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2012年03月02日

「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」感想

猿の惑星:創世記(ジェネシス) 2枚組ブルーレイ&DVD&デジタルコピー(ブルーレイケース)〔初回生産限定〕 [Blu-ray]




<あらすじ>
父のアルツハイマー型認知症を治そうと薬物研究者のウィル・ロッドマンはそのための新薬を開発、実験台としてそれをある雌猿に投与したが、実験は失敗し、雌猿は凶暴化した末に死亡。
その後、ウィルはその雌猿が死ぬ前に産んだ仔猿を引き取りシーザーと名付けて育てる事にした。
シーザーは成長するにつれ驚異的な知性を発揮していくが、ある日、隣人とトラブルを起こしたウィルの父を守ろうとしたシーザーは隣人を襲ってしまい、それが原因でランドン親子が経営する霊長類保護施設に送られてしまう。
だが、シーザーはそこにいる普通の猿達とは馴染めず、しかも横暴なランドン親子の度重なる虐待を受け、人間そのものに対して深い失望感と憎悪を抱くようになる。
やがて密かに施設を脱走したシーザーはウィルの家からその薬を大量に盗み出し、それを施設中の猿に与えた。
そしてシーザーは同じく高い知性を得た他の猿達を率いて革命を起こす。

(ウィキペディアより)

観終わったときの感想としては、

「あ、ここで終わっちゃうんだ」

でした。

映画は、チンパンジーが知能を持ち、人間に対して反乱(?)を起こすまでです。
どのようにして人間が猿の支配下におかれるようになったか、という具体的な話までは描かれていないです。
まあ、ラスト最後に、「ああ、これが原因で人間が絶滅の危機に追い込まれて、逆にチンパンジーが知能を持ったんだな〜」というのが分かる場面が、ちらっと出ますが。

猿の惑星ファンには嬉しい小ネタ(?)があちこちに散りばめられているようです。
そういえば私、猿の惑星、リメイク版しか見たことなかったや…。

個人的にとても気になったのが、霊長類保護施設のいじめっこ飼育員。
予告CMを観たときから、何故かこの飼育員が気になって気になって。
なんでしょう、悪役をやるべきじゃない人が悪役をやっているような、大変不思議な違和感だったのです。
雰囲気的に、海外ドラマ「LOST」のチャーリーのようなそんなイメージだったし。

なので、てっきり、何かの映画で、キャラクターが立っているおいしい役でもやっていたのかな〜と思っていたのですが、その謎が解けました。

このDVDを一緒に見ていた家族が言ったのです。

「あれ?これ、ハリーポッターのいじっめこ?」

それだーーーーっ!!


ドラコ・マルフォイ役の子だ!
髪の色が違ってるし、成長してるから全然わかんなかった!!

昔のかわいらしい面影はいずこへ?って感じの年の取り方をしちゃってるけど、なんかかっこいいんだよな、この役者さん。

トム・フェルトン、という役者さんだそうです。

ネット検索してみると、インタビューがいくつかひっかかって、読んでみたのですがなかなかしっかりしてる印象でした。

http://news.walkerplus.com/2011/0723/10/

しかし、自分で「楽屋では良い奴なのに」と言うあたりはすごい(笑)

ただ、この役者さんの「いい奴」キャラも見たい気がするなあ。

「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」でもイヤな奴キャラをやっているのですが、なんか半端なんです。
ただのイヤな奴。ふつーにイヤな奴(笑)。
ドラコ・マルフォイもそうだったけど、「環境が違えばこの人は良い奴になりそうだな」って匂いのするキャラなんです。
根っからの悪人気質じゃないというか。
だから、何だか同情したくなるというか、応援したくなるというか、幸せになって欲しいな、と思ってしまうというか。
嫌な奴だけど、だからといって、とてつもなく不幸になって欲しいとは思わない。
なんなんだろうな〜、誰もが持つ「嫌な奴」を具現化しているよう、というか。
赦されることではもちろんないのだけど、でも、改心の機会を与えることなく「あいつは悪だ」と決めつけてしまうとなると、きっと世界の大半の人が悪になってしまって、地獄に落ちなきゃならなくなるんじゃないだろうか。

なので、悪役もいいのですが、「ふつーのキャラ」「いい奴キャラ」も見てみたいです。
人間臭い役が見てみたいなあ。

猿の惑星と全然関係なくてすみません。

えーと、「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」ですが…。

つまらなくはなかったですが、これといって心が揺さぶられたシーンはなかったです。すいません。
「NO!」のとことか、父親がアルツハイマーの治療薬を最後は拒否したところとかかなあ。

「知性」って、大脳の発達のことなのかなと思うのですが、知性が発達したチンパンジーやゴリラやヒヒ達の未来を考えると、ちょっと複雑だったです。

人間は、大脳を進化させることによって生き延びることが出来たけど、それによってどこか、不自然さが生じてしまったんじゃないかと思う。
大脳が進化したがために、その分、苦しみも大きくなった気がするから。
生きる意味がないと生きられないほど、人間は弱くなってしまった。
他の動物たちは、生きる意味なんて考えるんだろうか。自分の存在の重要さなんて考えるんだろうか。
そんなものがなくても、強く生きていくんじゃないだろうか。

「自己の存在意義を考える」とか「生きる意味を考える」とか、いかにも崇高で聡明で、深みがあるような感じがするけど、本当はそんなものは大脳のまやかしで、結局のところ、他の動物と大差ないかもしれないし、ひょっとすると退化してる可能性だってあるかもしれない。

あり得ないとは思うけど、「自己の存在意義を考える」とか「生きる意味を考える」とか、そんなものは生物はとっくに超越しているかもしれなくて、人間だけがそれを超越できずに足掻いているのかもしれないじゃないか。

人間と同程度の知能を持った生物の行く末は、知れているじゃないか。
人間の歴史を辿るだけじゃないか。

知能を持ってしまったがために、シーザーは人間にもなれず、野生にもきっと帰れない。
ラストで、シーザーが上へ、上へと木を駆け上っていく様は、希望に満ちているようで、それでいながら悲しい。

彼らもまた、人間と同じになってしまった。
「罪」を知る者、「罪」を負う者になってしまった。
高い高い木から、大地を見下すとき、やがて彼は知るだろう。
手に入れようとすればするほど、何一つ手に入らないことを。
大地を支配しようとすると、大地はするりとあなたの手から離れていく。

ようこそ、シーザー、喜びの何倍も苦しみの多い人間の世界へ。
希望溢れる、絶望の世界へようこそ。
あなたはもう、自然には帰れない。
あなたの家は、自然ではなくなってしまった。「社会」があなたの家なのだ。

なーんてことを、思ったり思わなかったり。

マークじいちゃんの「不思議な少年」を読んだがために、人間の知性ってやつが信じられなくなってしまったわい。
「不思議な少年」に関しては、またいつか感想を載せたいと思ってます。


余談ですが、グーグルやヤフーで「トム・フェルトン」と検索をかけると、「トム・フェルトン 劣化」というワードが出てくるのがなんだか笑えます(笑)。



2012年03月01日

いつの間にかR−1ヨーグルトがお店からなくなっていた

突然ですが、私は乳製品がけっこう好きです。

子供のころは、よく牛乳を飲んでいました。
牛乳の匂いはダメだったので、ストローをさして飲んでました。

チーズも好きです。といっても、本場チーズは食べたことないのでビミョーですけど。

ヨーグルトも好きです。

スーパーに行くと、時々乳製品売り場をうろうろして、ヨーグルトだのチーズだのを見ています。

で、いつだったか、テレビ番組で、ヨーグルトといっても使用されている乳酸菌は色々あるので、自分の体に合ったものを探し出して食べるのがベスト、とやっていたのですね。

まあ、確かに、ヨーグルトコーナーに行っても、パッケージに色々な乳酸菌の名前が書かれてます。
どれがどう違うのか、さっぱり分からんけども。

で、スーパーに行った私は、ちょうど新発売したらしい明治のR−1ヨーグルト(ハードタイプ)が気になって購入したのです。
あれはパッケージにインパクトあるよなあ。
青メインのヨーグルトパッケージの中で、食欲そそる赤だもの。

で、そのR−1ヨーグルト、食べてみたらなかなかおいしかったのです。
ちょうどそのとき食べたいヨーグルトが、加糖された酸味の少ないヨーグルトだったので、ドンピシャでした。
酸味が気にならないし、甘さもよい感じ。

これはなかなかいいぞ〜、と思いながらも、でも1つ100円超えはキツイなあ、と、4パック98円の安いやつに揺れ動いたり、大容量のパックに揺れ動いたり、加糖されていない酸味のあるプレーンヨーグルトが食べたい気分だったり、いやむしろ飲むヨーグルトな気分だったり、バニラヨーグルトを食べてみたり、ブルーベリーなどフルーツ入りが良かったりと、まあ、色々浮気していたのです。

それでもその間に、おいしかったのでR−1ヨーグルトを買ったのですが、そのとき在庫数がえらく少なくなってまして、前はもっとスペースとって陳列されていたはずなのに、ぽつんと1〜2個が置かれていただけ。
「あれ?これ、人気ないのかな??」
と思いましたが、気にせず買っていきました。

その後も、色々なヨーグルトに目移りしてましたので、全く気にしてなかったのですが。

先日、髪を切りに美容院に行きまして、そこに置いてある雑誌を読んでいましたらば。

R−1ヨーグルトがインフルエンザ対策に良い、と報道されたらしく、売り切れ店続出とのこと。
生産もなかなか追いつかず、品薄状態が続いているそうです。

なるほど、あの在庫量の少なさはそのせいか!と納得しましたですよ。

http://www.yogurt-forum.jp/academy/report_1073r1_03.html

試験結果を見ると、乳酸菌によりNK細胞を活性化させて免疫力を上げるみたいですね。
インフルエンザにダイレクトに効く、というよりは、体の底力をアップさせて、ウィルスや細菌から体を守ろう、な感じのようです。

そう考えると、R−1乳酸菌にこだわらなくても、他の乳酸菌とか、食べ物とか、もしくはインフルエンザの流行る時期は夜更かしせずにぐっすり眠るようにするとか、適度に歩く、とか、ちょっとしたことでも声を出して笑う、とか、そういうことでインフルエンザ対策になるような気がするのですが…。

最終的に頼りになるのは、己の免疫力なので、自分の体の声に出来るだけ耳を傾けて、大事にしてやるのが一番なんだと思います。
まあ、ともすれば「自分」の力で生きているように勘違いしてしまうので、難しいとは思うのですけどね。

免疫機能について調べると、自分の体って、自分だけじゃないんだな〜、と思います。
どれだけの細胞が、「自分」を生かそうとして必死になっているんだろうと思うと、その重さと果てしなさにめまいがしそうになります。


このR−1ヨーグルトについて調べていたら見つけたヨーグルトメーカー。
こんなものがあったのね…。

TIGER ヨーグルトメーカー CHD-C100-A




TANICA 【温度調節機能で市販・カスピ海・ケフィアヨーグルト / 納豆・甘酒に対応】 ヨーグルティア スタートセット ブルー YM-1200-NB



これだったら色々なヨーグルトを低コストで食べられるのか…。
生クリームヨーグルトとか、おいしそうなんだよな〜…。
posted by みあ at 17:58| 日常

2012年02月28日

村上春樹「レキシントンの幽霊」感想・補足

レキシントンの幽霊 (文春文庫)




「レキシントンの幽霊」を読んで、ブログに感想を載せた後も、なんか心の中にもやもやというか違和感が残って、先日友人とこの小説について話しましたら、友人も同じように感じていたので、補足として後日感想を書くことにいたしましたです。

短編の材料としては、どれもなかなか面白いのです。
ただ…、自分好みの料理になるであろう材料をテーブルに並べられて、どんな料理が出来るんだろうとわくわくして待っていたら、(悪い意味で)思いもよらない料理が出てきた感じ。

断片的にはとても印象的だったりするし、惹かれる表現もあるのですが、それを物語として見ると、バランスが悪いと言うか、ちぐはぐというか。

う〜ん、それを村上春樹が狙っているのか狙っていないのか、そこが分からないのですが。


違和感があった点

レキシントンの幽霊」:

「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」
というケイシーの言葉。

ケイシーやその父親が、愛する人が亡くなったときに昏々と死んだように眠るのは、愛する人が亡くなったという事実を受け止めるためだと私は思っていた。
急激な変化に対応するためには、人には準備期間が必要で、そのために体(というか脳)は一度、疑似死のような状態に陥るのだと。

ケイシーやその父親は、愛する者のために眠ったわけじゃない。
愛する者を失った世界を生きていくために、自分自身のために眠ったのだ。

だから、ケイシーが死んだときに、誰も深く眠らなかったからといって、深く眠らなかった人がケイシーを愛していなかったかというと、そんなことはないと思うのだけど。

ただ、眠りから目覚めた後も、ケイシーは現実を「色彩を欠いた浅薄な世界」と言っているし、ケイシーの魂は眠りの先の世界(死)に一足踏み入れちゃっているのかもしれない。
でも、そう考えると、彼は何のために長い間、そんなに深く眠ったんだろうかと思ってしまう。
深く眠ってもなお、現実を受け入れることが出来ないくらいに、傷は深かった、ということなんだろうか。

まあ、「ある種のものごとは、別のかたちをとるんだ。」とか言ってるし、愛する者を喪失したことへの絶望や、愛する者を奪った死への反抗と憧れを、深く眠ることによって表したのかもしれないけど…。う〜ん…。

真夜中のパーティは、幽霊ではなく、色鮮やかだったケイシーらの記憶の象徴として考えられなくもないのだけど、それならなおのこと、「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない」という言葉に違和感。
えー、アンタは自分を愛してくれた人に不幸になって欲しいのか?自分が死んだんだから、残された人たちは灰色の世界を生きていけと言うのか?
「僕が今ここで死んでも、世界中の誰も、僕のためにそんなに深く眠ってはくれない。
でも、それでいいんだ。いいんだよ」
と穏やかに微笑んで言い切るくらいの懐のでかさを見せて欲しかった…。

私の思う「深い眠り」と、この作品における「深い眠り」の違いによる違和感なのかもしれないけど…。
う〜ん、なんかもやもやするです。


緑色の獣:

楊貴妃?と思ったけど、まあ、女じゃなくても、ああいうことは思いつくよね…。
「お前は女というもののことをよく知らないんだ。」じゃなくて、「お前は『わたし』というもののことをよく知らないんだ。」だったら、まだ納得出来たよーな気がする。


沈黙:


どういう意図で書かれたのか分からないのでアレなんですが、これまた、最後の大沢さんの言葉で、一気に大沢さんという人間に対して不信感を持ってしまった。
「この人の言ってること、どこまでホントなの?」と。

青木のことを深みの理解出来ない人間と言っておきながら、そして青木との体験を通して、人々が受けている傷や苦痛のようなものに対しても人並み以上に敏感になった、と言っておきながら、我慢強い人間になったと言っておきながら、夜中に怖い夢を見て飛び起きて、奥さん起こして泣くんかい!

そりゃ、聖人君子にはなれないさ。なれないし、突然自分の存在が無視されて、もう一度そんなことがあったらどこまで耐えられるか分からないのは確かだし、それは本当に同意だけど…、しょっちゅう泣くなよ!それも奥さん起こしてしがみついて泣くなよ〜!

このことが語られた瞬間、大沢さんの好感度が一気に下がりました(笑)。
元々、青木に対しての感情があまりにも一方的で、どこまでこの話を信用できるかは分からないな〜と思っていたのが、ますます信用ならないかもしれない人、のイメージが強くなってしまいました。

これまた私の勝手な偏見ですが、青木の件で、人間そのものを信じられなくなったなら、一種の諦めもまた出てくるような気がするのです。
明日に突然、自分の味方は誰もいなくなるかもしれない。それを赦せても赦せなくても、それが人間というもの。
自分もまた、信頼している人や愛する人の話を鵜呑みにして、沈黙したままのカオナシになるかもしれない。
それが人間なのだと思ったら、怖くて一人で枕を少し濡らすことはあったとしても、しょっちゅう奥さんを起こしてしがみついて泣くようなことはするだろうか…。でもって、そのことを他人に話すだろうか…。

これで、実は大沢さんのほうが青木より深みのない人間で、我慢強くなったと勝手に大沢さんが自分で思い込んでいるだけで、他人の痛みにも鈍感な人間で、この話は大沢さんの被害妄想話です、だったらある意味すげえ。

で、「僕」が、心の中で、
「うわ、この人、けっこう痛いひとだったのか…。つーか、いつまで続くんだよこの話。
あー、こんな話、振らなきゃよかった…。もうコーヒー飽きた。何か他の飲みたいな〜」
と思っているけど、しれっとした顔で沈黙して話を聞いているとかだったら、すげえ。

まあ、こんなことを想像してしまう私のほうこそ、深みがなくて浅くて薄情で、根性ひん曲がってるのだと思いますが。


めくらやなぎと、眠る女:

「アパッチ砦」を観たことがないのにこんなことを言うのはアレなんだけど、ジョン・ウェインの『インディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにはいないということです』というセリフに対して、「誰の目にも見えることは、それほど重要じゃないっていう意味なのかな……」と主人公は言っていますが、この主人公の言葉はどこまで信用出来るんだろう。
耳の悪いいとこの、「耳のことで誰かに同情されるたびに、どうしてかそれを思い出すんだよ」という言葉から察するには、主人公の言っていることは的を射ていない気がするんだけども。

セリフだけを考えたら、「すべてはもう終わって(起こって)しまったことです。それはもう、どうしようもないことなのです」的な気がします。それが、重要であろうがなかろうが。

と思っていたら、こんなブログを見つけました。

めくらやなぎと眠る女のマニアックな読み方

うーん、旧バージョンも読んだほうがいいのかなあ。

ああ、「めくらやなぎと、眠る女」を読み返してたら、チョコレートが食べたくなってきた…。

と、お腹がすいたので、尻つぼみな感じで終わります。
すみません。

チョコレート〜〜!!
posted by みあ at 22:11|

2012年02月23日

「レキシントンの幽霊」感想

村上春樹・著、「レキシントンの幽霊」を読みました。
村上春樹の本は、「ふしぎな図書館」を読んだだけで、かの有名な「ノルウェイの森」も「海辺のカフカ」も「ねじまき鳥クロニクル」も読んだことはありません。

父親が読んでいたせいか、村上春樹の本が何冊か家にあって、小学生の頃、「ねじまき鳥クロニクル」のタイトルを眺めていたことはあります。
「クロニクル」の意味が分からず、言葉の響きから「ねじまき鳥冒険記」の意味だと思ってました。
きっとドリトル先生シリーズのような感じで、ねじまき鳥が架空の島々を冒険する動物ファンタジーなんだと勝手に思い込んで、読もうとしたら、
「あれ?なんか思ってたのと違うぞ??」
ということで、自分にはまだ読めないな、とそっと本を閉じた記憶があります(笑)

私は、「趣味は読書です」と言えるほど本を読んだことがありません。
いまいち意味が分かっておらず、漠然としたイメージで捉えていた小〜中学生の頃は、なんか色々読んでいた気がしますが、世の中が何となく分かり始めた高校生になってからは、まあ、頭が悪くて授業についていくので必死だったせいもありますが、小説は読まなくなりました。

太宰治も、「この人の小説を読んだら、自分は鬱になる!絶対に読まない!」と決心し、読んだのは高校の国語の教科書に載っていた「走れメロス」ぐらい(笑)。
芥川龍之介も、小〜中学生の頃はあまり気にせず読んでいたのに、後々読み返すと「地獄変」とかひでえ話だし、「羅生門」なども大変後味がよろしくなく、一度読むと長く尾を引くのでなるたけ避けるようになりました。好きではあるんだけどね、ああいうの。

シンクロ率が高くなると、本を読みながら、動悸がひどくなり、呼吸も乱れて浅くなって(多分瞳孔も開いてる)、とても心臓によろしくないので、出来れば心が落ち着く、安心できるものが読みたいのです。

まあ、そんな理由から、偏見で「暗い」「精神的に不安定そう」と思われる現代文学を省いていくと、赤川次郎とかそのへんしか残らなかったという…(笑)。

そんな理由で村上春樹も避けておりました。

でも、私は成長したのです!
書き手の感情に呑み込まれないくらいには!たぶん。きっと。おそらく…。

というわけで、感想でございます。
村上春樹、さっぱり意味が分からなかったので、解釈はせずに独断と偏見の感想のみです。


レキシントンの幽霊:

なんとなーく、エドガー・アラン・ポーの「赤死病の仮面」を思い出しました。
舞踏会って、なんか、不穏な空気があるなあ。ちょっと方向を間違えると、没落とか、死へ導かれるような。
舞踏会という催し物が、どことなく閉鎖された空間の、非日常だからだろうか。
それとも、映画とか小説とかでは、必ず何か起こるからだろうか(笑)。

生者が黙り眠る中、死者が起きて騒ぐ、というのは昔から多いパターンだと思う。
生者は生者の、死者は死者の、その境界を超えてはいけない。
万が一、何かの拍子に足を踏み入れてしまったときは、知らんふりして自分の世界に戻るのが1番だと思う。
妻を取り戻しにいったオルフェウスもイザナギも、振り返って死の領域を見てしまったばかりに、しかも声を上げてしまったばかりに、取り返しのつかないことになったじゃないか。

そして、死にも似た、深い眠り。
眠りは、小さな「死」だそうです(何で読んだかは忘れましたが…)。
生き物は夜になると一度死に、そして朝になると再び甦るのです。

ただ、この話に出てきたケイシーは、なんか、眠りに捕らわれてる気がするなあ。なんとなく。
でも、どうなんだろう、ある種の区切りをつけるために、死者と本当に別れるために、昏々と眠ったんだろうか。

世界が虚ろな影だろうと、実は死の先に待つものが真実なのだとしても、わたくしたちは生きるしかないのでございます。

緑色の獣:


別にオチを望むわけでもないけど…。このオチは、ちょっと、あんまりじゃなかろうか…。
あんまりにもあんまりで、この獣は一体何のメタファーだったのかとか、どうでもよくなりましたでございます。
ちょっと、頭に思いついたものを書いてみました、的な感じ。
なんかイヤなことでもあったのですか?と思わず聞きたくなるような内容。


沈黙:

何か、ビミョーにリアルなのが印象的でした。
ある種、大沢さんと青木は全然似ていないようで似ていたんじゃないかと思う。同族嫌悪というか。
「好き」という方向に分かり合える人もいれば、「嫌い」の方向で分かり合える人もいる。
というか、嫌いだからこそ相手が分かってしまうというか、なんというか。
で、ますますソイツが嫌いになるのです(笑)。
こうなると、お互いに嫌いの連鎖に陥ってしまうので、難しいけど、「気にしない」のが1番なんだとは思う。相手の嫌いオーラをなるべく感じないように鈍感になって、自分もまた、相手が嫌いオーラを出さないようにすること。本当に難しいけど、意識しないのが1番いい気がする。
残念ながら、その人と分かり合える日が来ることはない、と思ったほうがいい。
嫌いな人、というのは、「彼」と「自分」は別人であって、どんなに理解したくても理解できないのだということを教えてくれるのだと思う。
本当に正しくて絶対の感情などというものは、どこにもないのだということも。

実は一連の件は、大沢さんの、「コイツ嫌い」の眼鏡を通してみたための大勘違い、ってことも有り得るかもですが、まあ、ホントなんだろな。

「でも僕が本当に怖いと思うのは、(中略)自分では何も生み出さず、何も理解していないくせに(中略)他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。彼らは自分が何か間違ったことをしているんじゃないかなんて、これっぽっちも、ちらっとでも考えたりはしないんです。」というのには同感。

集団になった人間ほど、怖くて信用できないものはない。
個々で見ると案外いい人でも、集団の意思に呑まれると、別人みたいになる。
集団が「我々は正しい」と声高に叫ぶのって、すごく怖い。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」みたいな。いやいや、分からんでもないけど、赤信号は「渡れ」じゃないでしょ、と。

晩年、人間不信になったというマーク・トウェイン爺ちゃんの、「不思議な少年」をちょっと思い出しました。
まあ、意味合いは違う気がしますが。

ただ、こう書かれているからこそ、大沢さんの話をそのまま鵜呑みには出来ないんだよなあ。
青木が深みのない男だと大沢さんは言っているけど、それは大沢さんの視点であって、実際はどうか分からんもの。


氷男:

わけわからん。
が、なかなか面白かった。

主人公は、未来をなくしたから氷になったのか、過去すらも切り捨てたから氷になってしまったのか。

「今」ってのは、「過去」と「未来」があってこそ成り立つものなのですね、とBUMP OF CHICKENみたいなことを言ってみる。
氷男には過去も未来もなくて、過去を保っているだけ。
「過去を保つ」って、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」の過去の記憶の炭鉱所を思い出しました。
過去の記憶がそのまま結晶になって、それはとても脆くて壊れやすくて、息をするのも憚られるほどの静けさの中にある記憶の断片。

人間は何かと孤独に惹かれがちですが、孤独に惹かれちゃ、ダメなんだろなあ。
「孤独」と「独り在ること」は別なんだけど、その線引きも難しい。
(ちなみにこの氷男、ちょっと「沈黙」の大沢さんの少年時代思い出しましたです)


トニー滝谷:

孤独が好きだなぁ、村上春樹…(笑)。

でも、この話がBUMPと違って救いがない気がするのは、自己の内に、自己の知らぬうちに閉鎖されてしまってるからなのかな。
外に向いていないというか、孤独と向き合っていないというか。

七番目の男:

結構面白かったです。
話はやっぱりありがちというか、どっかで見た感じですが。
主人公の見た少年が、ホラー漫画のワンシーンのようで、ホラー漫画絵で脳内再生されてしまいました。
つのだじろうとか、楳図かずおじゃなかったのが救いでした(笑)。
曽根まさことか、関よしみとか、そのへんの絵で。

人の死ってのは、残された人間の捉え方次第で変わるんだよなぁ、と。
動かないのは「(彼は)死んだ」という事実だけ。

台風の描写が印象的でした。

村上春樹というと、洒落ていて、ジャズでブランドで云々…なイメージだったのですが、この短編集ではそういった表現が顕著に目につくのは、「レキシントンの幽霊」ぐらいでした。

この話は、死への恐怖と、親友を見捨てたことによる罪としての恐怖よーな気がします。

恐怖を感じたら、それと向き合え、ということなんでしょうか。
それが脳の幻覚からくるものなのか、本当の恐怖(生命を脅かすもの)なのか。
幻覚であれば、恐れる必要はない。幽霊の正体見たり枯れ尾花。
でも、幻覚の恐怖に駆られて、本当のことを見落としてしまうのも、それもまた人間なんだろうけど。


めくらやなぎと、眠る女:

何が言いたいのかさっぱりでした(笑)。私には理解不能でございます。

ジョン・ウェインの『インディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにはいないということです』ってどーゆー意味なんでしょう。

姿の見えない蝿に食べられた眠る女は、繭みたいだなと思ったけど、食べられたってことは中身は空っぽなんだろか。

いちいち赤面しているいとこがかわいらしかったです。
というか、この話だけでなく、「レキシントンの幽霊」も「沈黙」も「七番目の男」も、ちょっと同性愛臭い気がするのは、私の頭が腐っているからなのでしょうか…。

しかしこの短編集、よく人が死ぬなぁ…(笑)。そういえば、「ひみつの図書館」でも死んでたっけ。


↓Amazonに飛びます。

レキシントンの幽霊 (文春文庫)


posted by みあ at 23:57|

2012年02月19日

「コンテイジョン」感想

コンテイジョン Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)




<あらすじ>
地球規模で発生した正体不明のウイルス感染 だが、ウイルスよりも早く感染したのは、[恐怖]だった──

香港出張からアメリカに帰国したベスは体調を崩し、2日後に亡くなる。時を同じくして、香港で青年が、ロンドンでモデル、東京ではビジネスマンが突然倒れる。謎のウイルス感染が発生したのだ。新型ウイルスは、驚異的な速度で全世界に広がっていった。

米国疾病対策センター(CDC)は危険を承知で感染地区にドクターを送り込み、世界保健機関(WHO)はウイルスの起源を突き止めようとする。だが、ある過激なジャーナリストが、政府は事態の真相とワクチンを隠しているとブログで主張し、人々の恐怖を煽る。その恐怖はウイルスより急速に感染し、人々はパニックに陥り、社会は崩壊していく。国家が、医師が、そして家族を守るごく普通の人々が選んだ決断とは──?
(公式サイトより)


<感想>

パンデミックもの。

なんかよく分からないですが、「ギャラ少なくてもいいから出たい!」とハリウッド俳優・女優に人気の監督、スティーブン・ソダーバーグ。
今作もマリオン・コティヤール、マット・デイモン、ローレンス・フィッシュバーン、ジュード・ロウ、グウィネス・パルトロウ、ケイト・ウィンスレットと豪華キャストですが、ネタバレしてしまうと、グウィネス・パルトロウは映画の序盤で亡くなります。
豪華キャスト目当てで観るとかなり肩すかしをくらうと思います。
いや、だって、どの人もこの人も、たいした見せ場みたいなのはないんだもん…。
(メインになったりするころはあるけど)誰が主人公、ということはなく、それぞれがそれぞれの役割を果たし、それぞれの立場の視点で話が進みます。

では、ウィルスパニックみたいな感じで、「アウトブレイク」的かというとそれもまたビミョー。
なんでかと言うと、おそらくこの作品はウィルスパニックを描きたいのではなくて、ウィルスパニックの状況下における人間を描きたかったのだと思うから。
しかも、お涙頂戴のような演出はほとんどなく、淡々と話は進んでいくというありさま。

ジュード・ロウ演じるフリージャーナリストが、いちはやくこのウィルスについて嗅ぎつけており、「政府はワクチンをもう開発しているが、それを隠している!」「政府はウィルスにはレンギョウが効くということを隠している!」とネットで発信します。
それを鵜呑みにした人たちがレンギョウを買い求め、品切れになると暴動を起こして略奪行為を働きます。
実はこのジャーナリスト、投資会社と組んでお金を儲けようとしていたのです。

フリージャーナリストが、ネットで「政府は嘘をついている!自分こそは真実を述べる!」と声高に叫ぶ中、CDC(アメリカ疾病防疫管理センター)は必死にワクチン開発を進めます。
CDCメンバーのひとりも、ウィルスに感染し、志半ばで無念の死を遂げます。感染者なので、葬式も出来ず、かつ死体袋も使い果たしてしまっているため、ビニール袋に入れられての埋葬。
観ているほうは分かるわけです。別に政府は嘘もついていないし、隠ぺいもしていない。

ウィルスに感染してはたまらない、ということで、次々ストライキが始まり、病院も人がいない。
病人の手当をするのは感染覚悟で残ることを決めた医師や看護師、ボランティアなどです。

感染者が触れたものに触ったり、飛沫などから感染するため、感染しないようにしようとすると、外界との接触を避けるしかありません。でも、そんなこと、基本的に無理です。

無人化したストアに食糧を求めて暴動が起こり、ストのせいで街はゴミであふれかえり、ある者は食料を求めて民家に侵入、略奪行為が行われます。
配給される食料にも制限があり、もらえなかった人たちは暴動を起こしたり。

実際、ワクチンが開発されても、人間に有効か、害はないかを確かめないといけないし、それを量産して配るにしても、一度に配ることは不可能で、要人やその家族はともかく、一般人は順番待ちが必要になります。それも、何か月も。
政府は暴動を避けたい。だから不確かな情報を流すわけにはいかない。
それをフリージャーナリストが「真実をさらす」と言いながら実はデマを流している。
恐怖に囚われた人間て、誰か「悪者」を作り出したくなるのかもしれません。
ジャーナリストの信者は増えていく。

ただ、この映画は、誰が悪者と決定づけるでもなく、淡々と進んでいきます。
ほんとうは悪者なんて、いなかったのかも。
みんな、ただ、必死だったのかも。

何が正しい情報なのか、正しくない情報なのか、分かりません。
それに、要人やそれに関わる人たちが優先されるのも、そりゃ、まあ、(いやだけど)分かる。
それを不平等だと叫んだところで、どうしようもないというか。
私だって出来るなら助かりたいけど。見捨てられたくはないけど。

実際、こんなパンデミックが起こったらどうなんだろうなあ。
私は新型インフルエンザ騒ぎのときは、あんまり気にしてなかったですが、実際に死人が出て、爆発的にウィルスが広まったとなったら、話は別だし。
しかも、それが致死率がかなり高いとなったら、ホントに話は別。

出来るだけ家にこもって、自分を含め家族・友人・知人の無事と、感染者がこれ以上増えないこと、顔も知らない感染者の回復を祈りつつ、ただじっと事態が好転するのを待っているのかなあ。
病気にかかってしまったら、回復することを祈りつつ、でも多分ダメだろうなとか思いながら、死ぬのを待ってるのかなあ。苦しいのはいやだなあ。

ウィルスはもちろん怖いけど、それ以上に怖いのは群衆のパニック、という作品でした。
情報にいたずらに踊らされたくはないけど、実際その状況になると、冷静さを保つのって難しいよね。

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2012年02月17日

やっぱり雪国だった。

どうもでございます。

本日も日本海側は大寒波、ようやく消えていくと思われた雪がまた積もりました。

昨日の夜は吹雪いてまして、そのくせ吹雪の切れ間に雲が晴れて星が見えるという、「ここは山か!?」と突っ込みたくなるような天気でございました。

今日の朝起きたら、たいして積もってなくて(5センチ程度?)「なんだ、大雪って言うけどたいしたことないじゃん」と思っていましたら、朝7時頃から10時頃までの約3〜4時間で30センチ近く積もってびっくりしました。

除雪車もまさか朝方積もってなかったのにここまで積もるとは思ってなかったのか、除雪の時間が定められているのか、はたまた予算が尽きたのか、家の前の道路にはやって来ず、雪はしんしんと降り積もり…。

雪が積もった道路を車が行く音は、なんとも独特です。
道路を削る(?)音がしないので、低くて静かなんですよね。
あの音は、何に形容したらいいんだろう。
う〜ん、映画での宇宙を行く宇宙船内部の音?
おそらく本当は、「ゴゴゴゴゴゴ」という轟音だろうところを(まあ、宇宙空間では音は伝わらないそうですが。宇宙船内部はどうなんだろう)、音がこもるというか、くぐもってるというか。

国道も雪が圧雪してガタガタで、ハンドルを取られつつ運転してました。

で、我が県。
一応、雪国に入るのですが(なのでスタッドレスタイヤは必須です。もし雪があまり降らないところから雪国に引っ越される方は、冬の準備に要注意でございます。スタッドレスタイヤに履き替えないと怖くて冬道運転出来なくなるので、タイヤを買うお金をよけておいてください〜。そういやあ、マンション住まいの人とか、タイヤの保管、どうしてるんだろ)、県民性を反映してか、地味。

北海道のように「雪!」って感じでもなく、青森や新潟や岩手や山形のように「豪雪!」ってほどでもなく。
中途半端なんですよね。
何やら幸福度調査では第2位だったらしいです。
ニュースか何かに、2位の我が県が「自然環境に恵まれ趣味や娯楽に費やす時間が長い」とコメントされていたようですが、「自然環境に恵まれているかもしれないが、晴れる日があまりないので、家の中もしくは館内で趣味や娯楽に費やすしかなく、県民もほぼそれが当たり前となっているため、それ以上の趣味・娯楽を望まない」の間違いなんじゃないの?と(笑)。

まあ、それはさておき。
我が県は、雪国とはいえ、中途半端なんです。
山間部はそりゃ大変なことになっているでしょうけど、平野部はたいしたことない。
雪かきされていないところは、ずんずん雪が膝上まで積もって膝上まで前に進めなくなるとかはありますが、基本、道路は除雪されるし、融雪装置や熱や車で溶けるし、なんか、たいしたことないイメージなのです。

だから、我が県を雪国とするのは、北海道や青森や新潟や岩手や山形の人たちに申し訳ない!と思っていたのであります。

でもですね、よくよく調べてみたら、我が県、県庁所在地の降雪量とか積雪量のランキング、けっこう高いのです。
何と言いますか、全体的に降ってる&積もってる感じ。もちろん、山間部と平野部を比べたら、雲泥の差ではありますが。

県庁所在地でいうと、2011年度の都道府県別降雪量ランキングでは我が県は4位。383センチ。
ちなみに1位は青森(669センチ)、2位が北海道(597センチ)、3位が山形(426センチ)。
5位は秋田で377センチ。

1990年〜2009年度の積雪量の合計では、やっぱり1位が青森、2位が北海道、3位が山形。で、4位が我が県、と。52メートル58センチだそうです(山形は58メートル43センチ、北海道になると一気にとんで100メートル14センチ。青森は130メートル48センチ。ちなみに我が県の次は秋田で、49メートル12センチ)。
9年間合計だから、なんかよく分からないけど。

いずれも、県庁所在地のデータなので、ちょっとアレですが、でも、県の象徴である(?)県庁所在地が5本指に入るのであれば、十分「雪国です!」と胸を張って言い切ってもよいのではなかろうか?

まあ、「雪は降る。でもそこまで積もらない」というのが大きいかと。
少し気温が上がったら、雪は一気に雨になって積もった雪を溶かしてくれるし、せっせと雪かきするし。
駐車場とかどこかの一角に、雪山をつくって積み上げていくので、余計高低差が出て、「あんまし積もってない?」な気分になるのかもしれません。

まー、雪が降りしきる中、雪かきをしていると、ちょっと軽い絶望感に襲われます(笑)。
思わず中原中也の「北の海」をパクって

降ってくるのは、
あれは天使の羽ではないのです。
降ってくるのは、
あれは、雪ばかり。

白い北国の空の下、
雪はしんしんと音なくのしかかって、
大地を苦しめているのです。
いつ終わるとも知れない白い絶望。

降ってくるのは、
あれは天使の羽ではないのです。
降ってくるのは、
あれは、雪ばかり。


などと心のなかでつくってみてはストレス発散したり。

まあ、これも雪国に生まれちまった宿命でございましょう。

yahoo!の大雪ニュースなどの投稿コメントで、
「雪国なんだから雪降って当たり前」「雪降るのが嫌だったら雪国に住まなければいい」
なんてものもあったりするのですが、すいません、我が県、こういったことがないと注目浴びれないもんで……。

いいじゃん、ちょっとぐらいドヤ顔させてよ〜う!!
好きで雪国に生まれたわけじゃないし、かといって引っ越すお金もないし、降って溶けた雪が貴重な水になるんだし。

でも、まあ、我が県が雪国だということはよく分かりましたので、冬将軍様には恐れ入りますが、そろそろお帰りいただきたいです。

ホームセンターで見かけて気になった融雪剤。
成分の塩化カルシウムはアスファルトや車にはあんまりよろしくないんだけど(錆びちゃうので)、それでもお世話になりたいときはありますです。
Amazonに売ってるか調べたら…あった!(笑)
しかも、ホームセンターより安い…。

融雪くん(無塩・凍結防止剤) 2kg



↓雪が積もってほしくないところにスプレー出来るお手軽タイプ。
そうか、これをスカパーとかの衛星放送アンテナにかけておけば、雪が降って「信号が受信できません」→何も映らねー!なことは減るかもしれないわけか…。↓


↓道路に撒かれている融雪剤から車を守るのにいい…のかな?↓

posted by みあ at 21:43| 日常

2012年02月15日

BUMP「ユグドラシル」〜沈黙の宇宙樹〜

ユグドラシル




BUMPメジャー後2枚目(通算としては4枚目)のアルバムの名前です。
ユグドラシルは、北欧神話に出てくる大きな木。どれくらい大きいかと言うと、世界を支えるくらいに大きな木です。
世界といっても、1つだけじゃないのです。9つの世界を内包するというバカでかさ。

このアルバムジャケットは、藤原さんが描かれたらしいのですが、草原の中に大きな木が1本立っています。
まるで何かの目印のようにそびえ立つ木。
厳かですねえ。

で、実際にアルバムを買ってジャケット見てびっくり。

草原かと思ってたところ、森だった!(笑)

他の木々が草に見えてしまうくらい、でかい木として描かれていました(笑)。

世界を支える木なので、ユグドラシルの別名は「世界樹」。「宇宙樹」と呼ばれることもあるそうですが、個人的にはそっちのが好きです。

いつだったかに見た宇宙のイメージが、まるで木のようだったので、「そっか、ユグドラシルは宇宙樹だったんだ」と何だか納得してしまったのです。

幹として「実在世界そのもの」があって、それをいわゆる「あの世」みたいな世界が支えていて、幹から伸びる枝はそれぞれの「大宇宙」。そこからブラックホールやワームホールでつながれて、私たちが普段「宇宙」と呼んでいる銀河団が葉のように連なっている。

うん、私の偏見ですが(笑)。

別名「宇宙樹」とも呼ばれるユグドラシルをアルバムタイトルに持ってくるなんて、BUMPはやっぱり宇宙好きなんだな〜(それも科学的に、というよりは、『私たち』というミクロ宇宙と、マクロ宇宙を融合させて考えてる気がする)、と一人で勝手に嬉しくなってにやけておりましたら、雑誌のインタビューで、

特に深い意味はなく、響きが良かったから。濁音がふたつもあって何か得した感じするから。

みたいなことが書かれてました…。

まあ、確かに音はいいですよ、「ユグドラシル」。

「ユグ」あたりで、なんか早速厳かな感じ。この言葉をとても声が響き渡る人が威厳たっぷりに放ったならば、ひざまづいて頭を垂れなきゃならん気がしてきますよ。

その後に「ドラ」とくるわけですが、「どーん!」って感じですよね。しかも「グ」という濁音の後に濁音が連なるもんだから、「どどどーん!」って感じですよね。

でもって、最後に「シル」ですよ。
美しいものが天の彼方に去っていくような、後に美しい静寂が残されたような、なんかもー侵してはならん領域のような、そんな響きですよ。

絶対の存在、降臨。人間一同「ははははー」とひざまづく

絶対の存在、何やら仰る。どどどーん! 

絶対の存在、去る。後はしんとした静寂と、人の自身の中にある信念のようなものが残るのみ。

なんか、こんな感じですよ!

「ユグドラシル」の言葉だけで何か物語つくれそうですよ!

と、すみません、思わず興奮してしまいました。ふう。

北欧神話の主神(神々の王)は「オーディン」なのですが、巷によると、「ユグドラシル」とは、「オーディンの馬」と解釈されているそうです。
何故なら「ユグ」とは「恐るべき者」の意味で、オーディンのことを指す。で、「ドラシル」は「〜の馬」という意味を持つからだそうです。

このオーディン、8本脚という、蜘蛛みたいな馬「スレイプニル」に乗り、手にする武器は「グングニル」。

BUMPの「グングニル」でも

「死に際の騎士 その手にグングニル
狙ったモノは 必ず貫く」


とあるように、槍でございます。

北欧神話は、音楽やゲームや小説ネタによく使われます。
他にも「ヴァルキリー(ワルキューレ)」「ラグナロク」「ノルン(ウルズ、ベルダンディ、スクルドの三人の運命の女神)」「フェンリル」などなど。

占いなどで見かける(かもしれない)ルーン文字も、北欧神話からきていまして、ルーン文字の秘密を会得するために、オーディンはユグドラシルに九日間逆さ吊りになったそうです。
逆さ吊りになんかなったら、むしろ頭に血が上って秘密の会得もクソもないんじゃ…と思ってしまいますが、そこは神様のすることなので、人間には理解できないものなのかもしれません。

で、ちょっと気になって調べたら、ウィキペディアには「逆さ吊り」とは明記されてなかったです…。

「オーディンはルーン文字の秘密を得るために、ユグドラシルの木で首を吊り、グングニルに突き刺されたまま、九日九夜、自分を最高神オーディンに捧げたという(つまり自分自身に捧げた)。この時は縄が切れて助かった。」

とあります。さすが神様、やることが違いますね。最高神たる自分が、最高神たる自分に捧げることが出来る、最も極上なものは「最高神たる自分」しかなかったという。
でも、縄が切れて助かった、って、なんて人間らしいかっこ悪いというか、運良くてよかったねというかなオチ…もとい、運を味方につけるという快進撃!

まあ、その後に

「なお、タロットカードの大アルカナ XII 「吊された男」は、このときのオーディンを描いたものだという解釈がある。」

とあるので、当たらずとも遠からずかもしれませんが。

ユグドラシルの頂には鷲が、根っこには蛇がいて、根っこをがじがじ齧っているそうです。
枝をあちこち行き来して、各世界に情報を伝えているのがリス。

3本の根本近くには泉があって、1つには運命の女神がいて、せっせとユグドラシルが枯れないように水を与えています。もう1つには賢い巨人であるミーミルがいて、その泉の水を飲むと頭が良くなるそうです。ただ、まあ、神様の世界での「頭が良くなる」なので、人間が飲んだらロクなことにはならないよーな気がします。

さて、ホントはもっと語りたかったのですが(ラグナロクとか)、BUMPの話とはずれてしまうし、何より字数制限にひっかかってしまうのでこのへんで。


ユグドラシル [DVD]



↑DVDです。
お持ちでない方はさりげにおススメです。まあ、PVだし、ネット上では動画が転がっていますけどね、ちゃんとした画質と画面で見たいじゃありませんか。ということで、PV集も欠かさず買っているわたくしでございます。
あ、「スノースマイル」のPV撮影でBUMPが我が県に来ていたらしいのですよ!
駅から出て、建物の低さに感激(?)していたそうな…。そりゃあ、だって、ねえ…?

posted by みあ at 18:48| BUMP・用語編

2012年02月14日

ハッピーバレンタイン!

14日はバレンタインデー。

本命チョコならともかく、「本命もらえなくてかわいそうだから」で義理チョコってどーなんでしょうね。

「日頃お世話になってるから」という意味で渡すなら「義理チョコ」なんてネーミングじゃなくて、最初から「感謝チョコ」みたいな名前にしとけよと言いたくなりますよ、ホントに。

義理チョコなんて、どーせアレでしょ、昔のバブル時代の名残か何かなんじゃないの、
「どうせ本命チョコもらえないんでしょ?仕方ないからワタシが恵んであげるわ。ちゃんとお返しちょうだいよ(注:俗に言う、「ツンデレ」というわけではなく、本気でそう思っている)」
ってチョコをいくつでもばらまけるくらいに景気が良かった頃の。
でもって、ばらまかれたチョコに対して、ちゃんとお返しが出来るくらいに景気が良かった頃の。

はっ、バブルが崩壊した今、義理チョコ買ってる余裕なんざねーよ、義理に対してお返ししてる余裕もねーんだよ!

などと荒みたくなるほどのバレンタインを今年は経験せずに済んでしまったほど、交友関係が狭くなったわたくしです、どうもこんばんは。

なお、上記に記載しました内容は、全て私の妄想と偏見です。鵜呑みにしてはいけません。
嘘とホントと、その両方が入り乱れている世界がネット世界でございますよ。
いえ、現実世界そのものがそうなのでございましょうけども。

今年は義理ではなくて、絆チョコ、と呼ぶそうで。
「お菓子業界、売上上げるために必死だな〜」
と意地悪く斜めに見る反面、
「まー、これで少しでも経済が潤えば…」
などと(経済のことは全く分からないですが)思うこともございます。
まあ、私はほとんどバレンタインの売り上げに貢献してないですが。
日々貢献してるから今更いいじゃないですか、大目に見てくださいませよ。

本日、某郵便局に行きましたらば、

「バレンタインデーですので…」

と粒チョコを2つもらいました。

嬉しかったです。

やー、なんて言うか、2つってとこがミソですよね。
1つじゃないんですよ。1個口の中に入れても、まだ楽しみをとっておけるんですよ。
何とも粋なはからいじゃないですか。
まあ、ひょっとしたら深い意味はなんにもなくて、ただ単に郵便局で荷物を2つ送ったから2つだったのかもですが(笑)。

押し付けがましくない、見返りを求めない、ちょっとした小さな贈り物というのは嬉しいものなんだな〜、と実感。

……まあ、「リピーターになって、もっとこの郵便局を利用してもらおう!」とか、そういう目的もあるのかもしれないけど。
でもまあ、私も単純なので、「出来る限りこの郵便局利用しようかな〜」とか思ってしまいましたし、利用するつもりでございます。

なんかいかにもチョコで釣られたよーですが、チョコだけじゃないのですよ、さりげない心遣いな感じが良かったのですよ。



このブログがなんだか読みにくいし目に優しくない感じがしたので(まあ、サイドに貼ってる広告とか、私の長文が1番の原因じゃないのか、という厳しいつっこみはさておき)、ぽちぽち見やすいようにいじっていく予定です。

あと、個人的に気になるサイトのアフィリエイトリンク置き場もつくってみようかと考えています。
古本とか、電子書籍とか、その他もろもろ。
いちいち探すのが面倒なので、一覧にしてブックマーク代わりみたいに出来ないかな〜…なんて。

お金がないというのもありますが、何故か個人的に気に入っている本を紹介しようとすると軒並み絶版とか…(泣)。
あと、こういった状況からも分かりますように、私が気に入った漫画家さんや作家さんのを集めようとすると、昔のは中古で買うしかなかったりするので…。

まあ、たいていAmazonにあるとは思いますが、念のため。


↓とりあえず今はここにぺちょ。





posted by みあ at 23:41| 日常

2012年02月10日

マドモアゼル朱鷺 『タロットトキ式』。

「どうしても必要なものは、いくら処分しても必ず戻ってくるから、へっちゃらです」

高校生の頃、本屋で何気なく手にとって惹かれた本の一文。
マドモアゼル朱鷺さんの『タロットトキ式』。
それぞれのページにメッセージと、著者の一言と、本からの引用の言葉が載っている。
ペラペラとページをめくったり、気になった数字の項目を見たりして占う、というもの。

その本の、とあるページに載っていた言葉が

「どうしても必要なものは、いくら処分しても必ず戻ってくるから、へっちゃらです」

だった。

別れを経験したとき、この言葉を心の中で言い聞かせたりする。
少し心が軽くなる。
もし戻ってこないなら、それは私にとって必要ではなかったのだ。
そう言い聞かせると少し悲しみが和らぐような気がする。

そして本当に、自分にとってまだ必要なものであったら、そのうち戻ってくるのだ。

執着心、というものはなかなか消えないけれど。

少しづつこの憑き物を落としていって、必要なものを見極めたなら、迷いや不安も少しは減るのかな、と思う。


ちょっと話題は変わりまして。

インターネットや電子書籍が当たり前になって、必要な情報は検索をかければ出てくるようになりました。
言い換えれば、興味のないもの以外は、なかなか目にする機会が減ったのかもしれないです。
(とはいえ、Yahoo!のトップページのニュースや広告とか、ホームページやブログのリンク集や広告とかにつられて、知りたいと思っていたところから脱線することはあるのだけど)

たまーに、私は本屋や古本屋や図書館に行って、ずらりと並んだ本の背表紙タイトルから本を選びたくなるときがあります。
人気作品が平積みになっている所は「ふーん、こういうのが売れてるのね」と見るだけにしておいて、背表紙で並んでいるところをじっくり歩いたり(笑)。

「あ、これおもしろそう」というタイトルの本があったら、手に取って、あらすじを見て、小説本などであればページをめくってみて、惹かれるかどうかチェックします。
何か気になるものを感じたら購入。

ちなみに、私は連載より読み切り派なのです。
漫画なども、連載が載ってる本誌よりも読み切りがたくさん載っている増刊号などのほうを子供の頃から楽しみにしてました。
だって、色んな話がたくさん読めるし。
で、その中でもお気に入りの漫画家さんを見つけて、その人の作品を楽しみにしていたら、いつの間にか消えてしまったり(泣)、本誌で連載が決定して本誌に異動になって、おめでたいような残念なような、複雑な気持ちになったりしていました。

ずらりと並ぶ背表紙から作品を選んで、かつ、それが「アタリ作品」だったり、自分にとって必要なものだったときは、とても嬉しいです。

相思相愛というのでしょうか、自分がこの本を求めて、この本も自分を求めたんだな〜、という気持ちになります。

もちろん、情報を求めてネットサーフィンしていて、「これだ!」というものを見つけたり、何気なく覗いた電子書籍で気になる作品を見つけて最初の数ページを試し読みして購入を決定したり、Amazonで検索かけた本から関連本に移動して、そこのレビューで購入を決めたり(レビューに関しては、星の数で購入は決めないです。どういう人が、どういうレビューをしているかで決めます。案外、自分と反対の感性を持っているだろう人が酷評しているのを読んでみると、自分には面白かったりするので・笑)出来ますが、でも、あの、背表紙が並ぶ中を歩くときの、未知の世界を覗くようなわくわく感までは正直ないです。

インターネットも電子書籍も、もちろん便利だし利用するし、あっていいと思いますが、書籍としての本はなくなって欲しくないです。
本屋も古本屋も図書館も、なくなって欲しくないです。

数ある本の中から、自分にとって必要なものを見つけ出し、選び、そして自分の物としたことは、それは小さな私の誇りでもあるのです。

で、このタロットトキ式、絶賛絶版中です…。
いい本なのに…。

引かれた2枚のタロットカードに、シンボリックワードとシンボリックイメージ(写真)、リーディングメッセージが見開きで60載っています。
このシンボリックワード、イメージ、メッセージ、どれも素敵なのです。
本や漫画から引用された言葉も載っていたりして、見ごたえあります。

この本を友人に貸したら、えらく気に入ったようだったので、そのままプレゼントして、自分はAmazonで買い直しました(書店ではもう手に入らないので)。
それぐらい気に入っている本です。

Amazonで中古で購入できます。
気になった方はどうぞ↓


posted by みあ at 20:41|

2012年02月09日

雪と雪道の運転とミニスキーと

またしても寒波到来!
日は着実に長くなっているのに、気温が上がらない…。
せっかく天気が良かったのと、雨が降って雪が溶けたのとだったのに、早速今日1日で道路は真っ白、雪は積もり、結局またまた長靴のお世話に。
運転下手な私は、車の運転するのもヒヤヒヤです。

〜雪道を車で運転中の我が脳内イメージ〜

「司令官!道路が雪が凍ってガタガタです!」

「凍っているからな、気をつけろ!多少ハンドルを取られるが焦るな!落ち着いて行け!」

「司令官!もうすぐ右折地点です!車線変更します!」

「車線変更の際は2車線の間の雪に注意しろ!ハンドルを取られるぞ!凍っている場合はそのままスリップの危険がある!先人の轍の跡を探せ!」

「ダメです、先に車が通った跡がありません!」

「仕方ない、衝撃に備えつつ車線変更しろ!なるべく柔らかいところを狙っていけ!間違っても雪の塊があるところには突っ込むな!ボディがやられるぞ!茶色いところは出来るだけ避けろ、凍っている可能性があるぞ!」

「イエス・サー、大根おろし状に透明になっている箇所を確認!そこを狙って車線変更します!」

「よし、透明でも凍っている可能性はあるからな、十分に注意しろ!まわりの車に影響ない程度に減速!衝撃に備えろ!」

「イエス・サー、周囲確認、減速! 方向指示器出します、3…2…1…衝撃!」

「よし、この程度の衝撃なら問題ない!ハンドルを戻せ!異常は?」

「エンジン音、ハンドル操作ともに異常ありません!車線変更、成功!」

「よし!だがまだ気を抜くな!」

「司令官!前方脇に雪の塊を発見!小さな岩ほどの大きさです!」

「くそ、罠にはまったか…!硬さはどの程度だ!?」

「茶色に汚れています、おそらく除雪車からこぼれた雪塊とみられます!直近の天候、気温を考えると硬度は高めと考えられます!」

「くっ、出来るだけ避けろ!バンパーがへこむぞ!周囲確認!車線変更を試みろ!」

「周囲確認、……隣車線前方および後方に車両確認!車線変更は危険です!」

「くそ…っ!このまま突っ込むか…!?車体破損確率は!?」

「車体破損確率60%!バンパーへこみが考えられます!走行不能確率は10%!当たり負けした場合、走行不能になる可能性は0ではありません!万が一、雪塊に乗り上げることがあれば、最悪助けを呼ぶ必要が出てきます!」

「くっ…!バンパーへこみ程度なら、修理に出さずそのまま乗り続けることも可能だ…、どうする…!?…………後方、車両確認せよ!」

「後方、車両確認!車間距離、かなり開いています!」

「よし、そのまま突っ込む!下手に車線変更をして事故るくらいなら、車を破損させたほうがマシだ!出来る限り減速しろ!衝撃がくるぞ!衝撃に備えろ!」

「イエス・サー、減速中!接触まで3…2…1…接触!大きな衝撃です!」

「思ったより大きな衝撃だったな…くそ、車体に異常は!?」

「エンジン音、ハンドル操作、ブレーキともに異常ありません!ただ、かなり大きな衝撃でしたので、前方部破損確率は70%です!」

「後で車から降りて確認するしかあるまい…」

「司令官!視界が明るくなってきました!雪が光を反射し、真っ白で視界不良…!道路、歩道、田んぼの境目が分かりません!ああ、方向感覚が危険です!」

「馬鹿者!取り乱すな!たかが平野部でホワイトアウト現象にあってたまるか!白以外のものを探せ!陰、灰色、なんでもいい!見つけたらそれを元に方向感覚を立て直せ!そのうちすぐに暗くなる!」

「イエス・サー!方向感覚、立て直します……視界が暗くなってきました!雪の陰影が分かるようになってきました!」

「よし、そのまま進め!目的地まではまだ少しかかるぞ!」


こんな感じです。

去年は、道路脇に落ちていた雪塊をよけきれずに突っ込み、バンパーにあったアクセサリ部分が見事に取れました。
車検のときに修理に出しましたが、1万2000円ほどかかりました…。痛い出費だ。

庭は、屋根の雪下ろしなどで集めて、溶けきれずに残った雪の上にさらに雪が積もって、ちょっとしたこぶ山のようになっています。

小学生ならソリかミニスキーで遊べそうです。
ミニスキー…。懐かしいな、これもAmazonで売っていたりするのかな、と思って調べたら…あった!(笑)
何でもそろってるのね、Amazon…。

キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) ミニスキー35cm ブルー M-1517



キャプテンスタッグ(CAPTAIN STAG) ミニスキー45cm レッド M-1520



ちなみに、これらはあくまでも庭遊び用です。子供のおもちゃです。
ホントのスキーの練習にはなりません(笑)。長靴などにそのままくっつけて遊びますです。
子供が、雪の積もった庭や校庭で、雪を集めて山にして、滑って転んで雪にまみれて楽しむものです。
プラスチック製なので、つくりはちゃちいですが、小学生の頃、男子がよくこれを履いて、校庭の築山で滑って遊んでいました。
私はスキーが出来なかったので、ソリ派でした(笑)。
ソリはね、雪かきのときにも役に立つのですよ。スコップでえいせえいせとソリに雪を集めて、雪捨て場にひっぱって持っていくのです。
子供用のママさんダンプもあったと思うけど、それだと雪が積もると子供の力ではなかなか前に進めなくなるのですよ…。
その点、ソリなら雪の上を滑るので、雪を運ぶのにもってこいなのです。

(雪遊びグッズ) パンダスキー panda ski サイズ/70cm



こんな本格的なミニスキーも発見。ストックつきだ…。
ストックなしのミニスキーだと、坂を上るのに苦労するのですが、これだと板も長いし、ストックもついてるし、逆ハで割合簡単に上れそうだな〜。


posted by みあ at 21:30| 日常
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日々の中で感じたことを、個人的な偏見を交えて語りたいと思います。 本とか、音楽とか、映画とか、いろいろ。
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