2018年02月18日
=大相撲が好きだった頃の力士達=
こんばんはぁ(@´∀`)从(´∀`@)
さてさて…今回は最近なんだか不自然なほど大相撲の問題が各メディアに取り立たされていますが、その件については、僕のブログで見解を記しましたけども以前…祖父の影響を受けて大相撲が大好きな時期が僕にもありました(*>ω<)
おそらく今から約30年ぐらい前になりますヾ(´∀`*)ノ
当時…僕は色々あって少しでも家に居なくてもいいようにするため、野球と少林寺拳法を掛け持ちで習っていましたヽ(・∀・)
その習い事の2箇所とも、僕が赤ん坊の頃から一緒に住んでいた祖父母宅の近くにありましたので、習い事がある日は(※ほぼ毎日です)祖父母宅でご飯を食べてました(^ー^* )
習い事が終わって祖父母の家に着くのが大体…17時頃でしたので、大相撲場所がある時はテレビ放送されている時間帯です!
昔、本人も相撲をしていたことからか…祖父は大相撲場所のある時は必ずテレビで大相撲を観ていました(゚∀゚)
祖父母の家での夕食は少し早めで、18時頃から食べ始めます(゚д゚)ウマ-
ですので…いつの間にかご飯が出来るまで、僕も祖父と一緒に相撲を観るようになりました(★´∀`)ノ
祖父が色々と詳しく技や決まり手、各力士の得意な取り組みの形など知識を語りながら観ているので、僕も段々と詳しくなってきてしまい…1年後ぐらいには祖父を上回る相撲の知識や決まり手技の名称、現役幕内力士の対戦成績や所属部屋まで覚えるほどハマってました(。・ω・。)ノ
その頃、最強だった力士は殆どの場所で東の正横綱だった千代の富士(九重部屋)です└|*゚∀゚|┐
鋼のような筋肉、立会いのスピード、相手のまわしを取る早さ、踏み込み強さ、まさに天下無双の横綱相撲といった取り口で向かうとこ敵無し状態でした(*^^)/
しかし僕がハマルぐらいですので、それだけではありません!!
もう一人の横綱・隆の里(二子山部屋)は、僕が相撲を観始めた頃に引退しましたので、あまり記憶にないのですが、この当時の大関達も素晴らしく強かったのです!!!
まず僕が最も好きな力士だった大関・北天佑(三保ヶ関部屋)→上手のまわしをガッチリ掴めば280kg以上の巨漢力士(小錦)も片手で投げ飛ばし、両握力100kgの怪力で、唯一その頃の力士で千代の富士とがっぷり四つに組んだら勝敗が見えないというほどのパワーを誇る名大関でした!
大関・若嶋津(二子山部屋)→土俵での睨み合いでは、恐ろしい形相で指をヒクヒク揺らしながら、相手を威嚇するのが特徴で、大関在位中に年間最多勝を挙げたほどの名大関でした!
大関・朝潮(高砂部屋)→特に得意な決まり手がなかったように思いますが、安定した相撲で当時は大関在位期間が歴代2位で、殊勲賞15回の獲得回数は未だに歴代1位という名大関でした!
大関・琴風(佐渡ヶ嶽部屋)→がぶり寄りという独特の形で勝ち続けた少し大きめの体格だった力士!大関在位中の勝率が歴代大関の中では最も高く愛嬌もあった名大関でした!
以上の大関さん達が現役の時は何故に強豪揃いかと言いますと、その下の位である関脇・小結には→後に大関となる霧島(井筒部屋・ヘラクレスのような肉体美を誇る力士)、小錦(高砂部屋・歴代最重量の285kgを誇る巨漢力士)や他にも、後に横綱になる北尾(後の双羽黒・立浪部屋)、保志(後の北勝海・九重部屋)、旭富士(大島部屋)、大乃国(放駒部屋)などが居たからですo(*'▽'*)/
おまけに、前頭にも人気の高かった逆鉾&寺尾兄弟(井筒部屋)、前褌を掴めば無敵の出羽の花(出羽海部屋)、小手投げ名人の服部(後の藤ノ川・伊勢ノ海部屋)、1場所で2横綱2大関を倒し人気を博した益荒雄(押尾川部屋)など、一世を風靡した数多くの実力者達が揃っていました♪
この頃に上の位まで昇り続けるのは至難であると言わざるをえないほど個性的な強者揃いでしたが、それゆえに…観てて非常に面白かったんですヾ(´・ω・)ノ
もし…そのような大相撲に戻れば…また観たいなぁと思いました(^-^)
=END=
さてさて…今回は最近なんだか不自然なほど大相撲の問題が各メディアに取り立たされていますが、その件については、僕のブログで見解を記しましたけども以前…祖父の影響を受けて大相撲が大好きな時期が僕にもありました(*>ω<)
おそらく今から約30年ぐらい前になりますヾ(´∀`*)ノ
当時…僕は色々あって少しでも家に居なくてもいいようにするため、野球と少林寺拳法を掛け持ちで習っていましたヽ(・∀・)
その習い事の2箇所とも、僕が赤ん坊の頃から一緒に住んでいた祖父母宅の近くにありましたので、習い事がある日は(※ほぼ毎日です)祖父母宅でご飯を食べてました(^ー^* )
習い事が終わって祖父母の家に着くのが大体…17時頃でしたので、大相撲場所がある時はテレビ放送されている時間帯です!
昔、本人も相撲をしていたことからか…祖父は大相撲場所のある時は必ずテレビで大相撲を観ていました(゚∀゚)
祖父母の家での夕食は少し早めで、18時頃から食べ始めます(゚д゚)ウマ-
ですので…いつの間にかご飯が出来るまで、僕も祖父と一緒に相撲を観るようになりました(★´∀`)ノ
祖父が色々と詳しく技や決まり手、各力士の得意な取り組みの形など知識を語りながら観ているので、僕も段々と詳しくなってきてしまい…1年後ぐらいには祖父を上回る相撲の知識や決まり手技の名称、現役幕内力士の対戦成績や所属部屋まで覚えるほどハマってました(。・ω・。)ノ
その頃、最強だった力士は殆どの場所で東の正横綱だった千代の富士(九重部屋)です└|*゚∀゚|┐
鋼のような筋肉、立会いのスピード、相手のまわしを取る早さ、踏み込み強さ、まさに天下無双の横綱相撲といった取り口で向かうとこ敵無し状態でした(*^^)/
しかし僕がハマルぐらいですので、それだけではありません!!
もう一人の横綱・隆の里(二子山部屋)は、僕が相撲を観始めた頃に引退しましたので、あまり記憶にないのですが、この当時の大関達も素晴らしく強かったのです!!!
まず僕が最も好きな力士だった大関・北天佑(三保ヶ関部屋)→上手のまわしをガッチリ掴めば280kg以上の巨漢力士(小錦)も片手で投げ飛ばし、両握力100kgの怪力で、唯一その頃の力士で千代の富士とがっぷり四つに組んだら勝敗が見えないというほどのパワーを誇る名大関でした!
大関・若嶋津(二子山部屋)→土俵での睨み合いでは、恐ろしい形相で指をヒクヒク揺らしながら、相手を威嚇するのが特徴で、大関在位中に年間最多勝を挙げたほどの名大関でした!
大関・朝潮(高砂部屋)→特に得意な決まり手がなかったように思いますが、安定した相撲で当時は大関在位期間が歴代2位で、殊勲賞15回の獲得回数は未だに歴代1位という名大関でした!
大関・琴風(佐渡ヶ嶽部屋)→がぶり寄りという独特の形で勝ち続けた少し大きめの体格だった力士!大関在位中の勝率が歴代大関の中では最も高く愛嬌もあった名大関でした!
以上の大関さん達が現役の時は何故に強豪揃いかと言いますと、その下の位である関脇・小結には→後に大関となる霧島(井筒部屋・ヘラクレスのような肉体美を誇る力士)、小錦(高砂部屋・歴代最重量の285kgを誇る巨漢力士)や他にも、後に横綱になる北尾(後の双羽黒・立浪部屋)、保志(後の北勝海・九重部屋)、旭富士(大島部屋)、大乃国(放駒部屋)などが居たからですo(*'▽'*)/
おまけに、前頭にも人気の高かった逆鉾&寺尾兄弟(井筒部屋)、前褌を掴めば無敵の出羽の花(出羽海部屋)、小手投げ名人の服部(後の藤ノ川・伊勢ノ海部屋)、1場所で2横綱2大関を倒し人気を博した益荒雄(押尾川部屋)など、一世を風靡した数多くの実力者達が揃っていました♪
この頃に上の位まで昇り続けるのは至難であると言わざるをえないほど個性的な強者揃いでしたが、それゆえに…観てて非常に面白かったんですヾ(´・ω・)ノ
もし…そのような大相撲に戻れば…また観たいなぁと思いました(^-^)
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タグ:名大関
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