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2015年11月26日

人は変化しないものと心得ておくほうがよいこと

時代に合わせて行き方を変えることのできぬ理由として、次の二つがあげられるだろう。第一に、生まれ持った性格にはどうしても逆らえない。第二に、いったんある方法を用いて上々に成功した人物に対して、こんどは別の方法を採用したほうがうまくいくと信じさせるのは至難のわざだ。
『マキァヴェッリ全集』第2巻 永井三明訳 筑摩書房 326頁

人は、なかなか変わらないものです。

マキァヴェッリが指摘するように、生まれ持った性格は如何ともしがたいですね。

また、それなりに成功した場合や、上手く行った場合、そのやり方に固執し、変化を拒む傾向があるようです。

大成功とはいわなくとも、それなりに生きてこられた場合、まずますの成功とはいえます。

例えば、60歳までどうにか生きてきた場合、つまり、還暦を超えることができた場合、それ以降の人生において、別のやり方や、別の生き方をしようとする人は、ほとんどいないでしょう。

まず、変化はあり得ないと考えるのが妥当でしょうね。

よって、還暦を過ぎた人に対して、変化を求めることは意味のないことです。

どうせ変わりはしないのですから、ほっておくしかないですね。

ただ、変化に対応できない人と関わっていますと、変転極まりないこの世の中においては、こちらとしても不都合が生じます。

その際は、こちらで対応できる分は対応するにしても、それ以上のことはできません。

ある程度までは、不都合を許容するにしても、許容範囲を超えた場合は、その変化をしない還暦を過ぎた人を排除するしかないですね。

変化しない人を変化させようとするのではなく、変化しない人を違う人に替えるということですね。

人はたくさんいるわけですから、少しでもましな人に替えればよいのです。

ただ、このようなことができない場合、自らが違う場に移動するということも検討しなければなりません。

変化しない人を相手にしないですむような所に移動するということです。

そうはいっても、どこに行っても変化しない人だらけでしょうから、良くなる保証はありません。

人がどうのこうのといっても、こちらでコントロールできないわけですから、こちらが境涯を上げることによって、徐々にではあっても、変化できない人との関わりを薄くしていくことですね。

そして、変化できるほどの人との接点が増えるよう、こちらが精進していくことですね。
posted by lawful at 06:00| 雑感

2015年11月25日

賢明な態度とは

人間がとりうるなによりも賢い態度の一つは、相手に対して脅かすような言辞を吐いたり、侮辱するような言葉を決して口にせぬようにつつしむことだと思う。
『マキァヴェッリ全集』第2巻 永井三明訳 筑摩書房 262頁

言葉には強い力があります。

特に、脅し文句や侮辱などは、マイナスのエネルギーが充満しています。

刃物や銃よりも危険といってよいでしょう。

しかし、人は、安易に脅しの言葉や侮辱の言葉を発します。

極めて由々しきことですね。

マキァヴェッリも、脅し文句や侮辱を口にするな、慎めと教えています。

我々としては、脅かすような言辞、侮辱するような言葉を使わないよう、細心の注意を払うことですね。

ただ、瞋りの感情が出た時が一番危険です。

瞋ったにしても、すぐに冷静さを取り戻すようにしなければなりません。そうしませんと、脅かすような言辞、侮辱するような言葉がスルスルと出てきます。

単に、脅かすような言辞、侮辱するような言葉を言うなといっても、それだけでは上手く行かないですね。

瞋りの状態になった時であっても、脅かすような言辞、侮辱するような言葉を出さないという強い心掛けが必要です。

とにかく、我々としては、言ってはダメであるということを徹底するしかありません。

それこそ、仏のように落ち着きながら、瞋りの状態をコントロールするほどの人間にならなければなりません。

これが賢明な態度といえます。
posted by lawful at 06:00| 生き方

2015年11月24日

謙虚よりも我が道を行く方が安全であること

ひかえめな態度は、なんの益もないばかりでなく、むしろ有害であるということは、よく体験されることである。とくに嫉妬やそのほかの理由で、こちらに憎悪感をいだいている横柄な人物に対しては、〔こちらが下手に出るばあいは〕なおさらだ。
『マキァヴェッリ全集』第2巻 永井三明訳 筑摩書房 211頁

日本人は、謙虚を重んじます。

控えめな態度が好まれるのですね。

まあ、周りが善人だらけであれば、それでよいでしょう。問題はありません。

しかし、我々が生きている世界は、嫌な奴で溢れかえっています。

謙虚も結構なのですが、それだけでは心許ない。

然るべき人間洞察が必要です。そう、マキァヴェッリです。

横柄な人物、我々に憎悪感をいだいている人物に対しては、謙虚は使えないどころか、有害であるという。

なかなか強烈な分析です。

ただ、今までの人生を思い返した場合、丁寧に対応しても、相手が横柄であり、不愉快になったことが多々ありました。

その時、咄嗟に対応を変え、丁寧さをやめ、強く出たところ、横柄な相手が怯んだことがあります。

所詮、横柄な人間など大した人間ではなく、こちらが強く出ただけで崩れるのですね。

つまり、我々としては、力強く我が道を行けばよいだけなのですね。

多少の摩擦はやむを得ないでしょう。

変に、謙虚であれば上手く行くだろうなどという甘い考えは捨てておくことですね。上手くは行きません。

ただ、無用な摩擦は避けるべきですから、どうしようもない横柄な奴や、我々に強い嫌悪感を持っている人間の場合、相手にしないことに限りますね。

変に、強く出る必要もなく、謙虚にする必要もなく、ただただ、必要最小限の対応にとどめ、お引き取り頂くのがよいですね。

いずれにしても、マキァヴェッリの知見を我がものとして、あらゆる事態に対応できるようになっておきたいですね。

また、嫌なこと、不愉快なことがあっても、そういうこともあるだろうという深い洞察に基づき、それらを許容できるほどの余裕を持ちたいですね。
posted by lawful at 06:00| 生き方

2015年11月23日

マキァヴェッリの人間洞察から自らの行動を律する

すべての人間はよこしまなものであり、勝手きままに振舞えるときはいつなんどきでも、すぐさま本来の邪悪な性格を発揮するものだと考えておく必要がある。
『マキァヴェッリ全集』第2巻 永井三明訳 筑摩書房 20頁

マキァヴェッリの指摘の通り、勝手気ままに振る舞えるときになると、横柄になる人がいます。

元々、そのような程度の低い人なのですが、いやらしさが滲み出ており、不愉快ですね。

相手にしたくないのですが、仕事の都合で、ある程度は相手にしなければならないのですね。

困ったものですが、やむを得ません。

ただ、マキァヴェッリの洞察を知った上であれば、人間など、所詮、一皮むけば獣であり、相手に道徳、礼儀、信頼、倫理などを求めても意味がないことが分かります。

我々としては、安易なものの考え方でお茶を濁すのではなく、マキァヴェッリのような鋭い分析を基に行動していくことです。

冷徹なものの見方も必要です。

相手に期待するのではなく、自分自身の智慧に期待すべきですね。

智慧を得るためには、マキァヴェッリのような古典を読む必要があります。

その上で、獲得した智慧を基に、常に最高の行動がとれるよう、日々精進することですね。
posted by lawful at 06:00| 生き方

2015年11月22日

改善する気がない人を相手にしても意味がないこと

機とは仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし
教機時国抄 438頁

仏道修行をする者としては、機根を知ることが大切です。

相手の機根を見て、対応しなければなりません。

何でもかんでも一本調子というわけにはいきません。

変化が必要なのですね。

職場を例にして考えてみましょうか。

職場には、改善すべきところが多いものです。

日々、ビジネス環境は変化していますから、常に改善を求められます。

しかし、無能な上司は、改善すべき点があろうとも、改善する気はありません。

改善する気はありませんから、改善への行動は一切ありません。

ただ、これでは、仕事のレベルが低いままになってしまいます。

とは言いつつ、無能な上司は、改善しない。改善する気すらない。もしかすると、改善すべきことすら理解していないかもしれない。否、理解していないだろう。

仏教的観点からすると、無能な上司には改善する機根がないことが分かります。

よって、仏教信仰者としては、無能な上司に改善を求めても意味がなく、相手にしないという行動をとればよいのですね。

ところが、仏教的観点がない場合、無能な上司の機根に考えが及ばず、改善しなければならない点だけに目が行ってしまい、無能な上司に対して、改善を要求し始めるのですね。要求とまで行かなくても、改善の提案をしてしまいます。

それで改善がなされればよいですが、無能な上司ですから改善がなされるわけがなく、かえって、無能な上司から疎まれ、嫌がられるだけです。

もっと悪くなると、無能な上司から、余計なことをしやがってということで攻撃される可能性すらあります。

自分は、良かれと思ってやっていることでも、それは、無能な上司には通じないのですね。

良かれと思って物事をするのではなく、本当に良いことをすべきなのですね。

自分が良かれと思うことは、単に自分がそう思っているだけで、結果が良くなるという保証はありません。というよりは、良かれと思ってやっていることは、ほとんど自己満足次元のことであり、結果は、悪い方向に行くものです。

すべきことは、本当に良いことであって、良かれと思ってという思いなどはどうでもいいことなのですね。

本当に良いことをするために仏教思想の知見を活用すればよいのですね。

そう、機根を知るということです。

相手の機根を知った上で、行動すればよいのですね。

無能な上司の場合、相手にしなければよいのです。もっとも、全く相手にしないわけにもいきませんので、仕事上、最低限の接点だけ持っておくということです。

改善する気のない人間を相手にしても意味がありません。相手にしないことです。時間の無駄です。仏教においても、明確に説かれており、我々としては、その知見を活用すればよいのですね。

ともあれ、いずれは、無能な上司との縁も切れます。我々としては、自分自身の境涯を上げ、無能な上司のような人との関わりが少なくなるよう精進に励めばよいのです。

相手の機根が上がる見込みはありませんので、相手にせず、自分の機根、境涯を上げればよいのですね。
posted by lawful at 06:00| 御書

2015年11月21日

悪口を言わない方法

仏教には、十悪業が説かれています。

まずは、その十個を確認してみましょう。

@  殺生
A  偸盗
B  邪淫
C  妄語
D  綺語
E  悪口
F  両舌
G  貪欲
H  瞋恚
I  愚癡

この中でよくしてしまうのは、悪口でしょう。

つい、悪口を言ってしまうのですね。

しかし、十悪業のひとつですから、安易に考えるわけにはいきません。

やはり、悪口を言わないようにしなければなりませんね。

では、どうすればよいか。

悪口とは、誰かさんのことについて言うことですから、その誰かさんを話題にしなければよいのですね。

話題にするから、悪口につながるわけです。

そもそも、話題にしても悪口しか出てこないような人は、相手にする必要がなく、話題にする必要がないのですね。

話題にしなければ、悪口が出てくる余地がありませんので、悪口を言わなくて済みます。

十悪業から逃れることができるのですね。

話題にしないという点を守れば、どうにかなります。もっと言うと、悪口を言ってしまう人など、そもそも思い出す必要すらないのですね。

万一、思い出しても、話題にしなければよいだけです。

捨てておけばよいでしょう。

わざわざ、どうでもいい人の悪口を言って十悪業を積む必要はありません。

賢明に生きていくことですね。

そのために仏教思想があるといえましょう。どんどん活用することですね。
posted by lawful at 06:00| 仏教

2015年11月20日

仏道を行く信仰

若し法を聞くこと有らば 一りとして成仏せざること無けん
諸仏の本誓願は 我が行ずる所の仏道を
普く衆生をして 亦た同じく此の道を得しめんと欲す
妙法蓮華経 方便品第二 138頁

方便品は、衆生が成仏できることを強調しています。

全員成仏すると言っているのですね。もちろん「若し法を聞くこと有らば」という条件は付いています。

諸仏の願いは、諸仏が行く仏道を衆生にも得させようとする点にあります。

差別が全くありません。同じなのですから。

我一人が優れているという格好をする人は、仏道を行く人ではないですね。

餓鬼道あたりを歩いているのでしょうか。

我々としては、仏道を歩めばよく、方便品の法門を自分のものにしていきたいですね。

やはり、法華経迹門の中で一番の品とされている方便品は、内容が濃いですね。

勤行で読誦するところは、最初の箇所だけですが、その後の方便品にも豊潤な法門があります。

『妙法蓮華経並開結』で方便品の全容を確認しておくことは、信仰をする上で、極めて重要と言わなければなりません。

一節だけでよい、少しだけでよい、などと言う怠け心をくすぐる邪心のある人のことは相手にせず、まともに信仰していけばよいですね。

仏道を行く信仰ということです。
posted by lawful at 06:00| 法華経並開結

2015年11月19日

自身の祈りに力があることを信仰すること

妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり
一生成仏抄 383頁

信仰をする上で、何を信仰しているかを明確にする必要があります。

なぜか。

それは、自分の外に信仰の対象を持ってくる人がいるからです。

自分の中に信仰の対象を持ちませんと意味がないのですね。

もし、自分の外に信仰の対象を設定すると、偽善教団にいいように搾取されるだけです。

自分の外にある教団を信仰の対象としてはいけません。間違いですから。

あくまでも自分の中に信仰の対象を持つべきです。

では、自分の何をもって信仰すればよいのか。

自身の祈りには力があることを信仰するのですね。

自分が唱える南無妙法蓮華経に力があると信仰できるかどうか。ここがポイントです。

誰かさんが何かをしてくれるわけではありません。自分が自分の人生を切り開くしかなく、そのためのスタートが自身の祈りというわけです。

神頼み、仏頼みということではないのですね。自分頼みということです。

自分の祈りに価値を認め、それを信仰することができるか。御書、法華経が発しているメッセージはこのことなのですね。

自分の外に信仰を向けても仕方がありません。自分の中に信仰を向けるべきです。

このような信仰感覚からすると、教団間の争いや、教団そのものなどは、取るに足らない、副次的な事柄ということが分かります。

信仰は教団で行うのではなく、自分で行う事柄なのですね。

ここを間違えてはいけません。

宗教に対し、勘違いしている人は、ここを間違えていますね。
posted by lawful at 06:00| 御書

2015年11月18日

方便品にも六波羅蜜が説かれています

若しは法を聞いて布施し 或は持戒忍辱
精進禅智等 種種に福徳を修せば
是の如き諸人等は 皆な已に仏道を成じたり
妙法蓮華経 方便品第二 133−134頁

方便品にも六波羅蜜が説かれていますね。

「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」の六つですね。

「布施」は、施すことですが、見方を変えると、不必要なものは所持せず、人々と財を共有することともいえます。

「持戒」は、戒律を持つことですが、悪いことをしない、悪い習慣をしないということといえましょう。

「忍辱」は、とにかく耐えることですね。人生、苦しいことが多く、耐えなければならないことだらけです。弱音を吐かないことですね。

「精進」は、努力ですね。何事も簡単にはいきません。然るべき努力の継続が求められます。鍛錬といってもいいでしょうね。

「禅定」は、熟慮ともいえます。心静かに正しく物事を見るということですね。雑多なところからは雑多なものしか生みません。心を静かに清らかな状態にしてこそ、正しい判断ができるというものです。

「智慧」ですが、仏教の根本ともいえますね。生きていく上で必要なものです。一番重要なものともいえましょう。

この六波羅蜜という福徳を修めると仏道を成就することができるという。

六波羅蜜と仏とがつながっていますね。

我々としては、六波羅蜜を修し、仏の境涯を獲得していきたいものです。
posted by lawful at 06:00| 法華経並開結

2015年11月17日

仏の目的

舎利弗よ当に知るべし 我れは本と誓願を立てて
一切の衆をして 我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき
我が昔の願いし所の如きは 今者已に満足しぬ
一切衆生を化して 皆な仏道に入らしむ
妙法蓮華経 方便品第二 130−131頁

仏の目的は、人々を仏にすることです。

仏自身、人々を自分と同じ境涯にするといいます。境涯に違いはないようにする誓願をしているのですね。

その願いも達成されたと言っており、一切衆生を仏道に入れたという。

つまり、人間は、本来、仏道に入り、仏の境涯を得ることができることをあらわしているのですね。

仏の境涯になれるか、なれないかではなく、もうなっているという視点で説いています。

方便品を読む限り、衆生が仏になることは既定路線ですね。

それを信仰することができるか否かということでしょう。

仏教は、このように「如我等無異」です。この観点から、間違ったことを言う教団を見抜くことができます。

教団のトップだけを祭り上げて、教団トップは他の人とは違うと強調する教団があります。このような教団は、仏教的観点からすると、間違った教団です。近づかない方がよいでしょう。

「如我等無異」というキーワードから、偽物を見抜くことができます。

あくまで仏の目的は、衆生の成仏ですからね。
posted by lawful at 06:00| 法華経並開結

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