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2023年08月30日

神経性障害疼痛を振り返る

今持っている症状を大きく区分すると痛み、痺れ、運動障害。
運動障害といってもいろんなレベルがある。歩くという行為でいうと退院後に歩けたか歩けなかったかと言われれば歩けた。ただそれは右脚で動き辛い左脚を引きずるような歩き方だったし、誰が見てもどこか不自由な状態になっている人の歩き方。長い距離も歩けなかった。
歩くということだけでなく左腕を動かすということも不便だった。
それらがうまく可動するようになった過程はこのブログで書いてきているが、‘症状固定’と言い渡されたにもかかわらず大きな変化だった。

「症状」という言葉が気になったので定義づけると「病気または疾病、疾患とは、健康で正常な生活を営んでいる個体が、正常と認められる範囲を外れて、機能的、形態的、あるいは精神的に異常な状態となることであり、この異常な状態がさまざまの形で表現されたものが症状である。」と。
正常な状態が異常な状態ということであれば‘症状固定’という言葉は正常に近づくことはあっても異常と感じる部分がずっとありますよという意味なのだろうか。まあどうでもいいことだ。

痛みと痺れはある。この強さが受傷後良くなったのかどうかは判断がつかない。
痛みだけを神経性疼痛として取り上げがちだが、痛みと痺れの両方が神経障害性疼痛だ。神経障害性疼痛とは、感覚神経が障害されて生じる痛みであり、神経が過敏になり痛みの信号が出過ぎてしまう状態。痛みと感じる必要がない状態でも、神経が過敏に反応して脳に異常を知らせる。
それを知ってから脳が勝手に痛くて痺れていると思っているだけなのかと思うようになった。それと同時期に何かに一生懸命になっている時には痛みや痺れを忘れているということに気づいた。
いつもある箇所の痺れと痛みは‘本当の痛みや痺れ’ではないから気にする必要はない、目の前の一生懸命やっていることに専念しなと言ってくれたのだ。

退院後いつもある箇所の痛みは三角筋、痺れは両腕両手、右脚。その後右脚に坐骨神経の痺れが加わった。梨状筋から下腿に向かう坐骨神経の各箇所に痺れや痛みがあるから勝手に坐骨神経痛と思っている、誰に診断されたわけでもない。しかし医師も症状から判断するしかないのだから同じだろう。
全ての痛みと痺れを脳に忘れろと言えばできるのだろうか。同じ個所にずっとある痛みや痺れだからこそ、脳は問題ない、異常信号だよと判断するのだろう。坐骨神経痛は坐骨神経に沿って日替わりだったから痛みと痺れは常に新鮮さを感じたから疼痛を感じていた。
今はその坐骨神経痛にも脳が慣れてきたのだろうか。あるいは軽くなったのだろうか。

今、それぞれの疼痛の箇所を意識するとそんなに変わっていない気もするのだ。手の痺れを意識すると確かに痺れているし、当初の両手の痺れを表現していた「テーブルに数十回手を叩きつけて氷水に30秒漬けた痺れ」なのかと思えばそんな感じもする。じっとして両手の痺れを意識した時だけそう感じる。他のことを思ったりしていながら痺れを思うと、その痺れは弱いものに感じる。
考えれば最初の頃は痺れが気になって他のことを同時に思ったりできなかったのだった。

運動機能の回復はリハビリの方法で良くなるのは間違いないと断言できる。神経障害性疼痛についても考え方で緩和できるというのが自分の持論だ。
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posted by shigenon at 14:48| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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