2012年03月11日
あの悪夢から1年
ちょうど一年前のこの日、僕もみんなもパニックでしたね。東日本大震災。
何もかもが「冗談だろ」って疑いたくなるような一日で、被災者やその関係するすべての方々には、何と言葉を掛けるのが適切かは分かりませんが、とにかくみんなで復興していこうということを言いたいです。
僕自身も何か役に立てることができないかと考えていますが、今の僕では大きなことはできないので、小さなことからコツコツと東北地方に役立つことをしていきたいですね。
例えば、
・東北産の食料品を率先して買う。
・東北地方に旅行に行く。
・東北のことをサイトでとりあげ紹介する。
などなど。
今日昼間の番組でやっていたのですが、被災した街を元のレベルに戻すだけでも10年弱は掛かると専門家の方が言っていました。
どういう計算か知りませんが、ただでさえ被災者は苦しい思いをしているのに、さらに10年もつらい思いをさせるのは、同じ日本人として我慢できないので、こういった僕の微力がみなさんの大きな力と合わさってお役に立てればなあと思います。
一年前のこの日、当然のようにハイヤーマンとして働いていました。
東京でお仕事をされている方はご存知でしょうが、交通機関は完全にフリーズしていて、夕方頃にインターネットの道路交通情報で23区内の道路状況を調べたら、全ての一般道が真っ赤(渋滞中)な表示でした。
誇張でも何でもなく、赤くないところが全くない道路状況で、あんな画面は十数年やってきて初めて見ましたね。
その日の夜、たしか21:00頃だったと思いますが、港区の某ホテルにお客様をお迎えに行き、ご自宅までお送りする仕事がありました。
僕はそのお客様に「ご自宅に着く時間がいつになるか分からないくらい混んでいる。」旨をお伝えし、そのままこちらのホテルにご宿泊をとお薦めしたのですが、その方はどうしても帰らなければならない理由があったのでハイヤーで帰ることになりました。
そしていざ出発
ところが・・・
全然動かない・・・
どんだけ混んでるんだ・・・
今どこだ・・・
やっと品川駅か・・・
どれだけ経った・・・
6時間か・・・
6時間・・・
まだ5,6kmしか走ってないけど・・・
と、こんな具合で、日が変わってもしばらく混んでたんじゃなかったかな
その後は、東北地方の悲惨な状況が徐々に伝わってきたり、僕達ハイヤー会社の生命線のガソリンが買えなくなるってことだったので、周りのご協力を得ながらなんとか燃料確保して、そしてボランティアで車を出して東北地方まで行って炊き出しやなんかをお手伝いさせて頂きましたね。
地震直後に初めて現地を訪れた時は、街全体がゴミ箱の中と言っても過言でないくらい瓦礫が散乱していて、「こりゃ、住めないな」と言うのが率直な感想だったことを覚えています。
あれからもう1年が経ちましたね。早いものですね。
原発問題を始め、問題は山ほどあるでしょうが、情報番組を観る限りでは復興に向けてみんなの協力で力強く進んでいると思いますので、10年なんて言わずにもっと早い期間で元の状態に戻れることと思っています。
だから、先にも書いたように、東京にいながらでも協力できることを率先してやるし、時間が見つかればまた東北地方へボランティアで行きたいな。
頑張れ東北頑張れニッポン
何もかもが「冗談だろ」って疑いたくなるような一日で、被災者やその関係するすべての方々には、何と言葉を掛けるのが適切かは分かりませんが、とにかくみんなで復興していこうということを言いたいです。
僕自身も何か役に立てることができないかと考えていますが、今の僕では大きなことはできないので、小さなことからコツコツと東北地方に役立つことをしていきたいですね。
例えば、
・東北産の食料品を率先して買う。
・東北地方に旅行に行く。
・東北のことをサイトでとりあげ紹介する。
などなど。
今日昼間の番組でやっていたのですが、被災した街を元のレベルに戻すだけでも10年弱は掛かると専門家の方が言っていました。
どういう計算か知りませんが、ただでさえ被災者は苦しい思いをしているのに、さらに10年もつらい思いをさせるのは、同じ日本人として我慢できないので、こういった僕の微力がみなさんの大きな力と合わさってお役に立てればなあと思います。
一年前のこの日、当然のようにハイヤーマンとして働いていました。
東京でお仕事をされている方はご存知でしょうが、交通機関は完全にフリーズしていて、夕方頃にインターネットの道路交通情報で23区内の道路状況を調べたら、全ての一般道が真っ赤(渋滞中)な表示でした。
誇張でも何でもなく、赤くないところが全くない道路状況で、あんな画面は十数年やってきて初めて見ましたね。
その日の夜、たしか21:00頃だったと思いますが、港区の某ホテルにお客様をお迎えに行き、ご自宅までお送りする仕事がありました。
僕はそのお客様に「ご自宅に着く時間がいつになるか分からないくらい混んでいる。」旨をお伝えし、そのままこちらのホテルにご宿泊をとお薦めしたのですが、その方はどうしても帰らなければならない理由があったのでハイヤーで帰ることになりました。
そしていざ出発
ところが・・・
全然動かない・・・
どんだけ混んでるんだ・・・
今どこだ・・・
やっと品川駅か・・・
どれだけ経った・・・
6時間か・・・
6時間・・・
まだ5,6kmしか走ってないけど・・・
と、こんな具合で、日が変わってもしばらく混んでたんじゃなかったかな
その後は、東北地方の悲惨な状況が徐々に伝わってきたり、僕達ハイヤー会社の生命線のガソリンが買えなくなるってことだったので、周りのご協力を得ながらなんとか燃料確保して、そしてボランティアで車を出して東北地方まで行って炊き出しやなんかをお手伝いさせて頂きましたね。
地震直後に初めて現地を訪れた時は、街全体がゴミ箱の中と言っても過言でないくらい瓦礫が散乱していて、「こりゃ、住めないな」と言うのが率直な感想だったことを覚えています。
あれからもう1年が経ちましたね。早いものですね。
原発問題を始め、問題は山ほどあるでしょうが、情報番組を観る限りでは復興に向けてみんなの協力で力強く進んでいると思いますので、10年なんて言わずにもっと早い期間で元の状態に戻れることと思っています。
だから、先にも書いたように、東京にいながらでも協力できることを率先してやるし、時間が見つかればまた東北地方へボランティアで行きたいな。
頑張れ東北頑張れニッポン
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