2013年01月07日
「株式会社ムサシ」と民主代表選をつなぐ点と線
植草一秀の『知られざる真実』より
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-ebe8.html
引用
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2010年9月14日に行われた民主党代表選。
民主党政権下で代表職が任期満了を迎えたことにより代表選が実施された。
正規の代表選で、党員・サポーター投票を実施する大がかりな選挙となった。
代表選には菅直人代表と小沢一郎元代表が出馬した。
この年の6月2日。
鳩山由紀夫首相は普天間問題の処理に対する批判が高まったことを受けて内閣総辞職を表明した。
この間隙を縫って菅直人氏がクーデターを挙行して政権を実質的に強奪した。
「政権の転覆」である。
背後で糸を引いたのはもちろん米国である。
米国はすでに2月の時点で、鳩山政権せん滅の方針を決めていた。
2月3日に米国国務次官補カート・キャンベルがこの方針をソウルから米国に打電したことをウィキリークスが暴露した。
米国は日本政治の核を小沢−鳩山ラインから菅−岡田ラインに変更する方針を決定したのである。
米国傀儡(かいらい)の菅直人政権が発足したが、菅直人氏はスタートから大きく躓(つまづ)いた。
菅直人氏は首相職に長く留まることを目的に、財務省の軍門に下った。
6月17日の参院選マニフェスト発表会見で、突然消費税率10%への引上げを打ち出した。主権者国民を欺く背徳政治の本格始動だった。
そして7月11日の参院選を、「菅内閣に対する信任投票」と位置付けた。
参院選に勝利して国民の信を受けた正統政権の地位を確保しようとしたのである。
もちろん、その前提には参院選に勝利するとの浅はかな皮算用が置かれた。
「信任投票」との位置付けは、参院選に敗北すれば「不信任」評決ということになり、その瞬間に菅氏は首相職を辞さねばならないということであった。
果たして菅直人氏は7月11日の参院選に大敗した。
このとき私が創った替え歌が『菅敗』である。
2010年7月12日付記事
「『菅敗』−菅直人首相参院選完敗の歌−」
菅直人氏は当然辞職しなければならなかったが、「美学」を持たない菅直人氏は意地汚く総理の椅子にしがみついた。
その延長上に9月14日の代表選が実施された。
本来は小沢一郎氏が圧勝する選挙だった。
ところがこの選挙で巨大な不正が行われた可能性がある。
その不正疑惑の柱は次の三つだ。
1.メディアが激しい小沢一郎氏攻撃を展開したこと
2.9月14日の検察審査会情報が悪用されたこと
3.党員・サポーター投票が改竄されたこと
である。
この間の経緯は拙著『日本の独立』(飛鳥新社)
第28章「菅直人対小沢一郎全面戦争」
をご高覧賜りたい。
党員・サポーター票の発表数値は次のものだ。
小沢一郎氏 90194票= 51ポイント
菅直人氏 137998票=249ポイント
党員・サポーター有権者数は 342,493人だったが、
有効投票数は 229,030票
なんと、 113,463票
が棄権票になった。
疑惑は、大量の小沢一郎氏票が廃棄されたというものである。
ちなみに、2012年9月21日に実施された民主党代表選での党員・サポーター投票の発表数値は次のものだった。
党員・サポーター有権者数は 326,974人であった。
有効投票数は 107,075票
棄権または無効投票が 219,899票
であった。
野田佳彦氏が獲得したのは 70,265票
にすぎなかった。
2010年選挙での小沢氏獲得票と棄権票の合計203,657票と
2012年選挙での棄権または無効投票219,899票が重なって見える。
2010年代表選での不正疑惑の重要な根拠のひとつが、党員・サポーター票投票用紙にプライバシー・シールが使用されなかったことにある。
プライバシー・シールを貼ったままの状態で衆人環視の開票所に投票用紙を搬入し、衆人環視のものとで手作業で開票を行ったのなら、不正が入り込む余地は低くなる。
ところが、このときの選挙では投票用紙にプライバシー・シールが用いられなかった。
しかも、9月14日の開票日に開票所で開票が行われたのではなく、事前に別の場所で開票、集計が行われ、その手続きを終えた投票用紙が東京港区の開票所であるホテルに持ち込まれたのだ。
ここからが本題。
この投開票に「株式会社ムサシ」が関わっていなかったのか。
ネット上ではすでに、この問題が取り上げられている。
2010年民主党代表選の党員・サポーター票集計における疑惑とは次のものだ。
投票はがきにはプライバシー・シールが用いられていなかった。
つまり、誰に投票したかが公然のむき出しの状態で郵送された。
これを集計する際に、小沢一郎氏票だけを選別して廃棄することは極めて容易であった。
しかも、投票はがきは、全国300の選挙区ごとに分類、整理されて東京の開票所に搬入された。
2010年選挙における党員・サポーター投票はポイント制で、300の選挙区ごとに、一票でも得票の多かった候補者が1ポイントを得る仕組みで実施された。
その結果、菅直人氏249ポイント、小沢一郎氏51ポイントの大差がついた。
これを事前の分類作業の段階で「工作」することは、極めて容易である。
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http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-ebe8.html
引用
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2010年9月14日に行われた民主党代表選。
民主党政権下で代表職が任期満了を迎えたことにより代表選が実施された。
正規の代表選で、党員・サポーター投票を実施する大がかりな選挙となった。
代表選には菅直人代表と小沢一郎元代表が出馬した。
この年の6月2日。
鳩山由紀夫首相は普天間問題の処理に対する批判が高まったことを受けて内閣総辞職を表明した。
この間隙を縫って菅直人氏がクーデターを挙行して政権を実質的に強奪した。
「政権の転覆」である。
背後で糸を引いたのはもちろん米国である。
米国はすでに2月の時点で、鳩山政権せん滅の方針を決めていた。
2月3日に米国国務次官補カート・キャンベルがこの方針をソウルから米国に打電したことをウィキリークスが暴露した。
米国は日本政治の核を小沢−鳩山ラインから菅−岡田ラインに変更する方針を決定したのである。
米国傀儡(かいらい)の菅直人政権が発足したが、菅直人氏はスタートから大きく躓(つまづ)いた。
菅直人氏は首相職に長く留まることを目的に、財務省の軍門に下った。
6月17日の参院選マニフェスト発表会見で、突然消費税率10%への引上げを打ち出した。主権者国民を欺く背徳政治の本格始動だった。
そして7月11日の参院選を、「菅内閣に対する信任投票」と位置付けた。
参院選に勝利して国民の信を受けた正統政権の地位を確保しようとしたのである。
もちろん、その前提には参院選に勝利するとの浅はかな皮算用が置かれた。
「信任投票」との位置付けは、参院選に敗北すれば「不信任」評決ということになり、その瞬間に菅氏は首相職を辞さねばならないということであった。
果たして菅直人氏は7月11日の参院選に大敗した。
このとき私が創った替え歌が『菅敗』である。
2010年7月12日付記事
「『菅敗』−菅直人首相参院選完敗の歌−」
菅直人氏は当然辞職しなければならなかったが、「美学」を持たない菅直人氏は意地汚く総理の椅子にしがみついた。
その延長上に9月14日の代表選が実施された。
本来は小沢一郎氏が圧勝する選挙だった。
ところがこの選挙で巨大な不正が行われた可能性がある。
その不正疑惑の柱は次の三つだ。
1.メディアが激しい小沢一郎氏攻撃を展開したこと
2.9月14日の検察審査会情報が悪用されたこと
3.党員・サポーター投票が改竄されたこと
である。
この間の経緯は拙著『日本の独立』(飛鳥新社)
第28章「菅直人対小沢一郎全面戦争」
をご高覧賜りたい。
党員・サポーター票の発表数値は次のものだ。
小沢一郎氏 90194票= 51ポイント
菅直人氏 137998票=249ポイント
党員・サポーター有権者数は 342,493人だったが、
有効投票数は 229,030票
なんと、 113,463票
が棄権票になった。
疑惑は、大量の小沢一郎氏票が廃棄されたというものである。
ちなみに、2012年9月21日に実施された民主党代表選での党員・サポーター投票の発表数値は次のものだった。
党員・サポーター有権者数は 326,974人であった。
有効投票数は 107,075票
棄権または無効投票が 219,899票
であった。
野田佳彦氏が獲得したのは 70,265票
にすぎなかった。
2010年選挙での小沢氏獲得票と棄権票の合計203,657票と
2012年選挙での棄権または無効投票219,899票が重なって見える。
2010年代表選での不正疑惑の重要な根拠のひとつが、党員・サポーター票投票用紙にプライバシー・シールが使用されなかったことにある。
プライバシー・シールを貼ったままの状態で衆人環視の開票所に投票用紙を搬入し、衆人環視のものとで手作業で開票を行ったのなら、不正が入り込む余地は低くなる。
ところが、このときの選挙では投票用紙にプライバシー・シールが用いられなかった。
しかも、9月14日の開票日に開票所で開票が行われたのではなく、事前に別の場所で開票、集計が行われ、その手続きを終えた投票用紙が東京港区の開票所であるホテルに持ち込まれたのだ。
ここからが本題。
この投開票に「株式会社ムサシ」が関わっていなかったのか。
ネット上ではすでに、この問題が取り上げられている。
2010年民主党代表選の党員・サポーター票集計における疑惑とは次のものだ。
投票はがきにはプライバシー・シールが用いられていなかった。
つまり、誰に投票したかが公然のむき出しの状態で郵送された。
これを集計する際に、小沢一郎氏票だけを選別して廃棄することは極めて容易であった。
しかも、投票はがきは、全国300の選挙区ごとに分類、整理されて東京の開票所に搬入された。
2010年選挙における党員・サポーター投票はポイント制で、300の選挙区ごとに、一票でも得票の多かった候補者が1ポイントを得る仕組みで実施された。
その結果、菅直人氏249ポイント、小沢一郎氏51ポイントの大差がついた。
これを事前の分類作業の段階で「工作」することは、極めて容易である。
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