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豆まめケアマネ
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2021年11月20日

認識すること、存在すること





相談の電話が、毎日鳴り続けている

日曜日も祭日も変わりなく

困難を抱えた相談が、何件も入る





優先順位を考えながら

今すぐ対応が必要なケースから先に取りかかる



その間にも、担当しているケースは動き

時に状態が変わり、急な対応に追われる

ギリギリの状態まで我慢して、家族で対応して

あるいは1人暮らしで、生活が破綻して

ようやく相談にこぎつけるケースも多い



もう少し早く来てもらえれば、と思うことも多いが

それでも、今、こうして出会えている事が大きな一歩だと思い直し

ようやく向かい合う





どうにもならないほど、こじれてしまっている場合

今までどうやってここまで来たのかと思い、悲しくなる


なぜ、ここに至ったのか

誰かに相談したことはあったのか

その後、どう対応してきたのか


それまでの経過を知るたび

胸が詰まるほど、悲しい時もある


問題は確かに存在するけれど

人はそのことに蓋をして、生きていく事ができる


「大したことない」「まだ、大丈夫」

力が出せるパワーワードではあるけれど

言葉で隠して、見えないようにしてしまうと

そこには問題は存在しないことになってしまう





今の現状をしっかり知ることは、実は怖い

知ってしまったら、なんとかしなきゃいけないから

どうしても対応できないことだったら、もっと怖い

だから、「大丈夫」と言い聞かせて、自分をごまかす



災害時の正常性バイアスと同じ

そして、手遅れになってしまう


これは毎日、どこでも起こっている

自分自身にも起きているかも



しっかりと見て、考えて

向かい合って、存在を知る


まずはそこから

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2021年11月19日

泣くことについて




利用者や家族との面接は、大切な場面である


初めてのインテークから始まり

定期的なモニタリング面接も、状況に変化があった時の調整も

全て対人援助の基本である面接が重要になる


対人援助面接では、言葉に詰まったり泣いて訴えてくる人もいれば

反対に、怒りだす人もあり

それはそれで、バイステックの7原則でいう

意図的な感情表現の原則が達成できている、と逆に安心する





そんなこんなを生業にしてきた身なので

決定事項を伝えるような面接や叱責が必要な場面では

どうもうまく目的が達成できない



そもそも、総じて甘く見られやすい


地顔が笑い顔で小柄であることも関係しているのかとも思うけれど


今日の午前のスタッフ面接では

強く反省と改善を促す事が主旨だったにもかかわらず

1人目には悩み相談会になって泣き出され

2人目に至っては、ここで?と言う場面で泣かれてしまった



こう言うのが、実は、一番困る


面接技術がどうだとか、醸し出す雰囲気が云々ではなく

泣いたら、これ以上厳しく言われないという経験値とか

計算する以前に身につけている本能的な部分を感じるから

困惑を通り過ぎて呆れてしまう





泣いていい

理由がどうであれ、泣くことも怒ることも自由だから

泣くことで相手からの圧力をかわすことができたり

自分の心を守っているのなら

それは必要なことなのだから


けれど


大人として社会人として働く職場での「泣き」がもたらす影響は

マイナス評価につながる事を、きちんと理解しておいてほしい


今、この場から逃れられても

逃げたら、また、何かが必ず追いかけてくる

「泣くこと」で逃れるのは、その場しのぎでしかない

そもそも、これからどうしていくのかも、自分の言葉で語っていない



午後からはカンファレンスが一つあった

カンファレンスの後、流れで今の悩みについて話していたところ

元総務で人事もやっていたと言う利用者さんが教えてくれた

「人事は難しいで。厳しくせなあかんし、優しくもせなあかん」

「あんたは、わしから見たらきちんと言える人やから、大丈夫や」


あああ、ありがとう

泣きはしないけど、心は嬉し涙

この「泣き」は、前を向くための、がんばろうと思える「泣き」



「泣くこと」を拒否するのではなく

「泣いても頑張れること」が重要だから


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2021年11月18日

不本意な配置転換





もうすぐ、年度変わりを迎える

次年度の目標と計画を提出して、新しい年度を迎える準備中である



そして、年度変わりには異動が伴う



やっと環境に慣れたのに、と言うため息が聞こえてきそうだが

これも長い目で見ての結論と言われれば

サラリーマンに拒否権は、ほぼ、ない



配置転換するのが良いのかどうか

一人一人、すごく迷う



ここまで育ててから次に進めよう、といつも思うが

現場は動き続けており、そうもいかない



この状態で投入して、どう育つのか、または化けるか

不本意な配置転換だとして「辞める」と言い出すのではないかとか


実は内心、不安だらけなのである




ケアマネジャーとしての業務では

はっきりと注意するし、厳しいことも言える


今日も、手順を無視した訪問看護は、早々に引き上げていただいた

「次に調整を依頼されても、知りませんよ」との捨て台詞にも

「結構です。引き上げてください」と言い切った

自分の使命は、利用者利益

だから、普段の自分には言えない厳しさも口にできる



けれど、人を育てる現場では

なかなかうまく、方向性が見えてこない



迷うし、悩むし、決めては変えて、また迷う


最後は、相手の力を信じるしかない


ここはもういいや、と見限られたらそこまで

不本意だけど、やってみるかと思える力があれば

前に進む事ができる



前に進めれば、続けることができる力があれば

自分の居場所は自ずと決まる



不本意な配置転換かもしれないけれど

次の活躍を期待しているよ

実はここが踏ん張りどころ


がんばれますように

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2021年11月17日

フリーフライト






前職場の後輩と、久しぶりにゆっくり話した


久しぶりに会う彼は、変わらぬ笑顔だが

かなり疲れているように見えた


前職場なので、状況はよくわかる


上司とうまくいっていないのもわかるし

真面目にやっているだけに、ストレスがたまっているようだった

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5〜6年前の自分とよく似ている

仕事は好きだし、利用者さんには愛着がある

同僚だけでなく、在宅チームのメンバー達にも恵まれて

仕事中は、やりがいも感じていた


けれど


直属の上司と反りが合わず

自分から異動願いを出して、環境を変えた経緯がある




「職場に行くのが嫌になるんです」と聞いて

あの頃の自分を思い出す


職場に着くのが嫌で

朝から遠回りして、カフェに入っていた私



あの頃は

自分は鳥籠の中にいて、足は繋がれている、と思っていた

あと少し

あともう少し

せめて、子供が卒業するまでは我慢しようと言い聞かせていた


けれど、あの時にはもう

切られたと思っていた風切羽根は生えそろっていたし

鳥籠には鍵もかけられていなかった



足をつなぐ紐は簡単に引きちぎれたし

いつでも自由に飛び立てる状態だった

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怖かったのは自分自身

外の世界に、一人で行くのが怖くて

出られないと思い込んでいた



今は

たくさんある鳥籠や壷巣、木の枝などを遠目に見ながら

自分で決めたテリトリーの中を

好きなように飛び回っている



もちろん、怖い事だってあるし

自分の責任で生きていくと決めなければいけないけれど

好きなように飛び回り

自由に管理できる毎日は、何ものにも変え難い



ずっと望んでいた「フリーフライト」環境にいる今

行き詰まっている後輩に伝えたい



鍵はかかっていないよ?

翔んでみたら?



自由は本当に気持ちいいよ


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2021年11月16日

問題行動は誰の問題か

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介護技術が優れている介護士でも

認知症ケアが、うまくいかないと言う人もいる


移乗や移動介助、おむつ交換や体位交換などの介護技術は

回を重ねれば上達していくものだが

認知症ケアの基本である対人援助は

漠然と数だけを重ねても、できるものではない



「お腹がすいた」と言う言葉

認知症の利用者さんの場合では、言葉通りのニーズではない事もある



判断力の低下や見当識障害、あるいは物忘れや記憶障害のために

適切な言葉が見つからず、違う言葉を選んでしまうこともある


本当の思いは

「一人は嫌だからそばにいて欲しい」とか

「私の話を聞いて欲しい、私の方を見て欲しい」であったとしても

「お腹がすいた」や「家に帰りたい」と言う言葉で

 表現されることもある



介護では

言葉の裏側にある意味を考えないと、真のニーズは見つけられない



忘れてしまう不安や、混沌と整理できない思考のため

こちらが思う以上に、認知症の方の不安は大きい


大切なことは、行動、心理症状の悪化を

「問題行動」ととらえないこと



問題行動を引き起こしているのは、実は支援者や周辺にいる人達で

本人にとっては

「正解を見つけ出すための、自分なりの創意工夫」かもしれない



どんなに汚しても、どんなに介護の手間がかかろうと

本人や家族が笑顔で過ごせているのであれば

それは問題行動ではない

そもそも問題ですらない




「ニンチ」と言う蔑称と「問題行動」と呼ぶ奢り


私たち自身の間違いを

繰り返してはならないと思う


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2021年11月15日

ECTに思うこと







ECTとは精神科電気けいれん療法のことで、1938年から行われている

専門療法の一つである


あまり馴染みがなかったし、「電気」と聞いただけで、

なんだか怖いと思っていた



初めてこの効果を実感したのは、昨年の春にコロナ禍で精神症状が

悪化した利用者さんを担当した時だった



日に日に状態は悪化するし、総合病院から紹介された精神科病院は

夫が拒否して四面楚歌の状態

そのうちに食事も取れなくなってしまった





精神科で働く家族に勧められ、ECT を行なっている病院に入院した


結果


認定調査時に全裸になった要介護5の利用者さんは、要介護1となり

今では穏やかに生活され、介護保険を卒業した

今まで、介護保険を卒業した人は初めてである


そして、今日

利用者さんが一人、無事退院して帰ってこられた

要介護4で、自傷がひどく意思の疎通ができない状態での入院だったが

ゆっくりだが、しっかり会話ができて

車椅子固定だった状態が、馬蹄式歩行器で自力歩行できている


本当に、すごい


もう、驚きしかない




認知症も精神疾患も

どんなにしても治らないと、どこかで思い込んでいた

けれど、こんなに明らかに状態が改善しているのを見せられると

驚きと喜びと反省でいっぱいである





知らないと言うことは

本当に罪なのである


もちろん副作用もある

「私、何にも覚えていないのよ」と利用者さんは言う

「恥ずかしいことに、夫が死んだことも、覚えていないの」と

約2年間分の記憶が抜け落ちている


それでも


片時も目が離せなかった状態から

みんなの中で談笑して、ケーキが食べられるまでに回復した現状

これは衝撃的な事実である



これからも内服と受診は続くけれど

涙声でお礼を言う家族の声が、全てを語る



人はまだまだ

可能性に満ちている

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2021年11月14日

長年、お疲れさまでした






今日は朝から久しぶりの法事があった


遷仏法要という、仏壇終いである



三男末っ子、家つき息子と一緒になったので、

結婚当初からわからないことばかり

見よう見まねで過ぎた28年である



毎日の仏花に、年2回の仏事とお墓参り、

法事の時には、集まる親戚のもてなしとお餅つき


するのが当然、当たり前のことだと思い


子どもたちにとっても、仏事があるのは普通のことだった





でも


ようやく決めて、実行に移した




夫の兄弟姉妹には子どもがいない

義兄が亡くなり、義姉たちも高齢になってきた中で

このままの状態を続けていくことはできない

子どもたちには、担わせられない



いつもと変わらない法事の風景

和気あいあいの時間を過ごし、お寺さんが帰られた後

仏壇の前で、記念写真を撮った



結婚当初は、

なんでこんなややこしい事を毎回しなきゃいけないの、と

思ったこともあったけれど



親戚という縁ある人たちが集う場所があったということは

今となっては、大切な意味があったのだと思える



離れて住む子どもたちには、撮影した記念写真を送った

今日で仏壇終いだよ、と



LINEスタンプが送られてきた


「OKOK!2‍♀️」


これだけ






うん、これで、いい




少し寂しいのは、私だけ

長年、本当にお疲れ様でした

心から、ありがとう

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2021年11月13日

掃除と片付けの魔法







仕事が進まない


あれもこれもしないといけないのに

どこから手をつけたらいいのか分からず

右往左往しているイメージである







こんな時には、全てやめて片付けをすることにしている



机の中や事務所の中

自宅なら普段やらない場所の掃除など

片付けることに集中し、掃除する


そうすると、不思議と心が穏やかになり、次にやるべきことが

見えてきたりするのである





昔から、忙しい時ほど、掃除や片付けがしたくなった

忙しい時に、今しなくても良い机の中の掃除なんかを始めるので

これは無意識の逃避行動だと思っていた


でも、実は逃避ではなく、

無意識に正しい選択をしていたのかもしれない




頭の中をクリアにし

ひたすら片付けや何かを磨くことに集中すると

余計な思いや雑念は自然と消えていく



そうすると、今しなければいけないことが

優先順位も含めて浮かび上がってくるし

忙しい時には忘れてしまっていた大切な要件などが

認識できるようになる






どんなコンピューターやリマインダーよりも優秀で機能的、

私仕様の便利なものが、実はちゃんとついている



それを機能させるためには

頭の中をクリアに平静にして

身体を使った「片付け」が必要なのだと思う



「どうしたら良いか、私は知っている」と思えるし

「忘れていても、必ず気付く、助けられる」と自信が持てる



忙しくても、迷っても、自信がなくても大丈夫



頭をクリアにして、ただひたすら片付けたり掃除したり


この時間がある限り

きっと道は開ける



開けていくことを、私は知っている


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2021年11月12日

愛を持って、厳しく





12日間にわたる主任ケアマネ研修

今日は最終日で、担当講師だった





法定研修なのでカリキュラムが定められており

なかなか厳しい研修でもある


それでも、前向きに学ぶ受講生の姿にいつも元気をもらう


だから、講師はやめられない




















大抵の受講生は真面目で熱心なのだが

時折、注意が必要だったり、指導をしないといけない人にも出会う




午前中は、個人ワークの時間に全くやろうとしない人がいた



演台から見渡す受講生は、総数100人を超えていても、

他と違う動きは不思議と目立つ

なので、結果として見つけてしまうのである



午後からのワークでは、グループワークのラウンド中に

他の人の意見を全く聞こうとしない受講生を見つけてしまった

こちらもまた、目立つので、見えてしまう




















午前の受講生には、さりげなく近づき

状況確認をしてワークを進めるよう声をかけた

前のワークの時に、考えついて全て書き込んでいたのだが

研修なので、一緒に考えながら進もうねと伝えた



午後の受講生には、メンバーに状況を確認して

グループ全体の学びを止めてしまっていることを伝える


これから主任として支援者支援する立場の人間が

他の人の意見を聞かず、貴重な時間と学びの機会を奪うことは、

グループワークでは、してはいけないことだと説明した



研修講師の時には、常に笑顔で好かれる講師でありたいと願う


けれども、時には

厳しいことも、躊躇せずに伝える



学びの場では、みんな対等

そして、時間は有限なのである



学びを身につけるかどうかは、自分次第

共に学ぶ全ての人にも、同じように収穫を得て欲しい



だからやはり、厳しく伝える時もある



これから、地域を支える人だから


支援者支援をする人たちだから


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2021年11月11日

死ぬまで生きる





どんなに忙しくても絶対参加すると決めた研修があった


医師会主催のACP研修

ギリギリ間に合ってオンラインで受講できた




緩和ケア医である講師が自分自身のがん闘病と現状と課題を

実体験から話してくれる時間で

学び多い、深い研修だった



何年も前に、「ピンピンころりって、ほんまにできる?」という

在宅死をテーマにした劇にも出演された先生で、

がん闘病中であると知ったのは、テレビ放送からだった



お母様である在宅医の先生の講義を何度も受けていたこともあり

衝撃的な出来事だった


今日の講義では、先生の口調は少しおぼつかなくて

それでも緩和ケア医だからこそ話せる内容を、非常にわかりやすく

理解しやすく話していただけた事が、本当に有り難かった



必ず皆に訪れるその時まで

大切な人と大切な時間を生ききろうと準備をされている姿は

あらためて「今生きている事」の価値を考えさせられた



いま、やりたいこと

しなければいけないと思っていること


私が同じ立場になったとしたら

何をするのだろうか


そう思うと、今の自分の暮らしも生き方も、背筋が伸びる思いがする



けれど、皆、同じなのである



私は今、自分の人生を生きているだろうか

明日、余命宣告をされても

受け止められるのだろうか



大切に、生きていこうと思う





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