時代に合わせて行き方を変えることのできぬ理由として、次の二つがあげられるだろう。第一に、生まれ持った性格にはどうしても逆らえない。第二に、いったんある方法を用いて上々に成功した人物に対して、こんどは別の方法を採用したほうがうまくいくと信じさせるのは至難のわざだ。
『マキァヴェッリ全集』第2巻 永井三明訳 筑摩書房 326頁
人は、なかなか変わらないものです。
マキァヴェッリが指摘するように、生まれ持った性格は如何ともしがたいですね。
また、それなりに成功した場合や、上手く行った場合、そのやり方に固執し、変化を拒む傾向があるようです。
大成功とはいわなくとも、それなりに生きてこられた場合、まずますの成功とはいえます。
例えば、60歳までどうにか生きてきた場合、つまり、還暦を超えることができた場合、それ以降の人生において、別のやり方や、別の生き方をしようとする人は、ほとんどいないでしょう。
まず、変化はあり得ないと考えるのが妥当でしょうね。
よって、還暦を過ぎた人に対して、変化を求めることは意味のないことです。
どうせ変わりはしないのですから、ほっておくしかないですね。
ただ、変化に対応できない人と関わっていますと、変転極まりないこの世の中においては、こちらとしても不都合が生じます。
その際は、こちらで対応できる分は対応するにしても、それ以上のことはできません。
ある程度までは、不都合を許容するにしても、許容範囲を超えた場合は、その変化をしない還暦を過ぎた人を排除するしかないですね。
変化しない人を変化させようとするのではなく、変化しない人を違う人に替えるということですね。
人はたくさんいるわけですから、少しでもましな人に替えればよいのです。
ただ、このようなことができない場合、自らが違う場に移動するということも検討しなければなりません。
変化しない人を相手にしないですむような所に移動するということです。
そうはいっても、どこに行っても変化しない人だらけでしょうから、良くなる保証はありません。
人がどうのこうのといっても、こちらでコントロールできないわけですから、こちらが境涯を上げることによって、徐々にではあっても、変化できない人との関わりを薄くしていくことですね。
そして、変化できるほどの人との接点が増えるよう、こちらが精進していくことですね。