羽生善治氏と今北純一氏の対談で「才能のある人」について語られていました。
「羽生 才能のある人というのは、同じテンションだとか、同じ情熱でずっと長い間続けることができる人じゃないでしょうか。
今北 まったく同感です。(中略)とはいっても、普通の人は同じ情熱、気力、モチベーションを持ち続けることは難しいと思います。羽生さんからアドバイスはありますか。
羽生 そういうことができそうな人の側にいることですかね(笑)、自然にいい影響を受けると思うので、一つの方法だと思います。もう一つ、私の考え方としては、ペースを落としてでも続けることだと思います」(『定跡からビジョンへ』文藝春秋 276頁〜277頁)
羽生氏によると、「才能のある人」というのは、続ける人ということですね。
それも、ムラがある状態や、山あり谷ありといった不安定な状態で続けるのではなく、一定の水準を保ちながら続けるということなのですね。
確かに、一定の水準でテンション、情熱を保つことは難しいことです。
ほとんどの人ができないといってよいでしょう。
それ故、人と人との間には然るべき格差が生まれてきます。
短期間では分かりませんが、長い期間を経て振り返ってみれば、天地雲泥の差となっています。
羽生氏のアドバイスとしては、「才能のある人」の側にいることを勧めています。
しかし、身近に「才能のある人」がいることは、ほとんどありません。
この場合、時間、空間を超える手を使うしかありません。
古今東西の古典から、自分にとっての「才能のある人」を見つけるということです。
古典といわれる書をものにした著者は、羽生氏が言うように、一定水準の情熱を長い間保ちながら、道を開いていった人物です。
我々は、読書という形を取りながら、その「才能のある人」である古典の著者のいい影響を受けていくことができます。
我々としては、この読書を一定水準の情熱をもって長い間続けていけばよいということです。
ただ、続けることは苦しいものです。
そこで、羽生氏は続けてアドバイスしてくれています。
大変になったら、ペースを落とせと言います。
しかし、続けることは忘れてはならないとしています。
羽生氏の考え方、アドバイスに学びますと、人生とは長期戦であり、続けた人が自分自身の人生を切り開くことができ、続けない人には何事も開かないということが分かります。
いずれにしても、「続ける」ということが大切ですね。
しかし、何を続けるのかは、自分自身にとってという視点から、自分に馴染むもの、自分にふさわしいものを選択しなければなりません。
そうでなければ、そもそも、続かないでしょう。
続かないからダメなんだと落ち込むのではなく、続かないものを選択したのが間違いなのであり、自分にふさわしい分野があるはずだという確信を持ちながら、自分が続けるべきものを見つけていけばよいでしょう。
見つかったら、あとは、情熱を保ちながら続けることですね。