ではあっても、この「理」の側面を外して「事」の側面を論じたり、実践したりしてはいけません。
とすれば、当然のことながら、すべての人間は、本来的に「仏」という尊い存在であるということになります。
自分自身の単なる好き嫌いなどの感情は、仏教の教理からすれば、どうでもいいことです。
しかし、この感情というのが厄介ですね。仏教の教理でいえば、地獄界、餓鬼界、畜生界といった貪・瞋・癡に囚われている状態といえますね。
仏教ですから、仏界でなければなりません。
先に引いた天台の言葉をその通りだと実感し、その通りであると実践できる状態が仏界に相当する境涯といえるでしょう。
これは相当難しい実践ですね。
しかし、困難な実践ができないようでは、仏界の境涯には至らないでしょう。
物事が簡単に成就すると考えてはいけません。
どのような人にも「仏性」「仏界」「仏」があるという根本義をゆるがせにせず、「敬意」や「敬う」という態度を自分自身の根本としながら生きていくべきでしょう。
短期間では、これといった変化も何もないでしょうが、長い期間で考えれば、相当な変化となっていることと思われます。
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目先のことではなく、長い目で物事を捉えていきたいですね。
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2012年04月22日
類語例解辞典は使えますね
英語学習のために
「セイコーインスツル
電子辞書S9シリーズ NHKビジネス英語収録 SR-S9003NH3」
を購入し、英単語を引いておりましたが、英語だけでなく「大辞泉」が入っていることもあり、日本語の単語も引くようになりました。
電子辞書では、「複数辞書一括検索」ができますので、英語であれ日本語であれ、一括して調べることができます。非常に便利ですね。
この「複数辞書一括検索」を使っていく中で「使い方の分かる類語例解辞典」をも参照したところ、この類語例解辞典というのが使えるのですね。
「信仰」という単語を類語例解辞典で引いてみると、「信仰」の他に、
「信ずる」
「信心」
「帰依」
「狂信」
という単語が出てきます。
そのあとには、それぞれの単語の【共通する意味】が明示され、英単語も、【英】belief として出ています。
さりげなく英語学習にも繋がっています。
【使い方の例】、【それぞれの意味と使い方】の欄においては、それぞれの言葉に対しての詳しい説明があり、便利この上ないといったところですね。
英語学習が目的であり、「大辞泉」や「新漢語林」という国語辞典、漢和辞典に大した期待はしていなかったのですが、この類語例解辞典の詳しさには驚きました。
日本語においてもいろいろな表現があり、単調な表現にならないよう類語を調べることは重要ですね。
また、言葉の意味や使い方についても、認識を新たにすることのできる類語例解辞典は、日本人にとって必要なものといえるでしょう。
ある意味、日本人は日本語のネイティブではありますが、本当にネイティブというほどの日本語力があるのかどうか、実のところ非常に怪しいと思いながら謙虚に学び続けることが大切でしょうね。
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2012年04月05日
英語を学ぶための電子辞書
英語を勉強する中で英和辞典や英英辞典を引きますが、いろいろな辞書を引いていくと机が辞書だらけになり、重ねていくとちょっとしたビルが出来てしまいます。
音声を聞くには、インターネット上の辞書で改めて検索しなければなりません。
面倒といえば面倒ですね。
以前から気にはなっていたのですが、電子辞書であれば、便利なのではないかと思いいろいろ探してみました。
カシオやシャープにもいい電子辞書があるのですが、英語学習用のソフトが多く含まれています。
また、さまざまな分野の事典も含まれています。あれもこれも入っているという電子辞書ばかりです。
私にとっては、いらないものが多すぎるという感じでした。
もっと英語に特化し、辞書に特化している電子辞書はないかと探してみたところ、非常にいい電子辞書を見つけることができました。
「セイコーインスツル
電子辞書S9シリーズ NHKビジネス英語収録 SR-S9003NH3」
この電子辞書のいいところを3つほどまとめてみましょう。
1 英和辞書が充実している。
小学館 ランダムハウス英和大辞典 第2版
研究社 リーダーズ英和辞典 第2版
研究社 新英和大辞典 第六版 等々
特に、ランダムハウス英和大辞典があるのがいいですね。
2 英英辞書が充実している。
オックスフォード現代英英辞典 第8版
ロングマン現代英英辞典 5訂版
コウビルド新英英辞典 等々
特に、コウビルド新英英辞典があるのがいいですね。
3 電子辞書をパソコンで使うことができる。
電子辞書は便利なのですが、画面が小さいという欠点があります。
パソコン画面でも使いたいと思っていたところ、このセイコーインスツルの電子辞書は、パソコンでも使えるということで使いやすいですね。
あと、NHK「入門ビジネス英語」「実践ビジネス英語」(2010年4月〜2011年3月)1年分が入っているということもありますが、これは良質なおまけといったところですね。
やはり、電子辞書ですから、辞書が充実していなければなりませんし、使い勝手がよくなければなりません。
目的は、英語学習ですから、この電子辞書は強力なツールとなっています。
音声を聞くには、インターネット上の辞書で改めて検索しなければなりません。
面倒といえば面倒ですね。
以前から気にはなっていたのですが、電子辞書であれば、便利なのではないかと思いいろいろ探してみました。
カシオやシャープにもいい電子辞書があるのですが、英語学習用のソフトが多く含まれています。
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私にとっては、いらないものが多すぎるという感じでした。
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電子辞書は便利なのですが、画面が小さいという欠点があります。
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やはり、電子辞書ですから、辞書が充実していなければなりませんし、使い勝手がよくなければなりません。
目的は、英語学習ですから、この電子辞書は強力なツールとなっています。
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小学館ランダムハウス英和大辞典
『小学館ランダムハウス英和大辞典』(第2版)には、多くの例文があります。
特に、ことわざに面白いものが多く含まれています。
「fool」を引いたときに見つけたことわざは、なかなか辛辣です。
◆A fool and his money [=Fools and their money] are soon parted.
⦅ことわざ⦆ ばかはすぐに(だまされて)金を使ってしまう;ばかと金は縁がない
愚か者はお金と親和性がないということですね。
無知であることは、経済的に困窮する原因のひとつといえるでしょう。
このことわざは手厳しいだけに世の実相をよく描き出しています。
◆A fool’s bolt is soon shot.
⦅ことわざ⦆ 愚者はすぐに奥の手を出してしまう
また、愚か者は、物事を順序立てて行うことができない特徴があるようです。
いきなりゴールを目指しながら、結局、ゴールに辿り着けないといったところでしょうか。
◆Children and fools speak the truth.
⦅ことわざ⦆ 子供とばかは本当のことを言う[よく考えずにものを言う]
これも強烈ですね。本当のことを言うことはいいことのようにも思えますが、なんでもかんでも本当のことを言えばいいというものではありません。
子供と愚か者とを同列にしている点で、思慮のない発言を戒めていることが分かります。
「fool」ひとつを引いただけですが、いろいろ出てきます。
勉強になりますね。
特に、ことわざに面白いものが多く含まれています。
「fool」を引いたときに見つけたことわざは、なかなか辛辣です。
◆A fool and his money [=Fools and their money] are soon parted.
⦅ことわざ⦆ ばかはすぐに(だまされて)金を使ってしまう;ばかと金は縁がない
愚か者はお金と親和性がないということですね。
無知であることは、経済的に困窮する原因のひとつといえるでしょう。
このことわざは手厳しいだけに世の実相をよく描き出しています。
◆A fool’s bolt is soon shot.
⦅ことわざ⦆ 愚者はすぐに奥の手を出してしまう
また、愚か者は、物事を順序立てて行うことができない特徴があるようです。
いきなりゴールを目指しながら、結局、ゴールに辿り着けないといったところでしょうか。
◆Children and fools speak the truth.
⦅ことわざ⦆ 子供とばかは本当のことを言う[よく考えずにものを言う]
これも強烈ですね。本当のことを言うことはいいことのようにも思えますが、なんでもかんでも本当のことを言えばいいというものではありません。
子供と愚か者とを同列にしている点で、思慮のない発言を戒めていることが分かります。
「fool」ひとつを引いただけですが、いろいろ出てきます。
勉強になりますね。
2012年04月02日
日蓮を読むということについて
鎌倉仏教の高僧の一人として、「日本史」や「倫理」の教科書等で紹介される日蓮は、歴史上の人物であると共に現在の我々にも強い影響力を及ぼしている人物といえます。
伝統的な仏教教団としては、身延山久遠寺の日蓮宗、大石寺の日蓮正宗、その他の日蓮宗や法華宗等々の教団が存在します。
当然、「日蓮宗」というぐらいですから、日蓮の影響をもろに受けています。
この影響は、そのまま、檀家、信徒等に及んでいます。
新宗教の教団としては、霊友会、立正佼成会、創価学会などの巨大教団がありますが、日蓮の影響を強く受けています。
この影響も、各会員に及んでいます。
確かに、鎌倉時代、十三世紀の人物ではありますが、伝統的な仏教教団や新宗教の教団の隆盛を見るとき、現在にも多くの人々に強い影響力を及ぼしている人物であることが窺われます。
この点から、日蓮を読むことは、法華経を学ぶことにもなりますが、取りも直さず、現在の我々の生き方を読むことともいえます。
「日蓮を問うことは、十三世紀の日本の問題であるとともに、まさしく現在我々がいる日本を問うことでもある」(末木文美士『増補 日蓮入門 現世を撃つ思想』ちくま学芸文庫 14頁)とは、全くその通りであると思います。
現在にも強い影響力があるということは、伝統仏教教団や新宗教の教団に確固とした日蓮観というものがあるということであり、所謂、「宗学」や「教学」といわれるものが確立されていることとパラレルになっています。
日蓮を読んでいく場合、伝統教団や新宗教教団の著作を参照することもありますが、教団としての「宗学」、「教学」が強すぎるきらいがあります。
やや、強引な読み方をしているのではないかと思われるふしがあります。
教団としては、それでよいかもしれませんが、一信仰者、一読者、一人間という観点から考えた場合、教団云々は、実のところどうでもよいことです。
影響力が強い日蓮だけあって、伝統教団、新宗教教団の影響力も強いものです。
しっかりと読み込んでいかない限り、伝統教団、新宗教教団の読み方に押し切られてしまう感があります。
このことから、「先入見を捨てて、テキストを文脈に即して理解することが肝要である」(同書 20頁)との指摘通り、「御書」または「遺文」といわれる日蓮の著作そのものを適切に把握することが大切になってきます。
伝統教団や新宗教教団の業績や蓄積を活用すべきは活用しながらも、主体的に日蓮を読み込むという姿勢が求められるでしょう。
教団にとっての日蓮ではなく、自分自身にとっての日蓮という観点が必要です。
そうしないならば、現在の自分自身の生き方と関連しない日蓮になってしまいます。
あくまでも現在の自分自身の生き方と連動する形で日蓮を読み、我がものとしていくべきでしょう。
伝統的な仏教教団としては、身延山久遠寺の日蓮宗、大石寺の日蓮正宗、その他の日蓮宗や法華宗等々の教団が存在します。
当然、「日蓮宗」というぐらいですから、日蓮の影響をもろに受けています。
この影響は、そのまま、檀家、信徒等に及んでいます。
新宗教の教団としては、霊友会、立正佼成会、創価学会などの巨大教団がありますが、日蓮の影響を強く受けています。
この影響も、各会員に及んでいます。
確かに、鎌倉時代、十三世紀の人物ではありますが、伝統的な仏教教団や新宗教の教団の隆盛を見るとき、現在にも多くの人々に強い影響力を及ぼしている人物であることが窺われます。
この点から、日蓮を読むことは、法華経を学ぶことにもなりますが、取りも直さず、現在の我々の生き方を読むことともいえます。
「日蓮を問うことは、十三世紀の日本の問題であるとともに、まさしく現在我々がいる日本を問うことでもある」(末木文美士『増補 日蓮入門 現世を撃つ思想』ちくま学芸文庫 14頁)とは、全くその通りであると思います。
現在にも強い影響力があるということは、伝統仏教教団や新宗教の教団に確固とした日蓮観というものがあるということであり、所謂、「宗学」や「教学」といわれるものが確立されていることとパラレルになっています。
日蓮を読んでいく場合、伝統教団や新宗教教団の著作を参照することもありますが、教団としての「宗学」、「教学」が強すぎるきらいがあります。
やや、強引な読み方をしているのではないかと思われるふしがあります。
教団としては、それでよいかもしれませんが、一信仰者、一読者、一人間という観点から考えた場合、教団云々は、実のところどうでもよいことです。
影響力が強い日蓮だけあって、伝統教団、新宗教教団の影響力も強いものです。
しっかりと読み込んでいかない限り、伝統教団、新宗教教団の読み方に押し切られてしまう感があります。
このことから、「先入見を捨てて、テキストを文脈に即して理解することが肝要である」(同書 20頁)との指摘通り、「御書」または「遺文」といわれる日蓮の著作そのものを適切に把握することが大切になってきます。
伝統教団や新宗教教団の業績や蓄積を活用すべきは活用しながらも、主体的に日蓮を読み込むという姿勢が求められるでしょう。
教団にとっての日蓮ではなく、自分自身にとっての日蓮という観点が必要です。
そうしないならば、現在の自分自身の生き方と関連しない日蓮になってしまいます。
あくまでも現在の自分自身の生き方と連動する形で日蓮を読み、我がものとしていくべきでしょう。
2012年03月22日
英語のリスニング(日本語訳を活用する勉強法)
英語を聞き取れるようになりたいものですが、効果的な学習法があるようです。
「英語のリスニングは、次の5つのステップを踏むと効果的な学習になります。
@ 英文を読む
A 日本語の字幕で聞く
B 英語の字幕で聞く
C セリフを繰り返す
D 同じ速さで繰り返す」(古川武士『30日で人生を変える「続ける」習慣』日本実業出版社 44頁)
洋画を使いながらの勉強法のようですが、洋画でなくても一般的な英語教材でも同じように勉強すればよいでしょう。
まずは、
@英文を読み、
A日本語訳を見ながら英語を聞き、
B英文を見ながら英語を聞き、
C自分でも声に出して話してみて、
Dその速度をネイティブのスピードに合わせていく、ということですね。
英語のリスニングの勉強と思いきや、上記の勉強法は聞くだけでなく、読む、話すも含まれています。
これに書くも加えれば、すべてが揃うことになります。
英語を勉強する際、リスニングであれ、リーディングであれ、結局は、聞く、話す、読む、書く、のすべてに関わってくるものだと思います。
注意したいのは、英語を学ぶときに日本語の字幕、日本語訳、つまり、日本語を使っているというところですね。
最終的には、英語を英語で理解できるレベルを目指すにしても、いきなり英語を英語で理解することはできません。
上手に日本語を使いながら、活用しながら、英語を学ぶことが効果的でしょうね。
つい、学校英語の影響か、英語を日本語に訳すという順序で勉強しがちですが、日本語訳から英語そのものを読む、聞くという順序も大切にした方がよいですね。
試験があるわけでもありませんから、所謂、カンニングのような勉強法の方が英語を身に付けるにはよいでしょう。
意味も分からない英文を聞いたり、読んだりしても、面白くもなんともありません。
日本語で意味を把握したのちに、英文を聞いたり、読んだりすれば、英語ではこのように表現するのかと感じ入りながら学ぶことができます。
中学校、高校の英語の教科書に日本語訳は載っていません。
教育効果をよくよく考えれば、出来の悪い教科書ですね。
教員のための教科書であり、生徒のための教科書ではなかったということですね。
授業や試験をするための教科書であり、英語を習得させようという意思は感じられません。
まあ、そのような意思など元々ないのでしょう。
万一、市販されている英語教材で日本語訳が付いていなければ、欠陥商品として誰も買わないでしょう。
英語の原書でもあるまいし、教材でありながら日本語訳を載せない学校の教科書はふざけているとしか言いようがありませんね。
大人になってからでは、中学校、高校の教科書を使う必要もありませんので、市販されている出来の良い英語教材でしっかりと英語をマスターしたいですね。
とにかく、「続ける」ということですね。
「英語のリスニングは、次の5つのステップを踏むと効果的な学習になります。
@ 英文を読む
A 日本語の字幕で聞く
B 英語の字幕で聞く
C セリフを繰り返す
D 同じ速さで繰り返す」(古川武士『30日で人生を変える「続ける」習慣』日本実業出版社 44頁)
洋画を使いながらの勉強法のようですが、洋画でなくても一般的な英語教材でも同じように勉強すればよいでしょう。
まずは、
@英文を読み、
A日本語訳を見ながら英語を聞き、
B英文を見ながら英語を聞き、
C自分でも声に出して話してみて、
Dその速度をネイティブのスピードに合わせていく、ということですね。
英語のリスニングの勉強と思いきや、上記の勉強法は聞くだけでなく、読む、話すも含まれています。
これに書くも加えれば、すべてが揃うことになります。
英語を勉強する際、リスニングであれ、リーディングであれ、結局は、聞く、話す、読む、書く、のすべてに関わってくるものだと思います。
注意したいのは、英語を学ぶときに日本語の字幕、日本語訳、つまり、日本語を使っているというところですね。
最終的には、英語を英語で理解できるレベルを目指すにしても、いきなり英語を英語で理解することはできません。
上手に日本語を使いながら、活用しながら、英語を学ぶことが効果的でしょうね。
つい、学校英語の影響か、英語を日本語に訳すという順序で勉強しがちですが、日本語訳から英語そのものを読む、聞くという順序も大切にした方がよいですね。
試験があるわけでもありませんから、所謂、カンニングのような勉強法の方が英語を身に付けるにはよいでしょう。
意味も分からない英文を聞いたり、読んだりしても、面白くもなんともありません。
日本語で意味を把握したのちに、英文を聞いたり、読んだりすれば、英語ではこのように表現するのかと感じ入りながら学ぶことができます。
中学校、高校の英語の教科書に日本語訳は載っていません。
教育効果をよくよく考えれば、出来の悪い教科書ですね。
教員のための教科書であり、生徒のための教科書ではなかったということですね。
授業や試験をするための教科書であり、英語を習得させようという意思は感じられません。
まあ、そのような意思など元々ないのでしょう。
万一、市販されている英語教材で日本語訳が付いていなければ、欠陥商品として誰も買わないでしょう。
英語の原書でもあるまいし、教材でありながら日本語訳を載せない学校の教科書はふざけているとしか言いようがありませんね。
大人になってからでは、中学校、高校の教科書を使う必要もありませんので、市販されている出来の良い英語教材でしっかりと英語をマスターしたいですね。
とにかく、「続ける」ということですね。