沖縄に台風が近づいている。
少しの痛みと痺れは気持ちの持ちようで気にならないと書いたが、今日は少し手の痺れを強く感じている。気持ちの持ちようでも気になるほどだ。やはり太平洋上への真っすぐの等圧線の配置、前から症状が強くなる天気図。昨日までは気にならなかったのだが。
今のところ毎日の生活で大きな身体の不具合は感じない。
しかし深夜に目覚めてトイレに起き上がるときは生まれたての小鹿のままだ。寝ていて強い痺れを感じることはないが良い状態でもないのだろう。トイレは寝室を出てすぐ、階段の降り口のすぐ横。
危険なのだ。よろけると階段から落ちてしまう。
半分寝たような状態でトイレに行くが気をつけないといけない。数歩だが階段の反対側の壁に手を付きながら歩く。
この階段を使うことが脚の稼働にとって良い。
東京に居た時のように地下鉄で階段を使うことが無くなったので唯一の階段だ。ただ降りる時は奥行きが狭いので壁に手を当てているが。
今週の2日の金曜日は会社行事として社員旅行。
ただ案内と同時に申し込まないといけなかったのだが、それをよく見ていなかったの申し込みを忘れた。特に楽しみなわけでもなかったからどうでもよいが、なんか口惜しい気持ちでもある。
日曜から火曜までの2泊3日で奈良へ旅行の予定。
東京でお世話になった得意先の人達、とある業界の重鎮達なのだが個人的に仲良くなりコロナ前まではよく4人で呑んでいた。3月に送別会していただき、その時に鑑真像の公開に合わせて奈良に行こうかという話で盛り上がったのだった。
奈良で過ごす月曜日を有休取ったので明日から6連休。
木・金・土で少しでもやるべきことをやるようにしよう。
2023年05月31日
2023年05月29日
楽しかったと思える日
時間はあるのにうまく使えていない。定着していないようで定着した生活。
月・水・金だけの出社。土日に加え火・木も休み。なのに毎日の充実感がない。出勤日はどこかで呑んで帰る。東京に居た時のように店の人や常連さんと仲良く話して帰るという状態でない。一人でスマホを見ながら次のバスまでの1時間半を過ごしている。単にアルコールを注入しているだけだ。
それほど呑まない。バスで寝過ごすと大変だからだ。
帰って風呂に入ると22時前。そのまま寝てしまう事が多い。
翌日、少し長く寝て起きる。9時間くらいの睡眠。
9時には母親を連れて買い物。まとめ買いは出来ない、母親は賞味期限管理ができないから。買い物を終わらせダラダラしていると昼食時間。火曜日はジムが休みだが木・土・日は13時前後にジムに行く。
ジムに行くと帰ると16時ころ。家にいる時は夕食作りの監視。付いていて言わないとなかなかすんなりと思った食事にならない。母親は何を作るかを前もって言っていても忘れてしまっているのだ。でも調理はできるからまだいい。
夕食が終わってゆっくりして風呂に入ると20時半。部屋でテレビを見ながら1時間半ほど一人呑み。
22時を過ぎると寝ようという意識が働いてしまう。出勤の日は5時50分起床。翌日が休みでも頑張って23時過ぎだ。
こうやって書いていると買い物とジムしかやっていない。その通りだ。
まだ引っ越し荷物の箱が3箱。部屋は収納はしたもののすでに散らかっている。昔作ってそのままの銀行口座の解約、自分の新しい車の見積もりなどやるべきことはたくさんあるがやっていない。
休みを楽しみ、ゆとりのある生活を。ゴルフの練習や一人ゴルフを予約したり毎週とはいかなくても2週に1回くらい日帰りでも泊でも温泉。そんなイメージを持っていた。
いや、それを実行しないと単に時間を無為に過ごして老けるだけかもしれない。
ジムなどのリハビリは手段であってそれを実施することが目的ではない。
毎日が充実して楽しいという定義は何なんだろう。
単純に今日は楽しかったと思える事があることなのだろう。何かを辛抱して楽しいことを心待ちにするのは将来が長い人だけで良く、リタイアした今となっては毎日に楽しいことがあるようしなければいけないだろう。
自分の好きなことができる時間があるのだ、無為に過ごさないようにしよう。
身体の状態。今日梅雨入りしたというニュース。
やはり手の痺れが少し強い、等圧線は本土のど真ん中に真っすぐ。東京に居た時は千葉沖に真っすぐの等圧線の時に痺れが強かった。
少しの痛みと痺れだ、こんなものは気持ちの持ちようで気にもならない。
月・水・金だけの出社。土日に加え火・木も休み。なのに毎日の充実感がない。出勤日はどこかで呑んで帰る。東京に居た時のように店の人や常連さんと仲良く話して帰るという状態でない。一人でスマホを見ながら次のバスまでの1時間半を過ごしている。単にアルコールを注入しているだけだ。
それほど呑まない。バスで寝過ごすと大変だからだ。
帰って風呂に入ると22時前。そのまま寝てしまう事が多い。
翌日、少し長く寝て起きる。9時間くらいの睡眠。
9時には母親を連れて買い物。まとめ買いは出来ない、母親は賞味期限管理ができないから。買い物を終わらせダラダラしていると昼食時間。火曜日はジムが休みだが木・土・日は13時前後にジムに行く。
ジムに行くと帰ると16時ころ。家にいる時は夕食作りの監視。付いていて言わないとなかなかすんなりと思った食事にならない。母親は何を作るかを前もって言っていても忘れてしまっているのだ。でも調理はできるからまだいい。
夕食が終わってゆっくりして風呂に入ると20時半。部屋でテレビを見ながら1時間半ほど一人呑み。
22時を過ぎると寝ようという意識が働いてしまう。出勤の日は5時50分起床。翌日が休みでも頑張って23時過ぎだ。
こうやって書いていると買い物とジムしかやっていない。その通りだ。
まだ引っ越し荷物の箱が3箱。部屋は収納はしたもののすでに散らかっている。昔作ってそのままの銀行口座の解約、自分の新しい車の見積もりなどやるべきことはたくさんあるがやっていない。
休みを楽しみ、ゆとりのある生活を。ゴルフの練習や一人ゴルフを予約したり毎週とはいかなくても2週に1回くらい日帰りでも泊でも温泉。そんなイメージを持っていた。
いや、それを実行しないと単に時間を無為に過ごして老けるだけかもしれない。
ジムなどのリハビリは手段であってそれを実施することが目的ではない。
毎日が充実して楽しいという定義は何なんだろう。
単純に今日は楽しかったと思える事があることなのだろう。何かを辛抱して楽しいことを心待ちにするのは将来が長い人だけで良く、リタイアした今となっては毎日に楽しいことがあるようしなければいけないだろう。
自分の好きなことができる時間があるのだ、無為に過ごさないようにしよう。
身体の状態。今日梅雨入りしたというニュース。
やはり手の痺れが少し強い、等圧線は本土のど真ん中に真っすぐ。東京に居た時は千葉沖に真っすぐの等圧線の時に痺れが強かった。
少しの痛みと痺れだ、こんなものは気持ちの持ちようで気にもならない。
2023年05月26日
変化
もう一つ身体の動きで変わった箇所がある。
左人差し指。閉じて開くときに伸びるのが遅れる指。なんせ受傷後40日ピクリとも動かなかったのだ、左手自体があまり可動しなかった。
神経の仕組みとして、それぞれの箇所を動かす大元の神経があるのだ。左肩から先を動かす神経が壊れたのかどうなのか。詳しい仕組みは分からないながらも突然少し動くようになった。
余談だが動かない左手の指は爪も伸びないことを知った。
指の働きの重要性など健常なときに考えたこともなかった。
右指も動きはするものの力は弱かった。薬の錠剤を押し出せるようになったのは入院後期だった。退院する時点でも弱々しい左腕と指。覚えているのは“おはじき”のようにコインをはじくという動作。それができなかった。右指はどうにかできるようになった。
自分の中で退院できる状態という指標を持っていたが、その一つに親指から小指まで順番に折るという動作。左手はなかなかできなかった。これが出来るようになったら退院だと勝手に決めていた。
左手も順番に指は折れるようになったが力は弱い。特に人差し指はキーボードを押す力がないので退院してからも他の指を使っている。それは今でも。
話は戻り、伸ばすときに反応が遅い左人差し指。
少しづつ左腕や指に力が付くようになってもこれは変わらなかった。そしていつだったか、ブログにも書いたのだがいつもの鍼治療で左腕に打った1本が人差し指に反応した。ピクッという感覚で左人差し指が動いた。
センセイも狙って打ったわけでない偶然だろう。その箇所はいつも打つ箇所、初めての事だった。
もともと動かない箇所に刺激が入れば何か変化が起きると信じている。この日のこの刺激が入ってから毎日のグーパーは欠かさなくなった。風呂の中でやると水圧もあり効果的かと思い、風呂に浸かった時に50回グーパーをやっている。
グーパーが習慣になったのはもう1年以上だろう。
先週、ふと意識したら左人差し指が他の指に遅れることなく伸びている。当初の目的は左人差し指のためのグーパーだったのだが、途中から腕橈骨筋への刺激を感じるためのグーパーになっていたので気づきもしていなかった。
ただ早い動きだと遅れることもあるがずいぶん改善された。
かといってその指の働きが良くなったかというとそうでもない。良くなったのは単にグーパーという動作の中だけのこと。生活で役に立つようにするのは実際に使わないといけない。
今もキーボードで文字を打っているが左人差し指は使っていない。使わない習慣になってしまい、これまでどのように使っていたのかを忘れてしまった。無理に使おうとするがやはり押す力は弱いようだ。
動くのと役に立つのとではその間に距離がある。
左人差し指。閉じて開くときに伸びるのが遅れる指。なんせ受傷後40日ピクリとも動かなかったのだ、左手自体があまり可動しなかった。
神経の仕組みとして、それぞれの箇所を動かす大元の神経があるのだ。左肩から先を動かす神経が壊れたのかどうなのか。詳しい仕組みは分からないながらも突然少し動くようになった。
余談だが動かない左手の指は爪も伸びないことを知った。
指の働きの重要性など健常なときに考えたこともなかった。
右指も動きはするものの力は弱かった。薬の錠剤を押し出せるようになったのは入院後期だった。退院する時点でも弱々しい左腕と指。覚えているのは“おはじき”のようにコインをはじくという動作。それができなかった。右指はどうにかできるようになった。
自分の中で退院できる状態という指標を持っていたが、その一つに親指から小指まで順番に折るという動作。左手はなかなかできなかった。これが出来るようになったら退院だと勝手に決めていた。
左手も順番に指は折れるようになったが力は弱い。特に人差し指はキーボードを押す力がないので退院してからも他の指を使っている。それは今でも。
話は戻り、伸ばすときに反応が遅い左人差し指。
少しづつ左腕や指に力が付くようになってもこれは変わらなかった。そしていつだったか、ブログにも書いたのだがいつもの鍼治療で左腕に打った1本が人差し指に反応した。ピクッという感覚で左人差し指が動いた。
センセイも狙って打ったわけでない偶然だろう。その箇所はいつも打つ箇所、初めての事だった。
もともと動かない箇所に刺激が入れば何か変化が起きると信じている。この日のこの刺激が入ってから毎日のグーパーは欠かさなくなった。風呂の中でやると水圧もあり効果的かと思い、風呂に浸かった時に50回グーパーをやっている。
グーパーが習慣になったのはもう1年以上だろう。
先週、ふと意識したら左人差し指が他の指に遅れることなく伸びている。当初の目的は左人差し指のためのグーパーだったのだが、途中から腕橈骨筋への刺激を感じるためのグーパーになっていたので気づきもしていなかった。
ただ早い動きだと遅れることもあるがずいぶん改善された。
かといってその指の働きが良くなったかというとそうでもない。良くなったのは単にグーパーという動作の中だけのこと。生活で役に立つようにするのは実際に使わないといけない。
今もキーボードで文字を打っているが左人差し指は使っていない。使わない習慣になってしまい、これまでどのように使っていたのかを忘れてしまった。無理に使おうとするがやはり押す力は弱いようだ。
動くのと役に立つのとではその間に距離がある。
2023年05月24日
左脚が育つ
実家のお風呂の鏡は座る椅子の目の前にある。ふつうはそうなのだが、東京では立った位置にしかなかった。立ってシャワーをしていると下腿だけが目に入る。
思わず2度見した。下腿の筋肉が左の方が太い。そういえば全身を鏡に映して見ることはしばらくしていなかった。
上から見ても左の方が太いような気がする。上腿も右脚とほぼ変わらない太さになっている。
いつの間にこう変化したのだろう。下腿のチェックはしたことないが、上腿のチェックをして“少しづつ筋肉が付いてきた”と思ったのは鍼のセンセイと話した半年以上前だったか。
特に左脚だけの筋トレはしていない。ジムでの脚筋トレはレッグプレスとレッグカール、レッグエクステンションだけ。
受傷後の左脚の持つ不自由さが一番の悩みだった。
もちろん左半身全体が動かし辛かったのだが、重要な歩くという行為で下腿に力が入り辛かった。
脚が前に出ない、上腿は上がっていても下腿がついていかない状況だった。それを右脚の勢いで動かしていた。
筋トレを始めた時に左脚のカールが辛かった。辛いというより力が入らなかった。もちろん筋力がないということもあったのだろうがそれだけではないのが中枢神経障害。結果的にもそうだが筋肉を付けることとその動きが重要だったのかもしれない。
それより不思議なのが右より左が太くなっている下腿。
これは前から見た状態だからヒラメ筋が横に広がっているのだろう。このようなカタチが自分の脚のカタチだ。でも去年くらいに書いたが、鍼で横に広がったヒラメ筋が後ろに移動した。これは右下腿。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1002/0?1684887561
右下腿の方が細く見えるのは筋肉が後ろに行っているからかもしれない。もう一度ちゃんと見てメジャーで測ってみよう。
身体の状態。
鍼後の調子の良かった状態が徐々に消えていくと書いたが、それは訂正。
調子は悪くない。ゴルフで歩いたからだろうか。いやゴルフの時も不自由な人だということを忘れていたくらいだ、調子はいいのだろう。
実家の部屋は2階。何度も階段を上り下りするが、上るときにちゃんと足首が使えていると感じる。
自転車で転んだ時に手をついた捻挫が未だ治らない。手首を曲げて力を入れる動きをしたらダメなようだ。
肩の疼痛は変わらずある。気になるのは左肩から腕にかけての嫌な感覚。新たな痺れ。これは受傷前にゴルフをしていて発生した時の痺れ。自分では胸郭出口症候群なのかなと判断していたが。
本来の痺れとミックスされているので細かく感じ取れないのだ。
今日は出勤日。明日は休み。
定年退職したのだ、これくらいのペースでの仕事がいい。
思わず2度見した。下腿の筋肉が左の方が太い。そういえば全身を鏡に映して見ることはしばらくしていなかった。
上から見ても左の方が太いような気がする。上腿も右脚とほぼ変わらない太さになっている。
いつの間にこう変化したのだろう。下腿のチェックはしたことないが、上腿のチェックをして“少しづつ筋肉が付いてきた”と思ったのは鍼のセンセイと話した半年以上前だったか。
特に左脚だけの筋トレはしていない。ジムでの脚筋トレはレッグプレスとレッグカール、レッグエクステンションだけ。
受傷後の左脚の持つ不自由さが一番の悩みだった。
もちろん左半身全体が動かし辛かったのだが、重要な歩くという行為で下腿に力が入り辛かった。
脚が前に出ない、上腿は上がっていても下腿がついていかない状況だった。それを右脚の勢いで動かしていた。
筋トレを始めた時に左脚のカールが辛かった。辛いというより力が入らなかった。もちろん筋力がないということもあったのだろうがそれだけではないのが中枢神経障害。結果的にもそうだが筋肉を付けることとその動きが重要だったのかもしれない。
それより不思議なのが右より左が太くなっている下腿。
これは前から見た状態だからヒラメ筋が横に広がっているのだろう。このようなカタチが自分の脚のカタチだ。でも去年くらいに書いたが、鍼で横に広がったヒラメ筋が後ろに移動した。これは右下腿。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1002/0?1684887561
右下腿の方が細く見えるのは筋肉が後ろに行っているからかもしれない。もう一度ちゃんと見てメジャーで測ってみよう。
身体の状態。
鍼後の調子の良かった状態が徐々に消えていくと書いたが、それは訂正。
調子は悪くない。ゴルフで歩いたからだろうか。いやゴルフの時も不自由な人だということを忘れていたくらいだ、調子はいいのだろう。
実家の部屋は2階。何度も階段を上り下りするが、上るときにちゃんと足首が使えていると感じる。
自転車で転んだ時に手をついた捻挫が未だ治らない。手首を曲げて力を入れる動きをしたらダメなようだ。
肩の疼痛は変わらずある。気になるのは左肩から腕にかけての嫌な感覚。新たな痺れ。これは受傷前にゴルフをしていて発生した時の痺れ。自分では胸郭出口症候群なのかなと判断していたが。
本来の痺れとミックスされているので細かく感じ取れないのだ。
今日は出勤日。明日は休み。
定年退職したのだ、これくらいのペースでの仕事がいい。
2023年05月22日
バーディ2つ
日曜日はゴルフ。今年2回目。
会社のゴルフ部のコンペなのだが、廻ったことのない人とのプレーは気が乗らない。
受傷前のようにゴルフに自信を持っていたなら良いのだが、時々ちゃんとクラブが振れないことがある。左腕がピクッとなってスィングがずれる時がある。実際に先週練習場で空振りをした。
下手と思われるのが嫌なのだ。
そこそこ上手でいい球を打っていた、よく飛んでいた、よくゴルフができるまで回復したねと思ってもらいたいのだ。情けないかな、でもそんなことを思うのも事実だ。
今現在の自分を人は判断する。過去がどうだったとかは関係ない。
そんなことを分かりながらも過去の栄光にすがる。受傷したとはいえ見た目は普通なのだ、受傷したことを逃げ道にしてはいけない。前の状態を取り戻すと宣言しているではないか。
一緒に回った人はかなり飛ぶ人だった。300ヤード級のドライバーが飛び出す。いや、オレも昔は飛んだんだよ、それは心の中で思うことにした。
不思議なことにプレーをしている時に歩きづらいとか受傷による症状は全く起きなかった。何かに夢中になると痛みや痺れを忘れることと同じ。あまり知らない3人と廻るから意識が違うところに行っていたのだろうか。午前はここ最近の同じようなスコア。50を超える。
何が悪いわけではない、そんなゴルフに慣れてしまったのだろうか。ただ身体はどこも不調を感じないし平気で歩いている。
最近はスコアをつけない。どうせリハビリの一環だと考えていることと良いスコアがでないから。よいスコアよりも‘昔のような’球が打てる、スィングができることを思う。ただゴルフは結果というスコアで判断される。
何も考えていないゴルフだった。それは良い意味で。ヘッドスピードは遅いが昔と同じような感覚でスィングができているのだ。身体の不自由さを忘れていた。
受傷前のゴルフの気分になったのだろうか。午後からはバーディが2つ出た。
受賞後のゴルフの目標が受傷前日の88。とにかくハーフ44も一つの目標なのだが44で廻ることができた。
不自由さを感じなかったのは単に身体の調子が良かったからなのだろうか。
じゃあそれは継続できるのだろうか。そこが肝心だ。
確実に身体の変化はある。筋肉、動き。昨晩、もう一つ変わったと感じたことがあった。これについては次回。
会社のゴルフ部のコンペなのだが、廻ったことのない人とのプレーは気が乗らない。
受傷前のようにゴルフに自信を持っていたなら良いのだが、時々ちゃんとクラブが振れないことがある。左腕がピクッとなってスィングがずれる時がある。実際に先週練習場で空振りをした。
下手と思われるのが嫌なのだ。
そこそこ上手でいい球を打っていた、よく飛んでいた、よくゴルフができるまで回復したねと思ってもらいたいのだ。情けないかな、でもそんなことを思うのも事実だ。
今現在の自分を人は判断する。過去がどうだったとかは関係ない。
そんなことを分かりながらも過去の栄光にすがる。受傷したとはいえ見た目は普通なのだ、受傷したことを逃げ道にしてはいけない。前の状態を取り戻すと宣言しているではないか。
一緒に回った人はかなり飛ぶ人だった。300ヤード級のドライバーが飛び出す。いや、オレも昔は飛んだんだよ、それは心の中で思うことにした。
不思議なことにプレーをしている時に歩きづらいとか受傷による症状は全く起きなかった。何かに夢中になると痛みや痺れを忘れることと同じ。あまり知らない3人と廻るから意識が違うところに行っていたのだろうか。午前はここ最近の同じようなスコア。50を超える。
何が悪いわけではない、そんなゴルフに慣れてしまったのだろうか。ただ身体はどこも不調を感じないし平気で歩いている。
最近はスコアをつけない。どうせリハビリの一環だと考えていることと良いスコアがでないから。よいスコアよりも‘昔のような’球が打てる、スィングができることを思う。ただゴルフは結果というスコアで判断される。
何も考えていないゴルフだった。それは良い意味で。ヘッドスピードは遅いが昔と同じような感覚でスィングができているのだ。身体の不自由さを忘れていた。
受傷前のゴルフの気分になったのだろうか。午後からはバーディが2つ出た。
受賞後のゴルフの目標が受傷前日の88。とにかくハーフ44も一つの目標なのだが44で廻ることができた。
不自由さを感じなかったのは単に身体の調子が良かったからなのだろうか。
じゃあそれは継続できるのだろうか。そこが肝心だ。
確実に身体の変化はある。筋肉、動き。昨晩、もう一つ変わったと感じたことがあった。これについては次回。
2023年05月19日
感じ方
鍼後の調子の良かった状態が徐々に消えていくのを感じる。
といっても痛みや痺れが強いというわけではない、健常な人でいうなら軽やかさがが無くなるという感じだろうか。良い状態といっても‘ふつう’の人の状態ではないが。
6週間ぶりの鍼は良い状態をもたらせたのは間違いないのだけど。
お尻や右下腿の痺れ、動く感覚は去年と比べてどうなのだろう。
去年の5月のブログを読み返す。よく分からない、どんな強さの痛みか書ききれていないのだ。ただ感覚的には去年より痺れに関しては少ないと思うのだが。
去年の5月に左腕の筋肉が付いたような気がすると書いている。そうなのだ、そのころから左腕の筋肉は付き始めて可動も良くなった。
1年で色んな事が良くなっているのだ。
「症状固定」「リハビリである程度までは回復」・・・
頚髄損傷の予後についてはそのようなネガティブな情報しかない。それはそうなのだろう、程度が人によって違う。出る症状も。
じゃあ自分は程度が良かったのか。そんなことはない。左腕は40日動かなかったのだ。それは急性期だからそうなのだろうが、受傷から半年後でも薬のタブレットを押し出す力すらなかった。
筋肉を付ければ動くという安直な行動は血流も良くした。脚を無理に動かすことによる坐骨神経痛という状況にはなったが、それと引き換えに得た動きは大きい。
昨日は筋トレ。なぜかこれまでの東京で筋トレを終えた時の調子よさと同じような感じではない。マシンの種類は違えどほとんど同じ動きなのだが。
環境で身体の感じ方が変わるということはあるのだろう。
明後日はゴルフ。久しぶりに歩く。
といっても痛みや痺れが強いというわけではない、健常な人でいうなら軽やかさがが無くなるという感じだろうか。良い状態といっても‘ふつう’の人の状態ではないが。
6週間ぶりの鍼は良い状態をもたらせたのは間違いないのだけど。
お尻や右下腿の痺れ、動く感覚は去年と比べてどうなのだろう。
去年の5月のブログを読み返す。よく分からない、どんな強さの痛みか書ききれていないのだ。ただ感覚的には去年より痺れに関しては少ないと思うのだが。
去年の5月に左腕の筋肉が付いたような気がすると書いている。そうなのだ、そのころから左腕の筋肉は付き始めて可動も良くなった。
1年で色んな事が良くなっているのだ。
「症状固定」「リハビリである程度までは回復」・・・
頚髄損傷の予後についてはそのようなネガティブな情報しかない。それはそうなのだろう、程度が人によって違う。出る症状も。
じゃあ自分は程度が良かったのか。そんなことはない。左腕は40日動かなかったのだ。それは急性期だからそうなのだろうが、受傷から半年後でも薬のタブレットを押し出す力すらなかった。
筋肉を付ければ動くという安直な行動は血流も良くした。脚を無理に動かすことによる坐骨神経痛という状況にはなったが、それと引き換えに得た動きは大きい。
昨日は筋トレ。なぜかこれまでの東京で筋トレを終えた時の調子よさと同じような感じではない。マシンの種類は違えどほとんど同じ動きなのだが。
環境で身体の感じ方が変わるということはあるのだろう。
明後日はゴルフ。久しぶりに歩く。
2023年05月17日
左半身の稼働ヨシ
火曜日、ゴルフの打ちっぱなしに。
東京では打ちっぱなしに行くことはあまりなかった。すぐ近くに練習場はあったのだが距離が150ヤードほどしかなかった。東京ならではだ。
実家からは車で10分ほどの場所に広い練習場がある。21日に会社のゴルフ部のコンペに参加することになったので練習に行く気になった。3月に知り合いから送別の品としてゴルフクラブを貰っている、それを試してみたかった。
前回ゴルフに行ったのは3月25日。
久しぶりに振るクラブ、不安であったが杞憂だった。それどころか驚いたのがそれほど左腕に違和感なく振れている。この3回ほど、10月のゴルフからスィングの変化を感じられなかった。それは寒さや雨だったからだろうか。
確かに左上体の筋肉は付いたのだ。筋肉だけが全てではない、やはりピクッと痙攣がおきて力が抜けることはある。でも筋肉が付いたからこそ力強いスィングが出来るのだ。
母親のモノ忘れが少し酷くなった。
確実に1週間前より酷いように感じる。目の前のことをやるのに不自由はないのだが、他の事をやっているとその前の事を忘れる。
冷蔵庫には忘れ去られた食材が溜まる。そうならないよういつ使うと冷蔵庫に貼るのだがそれが出来ない。
ついついキツく言ってしまう自分が嫌になっている。これは認知症という病気で、本人は一生懸命それと戦っているのだと思いながらも言ってしまう。言って改善できるのは学んでいくことができる人だけであって、認知症の人に言っても無理なのだろう。
明日からは優しく接しようと毎晩思う。
自分が受傷して何か月も一人東京に居てくれ、毎日病院まで来てくれたのだ。子へは無償の愛というが子から親へも無償の愛だ。
東京では打ちっぱなしに行くことはあまりなかった。すぐ近くに練習場はあったのだが距離が150ヤードほどしかなかった。東京ならではだ。
実家からは車で10分ほどの場所に広い練習場がある。21日に会社のゴルフ部のコンペに参加することになったので練習に行く気になった。3月に知り合いから送別の品としてゴルフクラブを貰っている、それを試してみたかった。
前回ゴルフに行ったのは3月25日。
久しぶりに振るクラブ、不安であったが杞憂だった。それどころか驚いたのがそれほど左腕に違和感なく振れている。この3回ほど、10月のゴルフからスィングの変化を感じられなかった。それは寒さや雨だったからだろうか。
確かに左上体の筋肉は付いたのだ。筋肉だけが全てではない、やはりピクッと痙攣がおきて力が抜けることはある。でも筋肉が付いたからこそ力強いスィングが出来るのだ。
母親のモノ忘れが少し酷くなった。
確実に1週間前より酷いように感じる。目の前のことをやるのに不自由はないのだが、他の事をやっているとその前の事を忘れる。
冷蔵庫には忘れ去られた食材が溜まる。そうならないよういつ使うと冷蔵庫に貼るのだがそれが出来ない。
ついついキツく言ってしまう自分が嫌になっている。これは認知症という病気で、本人は一生懸命それと戦っているのだと思いながらも言ってしまう。言って改善できるのは学んでいくことができる人だけであって、認知症の人に言っても無理なのだろう。
明日からは優しく接しようと毎晩思う。
自分が受傷して何か月も一人東京に居てくれ、毎日病院まで来てくれたのだ。子へは無償の愛というが子から親へも無償の愛だ。
2023年05月15日
6週間ぶりの東京
木曜日に夜行バスで東京へ。夜行バス自体は学生時代に長野へスキーに行ったとき以来。
昔の夜行バスは普通の路線バスと変わらない車両だっと記憶している。そんなに席もリクライニングできず窮屈だったと。
今回の夜行バスは3列シートでリクライニングも十分にできそう。
22:30大阪発までK君に付き合ってもらい居酒屋。17時に待ち合わせしたので3軒の居酒屋巡り。
バスの乗車場所に迷うなどのトラブルがあったが無事乗車。
3列は隣が気にならないから良いのだがそもそも5名ほどしか乗車していなかった。席は思ったほどリクライニングの角度は深くなく、失敗したのが前輪の上の席だったので揺れが酷かった。乗車人数が少なく車両が軽いことも原因なのだろうか。
ほとんど眠れず7時前に八重洲に到着。八重洲のバスセンターは去年できたばかりだ。
10時に前の居住地の近くのジムに行くので3時間ほど時間を潰さないと。前もって調べていたネットカフェに向かうが満室だった。各地から来た、特に女子が多かったがキャリーケースを引いた人で溢れていた。
仕方なく浅草橋まで出てネットカフェへ。実はネットカフェや漫画喫茶という場所に入るのも初めてだった。3時間の利用、思ったほど高くない。そこで仮眠と思っていたが眠れなく時間を過ごした。
久しぶりの元行っていたジム。やはりマシンが変わると効く筋肉が違うことを感じる。それと元々の加重でマシンを動かすが重く感じる。今のジムでの加重を見直さないといけないと思ったが、今のジムのマシンで負荷は少ないのに筋肉が付いたように思うのはどうしてなのだろうと考える。
筋肉を付けることが目標ではなく身体の稼働を良くするためのマシントレーニングなのだ。
ジムを終えて火曜日の夜を過ごしていた洋食屋へ。ランチだが生ビールを1杯だけ。
いつも過ごしていたカウンターの席に座ると時が経っていないように感じる。ママ、シェフと楽しく話して店を後にする。
久しぶりの鍼。やはり身体が鍼を欲しているの感じる。Aセンセイは右下腿に打ちながら“硬くなってますね”と言う。ジムのローラーで耕して右下腿は柔らかさを維持していると思ったがそうではなかった。これまでよりも本数を多く使ってくれる。6週間ぶりだ、やはり毎週行っていた時と比べると身体が整っていないのだろうか。
4月に自転車で転んだ時に右手首を捻挫していた。最初は痛くなかったが特定の動きをすると痛みが走る。それを言うと痛みを感じる場所から離れた個所に鍼を打ってくれる。痛い場所が治療ポイントではないのだ。
鍼を終えて前の住居へ。転送前の郵便物を受け取る。
そして居酒屋Qへ。まだ16時なのだがマスターは居る。
のんびりとカウンターで呑んで店の終了とともに一緒に住居へ行って泊めてもらう予定だった。ところがバスで眠れなかったこと、久しぶりの鍼の効果もあったのか何杯か呑むと眠くなってきた。
先に住居に行って仮眠をとる。そして店から戻ってきたマスターとママに起こしてもらい一緒に呑む。
この時気づいたが捻挫している手首は痛みが軽くなっている。鍼で捻挫が治るのかという理屈が良く分からないが何かが作用するのだろう。完全に痛みは無くなってはいないがずいぶんマシだ。
この日眠って途中で目が覚めるが、右下腿は全く痺れを感じない。3月の一番調子の良かった時の状態。
翌日はSNSグループの管理人の誕生会。14時に厚木に集合。そのまま近くの温泉宿に向かい夕方からパーティ。温泉に浸かってからイタリアンに舌鼓。パーティの終盤の記憶があまりないほど呑んだ。
帰ってからもハイボールやワインを呑むがあまり覚えていない。
翌日も昼前から駅近くで呑み。恐らく10杯以上のハイボールを呑んだか。小田原からの新幹線を予約していたが、気が付けばもう間に合わない時間になっていた。
小田原から名古屋で乗り換えてのぞみに。よく乗り換えの名古屋で目が覚めたことだ。
今朝、バス乗り場まで歩く道。田舎の道の路肩は凹凸も多く歩き辛かったのだが、しっかり地面をつかんだ歩きが出来ている。これまでそんな感覚で歩くことはできなかった。
やはり脚の調子がいいときは足裏の感覚が活きているのだろう。鍼による効果、これは感じざるを得ない。でも6週間に1回の上京なのだ。
この感覚が維持できるよう自分なりのケアをしないといけないのだろう、そう考えながら感覚を記憶に刻んだ。
昔の夜行バスは普通の路線バスと変わらない車両だっと記憶している。そんなに席もリクライニングできず窮屈だったと。
今回の夜行バスは3列シートでリクライニングも十分にできそう。
22:30大阪発までK君に付き合ってもらい居酒屋。17時に待ち合わせしたので3軒の居酒屋巡り。
バスの乗車場所に迷うなどのトラブルがあったが無事乗車。
3列は隣が気にならないから良いのだがそもそも5名ほどしか乗車していなかった。席は思ったほどリクライニングの角度は深くなく、失敗したのが前輪の上の席だったので揺れが酷かった。乗車人数が少なく車両が軽いことも原因なのだろうか。
ほとんど眠れず7時前に八重洲に到着。八重洲のバスセンターは去年できたばかりだ。
10時に前の居住地の近くのジムに行くので3時間ほど時間を潰さないと。前もって調べていたネットカフェに向かうが満室だった。各地から来た、特に女子が多かったがキャリーケースを引いた人で溢れていた。
仕方なく浅草橋まで出てネットカフェへ。実はネットカフェや漫画喫茶という場所に入るのも初めてだった。3時間の利用、思ったほど高くない。そこで仮眠と思っていたが眠れなく時間を過ごした。
久しぶりの元行っていたジム。やはりマシンが変わると効く筋肉が違うことを感じる。それと元々の加重でマシンを動かすが重く感じる。今のジムでの加重を見直さないといけないと思ったが、今のジムのマシンで負荷は少ないのに筋肉が付いたように思うのはどうしてなのだろうと考える。
筋肉を付けることが目標ではなく身体の稼働を良くするためのマシントレーニングなのだ。
ジムを終えて火曜日の夜を過ごしていた洋食屋へ。ランチだが生ビールを1杯だけ。
いつも過ごしていたカウンターの席に座ると時が経っていないように感じる。ママ、シェフと楽しく話して店を後にする。
久しぶりの鍼。やはり身体が鍼を欲しているの感じる。Aセンセイは右下腿に打ちながら“硬くなってますね”と言う。ジムのローラーで耕して右下腿は柔らかさを維持していると思ったがそうではなかった。これまでよりも本数を多く使ってくれる。6週間ぶりだ、やはり毎週行っていた時と比べると身体が整っていないのだろうか。
4月に自転車で転んだ時に右手首を捻挫していた。最初は痛くなかったが特定の動きをすると痛みが走る。それを言うと痛みを感じる場所から離れた個所に鍼を打ってくれる。痛い場所が治療ポイントではないのだ。
鍼を終えて前の住居へ。転送前の郵便物を受け取る。
そして居酒屋Qへ。まだ16時なのだがマスターは居る。
のんびりとカウンターで呑んで店の終了とともに一緒に住居へ行って泊めてもらう予定だった。ところがバスで眠れなかったこと、久しぶりの鍼の効果もあったのか何杯か呑むと眠くなってきた。
先に住居に行って仮眠をとる。そして店から戻ってきたマスターとママに起こしてもらい一緒に呑む。
この時気づいたが捻挫している手首は痛みが軽くなっている。鍼で捻挫が治るのかという理屈が良く分からないが何かが作用するのだろう。完全に痛みは無くなってはいないがずいぶんマシだ。
この日眠って途中で目が覚めるが、右下腿は全く痺れを感じない。3月の一番調子の良かった時の状態。
翌日はSNSグループの管理人の誕生会。14時に厚木に集合。そのまま近くの温泉宿に向かい夕方からパーティ。温泉に浸かってからイタリアンに舌鼓。パーティの終盤の記憶があまりないほど呑んだ。
帰ってからもハイボールやワインを呑むがあまり覚えていない。
翌日も昼前から駅近くで呑み。恐らく10杯以上のハイボールを呑んだか。小田原からの新幹線を予約していたが、気が付けばもう間に合わない時間になっていた。
小田原から名古屋で乗り換えてのぞみに。よく乗り換えの名古屋で目が覚めたことだ。
今朝、バス乗り場まで歩く道。田舎の道の路肩は凹凸も多く歩き辛かったのだが、しっかり地面をつかんだ歩きが出来ている。これまでそんな感覚で歩くことはできなかった。
やはり脚の調子がいいときは足裏の感覚が活きているのだろう。鍼による効果、これは感じざるを得ない。でも6週間に1回の上京なのだ。
この感覚が維持できるよう自分なりのケアをしないといけないのだろう、そう考えながら感覚を記憶に刻んだ。
2023年05月10日
気力
月水金しか会社に行かなければのんびりできると思っていたのだがそうでもない。
その想像は東京で生活している中でのものだった。実際にはあっという間に火曜と木曜は過ぎる。土日も満足感のある休日とは言えない。が、それは東京でも同じか。
火曜日はジムが定休日。せっかくの出勤しない日なのにジムに行けないのはもったいないと思っていたが、ジムに行かねばと強迫観念に苛まれることのない日になってちょうど良かったか。
出勤日は必ず呑んで帰る。東京の時のように店の人やお客さんと仲良く過ごすといった店は未だ見つけられていない。ただ呑んで酔いを楽しんでいるだけ。
20時30分のバスを逃すと21時30分。翌日は休みなのだが20時30分のバスに乗るくらいの酒量が丁度いいのかもしれない。それ以上呑み屋で呑むとバスで寝てしまう。年齢とともに酔い方が変わり、すぐに眠くなってしまう。これは同級生みんなが言っているので加齢なのだろうか。
帰ると21時。風呂に入って寝るという何とももったいない休前日だと思うが、何かをやろうという気力もそのまま家で吞もうという気持ちにもならない。
気力の衰え。
そうなのだろう。色んなことに興味を持ち自分に活かしていく、自分はそんなタイプだったのではないか。それが失われている。過去にもそんな時はあったが、その時はイラついた日々を過ごしたものだ。
イラつきもしない。これは大人になったというコトバでもあるとともに諦めやその他ネガティブな状態を思ってしまい何か1歩を踏み出せないことなのだろう。
知らず知らずに衰えていくものか、気力は。
明るい明日のために自分の能力を高める。
頭も身体も同じ。そのためにリハビリをしている。生活に困らない程度に身体が動かせるといいななんて思わなかったではないか。だから「元通り」の自分を欲した。
身体はすぐには難しいのだ、その前に頭が劣化してはいけない。
今週末は東京。久しぶりの鍼治療。
初めての夜行バス。乗車が22時30分なのでそれまで大阪のK君に付き合ってもらって呑む。12日の早朝に東京に着くのだが前のジムで筋トレをして、昼は前に火曜日にいつも行っていた洋食屋でランチ。
夜はいつも週末を過ごしていた居酒屋。そしてマスターとママの家に泊めてもらう。
翌日はSNSの友達の誕生日パーティ。厚木の温泉に泊まる。
久しぶりの面々に会える、もう東京を離れて6週間になるのだ。
その想像は東京で生活している中でのものだった。実際にはあっという間に火曜と木曜は過ぎる。土日も満足感のある休日とは言えない。が、それは東京でも同じか。
火曜日はジムが定休日。せっかくの出勤しない日なのにジムに行けないのはもったいないと思っていたが、ジムに行かねばと強迫観念に苛まれることのない日になってちょうど良かったか。
出勤日は必ず呑んで帰る。東京の時のように店の人やお客さんと仲良く過ごすといった店は未だ見つけられていない。ただ呑んで酔いを楽しんでいるだけ。
20時30分のバスを逃すと21時30分。翌日は休みなのだが20時30分のバスに乗るくらいの酒量が丁度いいのかもしれない。それ以上呑み屋で呑むとバスで寝てしまう。年齢とともに酔い方が変わり、すぐに眠くなってしまう。これは同級生みんなが言っているので加齢なのだろうか。
帰ると21時。風呂に入って寝るという何とももったいない休前日だと思うが、何かをやろうという気力もそのまま家で吞もうという気持ちにもならない。
気力の衰え。
そうなのだろう。色んなことに興味を持ち自分に活かしていく、自分はそんなタイプだったのではないか。それが失われている。過去にもそんな時はあったが、その時はイラついた日々を過ごしたものだ。
イラつきもしない。これは大人になったというコトバでもあるとともに諦めやその他ネガティブな状態を思ってしまい何か1歩を踏み出せないことなのだろう。
知らず知らずに衰えていくものか、気力は。
明るい明日のために自分の能力を高める。
頭も身体も同じ。そのためにリハビリをしている。生活に困らない程度に身体が動かせるといいななんて思わなかったではないか。だから「元通り」の自分を欲した。
身体はすぐには難しいのだ、その前に頭が劣化してはいけない。
今週末は東京。久しぶりの鍼治療。
初めての夜行バス。乗車が22時30分なのでそれまで大阪のK君に付き合ってもらって呑む。12日の早朝に東京に着くのだが前のジムで筋トレをして、昼は前に火曜日にいつも行っていた洋食屋でランチ。
夜はいつも週末を過ごしていた居酒屋。そしてマスターとママの家に泊めてもらう。
翌日はSNSの友達の誕生日パーティ。厚木の温泉に泊まる。
久しぶりの面々に会える、もう東京を離れて6週間になるのだ。
2023年05月08日
こどもの日
3日に幼なじみのK君からメッセージが来た。
K君の息子がバドミントンをやっているようで、そのトーナメント表を見たら僕の息子の名を見つけたと。明日(5日)に行くので来ないかと。
心臓の鼓動が高まった。対面するには試合という重要な場だ、それはそぐわない。試合には母親も見に来るだろうとか色んなことが去来する。
でも聞いた以上、行くしかない。遠くから見れればそれでいい。
とても大きな会場で人で溢れていた。
まずはK君に連絡。そしたらK君の息子が出たダブルスはもう負けて終わったので帰るという。こちらに戻って初めて会うのでしばらく立ち話。K君が息子の学校の応援席を通った選手に聞いてくれた。そんなことさえ自分で出来ないくらいの臆病さがその時の自分だ。
息子の高校の選手たちが座っている席の後ろに陣取る。
16面のコートで男女が試合。ダブルスが終わってからシングルスの試合ということだが、どの試合をしているのか分からない。K君からはシングルスの組み合わせの表しかもらっていない。会場でも配っていない。アナウンスで試合番号と高校、選手を読み上げたのを聞くのが唯一の方法。
会場に着いたのは10時半くらい。1時間ほど耳を傾けていたがずっとコートではダブルスの試合。息子はダブルスには出ないのだろうか、それも分からない。大会本部は組合せ表も配布しなければ進行状況も貼りださない。
朝飯も食ってきていないので近くで何か食事をと会場を出た。何もない場所だ。会場の前の洋食屋に入るがほぼ満員で食事が終わるまで1時間かかった。
息子の高校の応援席のすぐ近くの父兄席に座れた。依然コートはダブルスの試合。応援席に座っているだろうかと注視する。あの子じゃないかなと思う子がいた。2年前に両親に会いに来てくれた時よりも少し雰囲気は似ていて目元は自分、鼻の高さは母親によく似てる。
遠くから横顔をズームで何枚も写メを撮る。
息子がその子だという確信も持てないので感情の持って行き場がない。14時過ぎまで居たがずっとダブルスでシングルスが始まる気配がないので家に帰った。
帰ってからもモヤモヤしていた。
正しい行動だったのか、他にすることはなかったのか。でもどうしょうもない、息子らしき人物を眺めながら呑んで過ごす。この子が息子なのか確信がないからどうしようもない、思い込むこともできない。
翌日の朝はタンスの整理をしていた。寝室は服を置いているがタンスの中の整理が全くできていない。
そうしているとK君からメッセージが来た。
「○○君(息子)が1回戦に勝って2回戦を今日やるよ」
悩むことはないのだが、自分の近くに息子がいるということだけでも値打ちのある事なのだ、すぐに向かった。
会場でK君と落ち合う。K君と息子の母親は我々の結婚前からテニス仲間だった。そしてK君の奥さんは息子の母親と幼なじみという関係。10年位前まで息子を見かけるたびに写メを送ってくれていた。奥さんの両親も息子を見かけると写真を撮ってくれてK君経由で送ってくれていた。
K君の息子もシングルスの試合がある。二人で会場アナウンスに注意しながら話し込んでいた。そしたらK君が○○さんが来たという。息子の母親、自分の元嫁だ。
我々の後ろで立っているようだ。
会って話すには何故この場所にいるかと説明も必要だ。実家に移り住んだことも知らない。彼女の精神を乱したくない。この場で17年ぶりに会うにはそぐわない。
しばらくすると前のスタンドに移動して熱心に試合を見ている。自分が見える範囲にいてくれたら偶然出くわすこともない。
K君がトイレにいった。その時に彼女と出くわした。もちろん自分が来ていることはK君は言わない。
なんと息子のシングルスの試合は終わって帰るということだった。熱心に見ていたのは息子の試合だったのだ。自分たちの席からは手前のコート3面は見えなかった。それと息子だと思っていた子はずっと座ったままだったのだ。アナウンスに耳を傾けてはいたが聞き逃していたようだ。
がっかりした、仕方がないが。それと同時に座っていた子は完全に他所の子だった。(2年前の息子の写真をK君に見せたところ間違いないと言っていたくらい似ていた)
K君が生徒に息子がどこに座っているか聞いてくると言ってくれた。その行為が息子の耳の入ったらどうだろうかとも考えたが、試合も見れなかったのでその行為に甘えた。
「2列目の2番目にいる」とK君が聞いてきた。その方向を後方ナナメから見る。背の高さが座っていても分かる、肩幅も広い。少し顔が見える、間違いない。涙でかすむ。
彼はコートで試合している選手を応援している。
もう我慢が出来なかった。彼らの席の前に行ってカメラを自撮りにして息子を正面から眺めた。そして写メも撮った。
席に戻ると彼らの席が騒然とし、息子を含めた何名かがこちらを見ている。そして息子がスマホをこちらに向けて写真を撮る。
この時は父親が来たということが解ってそうしたのかと思った。
後で考えると、自分が不自然に写真を撮っていることを誰かが見て、女子の盗撮犯に思われたのかもしれない、そして息子は犯人の写メを撮ったのか。
盗撮犯には間違いない。でもどっちだと思って自分の写メをとったのだろうか。
思い切って声をかけるか?どうすべきか自分で判断ができなかった。17年ぶりにじかに自分の息子を見たことでこれ以上望むことなどできなかった。精神が高ぶり過ぎていた。
K君の息子の試合もいつやるか分からないので帰ろうということになった。それに救われたように同調した。
帰りに彼の前を通っていく。彼を見上げて一瞬立ち止まる。彼の高校が試合中だったようだ。一瞬彼はこちらを見たがすぐにコートに目が行く。こちらに何の関心も向けなかった。
やはりあの時はただの盗撮犯だと思われたのだろうか。写メを撮った時は青のサングラスに青のマスク。目の前を通るときはサングラスから普通のメガネ。さっきの盗撮犯としてももう認識されなかった。
そもそもは、息子に気づいてもらえないかという自分の情けなさだと後になって思う。
帰ってからも色々と思った。果たして自分の行動が正しかったのか、足りなかったのか。
でも仕方ない、舞い上がってしまっていた。
こどもの日、プレゼントを貰ったのは自分だ。
K君の息子がバドミントンをやっているようで、そのトーナメント表を見たら僕の息子の名を見つけたと。明日(5日)に行くので来ないかと。
心臓の鼓動が高まった。対面するには試合という重要な場だ、それはそぐわない。試合には母親も見に来るだろうとか色んなことが去来する。
でも聞いた以上、行くしかない。遠くから見れればそれでいい。
とても大きな会場で人で溢れていた。
まずはK君に連絡。そしたらK君の息子が出たダブルスはもう負けて終わったので帰るという。こちらに戻って初めて会うのでしばらく立ち話。K君が息子の学校の応援席を通った選手に聞いてくれた。そんなことさえ自分で出来ないくらいの臆病さがその時の自分だ。
息子の高校の選手たちが座っている席の後ろに陣取る。
16面のコートで男女が試合。ダブルスが終わってからシングルスの試合ということだが、どの試合をしているのか分からない。K君からはシングルスの組み合わせの表しかもらっていない。会場でも配っていない。アナウンスで試合番号と高校、選手を読み上げたのを聞くのが唯一の方法。
会場に着いたのは10時半くらい。1時間ほど耳を傾けていたがずっとコートではダブルスの試合。息子はダブルスには出ないのだろうか、それも分からない。大会本部は組合せ表も配布しなければ進行状況も貼りださない。
朝飯も食ってきていないので近くで何か食事をと会場を出た。何もない場所だ。会場の前の洋食屋に入るがほぼ満員で食事が終わるまで1時間かかった。
息子の高校の応援席のすぐ近くの父兄席に座れた。依然コートはダブルスの試合。応援席に座っているだろうかと注視する。あの子じゃないかなと思う子がいた。2年前に両親に会いに来てくれた時よりも少し雰囲気は似ていて目元は自分、鼻の高さは母親によく似てる。
遠くから横顔をズームで何枚も写メを撮る。
息子がその子だという確信も持てないので感情の持って行き場がない。14時過ぎまで居たがずっとダブルスでシングルスが始まる気配がないので家に帰った。
帰ってからもモヤモヤしていた。
正しい行動だったのか、他にすることはなかったのか。でもどうしょうもない、息子らしき人物を眺めながら呑んで過ごす。この子が息子なのか確信がないからどうしようもない、思い込むこともできない。
翌日の朝はタンスの整理をしていた。寝室は服を置いているがタンスの中の整理が全くできていない。
そうしているとK君からメッセージが来た。
「○○君(息子)が1回戦に勝って2回戦を今日やるよ」
悩むことはないのだが、自分の近くに息子がいるということだけでも値打ちのある事なのだ、すぐに向かった。
会場でK君と落ち合う。K君と息子の母親は我々の結婚前からテニス仲間だった。そしてK君の奥さんは息子の母親と幼なじみという関係。10年位前まで息子を見かけるたびに写メを送ってくれていた。奥さんの両親も息子を見かけると写真を撮ってくれてK君経由で送ってくれていた。
K君の息子もシングルスの試合がある。二人で会場アナウンスに注意しながら話し込んでいた。そしたらK君が○○さんが来たという。息子の母親、自分の元嫁だ。
我々の後ろで立っているようだ。
会って話すには何故この場所にいるかと説明も必要だ。実家に移り住んだことも知らない。彼女の精神を乱したくない。この場で17年ぶりに会うにはそぐわない。
しばらくすると前のスタンドに移動して熱心に試合を見ている。自分が見える範囲にいてくれたら偶然出くわすこともない。
K君がトイレにいった。その時に彼女と出くわした。もちろん自分が来ていることはK君は言わない。
なんと息子のシングルスの試合は終わって帰るということだった。熱心に見ていたのは息子の試合だったのだ。自分たちの席からは手前のコート3面は見えなかった。それと息子だと思っていた子はずっと座ったままだったのだ。アナウンスに耳を傾けてはいたが聞き逃していたようだ。
がっかりした、仕方がないが。それと同時に座っていた子は完全に他所の子だった。(2年前の息子の写真をK君に見せたところ間違いないと言っていたくらい似ていた)
K君が生徒に息子がどこに座っているか聞いてくると言ってくれた。その行為が息子の耳の入ったらどうだろうかとも考えたが、試合も見れなかったのでその行為に甘えた。
「2列目の2番目にいる」とK君が聞いてきた。その方向を後方ナナメから見る。背の高さが座っていても分かる、肩幅も広い。少し顔が見える、間違いない。涙でかすむ。
彼はコートで試合している選手を応援している。
もう我慢が出来なかった。彼らの席の前に行ってカメラを自撮りにして息子を正面から眺めた。そして写メも撮った。
席に戻ると彼らの席が騒然とし、息子を含めた何名かがこちらを見ている。そして息子がスマホをこちらに向けて写真を撮る。
この時は父親が来たということが解ってそうしたのかと思った。
後で考えると、自分が不自然に写真を撮っていることを誰かが見て、女子の盗撮犯に思われたのかもしれない、そして息子は犯人の写メを撮ったのか。
盗撮犯には間違いない。でもどっちだと思って自分の写メをとったのだろうか。
思い切って声をかけるか?どうすべきか自分で判断ができなかった。17年ぶりにじかに自分の息子を見たことでこれ以上望むことなどできなかった。精神が高ぶり過ぎていた。
K君の息子の試合もいつやるか分からないので帰ろうということになった。それに救われたように同調した。
帰りに彼の前を通っていく。彼を見上げて一瞬立ち止まる。彼の高校が試合中だったようだ。一瞬彼はこちらを見たがすぐにコートに目が行く。こちらに何の関心も向けなかった。
やはりあの時はただの盗撮犯だと思われたのだろうか。写メを撮った時は青のサングラスに青のマスク。目の前を通るときはサングラスから普通のメガネ。さっきの盗撮犯としてももう認識されなかった。
そもそもは、息子に気づいてもらえないかという自分の情けなさだと後になって思う。
帰ってからも色々と思った。果たして自分の行動が正しかったのか、足りなかったのか。
でも仕方ない、舞い上がってしまっていた。
こどもの日、プレゼントを貰ったのは自分だ。