今までの人生の中で素晴らしい人々との出会いがあり、良き思い出が多々あります。
しかし、友達であろうと思っていた人間が、今から思えば、自分自身にとっては害悪をまき散らすだけのどうでもいい人間であったことに気付くことがあります。
付き合いがなくなってから徐々に気付きはじめました。
このような相手は、一見するところ、友達を装いますが、よくよく観察してみると単なる敵という存在であるものです。
人の幸せは自分の不幸と考え、人の不幸は自分の幸せと考える特徴があります。
若いころは、「友達だから」という浮ついた気持ちですから、相手におかしな言動があっても甘く見てしまい、相手の邪悪さに気が付かないのですね。
また、気が付いても、無理矢理、気が付かないようにしていたのかもしれません。
人間にも本物と偽物があります。
邪悪な人間は偽物の人間です。くれぐれも偽物の人間には気を付けなればなりませんね。
では、偽物の人間に対しては、どのように対処していけばよいのでしょうか。
偽物の人間ですから、わざわざ相手にする必要もなく、相手にしなくてもよい、と考えておくべきでしょう。
また、偽物の人間には独特の毒素があり害悪が及んできますから、危険物と同様、相手にしてはいけない、と考えるべきでしょう。
もっと言えば、そもそも、偽物の人間を相手にしたいと思っているのか、それとも、相手にしたくないと思っているのかという観点から考えれば、当然のことならが、相手にしたくない、というのが本音として浮かび上がってきます。
この本音は、ある意味、直観というべきものであり、大切にしなければなりません。
まとめますと、偽物の人間に対しては、以下の順序で対処し、考えていくことがよいでしょう。
1 相手にしなくてもよい。
2 相手にしてはいけない。
3 そもそも、相手にする気がない。
偽物の人間のために大切な時間、エネルギーを奪い取られたと深く反省するところです。
失敗といえば、まさしく、失敗ですね。
菜根譚には、「過去の失敗にくよくよするよりも、将来の失敗に備えるがよい」(『菜根譚』守屋洋訳 PHP研究所 97頁)との言葉があります。
今までの失敗は、失敗として深く反省し、その反省から教訓や対処法を編み出し、将来の失敗への備えとするべきでしょう。
このように過去の失敗を消化していけば、くよくよしない生き方ができるものと思われます。