オリンピック・パラリンピックが終わった。
このコロナ渦で開催するの?という状況下だったが、多くの人に感動を残したのではないだろうか。
自分としては東京で開催されるのだから是非参加意識を持ったイベントにしたかったのだが、それは仕方ない。無観客となったがチケットの抽選でも外れていた。
パラリンピックでの注目は車いすラグビーだった。
実は車いすラグビーに少し関わっていたことがある。もう20年位前の話だ。
色んな経緯があって、自分の判断で協賛をすることにした。
その後東京に転勤し、常に千葉で開催される国内のリーグ戦の観戦に行った。プレイしているすぐ横で観戦させてもらった。
当時は何の不自由もない身体。
障害者に対しての理解がどれだけあったのだろう。健常者は障害者を哀れんで思う。大人が小さな子供に対して接するようにある種の“上から目線”になる。これらは紛れもない事実だと思う。
自分がそうでなかったとは言い切れない。
ただ、自分の立場で協力できることをできればという気持ちだった。
車いすの状態ではあるが、鍛えられた上体。激しい動きをすぐそばで見た記憶は忘れられない。
自分がこの身体になって頑張ろうと思ったのは、その当時に見てきたことや感じたことが大きく影響している。
身体が動けるようになったら筋トレという安直だが正しい発想を得られたのも、この時の経験だろう。
筋トレだけではない、こうなってしまったことを悔やむより前に進むという気持ちにもなれた。
車いすラグビーに関わることがなければ受傷後の自分は違ったかもしれない。
リオに続いて3位という成績。金メダルを狙っていただけに悔しい結果だった。
下半身が動かなくなった理由は色々だ。アナウンサーが障害を持った経緯を話すことがある。先天性の選手もいるが、事故による脊髄損傷・・・完全損傷の選手も多い。
こういう見方は良いのかどうか・・・テレビで観戦しながら、選手たちの筋肉や動きを見る。自分としては鍛えることによって色んな箇所の稼働がどうなのかと見ることが参考になる。
鍛えること(筋肉だけでなく動かすこと含め)で中枢神経に障害を持ってもあれだけの動きが出来るというのは大きな励みになる。
健常な人が見るパラリンピックと障害のある人が見るパラリンピックは見方が違うのは当然なのかもしれない。
改めて思ったことは、常に言っていることだが、イタイイタイ・痺れると言っていても仕方ないのだ。自分がそれをどう少しでも改善できるかを考えて実践しないといけない。
それは自分で出来る人はいい。サポートが必要なのだ。
まずは自身が能動的に改善しないといけないと教えることからのスタートだ。その気持ちがない人はいくらサポートしても改善は遅いのだと思う。そのためには夢を与えることが必要なのだろう。同じような症状でも改善した例とか。
自分は少なくともその例になれればと思っている。
サポートする人たちも人間だ。やる気の無い人のサポートはモチベーションが下がる。
「障害を持った人が積極的に社会に参加できる仕組みを」
そんなくだらないお題目は誰でも言えることだ。そのために何をするのかが大事。総論はもういい、各論にしないと。障害を持った人がその障害を少しでもラクにすること。そのためにどうするかを体系立てて実施しないといけないと思う。
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