今までの人生を振り返った時に、つまらない人、邪悪な人と友達付き合いをしていたと反省することがあります。
若いときは、人を見る目もなく、友達だからなどという浮ついた気持ちですから、まんまと邪悪な人間にまとわりつかれてしまったのでしょう。
ただ、初対面の時の第一印象や直観をよくよく思い返してみれば、この人は胡散臭いなあと感じていたことに思い当たります。
実は、直観では分かっていたのですね。
ただ、直観を押し殺し、この人が胡散臭いと思うことがよくないなどと思っていたのでしょう。
「よそ行きの顔しか見せない人と何時間も過ごすより、プライベートな空間をかいま見ただけのほうが、たくさんのことがわかる場合もあるのだ」(マルコム・クラッドウェル『第一感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』 沢田博・阿部尚美訳 光文社 42頁)
この指摘は、重要です。
確かに、学識がある様に法螺を吹いていた人の部屋に行ったことを思い出しますと、貧弱な本棚でした。
あまりの貧弱さにあきれ果てたものです。
量だけでなく質も大したことがありませんでした。
当初は分からなかったものの、途中から気付きはじめ、部屋を見れば、完全に分かるということですね。
また、部屋が汚く、整理整頓がなされていない部屋の人は、やはり、そのような人でしたね。
外面(そとづら)はどうにかごまかせても、プライベートな空間である自宅の部屋はごまかしがききません。
いつも他人のプライベートな空間をかいま見ることはできませんから、直観を頼りに人を見る目を養っていきたいですね。