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2013年12月29日

ウィズダム英和辞典 第3版 革装

普段、英語を学ぶ際、電子辞書を使っています。

電子辞書のいいところは、音声が聞けるところですね。

また、すべての辞書で一括して検索できるため、手間もかかりません。

ジャンプ機能を使えば、より一層、便利です。

例文検索、成句検索もあり、この点は、書籍の辞書にはない強みですね。

電子辞書には、英和辞典として、以下の4つの辞典が入っています。

1 ランダムハウス英和大辞典 第2版(1993年)
2 新英和大辞典 第6版(2002年)
3 ルミナス英和辞典 第2版(2005年)
4 リーダーズ英和辞典 第2版(1999年)

これらの英和辞典でも十分なわけですが、やや古いという懸念があります。

やはり、最新の英和辞典も欲しいと思うところです。

それも書籍の形で欲しいと思った次第です。

上記の英和辞典と雰囲気の違う辞書はないかと探していたところ、昨年にウィズダム英和辞典の第3版が出ているということで購入してみました(奥付には、「2013年1月10日第3版発行」と記載されています)。

普通のものを買っても面白くないので、今年発行された革装のものを購入しました(奥付には、「2013年9月30日第3版革装発行」と記載されています)。

気分の問題ですが、革装であると調べる意欲が出てくるものです。

新しいだけあって、minister 「大臣」に関しては、Prime Minister David Cameron ディヴィッド・キャメロン首相 という用例があげられていました。

キャメロン氏の英国首相の就任が2010年ですから、これ以前の英和辞書には、この用例はないわけです。

ちょっとしたことですが、新しさを感じることができます。

prime minister 「首相」「総理大臣」では、Prime Minister (Yoshihiko) Noda 野田(佳彦)首相 となっており、この点では、古く感じます。

ただ、これは英和辞典の問題というよりは、日本の政治の問題でしょう。

第3版が実際に発行されたときは、野田さんが首相であり、安倍さんはまだ首相ではなかったわけですから、この用例に問題はありませんね。

ウィズダム英和辞典として、第3版ということもあり、進化し洗練されている英和辞書という感じがします。

やはり、辞書は改訂を経るにしたがってよくなっていくものです。

中型辞書にしては、例文も多いですし、良い英和辞書になっています。

また、解説も多く、20年前、30年前の英和辞書とは大違いですね。

私の学生時代にこのような英和辞典があればよかったと思いますが、これは、仕方のないことです。

そうはいっても、今、このような優れた英和辞書がたくさんあるわけですから、それこそ、今、学べばよいのですね。

電子辞書だけでなく、書籍辞書を併用することによって、学習効果を高めていきたいと考えています。

いいものは何でも採用し、自らの血肉にしていくことですね。

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posted by lawful at 20:49| 英語学習

2013年12月28日

『思想としての仏教入門』末木文美士

「日本人であれば、インド仏教よりも、空海、親鸞、道元など、日本の仏教者のことを中心に知りたいという方も多いであろう。その場合でも、彼らは仏教の教学を前提としてその思想を展開しているのであるから、少なくともその基本的な枠組を知っておくことは不可欠である」(末木文美士『思想としての仏教入門』トランスビュー 203頁)

私の場合、日蓮を知りたいと思っているわけですが、上記の指摘はその通りと感じますね。

日蓮を知るには、その日蓮が比叡山や各寺院で学んだ仏教の教学を知る必要があります。

日蓮が前提としていた仏教の教学をこちらも把握しておくということですね。

ただし、仏教全体の教学というと膨大な量ですから、一生のうちに学ぶことは無理ですね。

よって、末木文美士氏が言うように「基本的な枠組」を学ぶのがよいですね。

その「基本的な枠組」を示しているのが本書『思想としての仏教入門』といえます。

仏教全体を見渡している割には一冊の本にまとまっています。

インド、中国、日本の仏教について解説され、東南アジア、チベットの仏教にも触れられており、バランスがいいですね。

特に、「思想」の面から検討を加えていますので、「仏教思想」そのものを学びたい向きには適切な入門書といえましょう。

また、現代の問題を解決する上での仏教の役割について、随時、検討されており、現代に生きる仏教という面からも学ぶことができます。

仏教といいますと、発祥がインドですから、インドの仏教というイメージがあり、入門書をみると、インドの仏教を中心にして解説がなされています。

それは当然のことだと思うのですが、正直なところ、日本に住んで、鎌倉仏教の影響を十二分に受けている我々にとっては、日本の仏教が身近であり、大切であり、関心のあるところです。

インドの話をされてもという感じですね。

しかし、全く、インドを無視するのも、日本の仏教を理解する上で根本的な欠陥といえますから、インド、中国、日本の仏教についてバランスのとれた概説書が求められます。

この要望に応えてくれているのが『思想としての仏教入門』というわけですね。

私としては、日蓮以外の空海、法然、親鸞、道元といった仏教者の思想も知りたいと思っていましたので、その点からも本書は有益でありました。

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posted by lawful at 15:51| 仏教

開目抄における「孝」という字の解釈

「孝と申すは高なり天高けれども孝よりも高からず又孝とは厚なり地あつけれども孝よりは厚からず、聖賢の二類は孝の家よりいでたり何に況や仏法を学せん人・知恩報恩なかるべしや」(『日蓮大聖人御書全集』 192頁)

開目抄においては、「孝」という字を、天よりも高く、地よりも厚いと解釈しており、この世の空間を超えるほどのものと解釈しています。

世に聖人、賢人といわれる人も「孝の家」から出てきたのだと言われています。

「孝」という字の甚深の意義を明らかにされていますね。

ましてや、仏法を学び信仰する人は、恩を知り、恩を報ずるのが当然であるとされています。

上記のことから分かるのは、「孝」という字を適切に実践しうるのが仏法者であるということでしょう。

常に「知恩」、「報恩」であるような信仰を心掛けていきたいものです。

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posted by lawful at 13:47| 御書

2013年12月27日

イソップ寓話に学ぶ

◆Fools take to themselves the respect that is given to their office.
愚か者は役職[肩書]に対する敬意をわが身に引き寄せる⦅Aesop 寓話より⦆.
『リーダーズ英和辞典(第2版)』研究社

会社等で役員なりの役職がある人に対して、下位の人々は廊下等ですれ違う際、一礼をします。

しかし、その役職にあった人が退職し、役職から離れると、かつて下位であった人々は、廊下等ですれ違っても、一礼をすることはありません。

所詮、役職、肩書に対して、ビジネス上の礼節を示しているにすぎず、いわば一つのマナーといったところでしょう。

そういうことが分からない人は、上記の英文の通り、役職に対する敬意を自分に対する敬意と考えるわけですね。

たまたま、その役職に就任しているというだけであり、その役職に見合った仕事をすればよいわけで、自分が偉くなったと勘違いする必要はないでしょう。

上記の英文では、勘違いをしている人を端的に Fools と言っており、手厳しいですね。

イソップの時代から現代に至るまで、人間は勘違いを続けています。

自分自身も役職、肩書を得てしまうと勘違いするものなのだろうと考えておきながら、十二分に注意をしたいものですね。

※ 以下の通り、書籍は、第3版をご紹介しています。

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posted by lawful at 21:23| 英語

「孝」という字から信仰を考える

「人間は進歩しようと思えば、統一がなければならない。教育とは何ぞやと言えば、つまるところは先輩・後輩と長者・少者の連続・連結の役目をなすものでなければならない。
 要するに孝という字は、単に親を大事にして、親に尽くすという意味だけではなくて、親子・老少、先輩・後輩の連続・統一を表わす文字である。そういうことを知って孝経や論語を読むと、限り無い教訓がその中に含まれておることがよくわかる」(『安岡正篤一日一言』致知出版社 227頁)

「孝」という字は、連続・統一を表わすのですね。

伝統的なものを大切にすることと言い換えてもいいかもしれません。

また、秩序を大切にすることと言ってもいいでしょう。

確かに、途切れ途切れ、離れ離れでは、何事も為せませんし、生活、人生そのものが成り立ちません。

「孝」という字から、自らの信仰を考えた場合、上記のとおり「伝統」と「秩序」とが大切になることが分かります。

「伝統」の面からいうと、2000年以上も前から存在する大乗経典の精髄である法華経及び700年以上も前から存在する日蓮の御書を受け継ぐという姿勢が大切ですね。

また、「秩序」の面からいうと、法華経、日蓮の御書を中心としながら、軸としながら、他の経典、他の宗教、他の思想をも包含し有機的な信仰秩序を築き上げることが大切でしょう。

歴史に根差しながら、あらゆる宗教、思想に振り回されることなく、逆に、あらゆる宗教、思想を活かすほどの確固とした軸のある信仰が理想といえましょう。

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posted by lawful at 20:47| 雑感

2013年12月23日

英語のことわざ virtue

virtue という単語を引くと「徳、善、美徳」という訳語が出てきます。

そのすぐ下に、ことわざが紹介されていました。

♦Virtue is its own reward.
⦅ことわざ⦆ 徳はそれ自体が報いである
(徳はそれを行なうことで得られる満足感で十分報いられる).
『ルミナス英和辞典(第2版)』研究社

何かいいことをすると良い報いがあると期待しがちですが、そもそも、徳という次元は、あとで報いを求める次元ではないということですね。

善行を行ったならば、それでよしという潔さが必要なようです。

あとから、あれが欲しいこれが欲しいと言っているようでは、徳、善、美徳というレベルではなく、物乞いのレベルですね。

ビジネスにおいては、サービスを提供した後に報酬を求めることは適正なことですが、徳、善、美徳という世界では、それらを為したと同時に報酬があるというわけですね。

別の辞書でも見てみましょう。

♦Virtue is its own reward.
⦅諺⦆ 徳行は自ら報ゆ
⦅見返りを期待するべきでない⦆.
『新英和大辞典 第6版』研究社

訳が古風ですね。

説明文も「見返りを期待するべきでない」となっており、手厳しい。

同じ研究社の辞書ですが、雰囲気が全然違いますね。

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posted by lawful at 15:53| 英語

2013年12月22日

『ゼミナール マーケティング入門』第2版

ビジネスを行うにあたって、マーケティングが必要といわれていますので、石井淳蔵・嶋口充輝・栗木契・余田拓郎『ゼミナール マーケティング入門』第2版 日本経済新聞出版社を参照してみました。

本書の一節を所々紹介しながら、いろいろと考えていきたいと思います。

「何も手を講じなければ、大多数の買い手はなじみのある既存の製品・サービスとの比較のなかで、新製品・サービスの評価を行ってしまう。そして、多くの場合、既存の製品・サービス、あるいは、その確立された使用方法を前提とした評価が行われてしまい、それらとは根本的に異なる新しい製品・サービスが高い評価を獲得することは困難となる。だからこそ、カップヌードルの市場導入時に、流通業者たちはこの新製品の可能性に否定的だったのである」(同書 28頁)

新しいものを市場に出した場合、当然のことながら既存のものがあり、当初は売れないものです。

また、新しいものが本当に新しい場合、その新しいものを評価する基準そのものが存在しませんので、適正な評価が得られません。

それどころか、既存のものを基準に評価されますから、新しいものは価値のないもの、大したものではないとの評価になりがちです。

そもそも、新しいものは、既存のものの枠外にあるわけですから、新しいものそれ自体として勝負しなければなりません。

大変ですが、自らが基準を作っていくということですね。

これがマーケティングということなのでしょう。

このように、ほとんどの人が新しいものを適切に評価できないわけですから、自分自身が新しいものを適切に評価できる人間になれば、ビジネスが成功する確率が高くなりますね。

ここで本書におけるマーケティングの定義を確認したいと思います。

「「マーケティング」とは、「企業が、顧客との関係の創造と維持を、さまざまな企業活動を通じて実現していくこと」である」(同書 32頁)

あっさりしていますが、必要なことがすべて含まれていますね。

利益、利潤をもたらすのは、所詮、顧客ですから、顧客のいないところビジネスなしですね。

お金を落としていってくれる顧客との関係が大事ということですね。

「事業の定義にあたっては、「顧客が本当に求めているものは何か」をよく考えることが重要である。顧客が本当に求めているものに気づくだけで、新たなビジネスチャンスが開けることがある」(同書 177頁)

やはり、まずは、顧客ですね。

顧客が欲しいものを提供すれば、それなりの利益があがります。

ただし、ここでいっているのは、顧客が「本当に」欲しいものを提供するということですね。

そうすると、莫大な利益がもたらされるということでしょう。

「技術の変化や消費者の要求の変化、さらには競合する製品・サービスの変化といったさまざまな変化によって、「何をすべきか」が変化していくことに、企業は絶えず気をつけておかなければならない」(同書 178頁)

顧客が本当に求めるものを提供していても、いつも同じものが求められているわけではなく変化します。

いろいろな変化に合わせていくことが必要ということですね。

よくよく世の中を観察すると、変化に対応できないビジネスは消滅していますね。

このことから、自分のビジネスにおいては、とにかく変化に対応できるようにしておきたいですね。

「われわれ消費者は、実際のところ自分が何を必要としているかを、それほどよくわかっているわけではない。新製品を手にして初めて、「そうそう、こんなものが欲しかったのだ」とわかる場合が少なくない」(同書 324頁)

先程、顧客が本当に求めているものを提供することが大事という話がありましたが、実のところ、顧客、消費者にもそれが分からないようですね。

もし、明確に分かっているならば、その顧客、消費者は、顧客、消費者であることを一旦棚上げし、自分のビジネスシーンでその本当に求められているものを提供し、莫大な利益を得ていることでしょう。

いろいろ観察し、考えたところで、答えが出るわけではなく、まずは、何がしらの新しいものを提供することがスタートということですね。

それから、その新しいものを顧客に提供していくためにさまざまな活動を行っていくわけですね。

まさに、マーケティングということですね。

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posted by lawful at 18:07| ビジネス

2013年12月20日

英語のことわざ bauble

bauble という単語を引くと、「安物の飾り。つまらないもの。子供だまし。道化棒」という訳語が出ています。

この単語の項目にことわざが紹介されています。

なかなか鋭いことわざです。

◆A fool should never hold a bauble in his hand.
⦅ことわざ⦆ 自分の欠点を自ら世間に示すことはない.
『ランダムハウス英和大辞典』(第2版)小学館

研究社の辞書でも確認してみました。

♦A fool should never hold a bauble in his hand.
⦅諺⦆ 愚か者は手に笏杖をもつべきではない
⦅自分の愚かを宣伝すべきではない⦆
『新英和大辞典 第6版』研究社

わざわざ自分のつまらないところを世間にさらす必要はありませんね。

心配しなくても、くだらない人間は、人のつまらないところ、欠点、愚かなところを探し、頼んでもいないのに、そのつまらないところ、欠点、愚かなところを公表してくれます。

悪口を言い、悪態をつくわけですね。

くだらない人間がすることを、自分でもすることはありません。

ある意味、自分の至らぬ点は表に出さず、裏で改善に精を出すのがよいですね。

このような振る舞いは慎みがあるといえましょう。

この英語のことわざからは、世間に対し余計なことはしないでおくことという教訓が得られます。

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posted by lawful at 20:49| 英語

2013年12月19日

完了の助動詞「ぬ」と打消の助動詞「ず」との違い

完了の助動詞「ぬ」の活用を確認してみましょう

未然形  連用形  終止形  連体形  已然形  命令形
 な    に     ぬ   ぬる    ぬれ    ね

打消の助動詞「ず」の活用を確認してみましょう。

未然形  連用形  終止形  連体形  已然形  命令形
 な    に     ず     ぬ    ね    ざれ
 ざら   ず          ざる    ざれ   
      ざり

このことを踏まえて、日蓮の以下の一節を確認してみましょう。

「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(『日蓮大聖人御書全集』919頁)

ここで注目したいのは、「日蓮を用いぬるとも」の中の「ぬる」の部分です。

この部分を「完了」とみるか「打消」とみるかで意味が反対になります。

つい打消の助動詞「ず」の連体形である「ぬ」と読んでしまいがちですが、よくよく見ると「ぬ」ではなく「ぬる」です。

完了の助動詞「ぬ」の連体形である「ぬる」ですね。

よって、正しくは、完了の助動詞として読まなければなりません。

現代語訳すると「日蓮を用いたとしても」となります。

「日蓮を用いないとしても」ではありません。

「ぬる」と「ぬ」との違いだけですが、意味が逆ですから、注意して読んでいきたいものです。

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posted by lawful at 20:39| 御書

2013年12月15日

本との向き合い方

本は、読むものですが、いつしか、収集するものになってしまうことがあります。

なんでもかんでもコピーを取る人がいますが、そのコピーしたものを活用していません。

つまり、コピーをして安心したいということなのでしょう。

コピーした内容は、結局、どうでもいいようです。

それと同様に、本もとりあえず買う人がいます。

いずれ読むだろうということで購入するわけですね。

それも、さまざまな分野のさまざまな本を購入して、本棚に並べ、その本棚を見ながら悦に入っています。

以前の私もこのような感じでしたね。

しかし、ほとんどの本を読んでいないという当たり前のことに、ふっと気付くのですね。

その時、「私は何をしているのだろう?」と思ったものです。

本棚に並ぶ背表紙を眺め、何が面白いのか。

冷静に考えると愚か者の所業です。

早速、読まない本をブックオフに売り、売り物にならない本は、資源ごみで出しました。

必要な本だけを残しましたが、何らの問題点も発生しません。

まだまだ、その必要と判断した本も厳選すべきではないかと考えているほどです。

では、処分した本を改めて読みたいと思ったときはどうするかという疑問が出てくると思います。

その場合、図書館から借ります。

必要な個所だけ読み、返却します。

不思議なもので、借りたものは返却期限があるので、読むものですね。

もし、購入して自分のものにしてしまうと、本棚の飾りになり、読むことはないかもしれません。

本を所有しなくても、何の問題もありません。

図書館が自分の蔵書と考えておけばよいでしょう。

結局、聖典類、辞書類、教材などを所有していればよく、その他の本は、だいたい図書館にあります。

やはり、本は読むべきもので、飾るものではありませんね。

「生活の質を高めるということを考えると、いちばん確実で、手っとり早い方法は、本を読むことなんですね。本を読み始めると、どうしても音楽とか絵とか、彫刻とか演劇とか、人間がこれまで作り上げてきた文化のひろがり、蓄積に触れざるを得ない」(井上ひさし『本の運命』文藝春秋 186頁)

本を所有することが生活の質を高めるのではなく、本を読むことが生活の質を高めるということですね。

当たり前のことですが、所有欲まみれになると分からなくなるものです。

今後も本を所有することにはあまり気を使わず、本を読むことに気を使っていきたいと思います。

※ 本は、以下のとおり、文庫版でご紹介しています。

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