シャワーだけとお湯に浸かるのでは、翌日のラクさが違うことがよくわかってきた。お湯の中では手首まわしとグー・パー。今週は手の調子がすこぶる良い。前腕筋はずっと張っている。筋肉が付く前兆だ。
右脚も週中になってほぐれてきた。週初めは棒のような感覚だったのが緩和。
Aさんの話。
Aさんが二人出てきてややこしいか。昨年2月に亡くなったAさん。
2003年に東京に住んで、「最初に入った居酒屋にずっと行く」という考えで、散々ウロウロして入った居酒屋S。最初に入った店が移転したのが2か月位のち。新しくなり、それからは毎日にように通った。
そこで最初に知り合ったのがAさん。地元企業の社長だ。
関西人は下町では警戒される。東京下町の地元人は関西人と知り合うことがあまりない。普通の関西人も標準語に慣れないし、「関西人は・・・」とか言われたら嫌になって付き合わない。
僕の場合は、25の時に札幌に住んでコトバのギャップを克服した。標準語を使わないと通じないということに。それと、その後の広島でも経験した。地元に溶け込むには広島弁をしゃべる必要がある。
別に無理をしたわけではない、飲んで喋っていたら自然と地元コトバになるものだ。
居酒屋Sは強面のSマスター、アルバイトのYちゃんの強烈なキャラの店。来る客の殆どは常連さん。
毎日来ている僕は「物珍しい関西人」として溶け込んでいった。
Aさんはそれほどゴルフが上手じゃなかった。いや、ヘタだった。
Aさんはほぼ毎日来ていた。その頃から僕は定時で帰って居酒屋Sに直行。早い時間はAさんしかいなかった。Aさんの横にいつも座って飲んだ。Sマスターと3人で色んな話をした。
いつも行くので待っていてくれたとも思う。
居酒屋Sではゴルフコンペを1年に4回実施していた。そして、お客さん有志で旅行会を2年に1回やろうという話になった。Aさんが会長だ。幹事を僕が引き受けることになった。
要は雑用だ。案内文を作ったり、馬券表を作ったり。
Aさんはとても人を大事にする人だ。跡継ぎ長男だったが、家を出てある島で暮らしていた。
金がなく毎日タコを取って食べたりしていたらしい。社長の息子という立場を一切言うことなく貧乏暮しをしていた。30歳前位に会社の跡を継いでいた姉が亡くなり、東京に呼び戻された。
お金持ちなのだが、無駄使いはしない。ゴルフで握って負けて1000円でも払うと喜ぶ。
Aさんがよく使っていた言葉は「仲間」。友達というコトバとも違う素敵なコトバだ。
Aさんは関西から来た僕を色んな人に紹介してくれた。「俺の弟分」と紹介してくれたこともある。そのおかげで今の仲間がいる。
Aさんを通じた仲間、Mさんとか先日飲んだ時もAさんの思いで話が出る。
Aさんに連れられて参加した花街の小料理屋のコンペは今でも参加している。ここは居酒屋Sで知り合った仲間とは違うコミュニティだ。
今日は部下と夕方に同行。たまには飲みに連れていくか。
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